女優として活躍する前田美波里さん。
若い頃どんな風貌だったのかや、年代ごとにどんなできごとがあったのか気になるかたも多いと思います。
さっそく、前田美波里さんの若い頃の写真やできごと、デビューのきっかけを年代順に振り返ってみましょう。

前田美波里のデビューのきっかけや時期は?

前田美波里さんは、1963年、東宝が開催した「ミス・ノー・ストリング」コンテストで優勝したことがきっかけでデビューしました。
この結果、東宝現代劇の8期生として入団しました。翌年の1964年には、同ミュージカル『ノー・ストリングス』で初舞台を踏み、女優としてのキャリアをスタートさせました。
1964年に15歳で東宝ミュージカル「ノー・ストリングス」で舞台デビュー。数多くのミュージカル、舞台のほか、映画、ドラマ、モデルなどマルチな分野で活躍。
引用元:スポニチ

舞台女優としてデビューしたのですね!
前田美波里の幼少期は?若い頃の活躍やできごとを年代順に振り返り

前田美波里さんの幼少期のエピソードや、若い頃の活躍やできごとを年代順に振り返っていきます。
幼少期
1948年8月8日生まれの神奈川県鎌倉市出身で、アメリカ人の父と日本人の母を持つハーフで、国際的な背景を持っています。
父はアメリカ海軍の軍人で、母が妊娠中に一緒にアメリカへ渡ったものの、両親が3歳のときに離婚したため、その後日本に戻ることとなりました。
また、幼少期からクラシックバレエを学び、バレリーナを目指していました。この経験が後の芸能活動やミュージカル出演につながっています。
「1つのことにのめり込む性質」があり、雨の日も嵐の日も休まずバレエレッスンに通うほど熱心だったそうです。

美少女な上に努力家だったのですね!
10代

前田美波里さんが10代の頃の代表的なできごとはこちらです。
- 1955年(7歳):聖ミカエル学園小学校に通う
- 1964年(16歳):堀内完ユニークバレエ団に入団する
- 1966年(18歳):資生堂のサマーキャンペーン広告に起用される
前田美波里さんは、三井財閥の令嬢のために設立された聖ミカエル学園小学校に通いました。
アメリカ人と日本人のハーフとして生まれましたが、祖父母の配慮もあり、学校ではいじめを受けることなく自由闊達に育ちました。
高校生の時は「堀内完ユニークバレエ団」に通っていました。
身長が高かったため、クラシックよりジャズを勉強した方がいいと言われましたが、クラシック一筋で続けることを選びました。
中学生になると、プロのバレリーナになりたい、クラシック・バレエで名を成したいと思うようにもなりました。そのためには東京へ行かなくては!と、知り合いに頼み、堀内完先生のお教室(堀内完ユニークバレエ団)を探してもらいました。週に2度、鎌倉の自宅から横須賀線に乗って新橋まで通っていたんですよ。
引用元:バレエチャンネル
この時の経験が後の舞台女優としての基盤を築きました。
資生堂のサマーキャンペーン広告「太陽に愛されよう」で起用されたことで広く注目を浴びました。
当時18歳だった前田美波里さんは、水着姿の大胆なポーズで、資生堂初のサンケアモデルとして世間に大きなインパクトを与えました。
幼い頃から、名門で教養を身につけていたためか、前田美波里さんの気品溢れる雰囲気はこの頃から培われていたようです。

18歳とは思えない大人っぽいCMです!
前田美波里さんファンに聞いた、前田美波里さんの10代で印象に残っている出来事


18歳の時資生堂のサマー化粧品のキャンペーンガールに起用されたそうです。資生堂の過去のアーカイブで当時のポスターを見たことがありますが、日本人離れした容姿で真っ黒に日焼けしていたのが印象的でした。(40代女性)

資生堂のキャンペーンガールで有名、プロポーションが抜群でポスターの美波里さんがキレイでかっこいいと思いました。(40代女性)

資生堂のCMガールでとびきり美しい女性でブレーク。当時の人に聞いてもみな美しく心に残るお顔立ちといっています。(40代女性)
20代

前田美波里さんが20代の頃の代表的なできごとはこちらです。
- 1968年(20歳):マイク眞木さんと結婚
- 1971年(23歳):音楽番組『ステージ101』で司会を務める
- 1978年(29歳):劇団四季の「コーラスライン」に出演
20歳の時にフォークシンガーのマイク眞木さんと結婚しました。二人の出会いは資生堂のサマー化粧品キャンペーンガールを務めた際のハワイでのロケがきっかけでした。
この頃、水着モデルとしての仕事ばかりに嫌気がさしていた前田美波里さんは、結婚を期にマイク眞木さんとアメリカを旅しながら1年半ほど芸能活動を休止しました。この結婚生活の中で長男で俳優の真木蔵人さんを授かりますが、1976年に二人は離婚しています。
NHK総合テレビの音楽番組『ステージ101』で夫のマイク眞木と共にMCを務めました。その時の司会ぶりは好評で、この番組を通じて若者文化と音楽の発展に貢献したと言えるでしょう。
29歳の時に、ミュージカル女優への夢が諦められず、劇団四季の『コーラスライン』のオーディションを受け、一度は不合格となりましたが、諦めずに稽古に参加し続けた結果、大役を掴み取りました。
当時の日本では、まだミュージカルの文化が浸透していない中で、夢をあきらめず挑戦し続けた前田美波里さんは本当に素晴らしい女優さんです。

舞台で表現することの喜びが忘れられなかったとのこと!
前田美波里さんファンに聞いた、前田美波里さんの20代で印象に残っている出来事


マイク眞木と20歳で結婚 真木蔵人が前田美波里さんの息子だとは知りませんでした。20歳で結婚は早いと感じますが当時は普通だったのでしょうか。(40代女性)

20歳でマイク眞木さんと結婚して長男の真木蔵人さんを出産された事が有名、真木蔵人さんの両親を知った時は驚きました。(40代女性)

マイク真木と結婚は20歳でした。若くしてハワイで出会った彼と結婚には衝撃でした。日本には帰ってこないのではないかと思わせるほどパタリとメディアにはでなくなりました。(40代女性)
30代

前田美波里さんが30代の頃の代表的なできごとはこちらです。
- 1982年(34歳):舞台「アプローズ」で主演を務める
- 1985年(36歳):劇団四季のミュージカル「ドリーミング」に出演
- 1986年(37歳):劇団四季のミュージカル『キャッツ』でグリザベラ役を演じる
日生劇場で公演された、舞台「アプローズ」にマーゴ役として主演を務めました。「アプローズ」は「喝采」という意味で、観客からアプローズを受けることが自分の喜びだと再確認する作品となったそうです。
最後にマーゴの悟る「もっと大切なこと」そして「真実の愛」に安堵し、「アプローズ」のナンバーに酔いしれて家路に着くことでしょう。
引用元:MBS毎日放送
ミュージカル「ドリーミング」は、1985年に青山劇場のこけら落とし公演として初演されました。この公演で前田美波里さんは「夜の女王」役を演じました。
37歳の時に、劇団四季のミュージカル『キャッツ』でグリザベラ役を演じました。このミュージカルは劇団四季の創設メンバーの一人である浅利慶太さんが日本に導入したことでも知られています。
30代は、舞台に立ち続けており、本来自分が目指していた場所で充実していたのですね!

スタイルも抜群で舞台映えしますね!
前田美波里さんファンに聞いた、前田美波里さんの30代で印象に残っている出来事


劇団四季でコーラスライン、キャッツなど今でも有名なミュージカルに客演していたそうです。私の世代は前田美波里さん=ミュージカルのイメージです。(40代女性)

30代の頃はミュージカルに出演されていて歌もダンスも迫力のある姿が印象的でした。元気で溌剌とした美波里さんのイメージが強かったです。(40代女性)

舞台役者に復帰。復帰までとても長い時間がありましたが、とても演技力の高く生き生きとした舞台役者になっていました。長い間表舞台にいなかったのに素晴らしい努力だと感じます。(40代女性)
40代

前田美波里さんが40代の頃の代表的なできごとはこちらです。
- 1993年(45歳):ミュージカル『キャバレー』に出演
- 1996年(48歳):45年ぶりに父親と再会
- 1997年(49歳):ミュージカル『レ・ミゼラブル』に出演
ミュージカル「キャバレー」に出演し、1993年と1995年のシアターアプル公演で、草刈正雄さんや市村正親さんらと共演しました。
この作品は、ブロードウェイミュージカルで、前田美波里さんが出演した公演は、舞台パンフレットや資料としても現在まで注目されています。
48歳のときに義妹から突然連絡を受け、渡米して45年ぶりに父親と再会しました。
父親は映画『怪獣島の決戦 ゴジラの息子』を観て娘であることに気づいたそうです。
父親はがんを患っており、義妹が最後に娘と会わせたいと考えたことが再会のきっかけでした。その数年後、父親は亡くなりました。
1997年から1999年にかけてミュージカル『レ・ミゼラブル』の帝国劇場での公演でテナルディエ夫人役を演じました。
この時期、レ・ミゼラブルは「スターを生み出す作品」として知られるようになっていました。
前田美波里さんの40代は、自分自身の人生経験を糧にしながら、舞台活動を通じてさらなる成長を遂げましたと言えます。

長年の努力がどんどん花開いたのですね!
前田美波里さんファンに聞いた、前田美波里さんの40代で印象に残っている出来事


40代は舞台キャバレーに出演していたようです。ライザミネリにそっくりの写真を見たことがあります。歌い踊る姿はライザミネリとその母ジュディガーランドにとても影響を受けているように見えました。(40代女性)

この頃もミュージカルや化粧品のCMに出演されていて若々しい美波里さんが印象的でした。ポンズのCMも有名でよく見ていました。(40代女性)

ずっと会っていなかった海外に住む父と再会。義理の妹が父ががんで死ぬ前に彼女に会わせたいとのことで実現。色々と複雑な家庭であっても最後に父に会えたことはよかったとかんじる。(40代女性)
前田美波里の若い頃の髪型はキスカール

前田美波里さんの若い頃の髪型といえば、キスカールを思い出す方も多いのではないでしょうか。
特徴的なパーマがかかったこの髪型は、前田美波里さんの抜群のスタイルの良さを際立たせています。
1960年代、日本の女性たちの間でショートカットにパーマをかけるスタイルが人気を集めはじめていた時代に、女優の前田美波里などが行ったことにより大流行した髪型。もみあげ部分がアルファベットの「C」の形をしていた。
『 キスカール 』引用元:ホットペッパービューティー
当時は黒髪のショートヘアが流行っており、もみあげ前でカールするこの髪型は同じ時期のシャネルのルックブックにも掲載されています。

美人な横顔に特徴的なカールの髪型がお似合いです!
まとめ

今回は、前田美波里さんの若い頃の活躍や出来事を、画像とともに振り返りました。

年代ごとに印象深い出来事がたくさんあったね!
これからの活動も頑張ってほしいと思います。
