女優として活躍する岩下志麻さん。
若い頃どんな風貌だったのかや、年代ごとにどんなできごとがあったのか気になるかたも多いと思います。
さっそく、岩下志麻さんの若い頃の写真やできごと、デビューのきっかけを年代順に振り返ってみましょう。
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岩下志麻のデビューのきっかけや時期は?
1958年、高校在学中に出演したNHKの生放送ドラマ『バス通り裏』で女優デビューしたことがきっかけです。
岩下志麻デビュー作品「バス通り裏」 pic.twitter.com/zpbTRlCekB
— EOS@楽天好き (@naotaro0126) August 15, 2019
父親の知り合いであるNHKのプロデューサーに誘われたことから始まりました。
岩下さんは当初、アルバイト感覚でこの仕事を引き受けたと語っていますが、この経験が彼女の女優人生のスタートとなりました。
1958年、17歳のときにNHKの生放送ドラマ「バス通り裏」でデビューした岩下さんは「1日800円くれるっていうんで、アルバイトのつもりで。高校生だからうれしくてうれしくて」と当時を懐かしむ。
引用元:MANTAN WEB
ご本人はアルバイト感覚といえ、その後の活躍を考えると既に光るものがあったんだね!
岩下志麻の幼少期は?若い頃の活躍やできごとを年代順に振り返り
岩下志麻さんの幼少期のエピソードや、若い頃の活躍やできごとを年代順に振り返っていきます。
幼少期
近代映画 昭和37年7月号 『私の生いたち物語』/十代の頃の岩下志麻さんは成績優秀で、精神科医を志して猛勉強に励んでいましたが、高二で小児リウマチを患い断念。夏休みに訪れたNHKで『バス通り裏』のプロデューサーに一度出てみないかと誘われ、気分転換に出演…それが女優人生の始まりとなりました pic.twitter.com/cu5DVMehOj
— 島倉千代菊 (@wataridori333) November 20, 2019
岩下さんは3歳の時、はしかと肺炎を併発し、生死の境をさまよう大病をされたそうです。
「銀座生まれの吉祥寺育ち。父も母も、ともに新劇の俳優でした。3歳のとき、はしかと肺炎を併発して、生死の境をさまよう大病をしました。そのせいで、両親に溺愛されて育ちました。
引用元:女性自身
学生の頃は精神科医を目指しており、猛勉強をしてその結果、進学校へ入学することもできました。
成績もトップだったのですが、無理がたたってしまい、病に倒れ、精神科医の道は断念されました。
猛勉強で受験を突破し、進学校の都立武蔵高校へ。成績も学年で1番の努力家ぶりだった。しかしこの無理がたたって、病いに倒れてしまう。
引用元:女性自身
幼い頃に大病をされたことは初めて知ったので、驚きました。
学生時代、成績優秀だったんだね!
10代
岩下志麻さんが10代の頃の代表的なできごとはこちらです。
- 1958年(17歳):NHKドラマ「バス通り裏」に出演
- 1960年(19歳):松竹に入社し、映画「笛吹川」や「秋日和」に出演
- 1960年(19歳):映画「乾いた湖」に主演
1958年にNHKの生放送ドラマ『バス通り裏』で女優としてのキャリアをスタートさせました。
当時は女優を目指していたわけではなく、アルバイトのつもりで出演されたそうです。
ドラマ出演を果たしたものの演技の面白さに目覚めた…ということはなく、「1日800円くれるというので、アルバイトのつもりで」と笑いながらぶっちゃけ。
引用元:スポニチ
『バス通り裏』での演技で素質を多くの人の目に留まったことで、松竹に入社し、映画『笛吹川』に出演されました。
その素質は多くの人の目に留まり、木下恵介監督の勧めで松竹に入社。1960年に「笛吹川」で映画デビューする。
引用元:AERAdot.
松竹に入社したと同じ年に、映画『乾いた湖』に主演されました。
『乾いた湖』@シネマヴェーラ渋谷
— わいわい (@fyoshiyoko) March 30, 2022
学生運動は無意味と断じて、テロリスト気取りで体制崩壊を目論む三上真一郎だったが…。
篠田監督の乾き切ったタッチの中で唯一の潤いは新人・岩下志麻✨。
デモ隊を混じって警官隊に突進する彼女の姿は、作品公開少し前に亡くなった東大生・樺美智子さんと重なる。 pic.twitter.com/qYSRfpM0nW
神楽坂の旅館で監督と脚本家と面接をし、主役に抜擢されたとのことです。
神楽坂の旅館で面接をしてもらいました。あのとき主役に抜てきされなかったら、いまの私はありません。
引用元:AERAdot.
ドラマでデビューしてからわずか2年で映画の主役で出演していたなんてすごいですね!
若い頃の岩下さん、とても可愛らしいよね!
岩下志麻さんファンに聞いた、岩下志麻さんの10代で印象に残っている出来事
乾いた湖でデビューしたということを知って早くからスクリーンに出ていたと知りすごいなと思いましたね。やはり彼女は生粋のスターだったのでしょうね。(30代男性)
1958年に、NHKのドラマ『バス通り裏』に脇役で出演する。10代の頃から女優をしていることはすごいと思う。(40代男性)
1958年のNHKドラマ『バス通り裏』に十朱幸代の友人役として出演したことです。これが女優として生きるきっかけにもなったわけですし、印象に残りました。(50代男性)
20代
岩下志麻さんが20代の頃の代表的なできごとはこちらです。
- 1962年(21歳):映画『秋刀魚の味』に出演
- 1967年(26歳):結婚
- 1969年(28歳):映画『心中天網島』に出演
1962年に映画『秋刀魚の味』では主演を務められました。
この映画は小津安二郎監督の遺作でもあります。
後に岩下さんは女優生活の中で宝物のように思っている作品であることを話されています。
小津監督の「秋刀魚の味」に主演というお話をいただいた時は吃驚して、でも本当にうれしかったです。「秋刀魚の味」は、私にとって、女優生活の中で宝物のように思っている作品です。
引用元:映画ナタリー
1967年に映画監督の篠田正浩さんと結婚されました。
岩下志麻様のお誕生日
— 塩まき (@2mNh0) January 3, 2023
「映画という魔物に取り憑かれて、二人で魔物退治してきた人生」と篠田正浩監督。志麻様にはこれからも勇姿を見せていただきたい
篠田監督に「1番綺麗な時に結婚すべき」と口説かれ、嫉妬した五社英雄監督が「女優は結婚したら終い」と悔し紛れに言ったという逸話が大好きです pic.twitter.com/spL9EThXWL
1964年に公開された映画『暗殺』への出演が、結婚のきっかけとなりました。
撮影の打ち上げでナイトクラブに行ったときに篠田さんと踊っていたら突然「あ、この人と結婚する」と思ったのだそうです。
撮影の打ち上げでナイトクラブに行き篠田とマンボを踊っていたら、突然思ったんです。「あ、私この人と結婚する」って。
引用元:婦人公論
1969年に映画『心中天網島』に主演され、二役演じられました。
心中天網島も大好き💕
— 凜Rin (@RinRin161322) March 10, 2018
白黒の世界は新鮮で、生き物のように映る白い吐息が印象的。
篠田監督と岩下志麻さんが表現社を立ち上げて間もない頃。とにかく気合いと集中力とエネルギーが凄っ!!一人二役を見事に演じきった岩下さんに釘付け〰️#岩下志麻 #心中天網島 #表現社 #日本アートシアターギルド pic.twitter.com/C8XJ7oYp3I
「あ、この人と結婚する」と直感的に思った後、結婚のきっかけとなった出来事をお話されているインタビューによると、ナイトクラブで踊りながら「私、監督さんと結婚しそうな気がします」と監督に言ったそうです。
思った直後に、直接本人にすぐ言うくらいだったので、ビビっときたのかもしれないですよね。
心中天網島での二役の演技はすごかったね!
岩下志麻さんファンに聞いた、岩下志麻さんの20代で印象に残っている出来事
秋刀魚の味という映画を見たことがあったのですが岩下さんの姿が本当に美しくて心を奪われましたね。本当に綺麗でときめきます。(30代男性)
1966年に、映画監督の篠田正浩さんと京都のお寺で結婚式をする。映画監督と女優のカップルは少し珍しいと思った。(40代男性)
映画監督の篠田正浩と結婚したことです。まだ20代になったばかりだというのにもう結婚したんだ。しかも相手は映画監督とは!と驚きました。(50代男性)
30代
岩下志麻さんが30代の頃の代表的なできごとはこちらです。
- 1972年(31歳):日本メナード化粧品のCMに出演
- 1973年(32歳):長女出産
- 1977年(36歳):映画「はなれ瞽女おりん」で主演
岩下さんんは1972年から日本メナード化粧品のCMに出演されています。
2000年には28年間というう契約年数がギネスに認定されるほど、長期に渡って出演されています。
そして2023年には51年目を迎えたそうです!
31歳でメナード化粧品の顔となり、今年で51年目を迎えた俳優の岩下志麻さん(82歳)。
引用元:美ST
1973年に出産。
そろそろ子供が欲しいと思っていたところに授かったそうです。
出産直後に娘を抱いたときは、これ以上の幸せがあるかしら、と思いましたね。
引用元:女性自身
1977年に主演された映画『はなれ瞽女おりん』では、岩下さんの演技力と作品への貢献を広く認められ、第1回日本アカデミー賞最優秀主演女優賞を受賞されました。
『はなれ瞽女おりん』(1977)
— 続・池袋らぶせくしー (@RUsrjkCwbF354K8) January 9, 2023
篠田正浩と岩下志麻の最高傑作!生まれつき盲目ゆえ子供の頃から三味線弾きになったおりん。ふしだらと呼ばれ一座を出された彼女の苛烈な人生。旅の途中彼女は初めて本当に愛してくれる男に出会う…岩下志麻がおりんの無垢な魂を生きる奇跡の名演。生涯ベスト級純愛映画 pic.twitter.com/GnUn0Mp7kU
30代の頃からメナード化粧品の顔としてCM等で活躍されていたのですね!
映画やドラマだけでなく、CMでも活躍されている岩下さんはとても魅力的ですよね。
第一回日本アカデミー賞最優秀主演女優賞を受賞されていたんだね!
岩下志麻さんファンに聞いた、岩下志麻さんの30代で印象に残っている出来事
卑弥呼という映画がとても良かったですね。趣を感じられる作品で岩下さんの凛とした雰囲気が最高で魅力的でしたね。(30代男性)
1977年に出演した『はなれ瞽女おりん』で日本アカデミー賞最優秀主演女優賞などを受賞する。30代になっても賞をもらえることはすごいと思った。(40代男性)
1977年に『はなれ瞽女おりん』で第2回報知映画賞主演女優賞を受賞したことです。この頃すでに女優としての実力は高いものになっていたんだなって感じました。(50代男性)
40代
岩下志麻さんが40代の頃の代表的なできごとはこちらです。
- 1981年(40歳):ドラマ『花冷え』に主演
- 1982年(41歳):映画『疑惑』に出演
- 1986年(45歳):映画『極道の妻たち』出演
1981年に、瀬戸内寂聴さんの短編小説「夏の終り」「黄金の鋲」をベースにしたドラマ『花冷え』に主演されました。
1982年には映画『疑惑』に出演されました。
桃井かおりさんと共演されたのですが、ある1シーンで桃井さんが岩下さんに赤ワインを浴びせるシーンが印象的です。
東京出てきて二丁目で行きつけの店を見つけた頃、昔のドラマの話になってその店のママに「むかし桃井かおりと岩下志麻がワイン…」というや否や「疑惑ね。球磨子でしょ。おかまみんな好きよ」って即答された時、全国どこで育ってもおかまが好きなものは同じってことに心底びっくりしたことある。 pic.twitter.com/ds6YEPfYPF
— タカC♂ (@takac417) December 24, 2017
1986年に映画『極道の妻たち』主演されました。
以降シリーズ化され、全16作品のうち、第1作と第4作から第10作まで、長く主演を担当していました。
#主役の女優さんがカッコイイ映画
— やーさん (@ya_san8931) February 28, 2024
『極道の妻たちシリーズ』(岩下志麻)
姐さん! pic.twitter.com/a3xxOXWAlB
「極妻」といえば、岩下さんというイメージがあったのですが、全作品に出演されていたのではなかったのですね。
岩下さんの姐さんは、とても凛としててカッコよかったですよね!
岩下さんといえば「極妻」というほど印象強いよね!
岩下志麻さんファンに聞いた、岩下志麻さんの40代で印象に残っている出来事
極道の妻たちが本当に好きでした。あのドスの効いた声がとても格好良くて岩下さん無くしてこのシリーズは成り立たないと思いますね。(30代男性)
1984年に映画『瀬戸内少年野球団』に出演する。どのような内容の映画であるのか知らないので見てみたい。(40代男性)
映画『極道の妻たち』シリーズに出演するようになったことです。私自身岩下志摩さんというとこの映画のイメージが強いのもあり、印象に残っています。(50代男性)
岩下志麻の若い頃の髪型は前髪を残したアップスタイル
岩下志麻さんの若い頃の髪型といえば、前髪を残したアップスタイルな髪型を思い出す方も多いのではないでしょうか。
NHKドラマ『バス通り裏』 1958年
— う(ま)ブし🏇 (@neo_yamabusi) June 27, 2024
十朱幸代の友人役として出演した、岩下志麻デビュー作。このとき17歳だとか。 pic.twitter.com/9BulbgcqaQ
清楚で可愛らしい、爽やかな印象ですよね。
岩下さんの若い頃はボブスタイルやロングヘアもありましたが、アップスタイルは特に女性らしさを強調するスタイルで人気がありました。
可愛らしい髪型だよね!
まとめ
今回は、岩下志麻さんの若い頃の活躍や出来事を、画像とともに振り返りました。
年代ごとに印象深い出来事がたくさんあったね!
これからの活動も頑張ってほしいと思います。