タレントとして活躍する北斗晶さん。
若い頃どんな風貌だったのかや、年代ごとにどんなできごとがあったのか気になるかたも多いと思います。
さっそく、北斗晶さんの若い頃の写真やできごと、デビューのきっかけを年代順に振り返ってみましょう。
北斗晶のデビューのきっかけや時期は?
北斗晶さんのデビューのきっかけは、ひいおばあちゃんがプロレス好きで幼少期からプロレスに親しんでいたこと、また高校の親友がプロレスファンで、その親友に誘われて、新日本プロレスの道場を訪れたことです。
「新日本プロレスさんの道場に休みの日に行けば練習している選手に会えるから一緒に行こうよ、付き合ってと言われて言ったんです。その時に出てきたこの人(佐々木健介)の先輩になる人なんですけど、私の方に歩いてきて、“彼女何やってるの?いい体してるね。女子プロレスラーになったら?”」と選手から話しかけられた
スポニチAnnex
さらに、帰宅後、テレビをつけると女子プロレスの新人紹介がダイジェストで流れており、それを見て「絶対、私の方が強い」と思い、プロレスラーを目指すきっかけになったそうです。
もともと体育教諭を目指してたんだって!
北斗晶の幼少期は?若い頃の活躍やできごとを年代順に振り返り
北斗晶さんの幼少期のエピソードや、若い頃の活躍やできごとを年代順に振り返っていきます。
幼少期
北斗晶さんは、1967年に埼玉県北葛飾郡吉川町(現在の埼玉県吉川市)の農家に3姉妹の次女として生まれました。ひいおばあちゃんがプロレス好きで、北斗晶さんの姉もプロレスファンだったこともあり、幼少期からプロレスに親しんだ環境で育ちました。
この頃、プロレスラーになるとは考えていなかった北斗晶さん。プロレスに親しんだ環境で育った背景が、のちのプロレスラーとしての道を歩むきっかけの1つだったのかもしれません。
家族の影響も大きかったのかもしれないね!
10代
北斗晶さんが10代の頃の代表的なできごとはこちらです。
- 1983年(15歳):神田女学園高等学校に進学
- 1983年(16歳):全日本女子プロレスのオーディションを受ける
- 1985年(17歳):高校を中退し、全日本女子プロレスに入門
北斗晶さんは、1983年にソフトボールの推薦で神田女学園高等学校に進学しました。高校で仲良くなった友人がプロレスファンで、その友人に誘われて新日本プロレスの道場を訪れ、プロレスに興味を持ち始めます。
1983年、16歳のときに全日本女子プロレスのオーディションを受け、3,500人の応募者の中から10人に選ばれました。
Mitsuko Nishiwaki & Hisako Uno (Akira Hokuto) the year 1985
— ルイ・グラス (@Louis2019Glass) September 11, 2018
西脇充子&宇野久子(北斗晶)1985年 pic.twitter.com/W6YoU2huHn
オーディション合格後、高校を中退し、全日本女子プロレスに入門し、1985年に岩本久美子(のちのグリズリー岩本)戦でデビューを果たします。
スポーツ推薦で高校に入学されたなど、元々身体能力が高かった北斗晶さん。この身体能力の高さや元々持っていた才能が、後のプロレスの世界での成功につながっているのかもしれません。
この頃のリングネームは、本名の宇野久子!
北斗晶さんファンに聞いた、北斗晶さんの10代で印象に残っている出来事
全日本女子プロレスのオーディションに合格したというのが本当にすごいですね。なかなかこの若さで合格するのは至難の業だと思うのに流石です。(30代男性)
高校は、ソフトボール推薦で神田女学園高等学校へ進学していたこと。
元々運動神経が良かったから、プロレスラーになれたのだろうと思ったから。(50代女性)
北斗さんは17歳で全日本プロレスに入られました。その頃コンビニでバイトもしていたそうですが、このころはバーコードが読み取るのが難しく、トラウマになったそうで、わかるなぁと同感しました。(40代女性)
20代
北斗晶さんが20代の頃の代表的なできごとはこちらです。
- 1988年(21歳):リングネームを北斗晶に変更
- 1992年(25歳):ヒール(悪役)に転向し、三田英津子と『猛武闘賊』を結成
- 1995年(27歳):佐々木健介と結婚
1988年、21歳のときに同期の鈴木美香(みなみ鈴香)さんと海狼組(マリン・ウルフ)を結成し、リングネームを北斗晶に変更します。その後、1990年頃から、約3年間メキシコで試合を行いました。
メキシコ遠征中、25歳のときに、ヒール(悪役)に転向し、三田英津子さんと『猛武闘賊(ラス・カチョーラス・オリエンタレス)』を結成します。
#今のプロレスファンが知らない言葉を言え
— あつし (@ATSUSHI02290619) September 7, 2021
猛武闘賊(ラスカチョラスオリエンタルス) pic.twitter.com/nsr3eLq79W
プロレスラーとしての活躍の幅を広げる一方、私生活では1995年、27歳のときに佐々木健介さんと結婚します。
ヒールへの転向やメキシコ遠征など、プロレスラーとして着実にキャリアを積み重ねていったのですね。メキシコでの経験を活かし、スペイン語も堪能だとか。多くの努力を重ねながらキャリアを築いていったのでしょうね。
「デンジャラス・クイーン」として人気を獲得!
北斗晶さんファンに聞いた、北斗晶さんの20代で印象に残っている出来事
プロレスラーとして活躍していた姿が印象的ですね。顔に極悪メイクをして躍動していた姿がとても恐ろしくもあり格好良かったです。(30代男性)
20代になってから、リングネームを北斗晶に変更したこと。
てっきり本名だと思っていたので、リングネームだと知り驚いたから。(50代女性)
23歳から約3年間、メキシコでも試合されていたそうです。言葉もわからず苦労されたそうですが、もぎりをしていた女の子に良くしてもらい耐えられたそうで、絆が深いと感じました。(40代女性)
30代
北斗晶さんが30代の頃の代表的なできごとはこちらです。
- 1998年(31歳):第一子を出産
- 2002年(35歳):現役引退を表明
- 2003年(36歳):夫・佐々木健介のマネージャーとして活動を開始
1995年に佐々木健介さんと結婚し、1998年、31歳のときには第1子となる長男を出産します。その後、一時リングを降りていましたが、翌年には復帰を果たし、日本初のママレスラーとなります。
その後、35歳のときに引退を表明し、横浜文化体育館での試合を最後に現役を引退されました。
2002年4月7日横浜文化体育館大会。
— なかぢ (@MONDeNAKAJIMA) January 15, 2020
北斗晶引退試合。
北斗晶&里村明衣子組vs長与千種&浜田文子組
最後のノーザンライト・ボム。
最後のOro De Ley。 pic.twitter.com/jO7CFT1p9b
引退直後は、主婦業に専念していましたが、夫・佐々木健介さんを支えるべく、健介さんのマネージャーとしてプロレス界に復帰します。さらに、2005年には健介officeの代表取締役社長として会社経営にも携わることとなりました。
北斗晶さんは、プロレス界での活躍を経て、家庭と仕事の両立を見事に果たしました。「鬼嫁」のイメージが強いですが、その裏には家族への深い思いやりが感じられます。
理想的な夫婦だね!
北斗晶さんファンに聞いた、北斗晶さんの30代で印象に残っている出来事
佐々木健介さんと結婚したというエピソードが印象深いですね。やっぱり二人はおしどり夫婦なので好感が持てます。(30代男性)
引退後は主婦業に専念していたが、夫の健介氏を支えるために彼のマネージャーとしてプロレス界に復帰したこと。
やはりおしどり夫婦なんだな、と思ったから。(50代女性)
34歳の時に一度引退されましたが、35歳で夫の佐々木さんを支えるために復帰されてます。夫婦仲が良く、旦那さんのために頑張っていられるのが凄いと感心します。(40代女性)
40代
北斗晶さんが40代の頃の代表的なできごとはこちらです。
- 2007年(40歳):冠番組『北斗晶の鬼嫁運動記者倶楽部』がスタート
- 2012年(45歳):ドラマ『シングルマザーズ』に出演
- 2015年(48歳):乳がん診断と闘病
2007年、40歳のときには冠番組『北斗晶の鬼嫁運動記者倶楽部』がスタートし、その後は、タレントとしての活動の幅を広げていきました。
タレント活動の幅を広げる一方で、役者としてドラマ『シングルマザーズ』に出演します。
NHKの昨日から始まった
— ☆Seiichi.alf☆ (@BULL_TEXxxx) October 24, 2012
ドラマ“シングルマザーズ”
北斗晶好演☆☆☆
エンディング徳永英明唄も◎ pic.twitter.com/T9YzGIYH
私生活では、48歳のときに乳がんの診断を受け、右乳房全摘出手術を受けることになりました。闘病のため、芸能活動を休止していましたが、49歳のときTOKYO MX「5時に夢中!」に生出演し、1年2カ月ぶりに仕事復帰を果たしました。
タレントとして幅広い活動を行い、役者としても挑戦を続けた北斗晶さんは、私生活では厳しい闘病を乗り越えました。その強い意志と勇気が多くの人々に希望を与えています。
ママとしての印象も強くなったね!
北斗晶さんファンに聞いた、北斗晶さんの40代で印象に残っている出来事
バラエティで活躍している姿にすごく癒されます。なんだか彼女が映っているとそれだけでほっこりとした気持ちになれますね。(30代男性)
2012年にNHKドラマ「シングルマザーズ」に役者として出演していたこと。
バラエティだけでなく、ドラマ出演までしていたとは知らなかったから。(50代女性)
44歳の時には「シングルマザー」のドラマにも出演されてます。演技は好評で、主婦としての経験も演技に活用されたのではと思いました。(40代女性)
北斗晶の若い頃の髪型はハイトーンのソバージュ
北斗晶さんの若い頃の髪型といえば、ハイトーンカラーでソバージュの髪型を思い出す方も多いのではないでしょうか。
若い頃の佐々木健介と北斗晶、いいよなぁ
— ただのロッド (@Rod_Lithgow) October 19, 2021
今も十分素敵な夫婦だけど() pic.twitter.com/QAlZqT05jG
フェミニンな魅力を引き立てる髪型で、女性らしさを感じさせるスタイルです。ハイトーンな髪色も相まって、北斗晶さんの美しくてかっこいい魅力を引き立てます!
ソバージュは、1980年代から1990年代前半にかけて流行したウェーブヘアで、Aラインの形にカットをし、毛先に弱く細かいパーマがかけられたスタイルです。
今とは違った印象でかっこいいね!
まとめ
今回は、北斗晶さんの若い頃の活躍や出来事を、画像とともに振り返りました。
年代ごとに印象深い出来事がたくさんあったね!
これからの活動も頑張ってほしいと思います。