萬田久子の若い頃は?昔の髪型はワンレングスのロングヘアだった!

女優として活躍する萬田久子さん。

若い頃どんな風貌だったのかや、年代ごとにどんなできごとがあったのか気になるかたも多いと思います。

さっそく、萬田久子さんの若い頃の写真やできごと、デビューのきっかけを年代順に振り返ってみましょう。

目次

萬田久子のデビューのきっかけや時期は?

デビューのきっかけや時期

萬田久子さんのデビューのきっかけは、1978年にミス・ユニバース日本代表に選出されたことです。

翌年には出身地の大阪府から上京してタレント活動を開始しました。

さらに翌年の1980年にはNHK連続テレビ小説「なっちゃんの写真館で女優デビューしています。

ねこ太郎

女優デビューが朝ドラとはすごいですね!

萬田久子の幼少期は?若い頃の活躍やできごとを年代順に振り返り

萬田久子さんの幼少期のエピソードや、若い頃の活躍やできごとを年代順に振り返っていきます。

幼少期

幼少期からおしゃれ好きだったそうですが、洋裁が得意なお母様の影響が大きいのだとか。お家には洋裁部屋があり、さまざまなファッション雑誌があったそうです。

洋服はほとんどがお母様の手作りだったそうで、常に成長や体型に合った服を着られていたのでしょうね。

ねこ太郎

お母様の洋裁の腕はお仕事にできるほどだったそう!

10代

萬田久子さんが10代の頃の代表的なできごとはこちらです。

  • 1974年(16歳):高等学校入学
  • 1977年(19歳)頃:高等学校卒業
  • 1977年(19歳)頃:帝塚山短期大学入学

高校は地元大阪の港高等学校に通われていたようです。スコート姿に惹かれてテニス部に入部するも、すぐに辞めてしまったのだとか。

高校時代までお母様手作りの体型にあった服を着ていた萬田さんは、自身の成長に気づかなかったそうで、制服が似合わず違和感を感じたのだとか。そのことがきっかけで20キロ近く体重を落としたそうです。

帝塚山短期大学に進学し、その後在学中にミス・ユニバース日本代表に選出されることとなりました。

高校時代のダイエットがきっかけで現在のようにスレンダーな体型になられたのでしょうね。

ねこ太郎

美意識に目覚めるきっかけといえるかも?

アイウエオさんファンに聞いた、アイウエオさんの10代で印象に残っている出来事

アンケート調査結果
ネット上の人物

帝塚山短期大学に入学したことです。萬田さんは美しいですし、てっきり高校卒業後すぐに芸能界入りをしていたのかと思っていました。それだけに短大へ進学していたことは意外で驚きました。(50代男性)

ネット上の人物

短期大学に進学したということを知り驚きました。高校卒業したらすぐにモデルの道に進んだとばかり思っていたのでびっくりです。(30代男性)

ネット上の人物

大阪府大阪市出身だということ。
なんとなく、京美人というのが似合う気がしていたので、コテコテの大阪人だと知り驚いたから。(50代女性)

20代

萬田久子さんが20代の頃の代表的なできごとはこちらです。

  • 1978年(20歳):ミス・ユニバース日本代表に選出
  • 1980年(22歳):NHK連続テレビ小説「なっちゃんの写真館」で女優デビュー
  • 1981年(23歳):映画「夏の別れ」に出演

1978年、大学在学中にミス・ユニバース日本代表に選出されました。親戚の方に勧められての応募だったそうですが、応募時に写真がなく学生証を提出したのだとか。また、世界大会の審査員にはデヴィ夫人もいたそうです。

芸能活動を開始した翌年、1980年にはNHK連続テレビ小説「なっちゃんの写真館」で女優デビューをしています。NHKではその後も1983年の大河ドラマ「徳川家康」のほか、連続テレ小説や大河ドラマに多数出演しています。

1981年には映画「夏の別れ」に出演し映画デビューも果たしています。この作品ではヌード姿を披露し注目を集めました。

芸能活動を始めてすぐに女優デビューし、活躍されていたのですね。

ねこ太郎

当時からお顔が全く変わっていないのがびっくり!

萬田久子さんファンに聞いた、萬田久子さんの20代で印象に残っている出来事

アンケート調査結果
ネット上の人物

テレビドラマ 『なっちゃんの写真館』に出演したことです。これが萬田さんの女優デビューにもなったわけですし、女優萬田さんのスタート地点ということで印象に残りました。(50代男性)

ネット上の人物

短大時代にミスユニバース世界大会に出場したというエピソードを知って本当にすごいなと感嘆しました。彼女でないときっとできない経歴ですね。(30代男性)

ネット上の人物

1981年の「夏の別れ」では、大胆なヌードシーンを披露して話題を集めたこと。
ヌードシーンの撮影を経験したことがあるのは知らなかったので、単純に驚いたから。(50代女性)

30代

萬田久子さんが30代の頃の代表的なできごとはこちらです。

  • 1990年(32歳):NHK大河ドラマ「翔ぶが如く」に出演
  • 1994年(36歳):NHK連続テレビ小説「ぴあの」に出演
  • 1996年(38歳):映画「八つ墓村」に出演

1990年のNHK大河ドラマ「翔ぶが如く」、1994年には連続テレ小説「ぴあの」に出演しました。

1996年には映画「八つ墓村」に出演しています。NHKの時代劇作品をはじめ、和装の役柄が多い印象ですね。

他にもNHK・民放問わずドラマに数多く出演しています。刑事ドラマやサスペンスもののイメージが強いですね。

ねこ太郎

着物姿が大変美しいです!

萬田久子さんファンに聞いた、萬田久子さんの30代で印象に残っている出来事

アンケート調査結果
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映画「八つ墓村」に出演し、田治見春代役を演じたことです。話題となった映画というだけでなく、線が細そうな感じがしながらも凛々しい雰囲気をうまく演じているな~と印象に残りました。(50代男性)

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大河ドラマ翔ぶが如くという作品がとても印象深いです。女優としてもかなり魅力を放っていて独特の色気があるのが萬田さんのいいところです。(30代男性)

ネット上の人物

二十代から出演を始めた「京都殺人案内」に、三十代になっても引き続き出演を続けたこと。
この作品をはじめ、土曜ワイド劇場に萬田さんは欠かせないなあ、と当時からファンだったから鮮明に覚えているため。(50代女性)

40代

萬田久子さんが40代の頃の代表的なできごとはこちらです。

  • 1999年(41歳):NHK連続テレビ小説「すずらん」に出演
  • 2005年(47歳):NHK大河ドラマ「義経」に出演
  • 2005年(47歳):ドラマ「大奥〜華の乱〜」に出演

1999年NHK連続小説「すずらん」に、2005年には大河ドラマ「義経」に出演しています。20代、30代に続いて、40代でもNHKのドラマで活躍されていました。

2005年にはフジテレビ系列ドラマ「大奥〜華の乱〜」にも出演しました。フジテレビ系列で1984年に放送された「大奥」にも出演していました。

また、2005年から日本でも放送されたアメリカのテレビドラマ「デスパレートな妻たち」のメインキャストの吹き替えもしていました。

20代の頃から出演しているテレビ朝日系列のドラマ「京都殺人案内」シリーズにも引き続き出演していました。時代劇などで演じていた大人の女性から一転、藤田まことさんの娘役で可愛らしい女性の役柄も見事にこなしています。

ねこ太郎

吹き替えのお仕事までされていたのは意外です!

萬田久子さんファンに聞いた、萬田久子さんの40代で印象に残っている出来事

アンケート調査結果
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海外ドラマ「デスパレートな妻たち」で スーザン・メイヤー役の吹き替えをしたことです。女優としてだけでなく、声優の才能もあるんだと驚きました。(50代男性)

ネット上の人物

大奥での芝居が本当に好きですね。彼女がいることで場の雰囲気が引き締まる感じがあるので本当に最高の存在感でしたね。(30代男性)

ネット上の人物

TBSの月曜ドラマスペシャル「検視官江夏冬子」に出演していたこと。
当時、リアル視聴していた際に、聡明で颯爽と現れる萬田さんの雰囲気に憧れを持っていたから。(50代女性)

萬田久子の若い頃の髪型はワンレングスのロングヘア

萬田久子さんの若い頃の髪型といえば、ワンレングスロングヘアを思い出す方も多いのではないでしょうか。

髪色も黒に近く、ストレートのロングヘアはスレンダーな体型を一層引き立てていましたね。

髪型からは大和撫子のようなお淑やかな印象が強いですが、和服の美人だけでなく幅広い役柄を演じられています。2025年現在はバラエティ番組などにも出演し、演技力はもちろん魅力的な人柄でますます活躍されていますね。

ねこ太郎

ますます魅力的になっているよう!

まとめ

まとめ

今回は、萬田久子さんの若い頃の活躍や出来事を、画像とともに振り返りました。

ねこ太郎

年代ごとに印象深い出来事がたくさんあったね!

これからの活動も頑張ってほしいと思います。

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