俳優として活躍する小日向文世さん。
若い頃どんな風貌だったのかや、年代ごとにどんなできごとがあったのか気になるかたも多いと思います。
さっそく、小日向文世さんの若い頃の写真やできごと、デビューのきっかけを年代順に振り返ってみましょう。

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小日向文世のデビューのきっかけや時期は?中村雅俊の付き人エピソード!

小日向文世さんは、専門学校に通っていたころ役者業に興味を持つようになりました。専門学校卒業後22歳の時に俳優を目指すことを決意しています。
はじめは文学座(日本の劇団)に挑戦するがオーディションに受からず失敗。しかし当時、文学座で人気だった中村雅俊さんのコンサートスタッフの手伝いを初めて、いつのまにか中村さんの付き人を務めるようになりました。
その後も俳優を目指す気持ちに変わりはなく、中村雅俊さんに劇団に入ることを勧められ「オンシアター自由劇場」の試験を受けて入団。劇団の看板女優の相手役を務めました。
実力俳優として認知されたのは40を過ぎてからだったようです。
今週もご覧頂きありがとうございました。次週は善人から悪役まで自由自在に演じ分ける実力派俳優の小日向文世さん。進行はアルコ&ピース平子さん。そして中村雅俊さんから付き人時代の小日向さんへメッセージ。さらに映画共演者が小日向さんの素顔暴露!息子さんからお手紙も!お楽しみに♪#波瀾爆笑 pic.twitter.com/eHlio4TyeI
— 【番組公式】誰だって波瀾爆笑 (@haran_bakushou) January 29, 2017

決して楽な道ではなかったんだね…!
小日向文世の幼少期は?若い頃の活躍やできごとを年代順に振り返り

小日向文世さんの幼少期のエピソードや、若い頃の活躍やできごとを年代順に振り返っていきます。
幼少期
小日向文世さんは1954年1月23日3人兄弟の末っ子として生まれました。北海道三笠市の出身です。小日向さん曰く。生まれつきオープンな性格だったそうです。
家族への愛情が深く、二人の息子とはハグを交わし、奥さんと毎日「行ってきます」のチューを欠かさないそうです。このことから、小日向さんも自身の父親と母親から愛情を注がれて育ったんじゃないかと思えて微笑ましいですね。

いつもあたたかいオーラで素敵な方だね!
10代

小日向文世さんが10代の頃の代表的なできごとはこちらです。
- 1967年(12歳):北海道三笠市立中学校に入学
- 1970年(15歳):北海道三笠高校に入学
- 1973年(18歳):東京のデザインの専門学校に入学
小日向文世さんは、中学時代は卓球部に所属していました。毎日寝る前に俳句を書くのが習慣だったそうです。
三笠高校は共学で1945年に開校し、2010年に閉校しました。小日向文世さんは美術部に所属し、油絵の作品を初めて出展したときに入選しています。高校時代は麻雀にもハマっていたそうで絵を描くか、麻雀をするかの日々だったそうです。
高校卒業後、東京御茶ノ水のデザイン専門学校(学校名は不明)に進学。はじめはグラフィックデザイナーを目指していましたが、途中から女子にモテるという動機から東京写真専門学校(現在は専門学校東京ビジュアルアーツ)に入学し直しました。その後、熱心に通っていたそうです。
小日向文世さんは、芸術的な分野に興味持っていたんですね。絵を描くのも俳句を描くのも、写真の世界にいくというのも、自分の世界がある方なんだなと思いました。

モテたいっていう動機がかわいい!
小日向文世さんファンに聞いた、小日向文世さんの10代で印象に残っている出来事


デザイン専門学校に入学したということを知って意外性を感じましたね。そんな雰囲気全くないので意外でした。(30代男性)

高校時代に「an・an」を愛読されていたことが印象的でした。理由は小日向さんは難しそうな小説などを読んでいそうなイメージだったので、意外性に驚いたからです。(30代女性)

デザインの専門学校へ通っていたことです。高校時代は美術部に所属していましたし、かなり美術にのめりこんでいたとのこと。早くから役者を目指して活動していたと思っていたので、これには驚きました。(50代男性)
20代

小日向文世さんが20代の頃の代表的なできごとはこちらです。
- 1976年(22歳):俳優を目指すことを決意
- 1977年(23歳):「オンシアター自由劇場」に入団
- 1979年(25歳):舞台『上海バンスキング』に出演
小日向文世さんは、専門学校に通っていた時に「役者業」に興味を持ち始めました。卒業後に俳優を目指すことを決意し、文学座(日本の劇団)のオーディションを受けるも落ちてしまいます。
その後コンサートスタッフの手伝いをきっかけに中村雅俊さんの付き人になりました。中村雅俊さんにきちんとした劇団に入ることを勧められ、「オンシアター自由劇場」に入団。
25歳の頃に舞台『上海バンスキング』に出演。上海を舞台に、時代に翻弄された人々を描いた音楽劇で1979年のオンシアター自由劇場にて初演されました。
俳優を目指そうと思ったのも、興味を持ったのも20代になってからだったんですね。そしてすぐすぐうまくいったわけではないようですが、現在の小日向文世を見ていると元から才能があったんじゃないかと思うほど魅力的です。

中村雅俊さんの付き人していたことにびっくり!
小日向文世さんファンに聞いた、小日向文世さんの20代で印象に残っている出来事


俳優を志したという話を聞いて結構遅かったんだなと思いました。正直子役時代とかあるのかなとちょっと勝手に思っていました。(30代男性)

22歳の頃に中村雅俊さんの付き人をされていたことが、印象的でした。理由は、小日向さんと中村雅俊さんの仲の良さを知り、心が温かくなったからです。(30代女性)

「オンシアター自由劇場」の試験を受け、入団したことです。これが小日向さんを俳優の道へ進むことになった第一歩でもありますし、印象に残りました。(50代男性)
30代

小日向文世さんが30代の頃の代表的なできごとはこちらです。
- 1984年(30歳):劇団での下積み時代
- 1988年(34歳):映画『上海バンスキング』に出演
- 1991年(39歳):年下女性と結婚
こんな写真が出てきた。30年位前の頃か。今は無き渋谷東急本店のシアターコクーンの楽屋前で小日向文世さんと。劇団オンシアター自由劇場が大好きで行きまくっていた頃だ。小日向文世さん、ほんとに人柄も素敵な方で、昨今のご活躍がとても嬉しい。今でも大好きだ。それにしても自分ガリガリだな。 pic.twitter.com/YHgEBMqbYg
— ひろゆき (@gontsuti) August 8, 2024
1984年に30歳を迎えた小日向文世さんですが、特に表立って役者としての名を広めることはまだまだでした。ひたすら役者への下積みを重ねる毎日を過ごします。
1988年34歳の時に映画『上海バンスキング』に出演しました。この作品が映画デビューです。
小日向文世さんは、39歳の時に同じ劇団の11歳年下の女性と結婚し長男をもうけました。
今でこそ小日向文世さんといえばという個性溢れる役者さんですが、30代にはまだまだこれといった役者という仕事はなかったことに驚きです。

こんなに下積み期間があったんだね!
小日向文世さんファンに聞いた、小日向文世さんの30代で印象に残っている出来事


劇団の女優と結婚したという話を聞いて小日向さんらしいなと思いましたね。今でも仲が良いというのが伺えますね。(30代男性)

34歳のときに映画「上海バンスキング」に出演されたことが、印象的でした。理由は、若かりし頃の小日向さんが爽やかでかっこいいと感じたからです。演技力もあり素敵だと思いました。(30代女性)

映画「上海バンスキング」に出演したことです。この作品が小日向さんの映画デビュー作ですし、ここから映画俳優小日向文世が始まったんだな~と印象に残りました。(50代男性)
40代

小日向文世さんが40代の頃の代表的なできごとはこちらです。
- 1992年(40歳):「オンシアター自由劇場」が解散
- 1998年(46歳):映画『愛を乞うひと』に出演
- 2001年(49歳):舞台『オケピ!』に出演
小日向文世さんの結婚した翌年40歳の時に、「オンシアター自由劇場」が解散します。その後、映画やテレビの映像分野の活躍を試みるも端役ばかりでお給料の危機に…事務所に前借をしつつ、借金生活に陥ってしまいました。
46歳、映画『愛を乞うひと』で主人公と密接にかかわる大役を務め、存在感を見せました。ドラマでは『世にも奇妙な物語』シリーズをきっかけに役が付くようになっていきます。
2001年49歳を迎える年に、三谷幸喜演出の舞台『オケピ!』に出た小日向文世さんのピアニスト役がフジテレビのプロデューサーの目にとまります。これにより月9ドラマ『HERO』のメインキャストの一人に起用されました。ここから、仕事が途切れることなく入るようになっていくのです。
実家に帰っていると朝『ぶらり途中下車の旅』を観れたりなんかして、ゲストの八嶋智人さんが逐一、ナレーションを務める小日向文世さんに向かって「ねぇコヒさんこれ美味しそうでしょ?」「見て見てコヒさん!」って話し掛けてて、小日向さんも「はいはい?」って応答してるのめちゃカワだった #HERO pic.twitter.com/8YViq9brgs
— maison de tanaharu (@tanaker_haruker) June 24, 2023
お嫁さんも子供もいる状況で借金生活にまで陥って諦めなったのが凄いなと思いました。50目前ではありますが、ようやく役者としての花が咲き、小日向文世さんの魅力が認められてよかったです。

諦めない心って素晴らしい!
小日向文世さんファンに聞いた、小日向文世さんの40代で印象に残っている出来事


僕の生きる道での芝居がとても印象的ですね。医者の役柄だったのですが本当に凛とした格好良さがあってすごく良かったです。(30代男性)

47歳のときに、ドラマ「HERO」に出演されたことが印象的でした。理由は、小日向さんの柔軟かつ存在感のある演技がとても心に残った作品だったからです。(30代女性)

テレビドラマ『HERO』に出演されたことです。話題性の高いドラマでしたし、それに出演している小日向さんもすごく目立っていました。この作品が小日向さんをメジャーにしたと思いますし、印象に残っています。(50代男性)
小日向文世の若い頃の髪型はウェーブのあるミディアムヘア

小日向文世さんの若い頃の髪型といえば、ウェーブのあるミディアムヘアな髪型を思い出す方も多いのではないでしょうか。
若い頃の小日向文世 pic.twitter.com/U4CIqaLUbL
— 358ちゃん (@max358japan) August 8, 2023
役者として認知度が高まったの40代という事で現在の小日向文世さんのイメージが強すぎますが、若い頃の長めのヘアスタイルも違和感なく似合っていて、カッコいいので驚きです。

柔らかい笑顔は変わらず素敵だね!
まとめ

今回は、小日向文世さんの若い頃の活躍や出来事を、画像とともに振り返りました。

年代ごとに印象深い出来事がたくさんあったね!
これからの活動も頑張ってほしいと思います。
