俳優として活躍する松平健さん。
若い頃どんな風貌だったのかや、年代ごとにどんなできごとがあったのか気になるかたも多いと思います。
さっそく、松平健さんの若い頃の写真やできごと、デビューのきっかけを年代順に振り返ってみましょう。
松平健のデビューのきっかけや時期は?
映画で見た石原裕次郎さんに憧れて、役者を目指し上京した松平健さん。
俳優養成所に通う生活を送る中で、勝新太郎さんに出会い、彼の事務所に入ることになります。
その後、松平健さんは、勝新太郎さん主演のドラマ『座頭市物語』でデビューを果たします。
「『座頭市物語』の撮影中は半年くらい勝先生の付き人をしていました。それで、その最後の作品に私も出演させてもらえることになったのです。しかもゲスト主役の浅丘ルリ子さんの相手役でした。私にとっては銀幕のなかの人との共演ですから、嬉しかったですね」
引用元:flag lab
勝新太郎さんは、恩人と呼べる存在かもしれないね。
松平健の幼少期は?若い頃の活躍やできごとを年代順に振り返り
松平健さんの幼少期のエピソードや、若い頃の活躍やできごとを年代順に振り返っていきます。
幼少期
7人兄弟の末っ子として、厳しい大工の父親と辛抱強い母親の間に生まれた松平健さん。
幼少期は、健康的で外で遊ぶことが大好きな少年だったようです。
子どもの頃はよく、暗くなるまで缶蹴りや忍者ごっこをして遊んでいました。ひょうきんで、人を笑わせるのが好きでしたね。
引用元:婦人公論.jp
この頃から誰かを楽しませることが好きだったというのは、現在のご活躍からも納得ができますね。
松平健さんにとって、俳優は天職だったのかもしれないね!
10代
松平健さんが10代の頃の代表的なできごとはこちらです。
- 1963年(10歳):『太平洋ひとりぼっち』を観て、役者を志す
- 1970年(17歳):高校を中退し、上京する
- 1970年(17歳):石原プロに門前払いされ、俳優養成所に入所する
父親が映画館の社長宅で仕事をしていた関係で、少年時代から映画館に通っていた松平健さん。
最初に見たのは小林旭さんの作品で、それ以降、浜田光夫さんと吉永小百合さんの『愛と死をみつめて』、舟木一夫さんが主題歌も担当した『絶唱』など、たくさんの日活映画を見てきました。
引用元:婦人公論.jp
役者を志すきっかけとなった映画『太平洋ひとりぼっち』は、石原プロで初めて製作された映画で青春映画の名作として知られています。
裕次郎さん演じる主人公が、ヨットに乗って一人で太平洋を横断するというストーリーに衝撃を受け、「男たるもの、冒険しないといけない」と考えるようになりました。
引用元:婦人公論.jp
上京して役者になると決心した松平健さんでしたが、兄弟に猛反対を受けてしまいました。
その頃すでに父は亡くなっていて、母が苦労して家計を支えていました。
そんな中で母だけが、「好きなことをやりなさい」と応援してくれたのです。私の手にお金を握らせ、東京へと送り出してくれた日のことは、生涯忘れることができません。
引用元:婦人公論.jp
「もし母親の応援がなかったら、俳優・松平健はいなかった」と考えると、ここが彼の人生の分岐点だったかもしれません。
上京して真っ先に、石原裕次郎さんに直接会うため、自宅に足を運ぶことにした松平健さん。
今では考えにくいですが、当時は有名人の住所が公開されており、石原裕次郎さんも例外ではありませんでした。
まずは、もしかしたら内弟子にという淡い期待を持って成城の石原裕次郎さんの家を訪ねました。その時、裕次郎さんはお留守で留守番の人に『石原プロモーションの方に電話してくれ』と言われて電話したのですが、『今は新人俳優はとっていない』という返答でした。
引用元:日刊ゲンダイDIGITAL
その後、広告で見かけた俳優養成所に入所し、劇団で下積み時代を送ることになります。
「(下積みは)4年近く、劇団で芝居していまして。短い方ですね」と回顧。「それでも、エキストラやったり、いろいろ経験はさせてもらいましたけど。(当時は)アルバイトをしながら週2回、劇団に通って」と松平。
引用元:Sponichi Anex
1972年には、「松本二郎」という芸名を「松平健」に変更しました。
もともとは松本二郎という芸名だったんですけれど、当時のプロデューサーが付けてくれました。
おそらく私が三河出身だということで「松平」になったのでしょうね。その後にまさか、徳川吉宗役を演じることになるとは思いませんでした。今にして思えば、ご縁ですね。
引用元:婦人公論.jp
自分でできることを探して、すぐに行動に移していた彼は、夢を叶えようと必死だったようですね。
10代の頃の生活は、まさに憧れた冒険そのものだったんだね!
松平健さんファンに聞いた、松平健さんの10代で印象に残っている出来事
宝映テレビプロダクションに入団したことですね。第一希望の劇団には入れなかったものの、ここから松平健さんの芸能活動がはじまったわけですし印象的です。(50代男性)
最初は松本二郎として東映テレビプロダクションに入団したという事実を知って驚きました。最初から松平健だと思っていたのでびっくりです。(30代男性)
松平健さんの10代のころの印象的な出来事は、松平健さんは時代劇のイメージでヘアスタイルもまげの印象ですが10代のころはとてもさわやかなルックスだったということです。はっきりとした顔立ちなので納得です。(40代女性)
20代
松平健さんが20代の頃の代表的なできごとはこちらです。
- 1974年(21歳):勝新太郎に出会い、勝プロダクションに入る
- 1976年(23歳):ドラマ『暴れん坊将軍』の主演を務める
- 1979年(25歳):大河ドラマ『草燃える』に北条義時役で出演する
カメラテストで勝新太郎さんに認められ、勝プロダクションに所属しデビューまで付き人を務めることになった松平健さん。
ドラマ『座頭市物語』でデビューを果たしますが、その経緯には驚きの事件があったそうです。
「制作会見の席で突然、勝先生が『松平!お前は俺だけを見ていればいいんだ!』って、怒鳴られたんですよ。何もやってなかったんだけどね。あれは記者に僕の名前を売り込むためにやってくれたんですよ。先生はそういう暖かいところを持っていました」
引用元:SmaStation
その後、ドラマ『暴れん坊将軍』で、時代劇の主人公を初めて演じることになります。
『暴れん坊将軍』は、当時新人だった松平健さんにとっては大抜擢された出世作といえるのではないでしょうか。
スタート時は、私も初めて時代劇の主演を務めるため戸惑うことだらけでしたが、吉宗もまた、将軍職に就任したばかりでわからないしきたりも多かった…。『暴れん坊将軍』はまさに、ともに歩み、ともに成長する形でできあがった作品。
引用元:クランクイン
役者として新人である自分自身と将軍の座に就いたばかりの徳川吉宗を重ね合わせながら、役作りに取り組んでいたようですね。
大河ドラマ『草燃える』では、純朴な青年から経験を積み悪賢く豹変をする演技で注目を集めます。
義時の変わりようは劇中でも、父・時政から「そなた、食えぬ男になったのう」「政子の陰に隠れ、目立たぬように目立たぬようにと振る舞いながら、涼しい顔で人を陥れる。治承の旗揚げ(頼朝の挙兵)のときにはいやいや戦に加わり、人もよう殺せもできなんだ男が、それがいつのまにやらこのような薄気味悪い奴に……」と言われたあげく、悪党呼ばわりされるほどだった。
引用元:介護ポストセブン
このような難しい役を、当時25歳で演じきったというのは驚きですよね。
振り返ってみると、勝新太郎さんに出会ってから時代劇で活躍するまで、非常にあっという間に感じます。
20代の頃から、演技力を活かして主役を務めてきたんだね!
松平健さんファンに聞いた、松平健さんの20代で印象に残っている出来事
暴れん坊将軍の徳川吉宗役に抜擢されたことですね。それから40年以上経過した今でも松平健=暴れん坊将軍というイメージが残っている程ですし、凄く印象的な出来事でした。(50代男性)
暴れん坊将軍がやはり印象的ですね。子供の頃暴れん坊将軍ごっこが周りで流行っていたのですごく懐かしいですね。(30代男性)
松平健さんの20代のころの印象的な出来事は、暴れん坊将軍のドラマにすでに主演で出られているということです。すでに20代のころからあの名ドラマに出られているのが驚きです。(40代女性)
30代
松平健さんが30代の頃の代表的なできごとはこちらです。
- 1989年(36歳):ドラマ『奇兵隊』に高杉晋作役で出演する
- 1990年(37歳):女優の大地真央さんと結婚する
- 1992年(39歳):ドラマ『平清盛』の主演を務める
ドラマ『奇兵隊』では、明治維新を成功へと導き、29歳という若さで世を去った革命児・高杉晋作を演じています。
役作りのために、思い悩んで出家をするシーンのために丸坊主にしたり、病状に合わせて減量していたそうです。
また、彼は、外見だけではなく内面でも、高杉晋作という役を演じ切っていたようです。
人の上に立つ者の風格を持ちながらも、奔放さが感じられ、それでいてどこか親しみやすいという重すぎない雰囲気が、時として「やんちゃキャラ」「愛されキャラ」と呼ばれる高杉晋作の人物像にぴったりとはまっている。
引用元:スカパー
1990年、舞台『風と共に去りぬ』で共演していた女優・大地真央さんと結婚します。
披露宴は高輪プリンスホテルで行われましたが、費用が2億円ほどかかっているのではないかと話題になりました。
【 松平健…大地真央との馴れ初めと離婚理由とは?! 】
— GOSSIP-HISTORY (@GOSSIP_HISTORY) May 12, 2019
「暴れん坊将軍」などで知られる「松平健」さん。
1990年には37歳のときに元宝塚女優の「大地真央」さん(当時34歳)と結婚して周囲を驚かせました…https://t.co/2xyKnCnwGU#松平健#まつだいらけん#鈴木末七#大地真央 pic.twitter.com/V0fSx4yrHW
ドラマ『平清盛』で主人公・平清盛を演じた松平健さんですが、後に2022年の大河ドラマ『鎌倉殿の13人』でも平清盛を演じています。
同じ役をオファーされたのは、作品ごとに歴史上の人物の異なった面を表現できる、高い演技力があったからこそではないでしょうか。
「700年続く武家政権の祖です。地下人から太政大臣まで上り詰めながら、貴族化していく姿は源氏への戒めの姿でもあると思います。源氏の遺児たちの命を奪わなかった情が、自らを窮地へ導く――清盛の激しい生き様、抑揚をつけてしっかりと演じたいですね。諸行無常、盛者必衰をもって、時代のバトンを鎌倉へと渡したいと思います」と語っていた。
引用元:MANTAN WEB
『暴れん坊将軍』はもちろん、時代劇において彼の代表作と呼ばれるような作品を増やし続けていたんですね。
ストイックな仕事ぶりが評価された30代だったんだね!
松平健さんファンに聞いた、松平健さんの30代で印象に残っている出来事
映画「奇兵隊」の主演となる高杉晋作役に抜擢されたことです。これまでも時代劇には数多く出演してきましたが、とうとう悲運の幕末の有志まで演じるのかと印象に残りました。(50代男性)
TBSでやっていた平清盛がとても印象的です。主役である清盛役を体当たりで演じていて暴れん坊将軍の雰囲気とはまた違った感じで格好良かったです。(30代男性)
松平健さんの30代のころの印象的な出来事は、女優の大地真央さんとご結婚されたことです。ビックカップルだと思いました。(40代女性)
40代
松平健さんが40代の頃の代表的なできごとはこちらです。
- 1993年(40歳):『マツケンサンバⅠ』を歌謡ショーで披露し始める
- 1997年(44歳):ドラマ『新春時代劇スペシャル 弁慶 怪力無双の荒法師!』の主演を務める
- 1999年(46歳):大河ドラマ『元禄繚乱』で色部又二郎を演じる
『マツケンサンバⅠ』の自主制作CDが、劇場限定で発売されるようになりました。
約10年後の2004年に『マツケンサンバⅡ』が大ヒットしているとは、誰も考えていなかったのではないでしょうか。
「第2部で登場した松平健さんが、これまでの時代劇の渋さとは打って変わって、華やかな衣装で登場された。マツケンサンバを聞いて衝撃だった」と告白。度肝を抜かれた落合氏が同CDを購入し、ラジオでかけたのが、リスナーに大ウケした。
引用元:東スポWEB
弁慶は、乱暴者で周囲に迷惑をかけていたが源義経に出会い忠義を誓った家臣として有名です。
その後、2005年の大河ドラマ『義経』でも弁慶役を務めており、「時代劇の弁慶役といえば、松平健さん!」と思い浮かべる方も多いでしょう。
🎊#松平健祭り 放送中🎊
— 時代劇専門チャンネル (@jidaigekich) October 12, 2024
本日は
「弁慶 怪力無双の荒法師」
📺10/12(土)よる7時~ほか
大河ドラマ『義経』より前に#松平健 が弁慶を演じた長編ドラマ🥁
豪快な役柄を見事に演じ切り魅せる🔥
立ち往生のシーンは必見🙏#里見浩太朗 #藤田まこと ほか
豪華助演陣も活躍😌https://t.co/8DJlvAr1Ns pic.twitter.com/5FTBiTzPmE
大河ドラマ『元禄繚乱』は、「忠臣蔵」の物語を描いた作品です。
松平健さんが演じた色部又四郎は、吉良家と上杉家の間の複雑な立場に立っている難しい役どころです。
私が演じたお順は、上杉家江戸家老・色部又四郎の命で赤穂浪士の動静を探る女スパイでした。この又四郎を演じられたのが松平健さん。松平さんといえば、私が小学校低学年のころ祖父と一緒にいつも見ていた『暴れん坊将軍』の八代将軍吉宗です。時代劇全盛期にテレビでいつも見ていた方とご一緒するなんて!と驚きましたし、とても感動したことを覚えています。
引用元:NHKアーカイブス
時代劇を代表する俳優として、共演者にも慕われているのが伝わってきます。
時代劇の視聴者のみならず、歌謡ショーのお客様も魅了し、活動の幅を広げていたようですね。
目の前の誰かを楽しませ続けた40代だったんだね!
松平健さんファンに聞いた、松平健さんの40代で印象に残っている出来事
「平清盛」の平清盛役を演じたことです。天下をとっていた平清盛にふさわしい迫力のある演技が出来ていて、これまでの役者人生の集大成のようだと感じたので印象的でした。(50代男性)
弁慶役を演じていたのが印象的です。やっぱりあの独特のスタイルがとても似合っていましたね。実在の弁慶もきっと松平さんのように凛々しかったように感じます。(30代男性)
松平健さんの40代のころの印象的な出来事は、暴れん坊将軍の他にもたくさんの大河ドラマに出演されていったということです。松平健さんにお似合いの役柄だと思います。(40代女性)
松平健の若い頃の髪型はクラシカルな七三分け
松平健さんの若い頃の髪型といえば、クラシカルな七三分けの髪型を思い出す方も多いのではないでしょうか。
若い頃の松平健様、イケメンすぎる。 pic.twitter.com/l4huPDd8JW
— マヨコンヌ🍒 (@mayokonnu) November 7, 2024
清潔感があり、男性らしさを際立たせていて、洗練された髪型ですね。
大きく分けた前髪から、はっきりとした目鼻立ちが覗いていて、とてもお似合いです。
昭和時代の代表的なヘアスタイルだね!
まとめ
今回は、松平健さんの若い頃の活躍や出来事を、画像とともに振り返りました。
年代ごとに印象深い出来事がたくさんあったね!
これからの活動も頑張ってほしいと思います。