外国人タレントとして活躍するカイヤさん。
若い頃どんな風貌だったのかや、年代ごとにどんなできごとがあったのか気になるかたも多いと思います。
さっそく、カイヤさんの若い頃の写真やできごと、デビューのきっかけを年代順に振り返ってみましょう。
カイヤのデビューのきっかけや時期は?
カイヤさんのデビューの時期やきっかけは、1980年、18歳の時にアメリカのシカゴでモデル事務所の社長にスカウトされたことです。
当初はバスケットボールの大学へ特待生で入学する予定だったこともあり、お父さんに猛反対されましたが、親友から後押しされてモデルになることを決めたそうです。
スカウトを受けた後、モデル事務所の社長と一緒に住んで1ヶ月後にイタリアへ行き、ミラノで雑誌「Vogue」のモデルとして大抜擢され、18歳でモデルデビューしました。
カイヤさんの海外モデル時代。すごく素敵。 pic.twitter.com/yRoj5rYxIo
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モデルとしてスカウトされたんだね!
カイヤの幼少期は?若い頃の活躍やできごとを年代順に振り返り
カイヤさんの幼少期のエピソードや、若い頃の活躍やできごとを年代順に振り返っていきます。
幼少期
カイヤさんは6歳、小学1年生の時、学校の授業で日本に関する絵本を見たそうです。
その絵本には舞妓さんやサムライ、神社が載っていて、それを見た時に「私日本に行く」と強く心に決めたそうです。
私がまだ幼い6歳の頃に絵本を見て、絶対にいつか日本に行きたいと願った思いは間違っていなかった。
引用元:カイヤオフィシャルブログ
また、9歳の小学4年生の時、1学年上の韓国人の男の子を好きになり、「絶対アジア人の男性と結婚する」と決めたとのこと。
このように、小学生の時のいろんな経験がカイヤさんを日本に結び付けることになったようですね。
小学生の時から日本好きだったんだ!
10代
カイヤさんが10代の頃の代表的なできごとはこちらです。
- 1974~1975年頃(12歳):国のビルを清掃する仕事をした。
- 1980年(18歳):モデル事務所の社長にスカウトされる。
- 1980年(18歳):ファッションモデルとしてデビューする
カイヤさんは1974~1975年頃、12歳の時に国のビルを清掃する仕事をしたそうです。
そして1980年の18歳の時、アメリカのシカゴでお母さんと買い物しているところを、世界で一番有名なモデル事務所「フォード・モデル・エージェンジー」の伝説的な創設者であり社長であるアイリーン・フォードに偶然出会い、スカウトされました。
アイリーン・フォード社長と共にニューヨークで暮らすようになり、1ヶ月後にイタリアへ。ミラノで雑誌「Vogue」のモデルとして大抜擢され、1980年、18歳で「キャロリン・ハイガー」という名義でファッションモデルとしてデビューしました。
カイヤさんが海外モデルとして活躍していた頃。キャロリン・ハイガーというお名前だったのね。 pic.twitter.com/DHX51X3WeY
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カイヤさんの10代は、モデル事務所の社長との運命的な出会いがあり、有名雑誌のモデルとして華々しくデビューした大変重要な時期でした。
社長と偶然出会ってスカウトされるなんてすごい!
カイヤさんファンに聞いた、カイヤさんの10代で印象に残っている出来事
10代の頃にデビューしていなかったことです。10代の記録は残っていないので想像になりますが、デビューしたのはモデルに選ばれた1987年以降。ですので意外にも普通の生活を送っていんだろうと驚きました。(50代男性)
アメリカのシカゴで育つ。テレビをつければカイヤさんが出ていたくらい日本のバラエティを盛り上げていた外国人タレントの一人だったから。(20代女性)
ファッションモデルとして活躍したという事実を知ってやっぱりと思いましたね。スタイル抜群で昔からお綺麗だったので納得です。(30代男性)
20代
カイヤさんが20代の頃の代表的なできごとはこちらです。
- 1987年(25歳):ユニチカスイムウェアのキャンペーンモデルとして日本でモデルデビュー。
- 1990年(28歳):日本のテレビ番組に出演し芸能界デビュー。
- 1990年(28歳):俳優の川崎麻世さんと結婚。
カイヤさんは1987年、25歳の時、ユニチカスイムウェアのキャンペーンモデルとして日本でモデルデビューしました。この時はまだ「キャロリン・ハイガー」名義でした。
カイヤさんの日本デビューはユニチカモデル。 pic.twitter.com/XcOXYnT0Ef
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1990年の28歳の頃には、日本のテレビ番組「痛快!知らぬはオトコばかりなり」に出演し、芸能界デビューしました。有名人と結婚している奥さんとしてオファーがあり出演し、その番組のレギュラーとなりました。
私生活では、1990年の28歳の時、俳優の川崎麻世さんと結婚しました。その前年1989年にカイヤさんは川崎麻世さんとの間に子どもをもうけ、ロサンゼルスで長女の恵斗(アンザ)さんを出産しています。
カイヤさんと川崎麻世さんの結婚式。とても美しい! pic.twitter.com/rwLNqhT3mW
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カイヤさんの20代は、ついに念願の来日を果たし、テレビでも活躍し始めました。また出産や結婚など私生活でも大きな転機を迎えていたことがわかります。
この頃に日本へ来たんだね!
カイヤさんファンに聞いた、カイヤさんの20代で印象に残っている出来事
ユニチカスイムウェアキャンペーンのモデルに選ばれたことです。これがカイヤさんのファッションモデルとして大活躍する第一歩となりましたし、印象的でした。(50代男性)
キャロリン・ハイガーとしてモデルの世界で活躍。ご夫婦としてのイメージが強すぎて、カイヤさん自身の経歴はあまり語られてこなかったと思うから。(20代女性)
川崎麻世さんと結婚したという事実が素晴らしいですね。二人のおしどり夫婦っぷりを見ていたので今の現状がもどかしいですね。(30代男性)
30代
カイヤさんが30代の頃の代表的なできごとはこちらです。
- 1993年頃(31歳頃):「鬼嫁キャラ」として注目されるようになる。
- 1996年(34歳):第2子となる長男を出産する。
- 2001年頃(39歳頃):川崎麻世さんと別居を開始する。
カイヤさんは、1993年頃(31歳頃)から「鬼嫁キャラ」として注目されるようになり、タレントとしての活動を本格的に開始しました。テレビでは面白さから「鬼嫁キャラ」として設定されていましたが、実際は川崎麻世さんからの束縛が強く、仕事を早く辞めてくれと言われていたとのこと。しかし生活費を稼ぐために、周囲から求められるキャラを演じていたそうです。
その後、1996年の34歳の時に、大阪府で第2子となる長男の至恩(ザイオン)さんを出産しました。
30代のカイヤさん。お子さん2人ともかわいい! pic.twitter.com/gUmUsjXBwH
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2000年頃(38歳頃)には、川崎麻世さんと別居を開始しました。川崎さんが「俺は電磁過敏症だ。近くの変電所から来る電磁波のため、ここに住み続けられない」と話し、川崎さんが家出したとのことです。
夫妻と親しい知人によると、川崎が「電磁過敏症」と言い出し、別の場所に時々泊まる必要があると主張。カイヤは引っ越しを提案したが、川崎は金銭的な理由などで拒否。「友人の持つ空き家がある」と頻繁に外泊することを認めさせたという。
引用元:スポニチアネックス
カイヤさんの30代は、タレントとしてのキャリアを確立し、一方で出産や川崎さんとの別居など、芸能活動と私生活の両立が大変だった時期だったと言えるでしょう。
2人目のお子さんが産まれたんだね!
カイヤさんファンに聞いた、カイヤさんの30代で印象に残っている出来事
ワイドショー番組へ出るようになり、鬼嫁キャラという印象が定着したことです。見た目は女神のように美人なのに中身はこうなのかと驚きました。(50代男性)
鬼嫁キャラでバラエティ番組に引っ張りだこ。鬼嫁キャラとして出ていたときの印象がいまだに強烈に残っているから。(20代女性)
笑っていいともでよくカイヤさんが怒っていた姿が印象深いですね。日本語がカタコトなのが可愛らしい感じで最高でした。(30代男性)
40代
カイヤさんが40代の頃の代表的なできごとはこちらです。
- 2002年(40歳):書籍「カイヤのアンチエイジング 」を出版する。
- 2005年(42歳):ネットシネマ「回転 Life is like a merry−go−round」で映画初出演。
- 2006年(45歳):「ハッスル・エイド2006」でプロレスデビューする。
カイヤさんは2002年、40歳の時に、イースト・プレスより書籍「カイヤのアンチエイジング 」を出版しました。
また、2005年の42歳の頃には、回転寿司屋を舞台にしたネットシネマ「回転 Life is like a merry−go−round」で映画に初出演しました。関係者の話によれば、作品の撮影はたった1日の強行スケジュールだったそうです。
2006年、45歳の時、さいたまスーパーアリーナで開催されたプロレス「KYORAKU presents ハッスル・エイド2006 ~ハッスルで地球を救え!~」で小川直也さんとタッグを組み、ジャイアント・シルバ&ジャイアント・バボ組と対戦しました。しかしシルバのジャイアント・プレスを食らい、失神KO負けを喫しました。
『ハッスル・エイド2006』に参戦しプロレスデビューした、カイヤ pic.twitter.com/W3AmGTviWg
— 風化させないbot (@bot05179422) October 16, 2018
――試合の感想をお願いします。
負けた。しょうがないけど、まだまだ勉強しないといけないことがたくさんある。
引用元:ハッスルオフィシャルウェブサイト
プロレスを始めたきっかけは、昔からプロレスを観ていて、ある日子どもとWWEを観ていた時に「いつかリングに1回だけでも人生で入りたかったな」と話したら、子どもに「じゃあなんでやらないの?」と言われたことだそうです。
カイヤさんの40代は、執筆活動や映画出演、プロレス出演など、幅広い分野で活躍した時期だったと言えるでしょう。
子どもに言われてプロレスをやるなんてすごい!
カイヤさんファンに聞いた、カイヤさんの40代で印象に残っている出来事
ハッスル・エイドにてプロレスデビューしたことです。あんな美人がプロレスをするの?身体大丈夫なんだろうか?と驚きました。(50代男性)
プロレスラーとしてデビュー。パワフルな女性のイメージはあったが、プロレスの世界で戦っていたことは初めて知ったから。(20代女性)
ガキの使いで山崎邦正さんと口論を展開していた姿に笑いましたね。あの時の雰囲気がカイヤさんの全盛期だと思いましたね。(30代男性)
カイヤの若い頃の髪型は大きくカールしたセミロング
カイヤさんの若い頃の髪型といえば、大きくカールしたセミロングな髪型を思い出す方も多いのではないでしょうか。
カイヤさんと長男くん。とてもかわいいし美人ママ! pic.twitter.com/SSAcZZpmBy
— sakura (@sakura1879424) November 22, 2024
前髪をかき上げて毛先を大きくブローしたリッチな髪型がカイヤさんにとてもよく似合っていますね。
1990年代、海外の女性の間ではスーパーモデルのシンディ・クロフォードのシグネチャールックである大きくブローしたヘアが流行しました。レイヤーで髪に動きをつけ、ブローをする際は根元からボリュームを出すのが特徴です。
カイヤさんにとっても似合ってる!
まとめ
今回は、カイヤさんの若い頃の活躍や出来事を、画像とともに振り返りました。
年代ごとに印象深い出来事がたくさんあったね!
これからの活動も頑張ってほしいと思います。