ヒロミの若い頃は?昔の髪型は立ち上げ前髪スタイルだった!

お笑いタレント、司会者などとして活躍するヒロミさん。

若い頃どんな風貌だったのかや、年代ごとにどんなできごとがあったのか気になるかたも多いと思います。

さっそく、ヒロミさんの若い頃の写真やできごと、デビューのきっかけを年代順に振り返ってみましょう。

目次

ヒロミのデビューのきっかけや時期は?

デビューのきっかけや時期

高校卒業後、新宿のホストクラブで働いていたヒロミさんは「面白いから」という理由で客に芸能界入りを勧められ、漫才コンビ「星セント・ルイス」の星セントさんを紹介されます。「お前一人じゃ無理だ」という星さんのアドバイスを受け、ホストクラブの同僚だったデビット伊東さんとミスターちんさんとともにトリオを組むこととなります。そして1986年に「B21スペシャル」が結成されました。

六本木にある人気のショーパブに移籍した後、B21スペシャルは評判となり、新人ライブで勝ち抜くなど徐々にその名前が知られるようになっていきます。そして、本格的にテレビ業界へ進出するため、当時横山やすしさんが司会をしていた番組「ザ・テレビ演芸」に出演し、第4代目チャンピオンを獲得しました。

ねこ太郎

一気にテレビの世界へ進出していったんだね!

ヒロミの幼少期は?若い頃の活躍やできごとを年代順に振り返り

ヒロミさんの幼少期のエピソードや、若い頃の活躍やできごとを年代順に振り返っていきます。

幼少期

1965年2月13日に東京・八王子で誕生したヒロミさん。本名は小園浩己(こぞのひろみ)さんといいます。ヒロミさんの父は工務店を営む九州生まれの昔かたぎな男性で、厳しく育てられたといいます。そのせいか幼少期のヒロミさんは引っ込み思案な性格でいつもなよなよしており「こんにゃく」というあだ名を付けられていたとか。

いつも積極的ではつらつとしている今のヒロミさんからは想像がつきませんね。DIYなど、モノづくりが得意な点はお父さん譲りかもしれません。

ねこ太郎

かわいらしい一面だね!

10代

ヒロミさんが10代の頃の代表的なできごとはこちらです。

  • 1983年(18歳):高校卒業後、営業の仕事を始める
  • 1983年(18歳):交通事故にあい九死に一生を得る
  • 1984年(19歳):ホストクラブで働き始める

1983年、ヒロミさんは高校を卒業し、親戚が経営する機械工具を扱う会社で営業職に就きます。そのトークスキルから営業成績もよかったのだとか。会社員経験があるのは意外な一面ですね。

同年、ヒロミさんは車で大事故を起こし内蔵破裂の重体で緊急搬送されます。医者は、家族に手の施しようがないため諦めるよう告げたましたが、家族は「助からなくてもいい。せめて手術をしてください」と頼み込み、長時間に及ぶ手術を受け、奇跡的に一命をとりとめました。この事故をきっかけに好きなことにチャレンジしたいという思いから芸人を志すようになったといいます。

1984年、新宿のホストクラブで働き始めます。テレビに出たいと思っていたものの、どうしていいかわからずホストのお店ぐらいしか受からなかったと語っています。ホスト時代には一人漫談が評判でお店のナンバーワンにもなったそうです。

高校生の頃は夜ごとバイクや車を乗り回すなど、かなりやんちゃな時代を過ごしていたそうですが、大事故をきっかけに夢を持ち変化していったヒロミさん。波乱万丈な人生を歩んできたことがうかがえますね。

ねこ太郎

多感な時期に色々な経験をしたんだね!

ヒロミさんファンに聞いた、ヒロミさんの10代で印象に残っている出来事

アンケート調査結果
ネット上の人物

お笑い芸人として活動されていたことです。今はタレントとしてのイメージが強いのでお笑いのイメージはなかったので驚きました(30代女性)

ネット上の人物

ホストクラブに勤務していたという事を知って驚きましたね。たしかに昔はかなりイケメンで格好良かった印象がありますね。(30代男性)

ネット上の人物

18歳の時、自動車事故で生死の境をさまようほどの重体になったことです。あっけらかんとしていますけど、大変なおもいをしてきたんだなって驚きました(50代男性)

20代

ヒロミさんが20代の頃の代表的なできごとはこちらです。

  • 1986年(21歳):「B21スペシャル」を結成
  • 1991年(26歳):番組収録中の事故で大怪我を負う
  • 1992年(27歳):所属事務所から独立

1986年、デビット伊東さんとミスターちんさんとともにコントグループ「B21スペシャル」を結成します。当時の芸名は「カーペンターヒロミ」だったそう。B21スペシャルは斬新なコントで一躍人気芸人になります。

1991年、バライティ番組内の企画で、1万本のロケット花火を背負い人間ロケットに挑戦します。花火が引火したヒロミさんは全治4週間の大火傷を負いました。当時、集中治療室に2カ月ぐらいいたといい、命の危険もあったことを振り返っています。一命をとりとめ、本当に良かったですね。

1992年、ヒロミさんは所属していた「人力舎」から独立し、個人事務所「ビィーカンパニー」を設立します。きっかけは人力舎先代社長からの助言だったといいます。独立後はピンでの仕事を受けるようになり、B21スペシャルとしての仕事は減っていきます。

同事務所先代社長の“ヒロミはもう自分でやりなさい”という助言がきっかけ。「わがままだった」という若かりし頃のヒロミに「お前みたいなのは自分でやった方が良い。自分でやったら責任を持ってちゃんとやるでしょ」と背中を押してくれた。

引用元:毎日新聞

20代は「B21スペシャル」を結成し、数々のテレビ番組に出演。体を張った企画にも挑戦するなど、芸人として懸命に活動していたように感じますね。

ねこ太郎

若手芸人として頑張っていたんだね!

ヒロミさんファンに聞いた、ヒロミさんの20代で印象に残っている出来事

アンケート調査結果
ネット上の人物

テレビの収録で大やけどをおったこと。今では考えられないような内容なのでびっくりしましたし強いなぁと思いました(30代女性)

ネット上の人物

トリオとしてお笑い芸人をやる姿が印象的ですね。結構テンポの良いツッコミをしていた姿を過去の映像で見たことがありすごいなと思いました。(30代男性)

ネット上の人物

コントグループB21スペシャルを結成したことです。私自身B21スペシャルとして活動している頃に初めてテレビで拝見しましたし、かなり面白かったので印象に残っています。(50代男性)

30代

ヒロミさんが30代の頃の代表的なできごとはこちらです。

  • 1996年(31歳):「発掘!あるある大事典」で司会を務める
  • 1998年(33歳):「ろみひー」で司会を務める
  • 2004年(39歳):FNS27時間テレビ でB21スペシャルとしてネタを披露

1996年、バライティ番組「発掘!あるある大事典」で堺正章さんとともに司会を務めます。同番組では暮らしにまつわる生活情報を提供し、特に健康・体・食に関するテーマを多く扱っていました。司会者としてキャリアのある堺正章さんとの共演はヒロミさんにとって大きな刺激になったのではないでしょうか。

1998年、トークバラエティ番組「ろみひー」で司会を務めます。レギュラーパネラーを飯島愛さんが担当し、ゲストの赤裸々なトークをメインとした深夜番組でした。ヒロミさんは徐々に司会者としてのイメージを確立していきます。

2004年、フジテレビで放送された「FNS27時間テレビ めちゃ2オキてるッ! 楽しくなければテレビじゃないじゃ〜ん!!」のコーナーにて、B21スペシャルとしてコント「修学旅行」を披露します。27時間テレビの出演は久々の三人でのテレビ共演となり、多くの視聴者の注目を集めたのではないでしょうか。

30代に入り、司会者として多くの番組に出演するようになったヒロミさん。大活躍の30代を送りますが、2004年にB21スペシャルとしてテレビ出演をして以降約10年間にわたり、これまでメインとしていたバラエティの仕事を休止します。

ねこ太郎

司会者やタレントのイメージが強くなったね!

ヒロミさんファンに聞いた、ヒロミさんの30代で印象に残っている出来事

アンケート調査結果
ネット上の人物

芸能活動を休止していたこと。長い期間お休みしていましたが後から他にいろんな仕事をしていたことを知りすごいなと感じました(30代女性)

ネット上の人物

ソロで番組を何本も持っていた姿が本当にすごいなと思いましたね。あれだけ売れていたタレントはなかなかいませんでしたね。(30代男性)

ネット上の人物

『FNS27時間テレビ』で10年ぶりにB21スペシャルを復活させてコントをしたことです。久しぶりにヒロミさんの面白いコントが見れたので印象に残っています。(50代男性)

40代

ヒロミさんが40代の頃の代表的なできごとはこちらです。

  • 2006年(41歳):ドラマ「新・桃太郎侍」に出演
  • 2006年(41歳):映画「シャーロットのおくりもの」で声優を務める
  • 2014年(49歳):「ディープガール」でMCを務める

2006年、テレビの仕事から遠ざかっていたヒロミさんですが、時代劇「新・桃太郎侍」に出演します。髙嶋政宏さん演じる主人公の桃太郎(桂木新二郎)らに情報を与える瓦版屋という重要な役どころでした。俳優として活動していたのは意外ですね。

同年、映画「シャーロットのおくりもの」で日本語吹替版の声優を務めます。妻の松本伊代さんとともにガチョウ夫婦役の吹替に参加。声優に初挑戦しました。俳優、声優と新たな分野に挑戦していたんですね。

2014年、トークバラエティ番組「ディープガール」でMCを務めます。MCを務める番組としては、10年以上のブランクを経ての出演となりました。同番組出演以降テレビへと復帰し、一気にレギュラー番組への出演を増やしていきます。

2004年以降、自身の芸風が「時代に合わなくなった」という理由からテレビの仕事から離れていたヒロミさん。休止期間中にはレーサーとして活動したり、トレーニングジムの経営を行っていたそうです。しかし復帰後には数多くの番組でMCを務めるなど再ブレイクを果たします。

「40すぎたくらいに、頑張ってんだけど、時代に合ってねえなと思った。時代、時代にフィットさせることってすごく難しいことだから」と芸風と時代のズレを感じたことがテレビを離れた理由であると、当時の胸の内を明かしました。

引用元:日テレNEWS NNN

ねこ太郎

10年のブランクからの復帰、すごいね!

ヒロミさんファンに聞いた、ヒロミさんの40代で印象に残っている出来事

アンケート調査結果
ネット上の人物

再ブレイク。休止期間から復帰して夫婦や家族で番組に出たり愛妻家な様子が素敵だなぁと見ていて思います。(30代女性)

ネット上の人物

芸能界から一時離れた姿が印象的ですね。生意気だった性格が祟ったということらしかったのである種自業自得でしたね。(30代男性)

ネット上の人物

テレビバラエティに本格復帰したことです。一時期テレビから姿を消していただけあり、どうしているのか心配していました。それだけに元気な姿が見れて、ホっとしたのを今でも覚えています。(50代男性)

ヒロミの若い頃の髪型は立ち上げ前髪スタイル

ヒロミさんの若い頃の髪型といえば、前髪を立ち上げた髪型を思い出す方も多いのではないでしょうか。

長めの前髪にサイドをすっきりさせたヘアスタイルがとても似合っていますよね!

当時は男女問わず前髪をふんわりと立ち上げた前髪が流行っていたため、おしゃれさを売りにしていたB21スペシャル時代のヒロミさんも流行をとらえたヘアスタイルをしていたのではないかと思います。

ねこ太郎

イケメントリオだったんだね!

まとめ

まとめ

今回は、ヒロミさんの若い頃の活躍や出来事を、画像とともに振り返りました。

ねこ太郎

年代ごとに印象深い出来事がたくさんあったね!

これからの活動も頑張ってほしいと思います。

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