梶芽衣子の若い頃の写真!野良猫ロックの画像が誰かに似てる?

女優、歌手として活躍する梶芽衣子さん。

若い頃どんな風貌だったのかや、年代ごとにどんなできごとがあったのか気になるかたも多いと思います。

さっそく、梶芽衣子さんの若い頃の写真やできごと、デビューのきっかけを年代順に振り返ってみましょう。

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目次

梶芽衣子のデビューのきっかけや時期は?

デビューのきっかけや時期

高校生のころ銀座でモデルのスカウトをされました。ジュニア雑誌やカタログモデルをしており、日曜日だけやるアルバイトの感覚でやっていたようです。

そして高校生のとき。いつものように友達と銀座で買い物をしていた私は、モデルにスカウトされたのです。ジュニア雑誌やデパートのカタログのモデルで、学校を休まずに日曜だけやれるアルバイト感覚で。

「引用元:Wendy Net

その後元NHKアナウンサーの高橋圭三さんが設立した「圭三プロダクション」に所属しました。高橋圭三さんの番組にてアシスタントを務めます。

アシスタントとして活躍しているなか、古くから映画会社として知られている日活のスカウトを受け、高校卒業と同時に日活に入社し女優としてデビューしました。

ねこ太郎

高校生の頃から活躍していたんだね!

梶芽衣子の幼少期は?若い頃の活躍やできごとを年代順に振り返り

梶芽衣子さんの幼少期のエピソードや、若い頃の活躍やできごとを年代順に振り返っていきます。

幼少期

小さい頃はシャイで人見知りだったようです。ご両親の勧めで中学、高校とバスケットボール部に入部していました。スポーツを通じて友達を作ることや、グループの一員となることの楽しさ、喜びを感じたのことです。

お客さまにごあいさつもできない、こんな引っ込み思案じゃ困ると両親から勧められ、スポーツをすることに。中学・高校とバスケットボール部で活動しました。体育会系で過ごしたことで、私は大きく変わりました。

「引用元:Wendy Net

シャイな性格がバスケットボール部で活動することで克服していったのですね!

ねこ太郎

挨拶ができないぐらい引っ込み思案だったんだって!

10代

梶芽衣子の若い頃10代の年表

梶芽衣子さんが10代の頃の代表的なできごとはこちらです。

  • 1964年(17歳):クイズ番組「おのろけ夫婦合戦」でアシスタントを務める
  • 1965年(18歳):映画「悲しき別れの歌」で女優デビュー
  • 1965年(18歳):映画「青春前期 青い果実」で主演を演じる

高橋圭三さんが司会のクイズ番組「おのろけ夫婦合戦」でアシスタントを務め、番組がきっかけで日活にスカウトされました。

高校卒業と同時に日活に入社した梶芽衣子さんは映画「悲しき別れの歌」で本名太田雅子名義にて女優デビューをはたしました。

子役から活躍していた太田博之さんと共演した映画「青春前期 青い果実」では主演を務めました。W太田として青春スターとして売り出されたようです。

慣れないアフレコで苦悩しているときに、先輩の女優さんが笑ってきたこともあったようです。日活時代は厳しい現場で人生初めての挫折を味わったと語っていました。

ねこ太郎

日活入社の同期は渡哲也さんなんだって!

梶芽衣子さんファンに聞いた、梶芽衣子さんの10代で印象に残っている出来事

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ネット上の人物

日活映画の若手ホープ。任用系のクールでカッコイイ役を演じることが多い。見たことがあるのは「泣かせるぜ」「涙くんさようなら」(40代女性)

ネット上の人物

中高でバスケ部に所属し人間関係を学んだという部分が印象的です。元々シャイで引っ込み思案な性格が改善されたらしいので自分も見習おうと思いました。(30代男性)

ネット上の人物

日活入所のきっかけはクイズ番組でのアシスタント。女優さんが司会業に挑戦することはよくありますが、司会から演技の道に進むパターンは珍しいと思ったから。(20代女性)

20代

梶芽衣子の若い頃20代の年表

梶芽衣子さんが20代の頃の代表的なできごとはこちらです。

  • 1970年(23歳):映画「野良猫ロック」シリーズ全5作に出演する
  • 1970年(23歳):映画「女囚さそり」シリーズに出演する
  • 1973年(26歳):映画「修羅雪姫」にて主演を演じる

野良猫ロックシリーズでは全5作に出演しそれぞれ異なる役柄を演じました。当時の若者文化や音楽シーンを取り入れた作品でシリーズ中4作で主演を務めた梶芽衣子さんの人気に拍車をかけたようです。

女囚人さそりシリーズにて主演を務めました。それまでアウトサイダーな役が多かったため一度は断ったそうです。しかしセリフを無くすことを条件として提案したとのことです。この提案が功を奏し大ヒット作となりました。

日活時代に「野良猫ロック」シリーズなどアウトサイダーな役が多かった梶は、“女囚”という設定に「このスタイルから一生抜けられないのか」と迷い、一度は断ったというが、「このヒロインに言葉はいらない」と思いつき、セリフをなくすことを出演条件として提案。

「引用元:ぴあ映画

映画「修羅雪姫」にて主演を務めます。主人公の雪役では蛇の目傘を仕込んだジュラルミン製の約1,5キロある刀使用してアクションに挑んだようです。この作品は後にクエンティン・タランティーノ監督の映画「キル・ビル」シリーズに多大な影響を与えたとのことでした。

クエンティン・タランティーノ監督の映画「キル・ビル」シリーズでは梶芽衣子さんが歌う「修羅雪姫」の主題歌「修羅の花」、「女囚さそり」シリーズの主題歌「恨み節」がエンディングテーマソングに使われたようです。

ねこ太郎

タランティーノ監督は梶芽衣子さんの大ファンなんだって!

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野良猫ロックシリーズが大ヒット。パワフルでちょっとセクシーで、歌が上手くて今見ても70年代のオシャレカッコいい映画に出ている。(40代女性)

ネット上の人物

太田雅子として「残酷おんな私刑」という作品にに出演していたことが印象的です。太田名義ではこの作品が最後だったらしいので特別な作品という感覚が強いです。(30代男性)

ネット上の人物

結婚を機に引退するつもりだったが女優業を続けたことで破談になった。引退の可能性があったことに驚きましたし、男性との約束を守って今もなお独身を貫いているところから芯の強い女性なんだろうなと思ったから。(20代女性)

30代

梶芽衣子の若い頃30代の年表

梶芽衣子さんが30代の頃の代表的なできごとはこちらです。

  • 1978年(31歳):映画「曽根崎心中」にて宇崎竜童さんと主演を務める
  • 1980年(33歳):松本清張原作の映画「わるいやつら」に出演
  • 1983年(35歳):ニューヨークへの旅をきっかけで人生観が大きく変わる

映画「曽根崎心中」では遊女であるお初役の主演を務めました。この作品でキネマ旬報ベスト・テン、毎日映画コンクール、ブルーリボン賞、報知映画賞の主演女優賞を受賞しています。また、モントリオール世界映画祭では審査員特別賞を受賞しています。

78年にヒロインを演じた映画『曽根崎心中』では、松の木に縛られたまま食事も摂らずに2日間徹夜してラストの心中シーンを演じ、映画賞を総なめにする快挙を達成。

「引用元:文春オンライン

映画「わるいやつら」で藤島チセ役を演じました。主人公の愛人として犯罪に加担する役でしたが、ただの悪役ではなく妖艶さや威厳を持つ女性の役として梶芽衣子さんの演技が評価されていたようです。

30代半ばにニューヨークで旅をしていた時、ブロードウェイの役者さんが花売りをしたり、運転手をしている姿を見たようです。主役を務めている役者さんでも次のオーディションまでの間、懸命に働いて生活しているのを見て、オファーが来た仕事は何でも受けようと決意したようです。

なんて自分は甘いんだろう」と痛感し、「いただいた仕事はなんでもやろう!」と固く心に決めたのです。そして帰国した私に舞い込んだドラマの役が、“パン屋住み込みの子持ちのおばちゃん”。それまでの私とは180度異なる役でした。

「引用元:Wendy Net

数々のヒット作で主演も務め成功していながら、「仕事はなんでもやる」と考えれるなんて、女優としても人としても素晴らしい人だと思います。

ねこ太郎

梶芽衣子さんが指名して宇崎竜童さんが主演になったんだって!

梶芽衣子さんファンに聞いた、梶芽衣子さんの30代で印象に残っている出来事

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女囚さそりシリーズが大ヒット。それにあわせて主題歌の「怨み節」も大ヒット。今聞いてもレトロでカッコイイ。まさにクールビューティー(40代女性)

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松本清張の「わるいやつら」という作品がすごく印象的ですね。その後、何度もリメイクされていくことになるのですが脚本が本当に秀逸で面白い作品です。(30代男性)

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宇崎竜童さんに演技を進める。梶芽衣子さんの存在がなかったら俳優としての宇崎竜童さんはいなかったかもしれないと思うと感慨深いものがあるから。(20代女性)

40代

梶芽衣子の若い頃40代の年表

梶芽衣子さんが40代の頃の代表的なできごとはこちらです。

  • 1987年(40歳):体調を崩したことをきっかけで食生活を改善する
  • 1989年(42歳):「鬼平犯科帳」にておまさ役として出演
  • 1989年(42歳):黒澤明監督の映画オファーを二度断る

胆嚢炎を患い、医師から食生活の改善を勧められたようです。若い頃は朝から300グラムのステークを食べるくらいお肉中心の食生活から野菜を多くとるよう改善したとのことです。

お医者さまから『長生きしたかったら、偏食を改めようね。1回の食事の70%は野菜にしてください』って言われました。もう一生お肉は食べられないのかしらと思ったら、1日80グラムまでならいいって」

「引用元:Our Age

ドラマ「鬼平犯科帳」にて1989年放送の第1シリーズ第5話「血闘」にて初出場しました。1989年から始まった鬼平犯科帳は2016年まで28年間にわたり連続ドラマやスペシャルドラマを放送しました。梶芽衣子さんは第1シリーズにからレギュラー出演しています。出演にあたっては自らお願いしたとのことです。

「新聞に吉右衛門さんの鬼平がスタートするという記事があって、自分から“ぜひ私を使って”と願い出たんです。まるで私を待ってくれていたかのように、おまさ役がまだ決まっていなかったの。自分がやれることになって本当にうれしかったです」

「引用元:週刊女性

「鬼平犯科帳」シリーズ出演中には他の作品の掛け持ちができず、多くのオファーを断ったようです。その中には黒澤明監督のオファーもあったようです。映画出演には長期の撮影期間が必要なため「鬼平犯科帳」の撮影スケジュールと両立するのは難しかったようです。

鬼平犯科帳シリーズを優先して、巨匠である黒澤明監督のオファーを断った決断力は、とても強い意志を義理堅い人の印象を受けました。結果として28年間も続く大作にずっと出演できたのですね。

ねこ太郎

マーティン・スコセッシ監督のオファーも断ったんだって!

梶芽衣子さんファンに聞いた、梶芽衣子さんの40代で印象に残っている出来事

アンケート調査結果
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映画よりドラマに出ている。ホームドラマの普通の主婦や町のスナックのママなど日常に溶け込んでいる演じる印象。(40代女性)

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鬼平犯科帳のおまさ役が印象的です。鬼平の空気感に見事にマッチしていてとても良い役柄でしたね。やっぱり時代劇の真髄を鬼平は見事に表現してくれるので今でも大好きです。(30代男性)

ネット上の人物

鬼平犯科帳シリーズのためにオファーを2度断る。厳しいことで有名な黒澤明監督がこれほど惚れ込むなんてやっぱり素晴らしい女優さんなんだなと思ったから。(20代女性)

梶芽衣子の若い頃の髪型は黒髪ストレートロング

梶芽衣子さんの若い頃の髪型といえば、黒髪ストレートロングの髪型を思い出す方も多いのではないでしょうか。

当時の流行りの髪型などではなく、今見ても自然な髪型でとても美人だと思いました。「元祖クールビューティー」と言われているようで、艶のある黒髪がクールな印象でとても魅力的だと感じます。

「野良猫ロック」シリーズや「女囚さそり」シリーズのようなアウトローな役柄を多く演じており、笑顔をみせないクールでミステリアスな印象を与えていたようです。

ねこ太郎

今も根強いファンが沢山いるんだよ!

まとめ

まとめ

今回は、梶芽衣子さんの若い頃の活躍や出来事を、画像とともに振り返りました。

ねこ太郎

年代ごとに印象深い出来事がたくさんあったね!

これからの活動も頑張ってほしいと思います。

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