タレント、グルメレポーターとして活躍する彦摩呂さん。
若い頃どんな風貌だったのかや、年代ごとにどんなできごとがあったのか気になるかたも多いと思います。
さっそく、彦摩呂さんの若い頃の写真やできごと、デビューのきっかけを年代順に振り返ってみましょう。
彦摩呂のデビューのきっかけや時期は?
1988年に原宿で演劇パフォーマンス集団「幕末塾」を結成。その年の5月、フジテレビ主催の「ナイスガイ・コンテスト」で準グランプリに選ばれました。
1989年4月、秋元康プロデュースのアイドルグループ「幕末塾」のメンバーとして、シングル「Come on Let's Dance」でCDデビューを果たしました。
彦摩呂が在籍していた幕末塾。曲名のほとんどが素晴らしくイカレてるので誰が?と見てみたら案の定あの方でした。 pic.twitter.com/wrSLuo1MVK
— 摩訶レコードbot (@jyake_ten_bot) August 10, 2023
アイドルだったんだね!
彦摩呂の幼少期は?若い頃の活躍やできごとを年代順に振り返り
彦摩呂さんの幼少期のエピソードや、若い頃の活躍やできごとを年代順に振り返っていきます。
幼少期
彦摩呂さんは、大阪府の東大阪市で生まれ、大東市で育ちました。両親の離婚後母子家庭で育ち、お母さまは昼はスーパーマーケット、夜は食堂で働きながら家庭を支えていたそうです。家に帰ると一人で寂しい思いもしていたようですが、お母さんは忙しい中必ず毎日手作りの食事を作ってくれたそうです。
小学生の頃は、『みごろ!たべごろ!笑いごろ!』の「電線マン」のコーナーに出演された伊東四郎さんや小松政夫さんを見て、おなかがよじれるほど笑いながら、「将来はテレビの中に入ってみたい」なんて思ってました。
引用:THE CHANGE
小さいころの経験が今のグルメレポーターの道につながったのかもしれませんね。
素敵なお母さまだったんですね!
10代
彦摩呂さんが10代の頃の代表的なできごとはこちらです。
- 1982年(16歳):此花学院高等学校入学
- 1983年(17歳):高校在学中からモデルとして活動を始める
- 1986年(19歳):短期間スーパーマーケットに勤務
此花学院高校は私立の男子校でした。現在は男女共学で名称も大阪偕成高校に代わっています。
大阪偕星学園(旧・此花学院)、鶴田浩二、河内屋菊水丸、彦摩呂とえらい卒業生がおんねんな。ビックリやな~。大阪桐蔭みたいにスカウト雇って、野球でのし上がっていこうとしてるんかな?履正社も昔はただの、福島商業っていう高校やったしな。。。PL、浪商、上宮が消えていくんかな。
— H.Shimizu (@Seitendoppo) July 31, 2015
モデル活動を始めた頃は、バレンタインは「チョコレートは両手でもてないくらい」人気があったそう。体重も50キロ近く痩せていたそうですよ。
ファミレスのお客さんとしてプロのカメラマンが来店してきて、僕を見るなり、「お兄ちゃん、ちょっと写真を撮らせてくれへんか」と言ってきた。プロのカメラマンに写真を撮ってもらう機会など、そうそうあるものではないので、僕は二つ返事でOKしました。後日、そのカメラマンさんが「君に紹介したい人がいる」と会わせてくださったのが、モデルクラブの社長だったんです。
引用:THE CHANGE
高校卒業後、地元のスーパーに勤務するも、1年弱で退職。芸能界を目指して上京しました。
チバテレ『ごちそうライフ2』
— しぃちゃそ(またの名を房総の鈍足王) (@donsoku_king) August 22, 2015
美しき姉弟の絆?
ゲストは「彦摩呂」さん。お土産は美味しいハムを
結構波乱な幼少期のお話
アルバイトは「スーパーモデル」!?
今日の逸品は味噌汁サーバー
高卒→百貨店に就職→副業ばれて退職→俳優目指し上京→アイドルデビュー
10代の彦摩呂さんは、やせ型でスーパーモデル級のイケメンだったようです。
今のお姿からは想像できないかも…!
彦摩呂さんファンに聞いた、彦摩呂さんの10代で印象に残っている出来事
彦摩呂さんの10代は、今よりとても痩せていてかっこいいイメージがあります。テレビで写真が出ていて驚きました。(40代女性)
バイト先でプロのカメラマンに「君に紹介したい人がいる」と言われ、モデルクラブの社長を紹介されたという話。非常に華のあるイケメンだったと聞き驚きました。(30代女性)
幼少時代転校を繰り返していて友人があまりできなかったということを知り驚きましたね。藤原さんはすごくコミュ力が高い人だと思っていたので意外でした。(30代男性)
20代
彦摩呂さんが20代の頃の代表的なできごとはこちらです。
- 1988年(22歳):男性アイドルグループ「幕末塾」のメンバーとして選抜
- 1989年(23歳):秋元康プロデュースの楽曲「Come on Let's Dance」でデビュー
- 1990年(24歳):山田邦子の旅くらぶに出演
初期の「幕末塾」はその昔人気を博した「一世風靡セピア」のような路上パフォーマーでしたが、フジテレビの「ナイスガイコンテスト」で準グランプリを受賞し、芸能界入りを果たしたそうです。
彦摩呂さんのいた幕末塾がジャッキーの「奇蹟」のころに出会ってとは知らなかった☺️☺️https://t.co/EWsubdJlE3 pic.twitter.com/U3Yz1tt3KX
— ジャタケ (@JatakeJjj) March 28, 2024
デビュー曲「Come on Let's Dance」はTM NETWORKのカバー曲でした。
幕末塾 - Come on Let's Dance [1989.4.26]
— JMF (Second) (@JMFLibrary) June 23, 2022
作詞:神沢礼江 作曲:小室哲哉 編曲:角谷和俊
(最高38位 / 1.8万枚 / 1989年度 年間340位) pic.twitter.com/Q5yHr1MDNF
情報番組「山田邦子の旅くらぶ」にリポーターとして起用されました。この番組をきっかけに、旅番組での温泉レポートやグルメリポートなど、活動の幅が広がりました。
流石、白滝製麺
— コエダ不動産 (@dennnnowbaiooo) December 20, 2024
彦摩呂と山田邦子みたく
「山田邦子の旅くらぶ」
銀河一美味しい半田素麺を紹介した際
新鮮な小麦と塩に㊙️成分がキラキラ光って見えたため
思わず「うわぁ、フリーメーソンの素麺や〜!」pic.twitter.com/ZETsrR6tWh https://t.co/34a3p3ln21
歌に踊りにお芝居に、20代はアイドル路線で頑張っていたんですね。
幕末塾って名前が渋いよね!
彦摩呂さんファンに聞いた、彦摩呂さんの20代で印象に残っている出来事
20代前半の頃はナイスガイコンテストというタレントを発掘するオーディションを受けたとテレビで言っていました。かっこいいので納得したのを覚えています。(40代女性)
男性アイドルグループ「幕末塾」のメンバーとしての活動です。今とは違いイケメンで、当時の写真を見た時はびっくりしました。(30代女性)
初代仮面ライダー1号のイメージがどうしても強いですね。再放送で藤岡さんの姿を拝見したのですがめちゃくちゃ格好良くてときめきましたし、初代はやっぱり面白いです。(30代男性)
30代
彦摩呂さんが30代の頃の代表的なできごとはこちらです。
- 1996年(30歳):月曜ドラマスペシャル 浅見光彦シリーズ7 「風葬の城」出演
- 2000年(34歳):「海の宝石箱や~」のフレーズでグルメリポーターとしてブレイク
- 2001年(35歳):情報番組「こたえてちょーだい!」にリポーターとして出演
浅見光彦シリーズ7 「風葬の城」では高梨歯科医院に勤務する歯科技工士、平野洋一役で出演しました。
1996年放送 浅見光彦シリーズ
— K-CO3 (@ore3jo_4649) September 13, 2020
「風葬の城」に出演した彦摩呂さん。ノーコメントで...😅💦 pic.twitter.com/5uLJTTc7Xd
リポーターを始めて約10年後、北海道の市場からのリポートで海鮮丼を紹介した際、思わず「うわぁ、海の宝石箱や〜!」とコメントしたことが、後に彼の代名詞となる名フレーズの誕生につながりました。
実は料理を擬人化したり、比喩の表現を使ったりするのはご法度だと思っていたので、放送でもカットされるかと思ってたんですが、視聴者が面白がってくれたと聞いて、思わぬ発見でした。
引用:THECHANGE
情報番組「こたえてちょーだい!」はフジテレビ系列で平日昼前に放送されていた生活情報ワイド・バラエティ番組。彦摩呂さんはミスターちんさんらとともにリポーターとして出演されていました。
2437.こたえてちょーだい!
— レトロ 颯 (@Retrohayate) June 10, 2024
2001年~2007年までフジテレビ系で放送された生活情報バラエティ番組です。当初は主婦向けの情報番組でしたが、徐々に前番組どうーなってるの?!と同じく毎回1つのテーマに沿って視聴者から募集した体験談・情報を再現ドラマで紹介するという形に戻り人気を博しました。 pic.twitter.com/boDZKXC8eZ
30代の彦摩呂さんは、俳優から徐々にリポーターのお仕事にシフトチェンジしていった年代の印象を受けました。「海の宝石箱やぁ~」の名フレーズがうまれたのもこの頃だったのですね。
誰が言っても彦摩呂さんを思い出すパワーワードだよね!
彦摩呂さんファンに聞いた、彦摩呂さんの30代で印象に残っている出来事
彦摩呂さんの40代は、○○の宝石箱やー!というセリフが印象的だと思います。とても素敵なコメントだと思います。(40代女性)
あちこちオードリーの出演です。有名な「海の宝石箱や―」というフレーズの生まれた瞬間の話がきけ、興味深かったです。(30代女性)
セガサターンのせがた三四郎というコマーシャルがとても印象深いです。プレステに押されていた時の打開策として出てきたキャラでめちゃくちゃ愛着があります。(30代男性)
40代
彦摩呂さんが40代の頃の代表的なできごとはこちらです。
- 2006年(40歳):情報番組『ミラクル☆シェイプ』や『ラジかるッ』に出演
- 2006年(40歳):『金スペ! 史上最強!ザ・快傑ドクター6!!』において「余命4年」の診断を受ける
- 2009年(43歳):グルメ番組『彦摩呂のB級グルメ天国』に出演
『ミラクル☆シェイプ』では、番組企画でしたが、およそ1ヵ月で5kgの減量に成功しました。
ミラクル☆シェイプって日曜朝の番組なんだ
— アサノ__ (@asacoin369_TV) April 27, 2023
永井大と脊山アナのコンビw pic.twitter.com/5vp9dlqEYk
大小7つの大腸ポリープ(良性)が発見され、摘出手術を行ったそうです。
彦摩呂、ウン年前にやってたテレビ番組でめちゃくちゃポリープあるから手術した方がいいって言われてたのが印象深すぎて彦摩呂見る度ポリープが頭を過る
— 豆腐スン🦚C105-1日目東6テ13ab (@kaiseop_1174) March 22, 2021
『彦摩呂のB級グルメ天国』は、2009年から食と旅のフーディーズTVで放送されていたバラエティグルメ番組。手島優さんと二人で毎回テーマに沿って食べ歩く内容が好評でした。
彦摩呂のB級グルメ天国。昨日から録画したのだけど、おもしろいね!2010年の再放送。どおりで、手島優。彦摩呂を録画してまで追いかけた事なかったけどハマりそう。
— エリザベート3 (@keep_news) August 17, 2016
40代の彦摩呂さんは、特に食レポートでのユニークなスタイルがファンを集めているようです。また、健康管理にも取り組んでおり、過去には体重管理や生活習慣改善についても話題になっています。
食べるお仕事は体調が心配です…!
彦摩呂さんファンに聞いた、彦摩呂さんの40代で印象に残っている出来事
彦摩呂さんの40代は、○○の宝石箱やー!というセリフが印象的だと思います。とても素敵なコメントだと思います。(40代女性)
あちこちオードリーの出演です。有名な「海の宝石箱や―」というフレーズの生まれた瞬間の話がきけ、興味深かったです。(30代女性)
セガサターンのせがた三四郎というコマーシャルがとても印象深いです。プレステに押されていた時の打開策として出てきたキャラでめちゃくちゃ愛着があります。(30代男性)
彦摩呂の若い頃の髪型はふわふわの七三分け
彦摩呂さんの若い頃の髪型といえば、昔のアイドル的な髪型を思い出す方も多いのではないでしょうか。
グルメリポーター、彦摩呂の若いころ。
— 正樹@バナナで釘が打てる(JB64Wジムニー) (@msk_jb64w) October 9, 2021
#最近の若者が知らなそうな事を言ってみる pic.twitter.com/luIU2K4y6v
ふわふわな七三分けは、昭和のアイドルの誰しもがしていた髪型のような気がします。
トシちゃんもマッチも同じ髪型してたよね!
まとめ
今回は、彦摩呂さんの若い頃の活躍や出来事を、画像とともに振り返りました。
年代ごとに印象深い出来事がたくさんあったね!
これからの活動も頑張ってほしいと思います。