日本の将棋棋士として活躍する加藤一二三さん。
若い頃どんな風貌だったのかや、年代ごとにどんなできごとがあったのか気になるかたも多いと思います。
さっそく、加藤一二三さんの若い頃の写真やできごと、デビューのきっかけを年代順に振り返ってみましょう。
加藤一二三のデビューのきっかけや時期は?
加藤一二三さんのデビューのきっかけや時期は、小学6年生の時に京都の将棋大会で、南口繁一さんに認められたことで関西奨励会に3級で入会しました。
その後、中学3年生でプロ入りを果たし、『神武以来の天才』と呼ばれるようになりました。
加藤はまだ14才の少年。南口八段の門生。この少年は昭和26年8月29日11歳(3級)で奨励会に入ったとき、未来の名人と宣伝され、その出発からしてまことに華やかであった。
引用元:マイナビニュース
1954年8月にはプロ四段に昇段し、当時の史上最年少棋士となりました!
たぶん、777歳まで現役だったはず。
— あっちゃん (@atttttttttttttu) June 2, 2021
わたしの第六感がそう伝えてる。 pic.twitter.com/YZjGkTEKFG
加藤一二三さんの最年少棋士記録は、62年間更新されなかったんだって!
加藤一二三の幼少期は?若い頃の活躍やできごとを年代順に振り返り
加藤一二三さんの幼少期のエピソードや、若い頃の活躍やできごとを年代順に振り返っていきます。
幼少期
加藤一二三さんは、1940年1月1日、福岡県嘉穂郡稲築村(現在の嘉麻市)で生まれました。
名前の由来には、『1月1日(紀元二千六百年)に生まれた三男』という意味が込められているそうです!
幼稚園の頃、近所の子どもが指す将棋を見て覚えたのだそう。しかし、他の子どもたちに勝利してばかりいたため、飽きて一度将棋から離れてしまいました。
小学4年生の時、新聞に記載されていた将棋の観戦記と詰将棋に深く感動し、将棋をもう一度始めることとなりました。この頃の棋力はアマ初段くらいだったといいます。
見て覚えたなんて凄い!
10代
加藤一二三さんが10代の頃の代表的なできごとはこちらです。
- 1951年(11歳):小学6年生の時に関西奨励会に3級で入会
- 1955年(15歳):第1回六、五、四段戦に優勝し、最年少棋戦優勝記録を記録
- 1958年(18歳):順位戦A級八段に昇段し、『神武以来の天才』と呼ばれる
加藤一二三さんは、14歳7か月でプロ入りし、史上初の中学生棋士としてデビューしました。
上から順にA級、B級1組、B級2組、C級1組、C級2組に分けられており、加藤一二三さんは、順位戦で順調に最短の4年でC級2組からA級に昇級しました。
快進撃はこれでは止まりませんでした。第10期、第11期、第12期でもそれぞれ10勝3敗(2位)、9勝2敗(1位)、10勝2敗(2位)の好成績で、何とC級2組からC級1組、B級2組、B級1組と4期連続昇級を達成し、一気に最高クラスのA級まで昇りつめたのです。
この時、加藤18歳3カ月。史上最年少A級棋士の誕生です。そして、この記録は現在まで破られていません。
引用元:マイナビニュース
同時に段位も八段となり、当時は名人経験者を除けば八段が最高段位でした。
藤井聡太七段と同年代当時の
— 加藤一二三【2024年棋士デビュー70周年 皆様への感謝を込めて】 (@hifumikato) July 9, 2020
ひふみん発見╰(*´︶`*)╯♡ https://t.co/R0chhee6X1
18歳3か月でA級八段に昇級したことにより、当時は衝撃的なニュースとして将棋界以外でも驚かせ話題となり、『神武以来の天才』と言われるようになりました。
当時の最年少記録を次々と更新していったんだって!
加藤一二三さんファンに聞いた、加藤一二三さんの10代で印象に残っている出来事
早稲田大学第二文学部に入学していたことです。てっきり高校卒業後すぐに将棋の道に専念していたんだろうと思っていたので驚きましたし、頭もすごく良かったんだと印象に残りました。(50代男性)
当時史上最年少棋士として注目されていたことを知り今の藤井聡太さんみたいだなと思いましたね。やっぱり天才だったのでしょうね。(30代男性)
京都府立木津高等学校を卒業する。加藤一二三さんは高校生のころから、将棋を指すことが得意であったと思う。(40代男性)
20代
加藤一二三さんが20代の頃の代表的なできごとはこちらです。
- 1960年(20歳):20歳3か月で名人挑戦権を獲得
- 1960年(20歳):成人式の日に中学校時代の同級生と結婚
- 1969年(29歳):初のタイトル獲得
1959年、A級初年度の第13期順位戦では負け越しの8位という結果で終わりました。しかし、翌年の1960年には6勝2敗で名人挑戦権を獲得しました。
20歳3か月での名人挑戦は当時の最年少記録で、加藤一二三さんはマスコミに大きく取り上げられ、注目を集めました!
2024年現在でも名人挑戦の最年少記録を維持しるんだって!
1969年、加藤一二三さんが29歳のプロ入りから約14年後、第8期十段戦七番勝負で大山康晴さんに4勝3敗で勝利し、十段のタイトルを獲得しました。
加藤は第3局、第4局を連勝し、スコアを2-2のタイに戻します。続く第5局に敗れて2―3と後がなくなりますが、第6局、第7局に勝って念願の初タイトルを手にします。
引用元:マイナビニュース
週刊サンケイ1960年2月1日号より、加藤一二三当時八段のグラビア。なにこの信じられないイケメン。 #shogi #ひふみん pic.twitter.com/KiLJyGlXih
— アライコウ (@araicreate) March 27, 2020
私生活では1960年1月15日、加藤一二三さんが20歳の時に、同級生の紀代さんと結婚しました。
お2人の馴れ初めは、加藤一二三さんが14歳でプロ棋士となり、忙しく授業に出席できないことが多かったそう。そのため、紀代さんが毎日のように授業内容をノートに書き届けてくれていました。
この優しい紀代さんの行動が、加藤一二三さんにとって初恋の相手となりました。
本日めでたくひふみん夫婦は
— 加藤一二三【2024年棋士デビュー70周年 皆様への感謝を込めて】 (@hifumikato) January 15, 2023
結婚🤵♂️👰♀️63周年🎂🌸🥂を
迎えることができました💖🥰💖
(昨年は読売新聞さまの素敵な企画によって結婚式当時の白黒写真🤳をカラーにて美しく甦らせていただき感激致しました) https://t.co/u4O01qn1Eo
加藤一二三さんファンに聞いた、加藤一二三さんの20代で印象に残っている出来事
『加藤詰将棋200題』をリリースしたことです。すでに実績を残している加藤さんですし、それだけに詰将棋を出されたことに注目してしまいました。(50代男性)
将棋士として頭角を表したという話が印象的ですね。将棋で勝つことがどれだけ難しいことか本当に彼を見ていると思い知らされます。(30代男性)
1961年に大山康晴さんと王将のタイトルをかけて勝負する。この時は加藤一二三さんが3連敗したので悔しかったと思う。(40代男性)
30代
加藤一二三さんが30代の頃の代表的なできごとはこちらです。
- 1670年(30歳):クリスマスにカトリック教会下井草教会で洗礼を受ける
- 1975年(35歳):『加藤一二三実戦集 わが熱闘、珠玉の40局』出版
- 1977年(37歳):将棋栄誉賞(通算600勝達成)受賞
加藤一二三さんの30代は、挑戦と苦悩の時期でした。
棋士として行き詰まりを感じ、自身の将棋スタイルや成績に対する不安を抱えて、精神的な苦悩があったとされてます。
そんな加藤さんを支えたのは妻の存在でした。『あなたは棋士だから、どんな時もいい将棋を指さないといけない』と励まし続けたそうです。
「あなたに対して言いたいことがある時期もあった。でも勝って喜ぶ姿を見て言えなかった。負けた時も追い詰めたくなくて、言えなかった」と。陰で忍耐強く、穏やかに、優しく、私を支え続けてくれました。
引用元:東京すくすく
そんな中、30歳のクリスマスに、カトリック教会で洗礼を受けました。将棋人生の行き詰まりを感じていた時期にキリスト教に出会い、人生と将棋が大きく変わったと言います。
ひふみん先生のお若い頃は菅田将暉みがある
— ハマノ大魔人 (@katsudon2904) August 7, 2021
ひふみん先生も菅田将暉も才能の塊みたいな所も似てるしね https://t.co/IYo254AipX
『将棋に勝たせてください』ではなく、『良い将棋を指せますように』と祈るんだって!
1977年には将棋栄誉賞(通算600勝達成)を受賞し、挫折から立ち直り困難を乗り越えていきました。
加藤一二三さんファンに聞いた、加藤一二三さんの30代で印象に残っている出来事
1977年に将棋栄誉賞(通算600勝達成)したことです。プロだから強いといっても相手もプロなわけで。そんな強敵相手によく600勝もしたな~と驚きました。(50代男性)
数々の記録を打ち立てる姿が印象的です。過去の実績を確認すると数々の記録があり本当にレジェンドの名に相応しい存在です。(30代男性)
1976年に大内延介さんと棋王のタイトルをかけて試合をする。大内さんに3連勝して棋王になることができたので嬉しかったと思う。(40代男性)
40代
加藤一二三さんが40代の頃の代表的なできごとはこちらです。
- 1982年(42歳):名人のタイトルを獲得
- 1982年(42歳):通算800勝を達成し『将棋栄誉敢闘賞』を受賞
- 1984年(44歳):8つ目のタイトルを獲得
1982年、加藤一二三さんは中原誠さんとの対局で見事勝利し、42歳で名人のタイトルを獲得。名人戦では中原との対戦で多くの注目を集めました。
7月31日午後9時2分。名人戦第8局で加藤は中原に勝った。
加藤は3回目の名人戦挑戦で、悲願の名人位を42歳で獲得した。
引用元:Number web
1984年度には、第5期王位戦で高橋道雄さんからタイトルを奪取し、生涯8つ目のタイトルを手にしました。
40代に入ると、加藤一二三さんは直感を重視し、長時間考え抜くことで勝利を収めることが多かったのだそう。
その独特なキャラクターやスタイルから多くのファンに愛されており、『ひふみん』として知られるようになりました。将棋界だけでなくメディアなどで注目されるようになり、その影響力は将棋界でも非常に重要な存在となっているようです。
加藤一二三さん
— 593ツァラトゥストラ(超人) (@nwYTu4ZYmH7P4Q4) May 18, 2023
徹子の部屋に出演した際の話
徹子
「若い頃はハンサムだったのですね。この頃が一番良かったでしょ?」
に対し
一二三
「私は今が一番良いです」
なんて答えていてすんげぇなぁ。
と驚かされました。
最善手を求め続けた人からは、こんな言葉が出るのですね(*´∇`)#ドル円 pic.twitter.com/fdV7lZFY27
その後も数々の偉業を成し遂げていきました!
通算1,000勝という偉業も達成しているよ!
その後、史上最年長勝利記録や史上最多対局数などの偉業を成し遂げ、2017年に引退し、今年、デビュー70周年を迎えました。
引用元:テレ朝news
加藤一二三さんファンに聞いた、加藤一二三さんの40代で印象に残っている出来事
1981年の米長との十段戦において2時間以上ミカンを食べ続けたことです。長考しているというだけでなく、盤外戦術の一つでもあったんだと思います。勝つために色々しているんだなと驚きました。(50代男性)
サッカー愛好家という一面があることが印象的ですね。結構色々な海外サッカーにも精通しているらしいので意外です。(30代男性)
1984年に高橋道雄さんと王位のタイトルをかけて勝負する。この時は4勝3敗で加藤さんがかろうじて高橋さんに勝つことができたので、大変な試合であったと思う。(40代男性)
加藤一二三の若い頃の髪型は短髪
加藤一二三さんの若い頃の髪型といえば、短めな髪型を思い出す方も多いのではないでしょうか。
学生時代の加藤一二三さんは、学生らしい短めの髪型でした。その後、少しパーマがったスタイルとなっています。
若い頃の加藤一二三さんは、『菅田将暉に似ている』と話題になっており、当時の将棋界ではイケメンとして知られていたようです!
加藤一二三
— TOLUCKY (@yukijamjamyuki) July 2, 2017
ひふみん若い頃の写真見たら
菅田将暉に似てる思ってしまった
菅田将暉ファンの方すいません pic.twitter.com/sHu6ce3A9l
どの髪形もイケメンの一二三さんにお似合いだね!
まとめ
今回は、加藤一二三さんの若い頃の活躍や出来事を、画像とともに振り返りました。
年代ごとに印象深い出来事がたくさんあったね!
これからの活動も頑張ってほしいと思います。