井川意高の若い頃の写真がイケメンすぎる!昔の髪型は七三分けだった!

元実業家として活躍する井川意高さん。

若い頃どんな風貌だったのかや、年代ごとにどんなできごとがあったのか気になるかたも多いと思います。

さっそく、井川意高さんの若い頃の写真やできごと、デビューのきっかけを年代順に振り返ってみましょう。

著:堀江貴文, 著:井川意高
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目次

井川意高のデビューのきっかけや時期は?

デビューのきっかけや時期

元「大王製紙」3代目の井川意高さん!1964年製紙会社である大王製紙の創業家の3代目として生まれたことが実業家になるきっかけとなったようです。1988年に大王製紙入社後、社内にてキャリアを積まれ、2007年6月大王製紙の代表取締役社長に就任されました。

ねこ太郎

「ティッシュ御曹司」と称されているよ!

井川意高の幼少期は?若い頃の活躍やできごとを年代順に振り返り

井川意高さんの幼少期のエピソードや、若い頃の活躍やできごとを年代順に振り返っていきます。

幼少期

1964年井川高雄さんの長男として京都府に生まれ、小学校入学直前までアメリカで過ごしました。帰国後は、大王製紙の四国本社がある愛媛県に戻ります。その後、家族とともに東京へ引っ越し、渋谷区立大向小学校(現:渋谷区立神南小学校)に転入しました。

日本とアメリカを行き来するグローバルな環境で過ごされたことがわかりますね。

ねこ太郎

小5で受けた模擬試験で全国2位になるほど成績が良かったそう!

10代

井川意高さんが10代の頃の代表的なできごとはこちらです。

  • 1977年(12歳):中学受験の際には、筑駒と麻布を併願し、両校に合格
  • 1977年(12歳):筑波大学附属駒場中学校・高等学校へ入学
  • 1983年(18歳):東京大学法学部に現役合格し入学

井川意高さんは、中学受験の際、「麻布中学校・高等学校」と「筑波大学附属駒場中学校・高等学校」を併願しました。どちらの学校も東京都内の有名な中高一貫校ですよね。

両方合格した井川意高さんは、筑波大学附属駒場中学校・高等学校に進学しました。駒場は、東京大学への進学者が7割を超える年もあるという超名門校です。

その後、井川意高さんも現役で東京大学法学部に入学されました。

ねこ太郎

エリート街道まっしぐらだね!

井川意高さんファンに聞いた、井川意高さんの10代で印象に残っている出来事

アンケート調査結果
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筑波大学附属駒場高等学校を卒業する。レベルの高い高校に通っていたのだから、当時から頭も良かったのだと思う。(40代男性)

ネット上の人物

東京大学法学部に合格したことです。大王製紙の御曹司っていうイメージの強い井川さんですけど、東大合格を果たすなんて勉強もすごく出来た人なんだなと驚きました。(50代男性)

ネット上の人物

東京大学法学部に入学したということを知って驚きましたね。それだけの頭の良さがあったからこれだけの人格者になったのでしょうね。(30代男性)

20代

井川意高の若い頃の20代の年表

井川意高さんが20代の頃の代表的なできごとはこちらです。

  • 1987年(22歳):大原簿記専門学校で1年間学ぶ
  • 1988年(23歳):大王製紙に入社
  • 1988年(23歳~):工場などの現場で経験を積む。

井川意高さんは、東京大学法学部卒業後、大原簿記専門学校で1年間学びました。

その後、1988年に父・井川高雄さんが代表取締役社長を務める大王製紙に入社しました。

具体的な社内でのキャリアについては公開されていませんが、代表取締役社長に就任されることから、入社後はさまざまなポジションで活躍されていたということは確実でしょう。

大原簿記専門学校で簿記2級まで学ばれたそう。もともとの才能だけではなく、しっかり努力されていたのですね。

ねこ太郎

入社後は現場を経験していたんだね!

井川意高さんファンに聞いた、井川意高さんの20代で印象に残っている出来事

アンケート調査結果
ネット上の人物

1988年に大王製紙の社員になる。父親が大王製紙の経営者だったので、井川意高さんが大王製紙に入社したことも自然であると思う。(40代男性)

ネット上の人物

大学卒業後、大原簿記学校で1年間学んだことです。てっきり大学卒業後すぐに大王製紙へ入社すると思っていたので、仕事に向けて色々学んでおこうという慎重な一面もあるんだと驚きました。(50代男性)

ネット上の人物

大王製紙に入社したということを知ってびっくりしました。かなりの大手ですから本当に仕事ができたのでしょうね。(30代男性)

30代

井川意高の若い頃の30代の年表

井川意高さんが30代の頃の代表的なできごとはこちらです。

  • 1994年(30歳):大王製紙本社の専務取締役に抜擢
  • 1998年(34歳):代表取締役副社長に就任
  • 1999年(35歳):経営手腕を発揮し順調にキャリアを積む

井川意高さんは、大王製紙入社しわずか8年後、30歳の若さで専務取締役に抜擢されました。

その後、1998年には代表取締役副社長に就任します。

役員を歴任し、大王製紙での経営手腕を発揮し、会社の改革に尽力していました。

「一番取り組んだ1年は夏休みと正月休みしか取らなかったですね。土日も全部出勤してました。仕事をやるんだったら、一回は極限までしないと、見えてくるものがないと思う」

引用元:スポニチ

もともとの頭の良さではなく、業務改善のため徹底的な取り組みを行っています。この姿勢が赤字事業の立て直しに貢献したのではないでしょうか。

ねこ太郎

順調にキャリアを積んでいったんだね!

井川意高さんファンに聞いた、井川意高さんの30代で印象に残っている出来事

アンケート調査結果
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1998年に大王製紙の代表取締役副社長になる。30代で副社長になったのだから、周りから期待されていたのだと思う。(30代男性)

ネット上の人物

1998年に代表取締役副社長に就任したことです。入社したのは1988年ですし、わずか10年で副社長となるなんて凄いなって驚きました。(50代男性)

ネット上の人物

1998年に副社長になったということを知って本当にすごいなと感じましたね。なかなかそこまで上り詰めることはできないと思うのですごいです。(30代男性)

40代

井川意高の若い頃の40代の年表

井川意高さんが40代の頃の代表的なできごとはこちらです。

  • 2007年(42歳):5代目代表取締役社長に就任
  • 2010年(46歳):大王製紙子会社7社から総額106億8000万円を個人的に借り入れる
  • 2011年(47歳):東京地検特捜部に会社法違反容疑(特別背任)で逮捕

井川意高さんは、2006年子会社である名古屋パルプの社長を1年間勤め上げ、大王製紙の家庭紙事業部に常務取締役として戻ります。みごと経営を黒字転換させ、2007年に5代目代表取締役社長に就任されました。

社長就任から約2年経過した頃、シンガポールやマカオのカジノへと通うことが習慣になっていました。巨額の損失を出し、2010年~2011年9月の間に、大王製紙子会社7社から総額106億8000万円の借り入れを行っていたそうです。

これらの事実が、2011年9月に明るみになり、同年東京地検特捜部に会社法違反容疑(特別背任)で逮捕されました。

赤字経営を立て直す経営者としての手腕を発揮し、業績改善を実現させた井川意高さん。一方で、カジノでは、興奮や刺激を求めて、徐々にのめり込んでいってしまったようです。その結果、現役社長が巨額の損失を出し、最終的には違法行為にまで及んでしまうという衝撃的な事件となりました。

ねこ太郎

世間を騒がすビックニュースだね!

井川意高さんファンに聞いた、井川意高さんの40代で印象に残っている出来事

アンケート調査結果
ネット上の人物

2007年に大王製紙の5代目の社長に就任する。40代の前半で大企業の社長になったのだから、経営の才能もあったのだと思う。(30代男性)

ネット上の人物

カジノで106億8000万円をつぎ込んだ大王製紙事件で有罪判決を受けたことです。カジノで遊興する際の掛け金欲しさに106億円も不正をしたことに驚愕しました。(50代男性)

ネット上の人物

子会社名古屋パルプの社長を少しの間務めたということを知って、いろいろなことにチャレンジしていたんだなということを感じました。(40代男性)

井川意高の若い頃の髪型は七三分けだった

井川意高さんの若い頃の髪型といえば、七三分けの髪型を思い出す方も多いのではないでしょうか。

ビジネスシーンにふさわしい、清潔感があり、爽やかな髪型ですね。

平成後期に入り、スマートフォンが普及し、SNS等の利用が増加しました。こうした背景からすっきりとした爽やかな髪型が好まれるようになったのかもしれませんね。

ねこ太郎

洗練された雰囲気でかっこいいね!

まとめ

まとめ

今回は、井川意高さんの若い頃の活躍や出来事を、画像とともに振り返りました。

ねこ太郎

年代ごとに印象深い出来事がたくさんあったね!

これからの活動も頑張ってほしいと思います。

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