歌手として活躍する保科有里さん。現在は夢グループの通販CMで石田社長と共演している姿をよく目にしますね。
若い頃どんな風貌だったのかや、年代ごとにどんなできごとがあったのか気になるかたも多いと思います。
さっそく、保科有里さんの若い頃の写真やできごと、デビューのきっかけを年代順に振り返ってみましょう。
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保科有里のデビューのきっかけや時期は?

石川県金沢市出身の保科有里さんは、高校生の時、フジテレビのオーディション番組『君こそスターだ!』で合格します。
その後、20歳の時『NHKのど自慢』の金沢地区大会で優勝。
32歳の時、作曲家の三木たかしさんに師事し、『神無月に抱かれて』で歌手デビューを果たしました。

若い頃から歌がとっても上手だったんだね!
保科有里の幼少期は?若い頃の活躍やできごとを年代順に振り返り

保科有里さんの幼少期のエピソードや、若い頃の活躍やできごとを年代順に振り返っていきます。
幼少期
保科有里さんは、幼少期から踊り、琴、オルガン、ピアノを習い、民謡では民舞の名取まで取得しています。
この頃からすでに、多方面から音楽に触れて、才能を開花させていったんですね。

幼少期から多才だったんだね!
10代

保科有里さんが10代の頃の代表的なできごとはこちらです。
- 1968年(6歳):金沢大学附属小学校、金沢大学附属中学校在籍
- 1978年(17歳):オーディション番組『君こそスターだ!』で合格
- 1979年(18歳):地元の自動車ディーラーに就職
地元ではレベルが高いと言われていた国立の金沢大学附属小学校に入学を果たします。この頃、そろばんで3級を取得。幼少期に引き続き、音楽や踊りなどの習い事をしていたそうです。
高校2年生の時、フジテレビのオーディション番組『君こそスターだ!』で見事合格を果たしています。それを機に、歌謡学校に通い、歌の技術を磨いていきます。
ラブアタック!(ABC発ANB系)ですね😃
— Kinsho@㊗️AKB48・9期生15周年🎊 (@knj30312) August 4, 2024
ちなみに裏のフジテレビは、ナベプロ等とタッグを組んだオーディション番組「君こそスターだ!」でした。但しネット局数は、「スター誕生!」(日テレ)より少なかったそうです pic.twitter.com/KeUJoh9HJc
高校卒業後は、地元の自動車ディーラーに就職します。このOL時代に経験した給料計算や運転技術は、後に役立ったと本人が語っているほど、貴重な経験になったそうです。
保科有里さんは1993年「神無月に抱かれて」で歌手デビュー。歌謡曲からジャズまで幅広く歌いわれる、またCM、テレビ、ラジオ、ホテルラウンジ、ライブ等で活動。「夢グループ」2008年に夢グループへ移籍。CMは「愛人ぽくやってください」と数回取り直したそうです。 pic.twitter.com/epAG9MI0cE
— 襷田薫 (@2024sukita) August 5, 2024
高校生で有名なオーディション番組に合格していた保科有里さん。この頃から歌手への夢が芽生え始めたのかもしれませんね。

『君こそスターだ!』では、高田みづえさんや石川ひとみさんが合格、デビューをしてるんだって!
保科有里さんファンに聞いた、保科有里さんの10代で印象に残っている出来事


高校卒業後、地元金沢の自動車ディーラーに就職して普通にOLをしていたことです。芸能人として活躍して保科さんですけど、意外にもOLしていた時期があったんだと驚きました。(50代男性)

フジテレビの君こそスターだ!に合格。CMでお見かけするようになったのが最近の話なので、こんなに前からテレビに出ていらっしゃったと知って驚いたから。(20代女性)

フジテレビのオーディション番組に合格したというのがすごいですね。昔の番組はかなりガチ感が強かったのでそれをくぐり抜けたのは本物ですね。(30代男性)
20代

保科有里さんが20代の頃の代表的なできごとはこちらです。
- 1981年(20歳):『NHKのど自慢』の金沢地区大会で優勝
- 1985年(25歳):働きながら歌手活動を続ける
- 1988年(27歳):上京して本格的に歌手の道を目指す
歌の勉強を続けてきた保科有里さんは、20歳の時、地元で開催された『NHKのど自慢』で優勝します。そのときに歌った曲は大橋純子さんの『シルエットロマンス』だったそうです。
#791ノスタルジータイム #朝リズム
— ばってんりべろ ちゃん(りべろちゃん) (@mFcClIzzpoXCwRS) January 15, 2025
聞こえ来ました
出力20ワットの
コールサイン
田﨑さんありがとうございます🙇
おはようございます☺
大橋純子さん
シルエットロマンス🎶 pic.twitter.com/7jYfJOQaoj
20代半ば、保科有里さんは働きながら、本名「嶋一美」として地元で歌手活動をしていたそうです。
27歳の時、転機が訪れます。テレビ朝日系のオーディション番組『日本ノンプロ歌謡大賞』の本選に出場。大手のプロダクションからスカウトを受けます。しかし、実家の借金の問題があり、スカウトの話が立ち消えてしまいます。
これを機に、本格的に歌を極めてプロの道に進む決意を固め、上京をしました。
これまで様々なオーディションや番組で、その歌声を認められてきた保科有里さんですが、なかなかデビューまでの道のりは険しかったんですね。

安定を手放して、上京を決意した気持ちがすごい!
保科有里さんファンに聞いた、保科有里さんの20代で印象に残っている出来事


上京したことです。なんだかんだと親元や地元を離れるってなると、並大抵の覚悟では出来ません。一世一代の勝負に出たんだなって感じました。(50代男性)

自動車販売会社に就職。買い手の心を動かす話術は会社員時代に培われたものなのかもしれないと、今の活動に通じる部分を感じたから。(20代女性)

のど自慢に出演し見事優勝を果たしたという話を聞いてやっぱり昔から歌がうまかったんだなという印象が強まりましたね。(30代男性)
30代

保科有里さんが30代の頃の代表的なできごとはこちらです。
- 1990年(29歳):作曲家三木たかしさんに師事
- 1993年(32歳):デビュー曲『神無月に抱かれて』リリース
- 1995年(35歳):ホテルのラウンジで様々なジャンルの曲を歌う
上京後、作曲家の三木たかしさんのもとで下積みとして、かばん持ちと運転手をします。この頃、レコーディングやステージなど様々な音楽シーンから影響を受け、感性を磨いていったそうです。
三木たかしさんに師事して3年。保科有里さんは曲を作ってもらい、レコード会社に持ち込み、見事『神無月に抱かれて』でデビューを飾ります。その後、『NE-KO』リリースします。
2月22日っぽい8cmCDを見つけました。
— カーG (@yunkahara) February 22, 2021
「NE-KO」保科有里
歌いだしが“ミャーン ミャーン”でした。 pic.twitter.com/JY5jPQ0c9u
3作目、『バス・ストップ2』をリリース。この頃は、ホテルのラウンジでカーペンターズなどの洋楽や様々なジャンルの曲を歌っていたそうです。
夢グループの社長の隣にいる演歌歌手、保科有里さんを調べていたら、ミスチルの「抱きしめたい」と歌詞が酷似していると話題になった「ぬくもり」を歌った平浩二さんの曲、「バス・ストップ」の続編「バス・ストップ2」を歌ってらっしゃいました pic.twitter.com/1dziOGT3nn
— 小栗旬筋太郎 (@ogurishun_szt) August 2, 2020
30代でデビューの夢を叶えた保科有里さん。ヒット曲には恵まれなかったようですが、諦めないで自身の想いを貫く強さ、尊敬しますね。

三木たかしは『アンパンマンのマーチ』の作曲者なんだよ~!
保科有里さんファンに聞いた、保科有里さんの30代で印象に残っている出来事


「神無月に抱かれて」の曲をリリースしたことでね。これが初のシングルCDとなりますし、歌手として活動を始めたんだって実感できました。(50代男性)

作曲家の三木たかしに師事し、歌手デビュー。アンパンマンで有名な三木たかしさんという意外な方と接点があったから。(20代女性)

バスストップ2という楽曲がとても好きですね。祖母の家で初めてこの楽曲に触れたのですがとても胸に沁みました。(30代男性)
40代

保科有里さんが40代の頃の代表的なできごとはこちらです。
- 2002年(41歳):ベストアルバム『Monologue』をリリース
- 2008年(45歳):夢グループへ移籍
- 2009年(46歳):『夢のスター歌謡祭』に出演し、全国各地を巡る
デビュー10周年を記念して、ベストアルバム『Monologue』が発売されました。カバー曲も収録されているアルバムは、保科有里さんの歌唱力が際立つ作品になっています。
保科有里と言えば 『monologue』 #保科有里 https://t.co/8smoYJIEP2 pic.twitter.com/sAlWLcbf5F
— 芸能怪獣 ニュースカ β (@newsuka) August 1, 2017
ベストアルバムが発売されるも、大きな実績もない中で、ホテルのラウンジで歌う日々を過ごしていたそうです。コンサートも自分で会場手配からチケット作成まで行っていたといいます。
そんな中、知り合いのディレクターから夢グループ社長、石田重廣さんを紹介されます。その後、夢グループへ移籍。保科有里さんの運命を変える出会いでした。
移籍後は、『夢のスター歌謡祭』に司会として出演。日本各地を巡り、コンサートを開催しています。
夢グループのニュースで思い出した。今夜、尼崎のアルカイックホールで夢スター歌謡祭がある。あいざき進也さんとかフィンガー5 晃さんとか保科有里さんとか知ってる豪華スターが14人も来て3,000円。何が凄いかというと同じメンバーで今日の13時から高槻市内で歌謡祭をしていること。 pic.twitter.com/rcfKaOvPjr
— ねこ1号 (@neko1go) May 23, 2024
また、夢グループの通販CMでの石田社長との掛け合いも、保科有里さんの知名度を上げた大きな要因でしょう。
夢グループのCM初めてTVで観れた🤣🤣🤣
— ♨️ToshLOVE🎀Aloha⛄️ (@Toshlove_aloha) February 25, 2025
昨夜の録画(志村けんの爆笑ベストコント30)でだけど笑笑😎🤚⁾⁾
手の動きがとしくんよりやや早めだった🤣ウケる笑笑 pic.twitter.com/1KLNMJBtiO
実力と運を味方につけて、大きく飛躍した40代だったのではないでしょうか。歌手活動をひたむきに続けてきたこれまでの努力や苦労が報われて本当に嬉しくと感じました。

石田社長とはまさに運命の出会いだったんだね!
保科有里さんファンに聞いた、保科有里さんの40代で印象に残っている出来事


ベストアルバム「Monologue」をリリースしたことです。これまで歌手とした活動してきた証が詰まったようなCDですし、ベストアルバムを出せるまでになったんだと驚きました。(50代男性)

夢グループへ移籍。保科さんを初めて拝見したのが夢グループのCMだし、今でもそのイメージが一番強いから。(20代女性)

さくらの花よ泣きなさいという楽曲がとても印象に残っています。なんだか懐かしさを感じるような雰囲気がとても魅力的で最高です。(30代男性)
保科有里の若い頃の髪型は、当時流行りのソバージュヘアー

保科有里さんの髪型といえば、おくれ毛が素敵なアップの髪型を思い出す方も多いのではないでしょうか。
保科有里著『愛人!? 困っちゃう…』
— ヂョー (@dyo_) August 8, 2023
Contents
第一章 「愛人」じゃなくて「社長と社員」!
第二章 金沢・我が街
第三章 なぜか、昔から「愛人キャラ」と誤解(略)
第四章 夢コンサート、そして出会ったスターの方々
第五章 ヒット曲もない私が、30年以上(略)
1,650 円か…。やっすぅ〜い pic.twitter.com/RcSOqCd3gw
実は、ご自分で染め、カット、ヘアアレンジをしているそうです。器用ですよね。
デビュー当時の髪型は、当時流行していたソバージュヘアーでした。
— sakura (@sakura1879424) February 26, 2025

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まとめ

今回は、保科有里さんの若い頃の活躍や出来事を、画像とともに振り返りました。

年代ごとに印象深い出来事がたくさんあったね!
これからの活動も頑張ってほしいと思います。