柏木由紀子の若い頃は?昔の髪型は清楚な黒髪のボブヘアだった!

女優や歌手などとして活躍する柏木由紀子さん。

若い頃どんな風貌だったのかや、年代ごとにどんなできごとがあったのか気になるかたも多いと思います。

さっそく、柏木由紀子さんの若い頃の写真やできごと、デビューのきっかけを年代順に振り返ってみましょう。

目次

柏木由紀子のデビューのきっかけや時期は?

デビューのきっかけや時期

柏木由紀子さんは小学5年生の時、母親の勧めで「劇団若草」に入団します。入団後、少女雑誌「女学生の友」でモデルとして活躍。高校2年生の時に知人に誘われ、1964年に松竹映画「明日の夢があふれている」で映画デビューします。翌1965年には「明日の夢があふれている」で共演した三田明さんが所属していた事務所の勧めで、「若い真珠」で歌手デビューを果たしました。

ねこ太郎

若い頃からモデルとして活躍していたんだね!

柏木由紀子の幼少期は?若い頃の活躍やできごとを年代順に振り返り

柏木由紀子さんの幼少期のエピソードや、若い頃の活躍やできごとを年代順に振り返っていきます。

幼少期

柏木由紀子さんは1947年12月24日、東京都世田谷区に生まれます。柏木は旧姓であり、本名は大島由紀子さんといいます。父は印刷会社の社長を務めており、三姉妹の三女として育ちます。幼い頃は童謡を歌うのが好きな少女だったのだとか。しかし引っ込み思案な性格だったこともあり、小学生の時に母の勧めで「劇団若草」に入団します。

幼少期から歌を歌うことが好きだったという柏木さん。児童合唱団にも所属していたといいます。幼い頃から芸能の素質を持っていたのかもしれません。

ねこ太郎

引っ込み思案だったことが劇団入りのきっかけになったんだね!

10代

柏木由紀子さんが10代の頃の代表的なできごとはこちらです。

  • 1964年(16歳):映画「明日の夢があふれている」で女優デビュー
  • 1965年(17歳):「若い真珠」で歌手デビュー
  • 1966年(18歳):ドラマ「東京の人」でヒロインに抜擢される

1964年、松竹映画「明日の夢があふれている」で女優デビューを果たします。当時モデルの仕事をしていた柏木さんは、知り合いから「映画に出てみませんか」という誘いを受け、歌手の三田明さんの相手役として映画に出演したそうです。

劇団は、中学に入って学業が忙しくなり辞めてしまったのですが、モデルのお仕事だけは続けていたんですね。それで高校生になった時に知り合いの方から「映画に出てみませんか」とお話をいただき、歌手の三田明さんの相手役として『明日の夢があふれてる』という映画に出たのが最初です。

引用元:総合美

1965年、「若い真珠」で歌手デビューを果たします。映画「明日の夢があふれている」で共演した三田明さんの所属事務所から勧められ、レコードを出すことになったといいます。女優デビューから間もなく歌手としてもデビューし、一気に活躍の場を広げていきました。

1966年、TBS系のドラマ「東京の人」でヒロインに抜擢されます。同時にドラマの主題歌である「東京の人」をリリース。歌手・三浦洸一さんとのデュエット曲でした。

10代にして女優・歌手としてデビューし本格的に活動を始めた柏木さん。周囲からの誘いや勧めをきっかけに活動の場を広げており、そのスター性がうかがえますね。

ねこ太郎

容姿の美しさはもちろん、実力のある人だったんだね!

柏木由紀子さんファンに聞いた、柏木由紀子さんの10代で印象に残っている出来事

アンケート調査結果
ネット上の人物

高校2年生で映画デビューを果たしたという実績が素晴らしいですね。なかなか出来ることではないので才能はあったのでしょうね。(30代男性)

ネット上の人物

高校2年生の時に、知人に誘われて「明日の夢があふれている」でデビューされました。その後もレコードデビューもされていて、演技だけでなく歌でも才能があったのかなと思いました。(40代女性)

ネット上の人物

「明日の夢があふれている」で映画デビュー。坂本九さんの奥様も芸能界で活躍されていたことを知ってびっくりしたから。(20代女性)

20代

柏木由紀子さんが20代の頃の代表的なできごとはこちらです。

  • 1969年(21歳):ドラマ「炎の青春」に出演
  • 1970年(22歳):ドラマ「細うで繁盛記」に出演
  • 1971年(23歳):坂本九さんと結婚

1969年、日本テレビ系のドラマ「炎の青春」に出演します。本作は、東宝の新人・東山敬司さん主演の学園ドラマで、同じく東宝の新人として期待されていた柏木さんはヒロイン教師役の西村靖子を演じました。

1970年、日本テレビ系のドラマ「細うで繁盛記」に出演します。本作は大阪生まれの主人公が、伊豆の老舗旅館に嫁ぎ旅館を盛り立てていく物語で、近畿地区では最高視聴率38.0%を記録するなど注目を集めたドラマでした。柏木さんは主人公・加代の義理の妹である春江を演じ人気を博しました。

1971年12月8日、歌手の坂本九さんと結婚します。坂本さんはファッション好きな柏木さんに対し、髪型や服装などを頻繁に褒めてくれる優しい夫だったといいます。「甘えん坊」な柏木さんにとって、「夫であるだけでなく、守ってくれる父親であり、頼れる兄であり、なんでも話せる友だち」であったと語っています。

主人は責任感の強いリーダーで、私と娘の2人の娘の3人を引き連れている感じです。甘えん坊の私にとっては、夫であるだけでなく、守ってくれる父親であり、頼れる兄であり、なんでも話せる友だちでもありました。

引用元:ESSE online

ドラマで一躍人気を博した柏木さん。そんな中、歌手・坂本九さんと出会い結婚します。1973年、1976年には女の子を出産。結婚後は女優活動をセーブし、家族の時間を大切にしていたようです。

ねこ太郎

仕事でもプライベートでも充実した日々を送っていたんだね!

柏木由紀子さんファンに聞いた、柏木由紀子さんの20代で印象に残っている出来事

アンケート調査結果
ネット上の人物

炎の青春でマドンナ教師役を熱演したというエピソードが印象深いですね。やっぱりすごくお綺麗な方なので作品の質を高めていました。(30代男性)

ネット上の人物

20代では幼馴染の酒井和歌子さんと一緒にカンヌ映画祭に行かれてます。また、新婚旅行にもお邪魔したそうで、このことからもとても仲が良いことが伝わってきて微笑ましいです。(40代女性)

ネット上の人物

歌手の坂本九さんと結婚を発表。24時間テレビでやっていた坂本九さん夫婦の物語がとても心に響いたから。(20代女性)

30代

柏木由紀子さんが30代の頃の代表的なできごとはこちらです。

  • 1985年(37歳):夫・坂本九さんが飛行機事故で死去
  • 1986年(38歳):「上を向いて歩こう」を出版
  • 1986年(38歳):「クイズクロス5」の司会を担当

1985年8月12日、日本航空123便墜落事故により夫・坂本九さんが亡くなります。日本航空123便墜落事故は520名の死者を出し、日本の民間航空史上最悪といわれた大事故で、たまたま乗り合わせた坂本さんも事故に巻き込まれてしまいました。坂本さんの不慮の死は、柏木さんを含めたご家族にとって深い悲しみであることはもちろん、日本音楽界、歌手界、そして芸能界にとって大きな損失といわれています。

1986年、扶桑社から初の著書「上を向いて歩こう」を出版します。柏木さんが夫・坂本九さんとの思い出や事故当時の状況などを綴ったもので、20万部ベストセラーとなりました。ネット上では「涙が止まらない」「とても温かい家族だったことが伝わる」などといった感想が見られました。

1986年、テレビ新広島「クイズクロス5」の司会を担当します。「クイズクロス5」は坂本九さんが生前、事故直前まで司会を担当した番組であり、妻の柏木さんが引き継ぐ形となりました。司会の話が来た時、一度は断ったという柏木さんですが、番組側からの説得で司会を引き継ぐことを決めたようです。

事故の翌年、主人が新広島テレビで務めていたクイズ番組の司会を私が引き継ぐことになったことです。お話をいただいたときは、「司会なんて、とても無理です」とお断りしたのですが、「広島は原爆のどん底から立ち直りました。柏木さんにも立ち直っていただきたいのです」とおっしゃっていただき、心が動きました。

引用元:ESSE online

幸せな日々を送っていた30代で突如最愛の家族を失ってしまった柏木さん。その悲しみは想像しがたいものですが、そんな状況の中でも本の出版や司会業など、精力的に活動していたことがわかります。

ねこ太郎

悲しみの中、懸命に前を向いていたのかも。

柏木由紀子さんファンに聞いた、柏木由紀子さんの30代で印象に残っている出来事

アンケート調査結果
ネット上の人物

赤い魂という作品がとても印象的です。柏木さんの独特の雰囲気が物語といい具合にマッチしていて素晴らしかったですね。(30代男性)

ネット上の人物

38歳の時に、航空機事故で夫の坂本九さんが亡くなりました。その後も女優、講演活動をされて過ごされました。大切な家族を失っても、そこで立ち止まるのではなく前向きに生きていく姿が見えてきます。(40代女性)

ネット上の人物

日本航空機の事故により坂本九さんと死別。ビルボード1位にも輝いた国民的歌手の悲しい知らせは世界中に衝撃を与えたから。(20代女性)

40代

柏木由紀子さんが40代の頃の代表的なできごとはこちらです。

  • 1989年(41歳):ドラマ「青春オーロラ・スピン スワンの涙」に出演
  • 1990年(42歳):ドラマ「ゴリラ・警視庁捜査第8班」に出演
  • 1996年(48歳):映画「必殺!主水死す」に出演

1989年、フジテレビ系のドラマ「青春オーロラ・スピン スワンの涙」に出演します。本作は、元天才バレリーナの主人公がシンクロナイズドスイミングに挑み成長していく物語で、柏木さんは主人公のライバルである涼子の母親・草薙順子を演じました。

1990年、テレビ朝日系のドラマ「ゴリラ・警視庁捜査第8班」に出演します。本作は、石原プロモーション制作の刑事・アクションドラマで、作中で柏木さんは渡哲也さん演じる刑事・倉本省の妻を演じました。

1996年、松竹映画「必殺!主水死す」に出演します。松竹映画への出演は、映画デビュー作である「明日の夢があふれている」以来、32年振りとなりました。必殺仕事人・中村主水シリーズの一旦の最終回とされた本作では、姉小路役として特別出演しました。

40代に入り、刑事ドラマや時代劇など幅広い作品に出演します。特に刑事ドラマへは数多く出演しており、女優としての地位を確立していった時期なのではないでしょうか。

ねこ太郎

幅広い役柄を演じ分けていたのが印象的!

柏木由紀子さんファンに聞いた、柏木由紀子さんの40代で印象に残っている出来事

アンケート調査結果
ネット上の人物

はるちゃんでの演技が本当に良かったですね。やっぱりこういうヒューマンドラマ系の話は面白いですね。見ていて心動かされます。(30代男性)

ネット上の人物

40代に入り、ドラマ「さすらい刑事」や「スワンの涙」など女優として活躍されてます。大変だったと思われますが、仕事や家族がいたから困難も乗り越えていけたのではと思います。(40代女性)

ネット上の人物

娘の舞坂ゆき子さんが宝塚学校に入学。2人の娘さんを女手一つで立派に育て上げ、坂本九さんの歌を娘さんと共に歌い繋いでいることにご家族の仲睦まじさと坂本九さんへの深い愛を感じたから。(20代女性)

柏木由紀子の若い頃の髪型は清楚な黒髪のボブヘア

柏木由紀子さんの若い頃の髪型といえば、ボリュームのある黒髪のボブヘアを思い出す方も多いのではないでしょうか。

整った顔立ちにボブヘアがとても似合っていますね!

柏木さんが10代だった1960年代はボブヘアに限らず、トップにボリュームを出した髪型が流行していました。ボリューム感があることによって小顔がより際立っていますね。モデルという職業柄、自身の魅力を引き出せるヘアスタイルを選んでいたのではないでしょうか。

ねこ太郎

時代を超えても変わらない魅力があるね!

まとめ

まとめ

今回は、柏木由紀子さんの若い頃の活躍や出来事を、画像とともに振り返りました。

ねこ太郎

年代ごとに印象深い出来事がたくさんあったね!

これからの活動も頑張ってほしいと思います。

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