日本の代126代天皇・徳仁の皇后として活躍する雅子様。
若い頃どんな風貌だったのかや、年代ごとにどんなできごとがあったのか気になるかたも多いと思います。
さっそく、雅子様の若い頃の写真やできごと、デビューのきっかけを年代順に振り返ってみましょう。
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雅子様のデビューのきっかけや時期は?
雅子様が皇后になったきっかけは、現在の天皇陛下(当時の皇太子)との純愛と、陛下の熱心な求婚でした。
1986年10月、スペインのエレナ王女の歓迎パーティーで初めて出会い、陛下は雅子様に一目ぼれ。その後、何度か会う機会があり、陛下の想いは深まっていきました。
雅子様は外交官としてのキャリアを重視し、当初は皇室入りを考えていませんでした。
それでも、陛下のひたむきな愛情に心を動かされ、最終的に外交官の道を諦め、皇太子妃となることを決意しました。
陛下はずっと一途に雅子様を想っていたんだね!
1993年6月9日、東京の皇居にある宮中三殿で結婚の儀が行われ雅子様は皇太子妃となりました。
皇后雅子様。
— seiyos (@seiyos3) June 28, 2024
こんなにティアラがお似合いになる方ってなかなか居ません。
お若い頃の華やかさは勿論、年齢を重ねても慈母のような美しさ。
素敵すぎます。#皇后陛下 pic.twitter.com/7fYSIc6a0T
1993年6月9日、皇居から東宮仮御所までの約4.2kmをオープンカーで移動するご成婚パレードが行われた際、雅子さまがお召しになったローブ・デコルテは、世界で活躍する森英恵さんが手がけたことでも話題になった。
引用元:女性セブンプラス
雅子様の幼少期は?若い頃の活躍やできごとを年代順に振り返り
雅子様の幼少期のエピソードや、若い頃の活躍やできごとを年代順に振り返っていきます。
幼少期
雅子様は1963年12月9日に東京の虎の門病院で、外務省に勤める小和田恒さんと優美子さんの長女として誕生しました。
1歳からモスクワで過ごし、3歳頃にはロシア語がペラペラだっだそう!1968年に一家でニューヨークに移り、日本語を忘れないように、日本語学校に進学しました。
雅子皇后が敬宮殿下をお育てになる時と同じですね。お母様は雅子様の帽子にキスをしているのでしょうか。
— murami (@mi6_6yu) November 2, 2024
お父様も天皇陛下のように嬉しそうです☺️ pic.twitter.com/kmJ14ShB03
「でも、学校に慣れてくると積極的になりました。相手が受け入れてくれるという状況が確認できれば、安心して力が発揮できるタイプなのではないでしょうか。ご成婚のころ、アメリカでハロウィンの格好をしている姿の写真が公開されましたが、妹さんたちは動物の絵が描かれた可愛らしい衣装だったのに対して、雅子さんはユニークなガイコツ姿だった。あれが、まさしく雅子さんのセンスなんですよ」
引用元:文春オンライン
寝言もロシア語で言っていたんだって!
雅子様は物怖じしない性格でコミュニケーション能力が高く、友達にも好かれる存在でした。また、幼少期から生物に興味を持ち、小学校では生物クラブに入っていたのだそう。将来は『獣医になりたい』という夢を抱いていたのだといいます。
若い頃の皇后雅子さま、小学校時代。
— GRAYSON (@gtrvariedades) October 29, 2021
Empress Masako when she was young, Elementary school days.#雅子さま pic.twitter.com/TDaKiJsNex
また、中学時代は野球に夢中で、読売ジャイアンツの練習を見に行ったり、友達とソフトボール部を結成し世田谷区の大会で優勝したそうです!
10代
雅子様が10代の頃の代表的なできごとはこちらです。
- 1979年(15歳):田園調布雙葉高等学校に入学
- 1979年(15歳):マサチューセッツ州立ベルモント・ハイスクールに編入学
- 1981年(18歳):ハーバード大学経済学部に入学し、国際経済学を専攻
1979年4月、雅子様は田園調布雙葉高等学校に入学しました。しかし、父親の転勤により入学からわずか4ヶ月ほどで日本を離れることになりました。
1979年9月、マサチューセッツ州立ベルモント・ハイスクールに高校2年生として飛び級編入しました。
雅子様は高校時代、学業や課外活動で素晴らしい成績を収め、国際的に様々な経験を積まれました。
地元新聞の『ベルモント・ハイスクール成績優秀者』に常連として掲載され、アメリカ全体の最優等学生上位5%の生徒に贈られる『ナショナル・オーナー・ソサエティ』を受賞、ドイツ語科で『ドイツ総領事賞』と『ゲーテ・インスティテュート賞』を受賞しました。
高校時代(米国)の雅子様はこんな感じ
— 雪降る夜 (@R2Pyw) December 19, 2023
あの写真は東大とか外務省の頃の写真を改竄したのでは?スカーフとかはその頃でしょう? pic.twitter.com/gW39PYzWmZ
「雅子さまが模範生だったこと、勉学に熱心で、化学、物理、数学、ドイツ語に秀でたこと、クラスのトップ10%に入る成績で卒業したことを回想、「彼女は素晴らしかった。頭が良く、優しく、思いやりがあった」
引用元:Yahoo!ニュース
また、ソフトボール部に所属し、ソフトボールの腕前が素晴らしく地元紙で"スラッガー・マサコ"と呼ばれるほどの活躍を見せていたといいます。
背番号11番で2塁を守っていたんだって!
雅子様ファンに聞いた、雅子様の10代で印象に残っている出来事
1975年に田園調布雙葉中学校に入学した。雅子さまが自分でソフトボール部を作ったというエピソードが興味深い。(40代男性)
中学時代ソフトボール部で活動していたことを知り意外と活発だったんだなと驚きましたね。たしかに運動神経は良さそうですね。(30代男性)
中学校時代、自らソフトボール部を発足し、活動していたことです。今のお淑やかなイメージとはまるで違うので驚きでした。(30代女性)
20代
雅子様が20代の頃の代表的なできごとはこちらです。
- 1986年(23歳):東京大学大学院に進学
- 1987年(24歳):外務省に入省
- 1992年(29歳):皇太子殿下との婚約が内定
1981年、雅子様は数理経済学を専攻し、ハーバード大学経済学部に入学されました。
在学中には、日本文化クラブを自ら創立し会長を務めたり、心身障害児の運動指導、フランス語サークルに参加するなど様々な活動に取り組まれました。
1985年には、雅子様はハーバード大学を『Magna Cum Laude(優等賞)』で卒業されました。卒業生1,681人の中で、わずか55人しか受けられない栄誉ある賞を、経済学部では3人のうちの1人として受賞しています。
外交官時代の雅子様、絵に描いたような美人で知的なキャリアウーマン。
— まゆー (@degu_mayu) May 2, 2019
かっこいいけど、皇太子様(当時)との噂をきっぱり否定する表情がちと怖かった記憶。
マスゴミが相当ウザかったんだろうな。
そんな二人が、今ではあんなに支えあっている夫婦になるんだから、男と女はどうなるかわからない。 pic.twitter.com/mObRFQJSfI
1986年、雅子様は東京大学法学部3年に学士入学されました。しかし、外交官試験に合格したため、1年後に中退されました。
『外務公務員採用一種試験』の競争率40倍の超難関試験に一発合格したんだって!
1987年4月、外務省に入省、経済局国際機関第二課に配属されます。
雅子様は外交官として語学力と知性を生かし、日本の外交の最前線で活躍されました。そんな中、1986年10月、東宮御所でのスペイン国エレナ王女歓迎レセプションで皇太子殿下と初めて出会います。
陛下は雅子様に一目ぼれし、その後、何度か会う機会があり陛下の想いは深まっていきました。
当初は皇室入りを考えていなかった雅子様でしたが、陛下の変わることのない想いに心を動かされ結婚を決めたそうです。
皇太后さま、今の天皇陛下の雅子さまへの想いは、どんなに月日が経っても、少しも変わることがなかったといいます。
引用元:テレ朝news
雅子様ファンに聞いた、雅子様の20代で印象に残っている出来事
1985年にハーバード大学を卒業した。ハーバード大学を卒業したならば英語も非常に上手いのだろうと思った。(40代男性)
ハーバード大学を卒業したということを知って理知的な方なんだと感動しました。やっぱり頭の良さが顔に表れていて魅力的です。(30代男性)
ハーバード大学を卒業されたことです。あの名門大学に入学するだけでもすごいのに、卒業まで成し遂げるのは流石だなと思いました。(30代女性)
30代
雅子様が30代の頃の代表的なできごとはこちらです。
- 1993年(29歳):皇太子徳仁親王(現天皇陛下)と結婚
- 1994年(30歳):外務省を退職
- 2001年(37歳):愛子様をご出産
雅子様と皇太子徳仁親王の結婚は、1993年6月9日に皇居で行われました。この結婚の儀は、国事行為として執り行われ、雅子様は皇太子妃となりました。
結婚式後、皇太子ご夫妻はオープンカーでパレードを行い、約20万人の市民から祝福を受けました。
つつがなく結婚の儀を終えたお2人は、朝見の儀で現在の上皇ご夫妻にお礼を述べると、二重橋前から東宮仮御所まで4.2㎞のパレードを行ない、沿道に駆けつけた19万人の民衆から盛大な祝福を受けた。
引用元:文春オンライン
皇后雅子さま58歳に 結婚からこれまでの歩みhttps://t.co/46oks9czYC
— 朝日新聞 映像報道部 (@asahi_photo) December 8, 2021
皇后雅子さまが9日、58歳の誕生日を迎えました。皇后として天皇陛下を支え、母として長女愛子さまの成長を見守ってきた雅子さま。写真で歩みを振り返ります。(し) pic.twitter.com/kD3h708JAF
2001年12月1日、雅子様は宮内庁病院で愛子様をご出産されました。
愛子様の名前には、『人を敬い、人から愛される人になってほしい』という皇太子と雅子様の願いが込められているそうです。出産後、皇居に記帳所が設けられ、わずか2日間で12万人もの人々が祝福のために訪れました!
「雅子さまは、毎日、生まれてくる愛子さまのことを思って付けていらっしゃったのだと思うと、赤ちゃんへの思いの深さを感じましたね。毎日付けていたとしても、食事をする前とした後では体重に変動があるので、でこぼこになるのですが、それもなくきれいな線になっていたので、同じ時間に付けられていたのだと推察でき、真面目なお人柄と愛子さまへの愛がにじんでいました」
引用元:Yahoo!ニュース
【#不妊治療 に #流産 も…漫画家も絶句した、雅子妃出産までの「いばらの道」】 #漫画家が見た雅子妃④ご懐妊https://t.co/XL8zkaPhvH
— FRaU(フラウ) (@frau_tw) June 29, 2024
このお写真は、2001年12月9日、生まれたばかりの愛子内親王を抱いて宮内庁病院を退院する雅子さま。
イギリスに初めておふたりそろって訪問されていた…
雅子様は『お産がとても楽しかった』と語っていたそうだよ!
雅子様ファンに聞いた、雅子様の30代で印象に残っている出来事
2001年の12月に長女である愛子内親王を出産した。30歳を過ぎてからの出産は大変だっただろうと思った。(40代男性)
1999年に懐妊をスクープされたということが印象的ですね。愛子様が生まれた時のニュースをすごく思い出しますね。(30代男性)
皇太子様と結婚されたことです。バリバリと働いている女性がまさか皇太子様と結婚されるとは思いもよらず、衝撃でした。(30代女性)
40代
雅子様が40代の頃の代表的なできごとはこちらです。
- 2004年(40歳):適応障害という診断が公表
- 2006年(42歳):ランダ王室の招待により、家族で静養
- 2010年(46歳):愛子様を気遣い外出の機会が一時期増加
雅子様は外交官としてのキャリアから皇族という大きく環境が変わる中で、自身の力を十分に発揮できない環境に置かれ、精神的負担が大きくなってしまいました。
2003年頃から体調を崩して公務を休まれるようになり、2004年に適応障害という診断が公表されることとなりました。
2004年5月10日、当時の皇太子徳仁親王が記者会見で、雅子様に関する衝撃的な発言をされました。この発言は『人格否定発言』として知られ、日本政府や国民に大きな衝撃を与え、多くのメディアで大きく取り上げられました。
皇太子の表情は、緊張が解けないままだった。記者の中には興奮して、クラブ席に急いで戻り、あわただしく電話を掛ける者もいた。
引用元:文春オンライン
軽井沢にある小和田家の別荘で療養生活を送られていたそうだよ!
ご成婚時から潜在的な雅子さまファン。ツイッターを始めてから、J皇&J皇后、A宮&K妃による酷すぎるイジメを知り義憤にかられました。
— 出羽ネズコ (@debanezuko) August 17, 2022
皇室という逃げ場のない世界でどんなに苦しまれたことでしょう😢
雅子さま、敬宮愛子さまを魔の手からお守りしたいと思うこの頃です#皇室典範改正#直系長子継承 pic.twitter.com/lqZQ8VrX8L
長期にわたり公務を休まれていた雅子様は、2006年8月17日から8月31日にかけて、オランダ王室の招待により家族で静養されました。
滞在中雅子様は、オランダ王室と交流を深め、アムステルダムから車で約1時間のアペルドールンにある王室の離宮で過ごし、愛子さまはカタリーナ・アマリア王女と一緒に馬車に乗るなど、楽しい時間を過ごされたそうです。
「かなり長いこと外国を公式に訪れていなかった雅子にとっては、大きな決断であり、大きな一歩でしたが、この行事に臨むことが新たな一歩を踏み出す一つの契機になるのではないかと思い、雅子の体力的な点を含めて、お医者様とも相談の上で決まりました」
引用元:女性セブンプラス
このような国際的な交流や支援が、雅子さまにとって大きな励みとなりました。
また、家族と過ごす時間が雅子さまの日々の生活において心の支えとなっていったようです。
雅子様ファンに聞いた、雅子様の40代で印象に残っている出来事
2006年の8月に、家族と一緒にオランダに静養のために滞在した。オランダでゆっくりと休むことができて良かったと思う。(40代男性)
オランダ王室であるベアトリクス女王に招待されオランダ旅行に一家で行ったという話が印象的です。やっぱりスケールが違います。(30代男性)
適応障害の診断を受け、療養に入ってしまわれたことです。あのにこにこしていた雅子様から笑顔が消えてしまうようなことが起こったことに衝撃を受けました。(30代女性)
雅子様の若い頃の髪型はボブスタイル
雅子様の若い頃の髪型といえば、ボリューム感のあるボブスタイルを思い出す方も多いのではないでしょうか。
サイドやトップをふくらませ丸く編みこむようにアレンジし、毛先を内巻きにして柔らかい印象のヘアスタイルを好まれていたようです。
若い時の雅子様もめちゃくちゃ美しいけど、今の雅子様も素敵にお歳を重ねられていて素敵ですよね。 https://t.co/AYmnJEqkI1
— 田中かおり(かおりん)イメージコンサルタント札幌 (@kaorinblossom) November 15, 2020
雅子さまの髪形は、『プリンセスボブ』と呼ばれ、雅子さまらしいちょうどいい長さのボブスタイルが定番となっていったそうです!
外務省を退職されるときは、『プリンセスボブ』という雅子さまらしい、ちょうどいい長さにいました。
引用元:文春オンライン
柔らかな印象が雅子様に似合っていて素敵だね!
まとめ
今回は、雅子様の若い頃の活躍や出来事を、画像とともに振り返りました。
年代ごとに印象深い出来事がたくさんあったね!
これからの活動も頑張ってほしいと思います。