藤井フミヤの若い頃の画像が超イケメン!昔の髪型は前髪だけロングでかっこいい

元チェッカーズのボーカルとして活躍する藤井フミヤさん。

若い頃どんな風貌だったのかや、年代ごとにどんなできごとがあったのか気になるかたも多いと思います。

さっそく、藤井フミヤさんの若い頃の写真やできごと、デビューのきっかけを年代順に振り返ってみましょう。

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目次

藤井フミヤのデビューのきっかけや時期は?

デビューのきっかけや時期

藤井フミヤさんは、中学1年生の時に矢沢永吉さんが所属していたバンド「キャロル」の音楽を聴いて影響を受け、自身もバンドを組みたいと思ったのがデビューのきっかけです。

そして、高校2年生の時に「チェッカーズ」のロックバンドに入りました。

元々組んでいたバンドが解散した際に声をかけられたようです。

コンテストの受賞を期に、1983年に「チェッカーズ」のロックバンドのリードボーカルとしてデビューしました。

ねこ太郎

若い頃から歌声は素敵だったよね!

藤井フミヤの幼少期は?若い頃の活躍やできごとを年代順に振り返り

藤井フミヤさんの幼少期のエピソードや、若い頃の活躍やできごとを年代順に振り返っていきます。

幼少期

藤井さんは、福岡県生まれで3人兄弟の次男として生まれました

幼い頃から音楽への興味があり、チェッカーズのメンバーでもある高杢徹也さんとは幼稚園からの幼馴染です。

藤井さんは幼少期のころ大人しい子供で、高杢さんは体が大きいガキ大将だったそうですよ。

ねこ太郎

藤井さんが、幼少期に大人しかったのは意外!

10代

藤井フミヤさんが10代の頃の代表的なできごとはこちらです。

  • 1975年(13歳):エレキギターを購入し、バンドを結成(主にロックとポップス)
  • 1980年(18歳):久留米市立南筑高等学校を卒業
  • 1980年(18歳):日本国有鉄道に就職

中学時代はバスケットボール部に所属し、バンド活動もしていました。

当時は、ヤンチャで家にほとんど居なかったそうです。

高校時代は、地元のダンスパーティーの会場で演奏活動をしたり、仕出し屋でアルバイトを経験したり、充実した生活を送っていたそうです。

今の奥さんともこの頃に出会いました。

その後、チェッカーズのメンバーの高校卒業を待ち、国鉄を退社

父親や駅長さんにものすごく反対されたようですが、最終的には自分の進みたい道を選びました。

ねこ太郎

学生の頃から何事に対しても興味を持ち、経験をしてきたんだね

藤井フミヤさんファンに聞いた、藤井フミヤさんの10代で印象に残っている出来事

アンケート調査結果
ネット上の人物

久留米市にある高校を卒業した後で、鉄道の会社に就職した。芸能人になる前に鉄道職員として働いていたことは知らなかった。(40代男性)

ネット上の人物

遊びじゃないのよ、この恋はという作品が印象的です。あどけない保奈美さんの姿が楽しめるので本当に良い作品でした。(30代男性)

ネット上の人物

高校卒業後に日本国有鉄道門司鉄道管理局に就職していたことが印象的でした。まさか、一度就職していたとは思わなかったので驚きです。(30代女性)

20代

藤井フミヤさんが20代の頃の代表的なできごとはこちらです。

  • 1983年(21歳):チェッカーズのリードボーカルとしてデビュー
  • 1984年(22歳):「涙のリクエスト」や「哀しくてジェラシー」が次々に大ヒット。
  • 1985年(23歳):シングル「ジュリアに傷心」オリコンチャート年間第1位を獲得

最初にデビューした時の歌は「ギザギザハートの子守唄」でした。

同じ年には、藤井さん初の映画となる「CHECKERS IN TAN TAN たぬき」に出演しています。

デビュー当時「ギザギザハートの子守唄」を入れ、3曲同時にベストテン入りを果たし人気は急上昇しました。

この時のチェッカーズは何の曲を出してもすべて大ヒット。

最初のフレーズを聞いただけで、何の曲か分かる人が多い程の人気ぶりでした。

ねこ太郎

チェッカーズの歌は、次から次に大ヒットしていたよね!

藤井フミヤさんファンに聞いた、藤井フミヤさんの20代で印象に残っている出来事

アンケート調査結果
ネット上の人物

1983年にチェッカーズというバンドのボーカルとしてレコードデビューした。当時は、ヘアスタイルや衣装などが個性的だと思った。(40代男性)

ネット上の人物

東京ラブストーリーがやっぱり有名ですよね。自分もこの作品は大好きで本当に胸がキュンキュンしたことを今でも覚えていますね。(30代男性)

ネット上の人物

やはりチェッカーズとしてデビューしていたことが印象的です。日本中を虜にしていたバンドだと思うので、彼の全盛期のような気がします。(30代女性)

30代

藤井フミヤさんが30代の頃の代表的なできごとはこちらです。

  • 1992年(30歳):第43回NHK紅白歌合戦への出場
  • 1993年(31歳):藤井郁弥から藤井フミヤに名前を変え、ソロ活動を開始
  • 1997年(35歳):ドラマ「硝子のかけらたち」に出演

1992年にチェッカーズが解散。

解散の理由は、メンバー同士での音楽の活動や方向性の違いだと言われています。

解散後、藤井さんはソロ活動を始めて、シングル「TRUE LOVE」を発表しました。

また、ドラマ「硝子のかけらたち」出演し、第10回ザテレビジョンドラマアカデミー賞主題歌賞を受賞

弟の藤井尚之さんと一緒に音楽ユニット「F-BLOOD」を結成したりと、解散後も幅広く活動していました。

ソロで活躍しても、藤井さんの歌声は聞いていて心地が良く耳に残る曲が多かったです。

ねこ太郎

チェッカーズの解散は本当に残念だったよね

藤井フミヤさんファンに聞いた、藤井フミヤさんの30代で印象に残っている出来事

アンケート調査結果
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1993年に芸名を現在の藤井フミヤに改名して、ソロ活動を本格的に始めた。この頃に出したヒット曲は今でも覚えている。(40代男性)

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世にも奇妙な物語の公園デビューというエピソードが本当に面白かったです。公園に関わる話でママ友たちとのやりとりがとても不穏で目が離せませんでした。(30代男性)

ネット上の人物

ソロシングルの「TRUE LOVE」が印象に残っています。ドラマと共に大ヒットしていて、私もよく歌っていたからです。(30代女性)

40代

藤井フミヤさんが40代の頃の代表的なできごとはこちらです。

  • 2004年(42歳):藤井さんが作詞作曲した「星空の片隅で」をMISIAに提供
  • 2005年(43歳): 福岡県久留米市へ市歌「ふるさとのささやき 〜新久留米市の歌〜」の作曲に協力
  • 2007年(45歳): 「バイク王」のCMに弟である藤井尚之さんと共演

MISIAのアルバム「SINGER FOR SINGER」に収録、ドラマ「みんな昔は子供だった」の主題歌にもなりました。

市歌「ふるさとのささやき 〜新久留米市の歌〜」は、1市4町の合併したことにより、新たな久留米市が誕生したことを記念して制定されたものです。

「バイク王」のCMは全国で放映され、バイクファンにはたまらない藤井兄弟の魅力が詰まったものでした。

作詞や作曲も手掛けるほどの才能がある藤井さん。

弟の藤井尚之さんとのCMの共演やバンド活動など二人三脚で頑張ってきたのですね。

ねこ太郎

ソロになっても勢いは衰えることなく人気だよね。

藤井フミヤさんファンに聞いた、藤井フミヤさんの40代で印象に残っている出来事

アンケート調査結果
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日本武道館で開催されたコンサートの出演回数が、2008年に歴代のアーティストの中で最多になった。武道館で多くコンサートを開催していることはすごいと思った。(40代男性)

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家族ゲームの母親役がとても印象的でした。板尾さんとの軽快なやりとりがとても魅力的でたまりませんでしたね。櫻井さんとの演技合戦も魅力的です。(30代男性)

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「下北以上 原宿未満」というシングル曲が印象に残っています。ドラマが好きだったので、曲も一緒に楽しんでいました。(30代女性)

藤井フミヤの若い頃の髪型は前髪だけ長め

藤井フミヤさんの若い頃の髪型といえば、前髪の中央だけが長めな髪型を思い出す方も多いのではないでしょうか。

無邪気で可愛い顔が引き立つ髪型で、かなりのイケメンでした。

その頃の世間の流行は、髪にボリュームを持たせる髪型やパーマが人気でしたが、藤井さんが頻繁に変える髪型も魅力や新鮮さを与えてくれていたようです。

ねこ太郎

無邪気な笑顔に、どんな髪型も似合うイケメン!

まとめ

まとめ

今回は、藤井フミヤさんの若い頃の活躍や出来事を、画像とともに振り返りました。

ねこ太郎

年代ごとに印象深い出来事がたくさんあったね!

これからの活動も頑張ってほしいと思います。

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