俳優として活躍する石坂浩二さん。
若い頃どんな風貌だったのかや、年代ごとにどんなできごとがあったのか気になるかたも多いと思います。
さっそく、石坂浩二さんの若い頃の写真やできごと、デビューのきっかけを年代順に振り返ってみましょう。
石坂浩二さんのデビューのきっかけや時期は?
石坂浩二さんのデビューのきっかけは、高校時代の1958年(17歳)にドラマ「お源のたましい」で通行人のエキストラとして出演したことです。
その後、慶應大学在学中の1962年(21歳)にテレビドラマ「七人の刑事」で本格的にデビューしました。
1965年にはNHK大河ドラマ「太閤記」で石田三成役を演じ、これが芸能界での大きな転機となっています。
出演した時の心境が気になりますね!
石坂浩二さんの幼少期は?若い頃の活躍やできごとを年代順に振り返り
石坂浩二さんの幼少期のエピソードや、若い頃の活躍やできごとを年代順に振り返っていきます。
幼少期
石坂浩二さんは1941年6月20日に東京府東京市京橋区(現在の東京都中央区銀座)で生まれ、大田区田園調布で育ちました。
今日はへーちゃん💕(石坂浩二さん)の75歳の誕生日😌🎁🎂
— 演劇ユニット【言葉の動物】作・演出西口千草 (@voLi3BBETekYY0I) June 20, 2016
まさか親みたいな年齢の人に熱を上げるとは思わななんだぜ。
おめでとうございます🎵 pic.twitter.com/Padi5YyLB8
幼少期から裕福な環境で育ち、祖父は元横浜市長の平沼亮三さんでした。
石坂浩二さんは小さき花の幼稚園に通った後、田園調布小学校に進学しています。
幼稚園に入る前から、演劇が好きな祖母に連れられて、頻繁に浅草を訪れていたそうです!
その後の石坂浩二さんの人生や芸術的な感性に大きな影響を与えた背景が感じられますね。
幼少期からの経験が素敵ですね!
10代
石坂浩二さんが10代の頃の代表的なできごとはこちらです。
- 1957年(16歳):慶應義塾普通部(中学)で仲間と演劇部を設立
- 1958年(17歳):ドラマ「お源のたましい」で通行人のエキストラとしてデビュー
- 1959年(18歳):慶應義塾大学に進学
石坂浩二さんは慶應義塾普通部(中学)で仲間と共に演劇部を設立しました。
この活動を通じて演劇への情熱を深め、高校進学後も舞台活動を本格化させています。
17歳でテレビドラマ「お源のたましい」に通行人のエキストラとして出演し、俳優としての第一歩を踏み出しました!
この経験が後の俳優活動の基盤となっているそうです。
高校卒業後、慶應義塾大学法学部法律学科に進学しました。
在学中も俳優活動を続け、その後のデビューにつながっています。
若い頃から積み重ねてきた経験と努力が、後の俳優としての輝かしいキャリアにつながったことがよくわかりますね。
石坂浩二さんは、東京市京橋区(現:東京都中央区銀座)生まれの大田区田園調布出身。慶應義塾普通部、慶應義塾高等学校、慶應義塾大学卒業。
— いたがき歯科クリニック (@itagakishika) November 16, 2024
元関東明治屋商事株式会社(現:明治屋)取締役の武藤吉二は父。元横浜市長の平沼亮三は外祖父、元ポニーキャニオン常務取締役の渡辺有三は従弟。
本物の良家 pic.twitter.com/s4JP61rf0p
学生の頃から多忙ですね!
石坂浩二さんファンに聞いた、石坂浩二さんの10代で印象に残っている出来事
ドラマ「お源のたましい」にエキストラとして出演。エキストラから今や日本ドラマ界の重鎮的存在になっているなんて夢がある話だから。(20代女性)
高校時代にドラマのエキストラとしてデビューしたということを聞いて驚きましたね。この頃から名俳優の片鱗が現れていたのでしょうね。(30代男性)
慶應義塾大学法学部へ入学したことです。クイズ番組に出演している様子を見た感じだと頭が良いだろうと思っていましたけど、まさかここまでとは思っておらず驚きました。(50代男性)
20代
石坂浩二さんが20代の頃の代表的なできごとはこちらです。
- 1965年(24歳):NHK大河ドラマ「太閤記」出演
- 1967年(26歳):劇団四季入団
- 1969年(28歳):NHK大河ドラマ「天と地と」で上杉謙信役として初主演を務める
石坂浩二さんは大学在学中に「太閤記」で石田三成役を演じ、大河ドラマで初めて役付きの出演を果たしました。
昭和40年(1965年)放送の大河ドラマ『太閤記』で石坂浩二さん(当時23歳)が演じたのは「石田三成」#大河ドラマ #太閤記 #石田三成 #石坂浩二 pic.twitter.com/WS6N6ItiEO
— 歴史キング (@rekishi_king) September 13, 2023
この配役は「頭が良さそうに見える」という理由で写真審査のみで決定されたそうです!
出演に際し、大学には「留年しても文句を言わない」という誓約書を提出したみたいです。
また、26歳で「泥棒たちの舞踏会」出演時に浅利慶太さんからスカウトされ、劇団四季に入団しました。
演出部に所属し、浅利慶太さんのサポートを務める一方、自ら台本や作詞も手がけていたようです。
さらに、28歳ではNHK大河ドラマ「天と地と」で上杉謙信役として初主演を務めました!
今日6月20日は俳優 石坂浩二さんの83歳のお誕生日です。俳優としてテレビ、映画など幅広く活躍。大河ドラマでは「天と地と」など3本主演。映画「犬神家の一族」など金田一耕助シリーズや時代劇「暗闇仕留人」の糸井貢役などに出演。ウルトラQやウルトラマンなどのナレーターとしても有名。 pic.twitter.com/QZwzyq6ytr
— 松木 秀憲 (@ddg175myoukou88) June 20, 2024
本作は大河ドラマ初のカラー作品であり、武田信玄役の高橋幸治さんとの対比が話題となっています。
石坂浩二さんの20代の活躍は、俳優としての才能と努力、そして石坂浩二さん自身の人間的な魅力を強く感じさせます。
俳優への熱意が伝わってきますね!
石坂浩二さんファンに聞いた、石坂浩二さんの20代で印象に残っている出来事
劇団四季に入団し、演出のサポートを担当。出演だけでなく制作にも携わっていたという事実は初耳だったから。(20代女性)
青春太郎という映画がとても印象的ですね。石坂さんの芝居の間の取り方が本当に上手いのでその部分に注目してほしいですね。(30代男性)
出演中に倒れ、胃潰瘍と診断されたことです。この頃の石坂さんはまだ20代ですし、それなのに胃潰瘍を患ってしまうのかと驚きました。(50代男性)
30代
石坂浩二さんが30代の頃の代表的なできごとはこちらです。
- 1971年(30歳):浅丘ルリ子さんと結婚
- 1975年(34歳):NHK大河ドラマ「元禄太平記」で主演
- 1979年(38歳):NHK大河ドラマ「草燃える」でW主演
石坂浩二さんは1971年に女優の浅丘ルリ子さんと結婚しました。
『石坂浩二・浅丘ルリ子婚約/スター千一夜』
— カントク (@kantokuflash) July 30, 2024
1971年に結婚した石坂浩二と浅丘ルリ子の婚約時の放送回。(1991年のスター千一夜特番より)
本当に浅丘ルリ子が好きなんだなとよく分かる石坂浩二の様子が、誠実な人柄をよく表している。
美男美女の結婚、当時は物凄く話題になったものだ。… pic.twitter.com/cBgQax6yXC
二人はドラマでの共演をきっかけに交際を始めたそうです!
1975年ではNHK大河ドラマ「元禄太平記」で、柳沢吉保役として主演を務めています。
昭和老人の嗜み、幼少期から忠臣蔵は沢山観ましたがNHK大河「元禄繚乱(1999)」が好き。感情が制御できないバカ上司の逆ギレで地獄を見る部下一同。礼儀作法に厳しい風流人・吉良上野介を演じる石坂浩二が絶品。役柄&兵ちゃん本人が無作法無粋無教養な田舎者が大嫌いな苛立ちが伝わってきます #忠臣蔵 pic.twitter.com/R55BGFihQH
— 黒太 (@6161kurota) December 14, 2022
この作品は忠臣蔵をテーマとしており、江戸幕府側からの視点で描かれました。
石坂浩二さんの演技は高く評価され、俳優としての地位をさらに確固たるものになっています。
1979年のNHK大河ドラマ「草燃える」では、源頼朝役として岩下志麻さんとW主演を果たしました!
この作品は北条政子や源氏3代による鎌倉幕府樹立を描き、高い視聴率を記録しています。
石坂浩二さんの30代の歩みは、俳優としてのキャリアをさらに飛躍させるとともに、私生活でも大きな転機を迎えた時期だったと言えますね!
大河ドラマでも大活躍ですね!
石坂浩二さんファンに聞いた、石坂浩二さんの30代で印象に残っている出来事
浅丘ルリ子さんとの結婚。やすらぎの郷というドラマで共演されていて、まさかご結婚されていたとは知らなかったから。(20代女性)
Yの悲劇という作品がとても印象深いです。石坂さんの魅力がてんこ盛りでファンだったら一見の価値ありですね。(30代男性)
映画『犬神家の一族』の金田一耕助役を演じたことです。これはすごく印象に残っています。謎だらけの難事件を見事解決していく名探偵役を見事演じ切ったのが素敵でした。(50代男性)
40代
石坂浩二さんが40代の頃の代表的なできごとはこちらです。
- 1983年(42歳):NHK大河ドラマ「徳川家康」に出演
- 1983年(42歳):映画「細雪」に出演
- 1988年(47歳):「劇団急旋回」を結成
石坂浩二さんは1983年に放送されたNHK大河ドラマ「徳川家康」に出演しています。
この作品は1983年1月9日から12月18日まで放送され、徳川家康の生涯を描いた大作でした。
納屋蕉庵役を演じ、主演の滝田栄さん演じる徳川家康を支える重要な役割を果たしました。
1983年5月21日に公開された映画「細雪」では貞之助役として出演しています。
この作品は谷崎潤一郎さんの同名小説を市川崑監督が映画化したもので、名家に生まれ育った四姉妹の物語を描いています。
豪華キャストが集結し、石坂浩二さんの演技も高く評価されたそうです!
さらに1988年では「劇団急旋回」を結成しました。
【新入荷】石坂浩二関連パンフレット2点 ●『花咲ける騎士道』1971 出演/石坂浩二、那智わたる ●石坂浩二が主宰したミュージカル劇団 急旋回『ユノーの休日』1989 作・演出/石坂浩二 https://t.co/sQAFyg53kD pic.twitter.com/VP58jcorMw
— 路地裏 誠志堂 (@kajikawa_w) May 26, 2017
この劇団は石坂浩二さん自身の脚本・演出によるオリジナルミュージカルを上演することを目的としています。
実際には1983年に「IME(石坂ミュージカル・エンタープライズ)附属ミュージカル研究所」として活動を開始し、1988年に「劇団急旋回」と名称を変更して本格的な活動を始めました。
劇団は定期的に作品を発表し、1990年にはニュージーランド公演も行うなど、国内外で注目を集めたそうです!
俳優としての活躍に加え、創作者としての才能を発揮した時期だったことがよくわかりますね。
多方面での活躍がすごいです!
石坂浩二さんファンに聞いた、石坂浩二さんの40代で印象に残っている出来事
劇団急旋回を結成。脚本や演出そして劇団の座長まで経験されていて、その活躍の幅広さに恵まれた才能を感じたから。(20代女性)
渡る世間は鬼ばかりのナレーションがかなり印象深いですね。落ち着いたトーンで視聴者を心から楽しませてくれていたので最高でした。(30代男性)
「劇団急旋回」を結成したことです。ここから脚本・演出等を自ら手掛けるようになり、なんでもできる人なんだな~とその多才っぷりに驚きました。(50代男性)
石坂浩二さんの若い頃の髪型は七三分け
石坂浩二さんの若い頃の髪型といえば、七三分けの髪型を思い出す方も多いのではないでしょうか。
6月20日は石坂浩二さんの誕生日🎂
— のりしお (@bluetopaz_nrk) June 20, 2020
昔、職場の若い女の子に「石坂浩二って大学教授かなんかなのに、演技うまいですよねぇ。」と言われて、いやいやいや(笑)ってなりました。世界ウルルン滞在記ぐらいしか知らなかったのかな😅 おめでとうございます🎉#石坂浩二 @retoro_mode pic.twitter.com/HErfAwzIVG
その当時に流行っていた髪型みたいで、清潔感と知的なイメージを与える髪型ですね!
その頃の流行の髪型はマッシュルームカットや長髪(モッズルック)などのようです。
マッシュルームカットはビートルズに影響を受けたスタイルで、長髪(モッズルック)は世間へのアンチテーゼとしての意味合いを持っていたそうです!
七三分けのイメージが強いですね!
まとめ
今回は、石坂浩二さんの若い頃の活躍や出来事を、画像とともに振り返りました。
年代ごとに印象深い出来事がたくさんあったね!
これからの活動も頑張ってほしいと思います。