キムラ緑子の若い頃は?髪型はセミロングパーマだった!

女優として活躍するキムラ緑子さん。

若い頃どんな風貌だったのかや、年代ごとにどんなできごとがあったのか気になるかたも多いと思います。

さっそく、キムラ緑子さんの若い頃の写真やできごと、デビューのきっかけを年代順に振り返ってみましょう。

目次

キムラ緑子のデビューのきっかけや時期は?

デビューのきっかけや時期

大学時代、友人に誘われて劇団に入ることになりました。キムラ緑子さんは「その時は、一生やるなんて思わず、毎日生きていたら積み重ねでこうなって、おかげさまでここにいます。お金もなくて、ただ好きなことをやってきただけです。」と語っています。

1984年に大学の演劇部でマキノノゾミさんに出会い、「劇団M.O.P」の旗揚げに参加。大学卒業後、故郷に戻り塾講師をしていましたが、劇団から声がかかり復帰します。それから、劇団の看板女優として2010年に解散するまで活躍し、他の劇団作品やプロデュース公演に多数出演しました。

そして、1990年『極道の妻たち・最後の戦い』で映画デビューし、活動の場を広げていきました。

ねこ太郎

劇団がはじまりなんだ!

キムラ緑子の幼少期は?若い頃の活躍やできごとを年代順に振り返り

キムラ緑子さんの幼少期のエピソードや、若い頃の活躍やできごとを年代順に振り返っていきます。

幼少期

1961年10月15日に誕生したキムラ緑子さんは、兵庫県洲本市大野で育ちます。幼少期から芸能活動に興味がありました。歌を歌うことが大好きで『ピンキーとキラーズ』が初めて聞いた曲だったそうです。

意外なことに、詩集をつくったりとひとりで遊ぶ姿が多かったようです。両親が仕事柄忙しい家庭だったからというのもありそうですが、今の人当たりも良く友人の多そうなキムラ緑子さんからは想像できません。

ねこ太郎

詩集見てみたいな!

10代

キムラ緑子さんが10代の頃の代表的なできごとはこちらです。

  • 1973年(13歳):洲本市立青雲中学校に入学
  • 1976年(16歳):兵庫県洲本高校に入学
  • 1979年(19歳):同志社女子大学に入学

淡路島で生まれ育ったキムラ緑子さんは、洲本市立青雲中学校へ入学。部活動はテニスをしていました。

共学校の洲本高校(偏差値55)に入学。高校時代は剣道部に所属していました。かなりモテモテだったようで、ナンパされることもしばしばあったそうです。

大学は同志社女子大学の学芸学部英文学科(偏差値60)に入学。キムラ緑子さんは、友人に誘われて行ったサークルの舞台を見に行ったところ、感銘を受けて演劇サークルに入部しました。

大学に入る前までは、演劇や映画などに興味がなかったキムラ緑子さん。大学で出会った友人によって今のキムラ緑子さんがいると思うと、素晴らしい運命的な出会いですね。

ねこ太郎

昔は体育会系だったんだね。

キムラ緑子さんファンに聞いた、キムラ緑子さんの10代で印象に残っている出来事

アンケート調査結果
ネット上の人物

同志社女子大学学芸学部英文学科へ入学したことです。同志社大学といえば関西だと難関私大として有名なところですし、頭が良かったんだなって印象に残りました。(50代男性)

ネット上の人物

18歳のときに同志社女子大学に入学し、姉妹校である同志社大学の演劇サークルに入部されたことが、印象的でした。理由は、キムラさんの女優の道の原点を知ることができ感慨深いと感じたからです。(30代女性)

ネット上の人物

高校時代は剣道部に所属していたということを聞いて驚きましたね。そんなイメージ皆無だったので意外性がありました。(30代男性)

20代

キムラ緑子さんが20代の頃の代表的なできごとはこちらです。

  • 1983年(23歳):淡路島に帰り、塾講師になる
  • 1984年(24歳):つかこうへいに影響を受け、上京
  • 1987年(27歳):劇団「M.O.P」の旗揚げに参加

大学を4年で卒業し、卒業後は帰郷。塾をできる建物を借りて、近所の子供たちを集めて英語などを教えていました。しかし、劇団から声がかかり劇場に復帰。

1984年つかこうへい(日本で活動した韓国国籍の劇作家・演出家・小説家)に影響を受け、上京。大学の演劇サークルで見た作品に感銘を受けたところからルーツがあるようです。

1987年には、マキノノゾミさん(日本の男性俳優・劇作家・脚本家・演出家)が立ち上げた劇団「M.O.P」の旗揚げに参加しました。2010年の解散まで看板女優として活躍します。

大学から演劇に興味を持ち、人との出会いによって女優人生を歩むことになったキムラ緑子さんですが、現在の活躍を見ていると女優・キムラ緑子さんを見れて良かったなと思える作品ばかりです。

ねこ太郎

ずっと看板女優してたなんて凄いな。

キムラ緑子さんファンに聞いた、キムラ緑子さんの20代で印象に残っている出来事

アンケート調査結果
ネット上の人物

劇団「M.O.P.」に入団したことです。これが女優として活動する第一歩になったわけですし、芸能人として生きる道を歩むことを決意したんだなって印象に残りました。(50代男性)

ネット上の人物

23歳のときに劇団「M.O.P.」の旗揚げに参加し、看板女優として活躍されたことが印象的でした。理由は、キムラさんの女優としての真っ直ぐな生き方に心を打たれたからです。(30代女性)

ネット上の人物

つかこうへいさんに影響を受けて劇団を旗揚げしたという実績を聞いてすごく驚きました。やっばりつかさんの劇にはそれだけ魅力があったのでしょうね。(30代男性)

30代

キムラ緑子さんが30代の頃の代表的なできごとはこちらです。

  • 1992年(32歳):マキノノゾミさんと結婚
  • 1995年(35歳):ドラマ『いつかまた逢える』に出演
  • 1997年(37歳):第32回紀伊国屋演劇賞個人賞受賞

1992年に大学の演劇サークルで出会ったマキノノゾミさんと結婚します。仕事では主催者と劇団員という関係ではありましたが、それ以外でも親交が深まり交際に発展したようです。

1995年にはドラマ『いつかまた逢える』に出演。今田耕司さん(中田幹三役)が漫画を持って行った編集者の女性がキムラ緑子さんでした。

毎年、東京において上演された演劇公演を対象に選出され、贈呈式が行われる第32回紀伊国屋演劇賞個人賞を受賞しました。(戦後一幕物傑作選『秋の歌』における水原一枝の演技)

この頃のキムラ緑子さんは、テレビドラマや映画出演の数はまだまだ少なかったようですが、演劇ならではの迫力や見せ方でどんどん魅力を高めていかれたんでしょうね。

ねこ太郎

演劇って臨場感があって素晴らしい!

キムラ緑子さんファンに聞いた、キムラ緑子さんの30代で印象に残っている出来事

アンケート調査結果
ネット上の人物

劇作家のマキノノゾミさんと結婚したことです。とうとうキムラさんも結婚したのか~と驚きましたし、女優と劇作家って親密な関係になりやすいのかな?と印象に残りました。(50代男性)

ネット上の人物

35歳のときに映画「極道の女たち」に出演されたことが、印象的でした。理由は、キムラさんの初々しい演技がとても新鮮で可愛らしいと感じたからです。(30代女性)

ネット上の人物

1992年に結婚、相手は同じ劇団員だったということを聞いてすごくイメージ通りでしたね。彼女の家庭的な一面を知った気持ちです。(30代男性)

40代

キムラ緑子さんが40代の頃の代表的なできごとはこちらです。

  • 2005年(45歳):マキノノゾミさんと離婚
  • 2005年(45歳):第12回読売演劇大賞優秀女優賞受賞
  • 2006年(46歳):映画『嫌われ松子の一生』に出演

結婚してから13年目、マキノノゾミさんと離婚します。「何か凄いことが起こるかもしれない」と考えたキムラ緑子さんが離婚を切り出したそうです。そして離婚してから5年後、復縁しました。

2005年に『偶然の男』と『ヒトノカケラ』で第12回読売演劇大賞優秀女優賞を受賞しています。

2006年には、映画『嫌われ松子の一生』に松子の母・川尻多恵役で出演。あまり顔出しのない役だったようです。

40代からどんどん劇団以外の作品に出ることも増えて、よりいっそうキムラ緑子さんの女優としての魅力が伝わっていったように思います。

ねこ太郎

決断力、行動力が凄い!

キムラ緑子さんファンに聞いた、キムラ緑子さんの40代で印象に残っている出来事

アンケート調査結果
ネット上の人物

「いにしへ日和」で語り役をしたことです。これまでの活躍から女優としての印象が強いキムラさんですけど、語り役も出来るんだと印象に残りました。(50代男性)

ネット上の人物

45歳のときに映画「嫌われ松子の一生」に出演されたことが、印象的でした。理由は、キムラさんの存在感のある演技が心に残ったからです。(30代女性)

ネット上の人物

2005年に離婚したということを知って驚きましたね。なんとなく離婚はしないという印象があったのでとても意外でしたね。(30代男性)

キムラ緑子の若い頃の髪型はセミロングパーマ

キムラ緑子さんの若い頃の髪型といえば、セミロングパーマな髪型を思い出す方も多いのではないでしょうか。

10代のキムラ緑子さんは、今より少しふっくらしていて髪も長めでした。現在のキムラ緑子さんはショートヘアでさっぱりしたイメージですが、長めな髪も当時流行っていたアイドルっぽくて可愛いですね。

キムラ緑子さんの大学時代には聖子ちゃんカットが流行っていて、キムラ緑子さんもその髪型にしていたようです。

ねこ太郎

髪が長かったんですね。

まとめ

まとめ

今回は、キムラ緑子さんの若い頃の活躍や出来事を、画像とともに振り返りました。

ねこ太郎

年代ごとに印象深い出来事がたくさんあったね!

これからの活動も頑張ってほしいと思います。

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