ほいけんたの若い頃は?昔の髪型は長めのマッシュ風ヘアだった!

お笑い芸人やものまねタレントなどとして活躍するほいけんたさん。

若い頃どんな風貌だったのかや、年代ごとにどんなできごとがあったのか気になるかたも多いと思います。

さっそく、ほいけんたさんの若い頃の写真やできごと、デビューのきっかけを年代順に振り返ってみましょう。

目次

ほいけんたのデビューのきっかけや時期は?

デビューのきっかけや時期

ほいけんたさんは1983年「劇団ひまわり」に入団し、俳優としてデビューします。ドラマや映画などに出演しますが、その後お笑い芸人に転向。手品が得意だったこともあり、1986年から2年間プリンセス天功さんのアシスタントを務めマジシャンとして活動します。テレビには縁がなかったそうですが、40代に入り明石家さんまさんのものまねを始めたころから一躍注目を集めました

ねこ太郎

はじめは俳優としてデビューしていたんだね!

ほいけんたの幼少期は?若い頃の活躍やできごとを年代順に振り返り

ほいけんたさんの幼少期のエピソードや、若い頃の活躍やできごとを年代順に振り返っていきます。

幼少期

ほいけんたさんは1965年7月7日、東京都中野区に生まれます。本名は塩田 謙一(しおた けんいち)さんといいます。小学生の頃はクラスのお調子者で、周囲を楽しませるのに夢中だったのだとか。友達に手品を披露した際にすごく盛り上がり、芸を見せるという快感を覚えたと語っています。

ある日近所の本屋さんで、たまたま手品の本を見つけたことがありました。その本の手品を覚えて友達に披露したら、すごく盛り上がって、友達が目を輝かせながら「すげー!」「どうやるの?」って驚いてくれました。そのとき、ぼくは、芸を見せるという快感を覚えたんです。

引用元:双葉社THE CHANGE

子供時代に周囲を楽しませた経験がお笑い芸人への道に繋がっていたんですね。

ねこ太郎

幼少期にはピアノも習い、絶対音感があるのだとか!

10代

ほいけんたさんが10代の頃の代表的なできごとはこちらです。

  • 1981年(16歳):東京都立日野高校に入学
  • 1982年(17歳):アクションチーム「THE EIGHTEEN ARTS」に入門
  • 1983年(18歳):「劇団ひまわり」に入団

1981年、東京都立日野高校に入学します。日野高校は俳優の三浦友和さんや、ミュージシャンの忌野清志郎さん、お笑い芸人のアンジャッシュなど多くの芸能人を輩出しています。

1982年、アクションチーム「THE EIGHTEEN ARTS」に入門します。中学時代から香港映画が大好きで、ブルース・リーやジャッキー・チェンなどの真似をしていたこともあり、もともとはアクションスターを目指していたそうです。

1983年、「劇団ひまわり」に入団します。アクションの道に進んだほいさんでしたが、先輩から「アクションができても演技が出来なければ、スタントマンにしかなれない」と助言され、演技を学ぶため劇団に入ることを決めたといいます。

もともとはアクションスターになりたくて、高校2年のときにプロのアクションチーム「THE EIGHTEEN ARTS」に入りました。ところが、先輩に「アクションができても演技が出来なければ、スタントマンにしかなれない」と教わり、演技を勉強するため「劇団ひまわり」に入ったんです。

引用元:NEWS ポストセブン

母子家庭だったほいさんは高校卒業後、就職をして家計を助けようと考えていたそうですが、お母さんに背中を押され劇団入りを決意したのだとか。

ねこ太郎

お母さんの愛を感じるね!

ほいけんたさんファンに聞いた、ほいけんたさんの10代で印象に残っている出来事

アンケート調査結果
ネット上の人物

高校生の時にアクションチーム『THE EIGHTEEN ARTS』に入門したことが印象的でした。アクションの勉強をしていたとは思わなかったからです。(30代女性)

ネット上の人物

劇団ひまわりに入り俳優になることを志したというエピソードが印象的ですね。やっぱり地声がとてもいいので一つ運命が変われば売れていたでしょうね。(30代男性)

ネット上の人物

カンフー映画が大好きで10代の頃からアクションを学んで、これがきっかけでほいの芸名になったそうです。アクションが得意とは、今だと想像がつかないです。(40代女性)

20代

ほいけんたさんが20代の頃の代表的なできごとはこちらです。

  • 1985年(20歳):「劇団スタジオライフ」に移籍
  • 1986年(21歳):プリンセス天功さんのアシスタントを務める
  • 1991年(26歳):オーストラリアで開催された「ジャパンフェスティバル」に参加

1985年、「劇団スタジオライフ」に移籍します。舞台に出演するなど役者の活動と並行しながら、お笑い芸人としてもデビューします。演出家の言うとおりの演技しかできない役者の仕事に疑問を感じ、お笑いへ転向したといいます。

1986年、手品が得意だったほいさんは、プリンセス天功さんのアシスタントを務めます。約2年、天功さんの下で働いたそうです。また、六本木のショーパブでマジックを取り入れたコントなどをしていたといいます。

1991年、オーストラリアのシドニーで開催された「ジャパンフェスティバル」に日本の芸人として参加します。その後もオーストラリアでバルーンアートなど、路上パフォーマンスの腕を磨きました。

役者として活動する傍ら、お笑い芸人、マジシャン、パフォーマーなど様々な分野に挑戦していった20代のほいさん。多才ぶりがうかがえますね。

ねこ太郎

行動力もすごいね!

ほいけんたさんファンに聞いた、ほいけんたさんの20代で印象に残っている出来事

アンケート調査結果
ネット上の人物

2代目引田天功さんのアシスタントをしていたというエピソードが印象的です。まさか、そちらの世界にいたとは思わなかったからです。(30代女性)

ネット上の人物

モノマネ大賞で明石家さんまさんのモノマネを披露したという話がすごいですね。あんなお笑い怪獣の真似はなかなかできるものではありません。(30代男性)

ネット上の人物

24歳からバイトをしないで芸の道だけで食べていたそうで、マジックも得意でプリンセス天功さんのアシスタントもされてました。マジックが出来るとは意外ですし、有名な方と仕事をされていたのに驚きです。(40代女性)

30代

ほいけんたさんが30代の頃の代表的なできごとはこちらです。

  • 1995年(30歳):お笑いコンビ「BARAKING」を結成
  • 1996年(31歳):コンビ解散
  • 2001年(36歳):ホテルミラコスタの披露宴のプログラムにレギュラー出演

1995年、お笑いコンビ「BARAKING」を結成します。漫才やコントを中心に活動し、イースト・フジテレビ共同制作のバラエティ番組「北野ファンクラブ」に準レギュラーで出演します。

1996年、所属事務所の倒産に伴い、お笑いコンビ「BARAKING」を解散します。フリーとなり、ピン芸人として活動を再開します。コンビとしての活動はわずか1年でした。

2001年、東京ディズニーシー・ホテルミラコスタの披露宴のプログラムにレギュラー出演します。ホテルミラコスタのオープン当初から7年間にわたり出演しました。ピン芸人として披露宴などでも活躍していたんですね。

一度はコンビを組んだものの、解散しピン芸人として地道な活動を続けていた30代のほいさん。バルーンアートも精力的に行い、バルーン工作の本を出版しています。

ねこ太郎

「バラエティーアーティスト」の肩書で活動の場を広げていくよ!

ほいけんたさんファンに聞いた、ほいけんたさんの30代で印象に残っている出来事

アンケート調査結果
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コンビを解散してピン芸人になったことが印象的でした。結果的に、ピンになったことでブレイクできたと思うからです。(30代女性)

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再現ドラマでの活躍している姿が本当に面白かったですね。さんまさんの役柄を体当たりで演じていて好感が持てました。(30代男性)

ネット上の人物

30歳の時に「BARAKING」を結成しましたが、翌年解散します。33歳の時にある番組でバルーンの達人として紹介されました。バルーンは様々なオリジナル作品を発表されていて、多才だなと思います。(40代女性)

40代

ほいけんたさんが40代の頃の代表的なできごとはこちらです。

  • 2009年(44歳):「爆笑そっくりものまね紅白歌合戦スペシャル」に出演
  • 2013年(48歳):明石家さんまさん役での再現ドラマに多数出演
  • 2014年(49歳):「THE カラオケバトル」に出演

2009年、フジテレビ系「爆笑そっくりものまね紅白歌合戦スペシャル」に出演し、明石家さんまさんのものまねを披露。特徴を捉えたユーモラスなものまねが多くの注目を集め、以降番組レギュラーが決定します。

2013年、「行列のできる法律相談所」など、明石家さんまさん役での再現ドラマに多数出演します。以降、さんまさんの役で多くの再現ドラマに起用されます。ほいさんは、これらの出演について、若い頃にドラマの主役をやりたいと願っていた夢が叶ったと語っています。

バラエティ『行列のできる法律相談所』(日本テレビ系)などの再現ドラマによく出演させてもらっていますが、そこでは毎回、主役。若い頃にドラマや映画の主役をやりたいと願っていた夢が、40代でかなったんです。

引用元:NEWS ポストセブン

2014年、テレビ東京系「THEカラオケバトル」に出演します。高い歌唱力を披露し、視聴者を驚かせました。のちに「ほいけんたのカラオケで100点を出す方法」を出版しています。幼少期に培った絶対音感が、歌に活きているのかもしれませんね。

明石家さんまさんのものまねで広く認知されるようになった40代のほいさん。その後、ものまねにとどまらず「歌うま芸人」としても活躍の場を広げています。

ねこ太郎

努力が花開いた40代だったんだね!

ほいけんたさんファンに聞いた、ほいけんたさんの40代で印象に残っている出来事

アンケート調査結果
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明石家さんまさんのモノマネでブレイクしたことが印象的でした。このモノマネで、広くみんなから知られるようになったと思ったからです。(30代女性)

ネット上の人物

ものまね紅白歌合戦でのスキルが本当に素晴らしいですね。お客をと盛り上げる才能が本当に凄まじいので彼がいると安心です。(30代男性)

ネット上の人物

44歳の時に「爆笑そっくりものまね紅白歌合戦スペシャル」のコーナーでさんまさんの物まねを披露し、その後レギュラーになりました。さんまさんは見ていてそっくりでいつも笑ってしまいます。(40代女性)

ほいけんたの若い頃の髪型は長めのマッシュ風ヘア

ほいけんたさんの若い頃の髪型といえば、長めのマッシュ風ヘアを思い出す方も多いのではないでしょうか。

飾り気のない素朴な髪型で、真面目な青年だったことがうかがえますね。

ほいさんが10代だった1980年代は吉田栄作さんのようなサラサラヘアのツーブロックが人気でした。しかし当時まだ学生だったこともあり、おしゃれさよりもシンプルなヘアスタイルを選んでいたのではないでしょうか。

ねこ太郎

昔はさんまさんにあまり似ていないかも!?

まとめ

まとめ

今回は、ほいけんたさんの若い頃の活躍や出来事を、画像とともに振り返りました。

ねこ太郎

年代ごとに印象深い出来事がたくさんあったね!

これからの活動も頑張ってほしいと思います。

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