タレントとして活躍するカルーセル麻紀さん。
若い頃どんな風貌だったのかや、年代ごとにどんなできごとがあったのか気になるかたも多いと思います。
さっそく、カルーセル麻紀さんの若い頃の写真やできごと、デビューのきっかけを年代順に振り返ってみましょう。
カルーセル麻紀のデビューのきっかけや時期は?
カルーセル麻紀さんのデビューの時期やきっかけは、1963年、20歳の時に大阪OSミュージックホールで行われた舞台「猟人日記」で芸能界デビューを果たしました。
芸名を決める際、当時大阪で勤めていた店の名前「カルーゼル」を頭に付け、発音しづらいせいもあって、いつの間にか「カルーセル」と呼ばれるようになり「カルーセル麻紀」となったそうです。
カルーセル麻紀さんが19歳、大阪で働いていた頃のお写真。フランスの女優さんのようでとても美しいですね。 pic.twitter.com/17swCxSWt9
— sakura (@sakura1879424) December 30, 2024
舞台は作家・戸川昌子さんの原作で、ヌードダンサーとして出演し、本物の蛇を3匹使って演技をしたそうです。
舞台で芸能界デビューしたんだね!
カルーセル麻紀の幼少期は?若い頃の活躍やできごとを年代順に振り返り
カルーセル麻紀さんの幼少期のエピソードや、若い頃の活躍やできごとを年代順に振り返っていきます。
幼少期
カルーセル麻紀さんは北海道釧路市の出身で、9人兄妹の次男として産まれました。出生名は「平原徹男」さんです。
小学生の頃からすでに男性が好きで、自分を指す時には“アチシ”と言っていました。周りの人からは「(女の)なりかけ」というあだ名で呼ばれていたそうです。
遊び相手はいつも女の子で、2つ上のお姉さんから服を借りたり、おはじきやお手玉をしたりしていたとのことです。
兄貴はもう6歳くらい離れていました。小学校3年生ぐらいのとき、教科書も全部、お下がりが来るんですけど、それが嫌で嫌で嫌で嫌で…。男物のにおいがするのがとっても嫌でした。
引用元:YAHOO!JAPANニュース
カルーセルさんは、物心ついた頃には、すでに心も思考も女の子だったようですね。
小さな頃から女の子みたいだったんだ!
10代
カルーセル麻紀さんが10代の頃の代表的なできごとはこちらです。
- 1957~1958年頃(15歳):家出して札幌市のゲイバーで働き始める。
- 1959~1960年頃(17歳):銀座のゲイバーで「マキ」という名前をつけてもらう。
- 1961~1962年頃(19歳):大阪のゲイバーで働き始め、病院で去勢手術を受ける。
カルーセル麻紀さんは、1957~1958年頃、15歳の時に高校を中退して家出し、北海道札幌市のゲイバー「ベラミ」で働き始めました。最初の源氏名は「マメコ」だったそうです。
15歳のとき、釧路から汽車に乗って東京へ向かったんだけど、運悪く車掌に家出少年だと見破られちゃって。それで捕まりそうになったから、走ってる汽車から荷物を放り投げて飛び降りたの。それで、とりあえず札幌のススキノに行って「このあたりにゲイバーありませんか?」って訊ね歩いた
引用元:さりとて
1959~1960年頃、17歳の時には、東京銀座の一流ゲイバー「青江」で面接の際に名前を聞かれて、なぜか“マキタ トオル”ととっさに答えてしまい、「マキ」という名前をつけてもらいました。
そして1961~1962年頃、19歳の時に大阪のゲイバー「カルーゼル」で働き始め、当時大阪の新歌舞伎座の裏にあった病院で去勢手術(睾丸摘出)を受けました。
カルーセル麻紀さんの10代は、家出して夢への第一歩を踏み出し、ゲイボーイとして下積みを重ねた時期でした。
いろんな場所を渡り歩いてたんだね!
カルーセル麻紀さんファンに聞いた、カルーセル麻紀さんの10代で印象に残っている出来事
北海道釧路北陽高等学校を退学して15歳で実家を出る。15歳で自立をすることはとても大変であったと思う。(40代男性)
年齢を偽ってゲイバーで働いていたというエピソードを聞いてかなり切羽詰まっていたんだなという印象を抱きましたね。(30代男性)
15歳で家出したことです。いくら父親との関係が悪くなったとはいえ、15歳で家を出て生活するのはすごく大変だったろうなと驚きました。(50代男性)
20代
カルーセル麻紀さんが20代の頃の代表的なできごとはこちらです。
- 1963年(20歳):舞台「猟人日記」に出演し芸能界デビュー。
- 1968年(25歳):レコード「愛してヨコハマ」で歌手デビュー。
- 1968年(26歳):深夜テレビ番組「11PM」に出演。
カルーセル麻紀さんは、1963年、20歳の時、舞台「猟人日記」に出演し、芸能界デビューしました。
そして1968年の25歳の頃に、レコード「愛してヨコハマ」で歌手デビューを果たしました。
『愛してヨコハマ』
— sakura (@sakura1879424) December 30, 2024
1968年10月リリース
カルーセル麻紀さんのレコードデビュー pic.twitter.com/7Zh7dAkdjP
1968年の26歳の時には、深夜テレビ番組「11PM」に出演し、「裸の報告書シリーズ」というコーナーのリポーターを務めました。
カルーセル麻紀さんの20代は、本業であるニューハーフとしての仕事をしながら、舞台やテレビ、歌手活動など様々な分野で活躍した時期でした。
歌手としてもデビューしてたんだ!
カルーセル麻紀さんファンに聞いた、カルーセル麻紀さんの20代で印象に残っている出来事
25歳になった時に、『愛してヨコハマ』という曲でレコードデビューをする。どのような曲であるのか聞いてみたい。(40代男性)
愛してヨコハマで歌手デビューしたという経歴を知って才能だけは桁違いに高かったんだなと思いましたね。歌は本当にうまくて聴き惚れます。(30代男性)
『愛してヨコハマ』で歌手デビューしたことです。ニューハーフというイメージが強いこともあり、こんな早くから歌手活動をしていたんだと驚きました。(50代男性)
30代
カルーセル麻紀さんが30代の頃の代表的なできごとはこちらです。
- 1973年(30歳):モロッコで性別適合手術を受ける。
- 1978年(35歳):映画「火の鳥」に出演。
- 1982年(39歳):映画「道頓堀川」に出演。
カルーセル麻紀さんは、1973年、30歳の時に、モロッコで性別適合手術(男性器除去、造膣)を受けました。術後は40度の高熱が続き、40日間入院して生死をさまよったそうです。
当時、手術ができる医師はモロッコにしかいなかったんです。そんな時、銀座の「青江」というお店で働いていたのですが、ママから「パリに支店を出すから、行ってくれないか」という話が来たんです。パリとモロッコは近いし、手術が受けられると、二つ返事でOK しました。
引用元:AERA.dot
1978年の35歳の頃には、映画「火の鳥」(実写版)に女官シメ役で出演しました。
【🌛明日1/7(金)の新文芸坐レイトショー🌛】
— 新文芸坐 (@shin_bungeiza) January 6, 2022
『#火の鳥』
開映19:30 終映22:30
【上映前トーク】#中野昭慶 さん(特技監督)
※18:00より会場限定特典(非売品)付き『火の鳥』Blu-ray&原作本を販売します(数量限定)
詳細➡️https://t.co/H2gwgIMc0G
チケット購入➡️https://t.co/AzSrhsAEzq pic.twitter.com/EiXrLOTWVo
そして1982年の39歳の時、松坂慶子さん主演の映画「道頓堀川」にゲイボーイのかおる役で出演しました。
カルーセル麻紀さんの30代は、芸能活動の充実と同時に、自身のアイデンティティを確立していく重要な時期だったと言えるでしょう。
手術すごく大変だったんだね…
カルーセル麻紀さんファンに聞いた、カルーセル麻紀さんの30代で印象に残っている出来事
1978年に映画『俺は田舎のプレスリー』に出演する。役者として演技をしているカルーセル麻紀さんを見てみたい。(40代男性)
モロッコで性転換手術を受けたという話を聞いて結構驚きましたね。海外で手術という怖さなどを乗り越えて今があるのですごいです。(30代男性)
1973年にモロッコへ渡り、性別適合手術を受けたことです。当時はどういった手術か?成功するのか?どうなるのか?といった情報は皆無だったでしょうし、凄い行動力だと驚きました。(50代男性)
40代
カルーセル麻紀さんが40代の頃の代表的なできごとはこちらです。
- 1983年(40歳):ドラマ「天才・神津恭介の推理 高木彬光の刺青殺人事件」に出演。
- 1985年(42歳):映画「ルパン三世 バビロンの黄金伝説」に声優として出演。
- 1988年(45歳):ドラマ「ぐるり富士山おまじないツアー」に出演。
カルーセル麻紀さんは、1983年、40歳の時、ドラマ「天才・神津恭介の推理 高木彬光の刺青殺人事件」にダンサー役で出演しました。
1985年の42歳の頃には、映画「ルパン三世 バビロンの黄金伝説」にルパンと対立するマフィアボスのマルチアーノ役の声優として出演しました。
劇場映画第3作『ルパン三世 バビロンの黄金伝説』
— sakura (@sakura1879424) December 30, 2024
ニューヨークを牛耳るマフィアのボス、マルチアーノを演じたのはなんとあのカルーセル麻紀さん! pic.twitter.com/qEgjMgNHUT
そして1988年、45歳の時に、ドラマ「ぐるり富士山おまじないツアー」に出演しました。
カルーセル麻紀さんの40代は、ドラマや映画の声優などで精力的に活動していた時期だったようです。
声優としても活動してたんだ!
カルーセル麻紀さんファンに聞いた、カルーセル麻紀さんの40代で印象に残っている出来事
アニメ映画『ルパン三世 バビロンの黄金伝説』でマルチアーノ役を演じる。声優の仕事もしていることは知らなかった。(40代男性)
石原裕次郎さんと親交があったという話が印象深いです。ずっと石原さんはカルーセルさんを女性として扱っていたというのがすごいです。(30代男性)
バラエティー番組「カルーセルの今夜こうして」に出演したことです。番組名からわかるように、麻紀さんがメインの番組です。それだけ当時はすごい人気があったんだなと驚きました。(50代男性)
カルーセル麻紀の若い頃の髪型はパーマのミディアムヘア
カルーセル麻紀さんの若い頃の髪型といえば、パーマのミディアムヘアな髪型を思い出す方も多いのではないでしょうか。
『徹子の部屋』ゲスト・カルーセル麻紀さん。今でも13㎝のピンヒールを履いてステージに立つ。舞台用が13㎝、普段は10㎝。「これが履けなくなったら、芸能界辞める」そうな。土曜の昼、新喜劇よりも『ノックは無用!』を熱心に観てた小学生が初めて、キレイな人やなぁ、と見惚れた方であります。 pic.twitter.com/lcmZddj5fR
— 横著 (@outyaku) March 1, 2018
パーマでボリュームを出した妖艶な雰囲気がカルーセルさんによく似合っています。
この頃女性の間では、キャンディーズの伊藤蘭さんの蘭ちゃんカットやフィギュアスケート選手のドロシー・ハミルさんのハミルカットが流行していましたが、カルーセルさんのミディアムヘアもエレガントで素敵ですね。
大人の女性らしくてとってもセクシー!
まとめ
今回は、カルーセル麻紀さんの若い頃の活躍や出来事を、画像とともに振り返りました。
年代ごとに印象深い出来事がたくさんあったね!
これからの活動も頑張ってほしいと思います。