女優、歌手として活躍する風吹ジュンさん。
若い頃どんな風貌だったのかや、年代ごとにどんなできごとがあったのか気になるかたも多いと思います。
さっそく、風吹ジュンさんの若い頃の写真やできごと、デビューのきっかけを年代順に振り返ってみましょう。
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風吹ジュンのデビューのきっかけや時期は?

風吹ジュンさんは、1972年にスカウトされて芸能界入りし、1974年に初代ユニチカマスコットガールとして注目を集めました。
同年「愛がはじまる時」で歌手デビューを果たし、人気が爆発しました。
【5曲目】
— しがない三四郎 (@shinya_bokudake) August 25, 2019
風吹ジュン『愛がはじまる時』♬
[74.05.01発売]
作詞: #有馬三恵子
作曲:平尾昌晃
編曲:馬飼野俊一
※デビューシングル
※オリコン最高21位#歌謡選抜 pic.twitter.com/mJ9rJVHQyD

とっても可愛い!柔らかい雰囲気の中にスター性も感じるね!
風吹ジュンの幼少期は?若い頃の活躍やできごとを年代順に振り返り

風吹ジュンさんの幼少期のエピソードや、若い頃の活躍やできごとを年代順に振り返っていきます。
幼少期
風吹ジュンさんは1952年5月12日に富山県婦負郡八尾町(現・富山市)で生まれました。
裕福な家庭で育ちましたが、家庭環境は複雑でした。小学校5年生の時に両親が離婚し、3歳年上の兄と共に母親に引き取られ、母親の内職を手伝って暮らしていました。
中学生になると、母親から「自分のことは自分で面倒見なさい」と言われ、アルバイトをして生活をしたそうです。
幼少期は壮絶で、早くから自立を強いられる経験をしたことがわかりますね。

家庭環境で苦労したみたい…!
10代

風吹ジュンさんが10代の頃の代表的なできごとはこちらです。
- 1968年(16歳):京都に移り住み自活生活をする
- 1970年(18歳):上京し、ホステスとして働く
- 1971年(19歳):スカウトされ芸能界へ入る
母親に再婚の話があったため、高校進学はせずに京都で兄と二人暮らしをすることとなりました。兄の給料だけで生活していたため、経済的に厳しい状況でした。
風吹ジュンさんは家計のやりくりと夕食の準備を担当し、限られた食材でなんとか食事を作っていたそうです。
サワコの朝観た!風吹ジュンさん67歳、可愛い💓11歳の時に両親が離婚、中2で生活能力がなくなった母親(お店に泥棒が入り放火された)と離れ、3つ上の兄と二人暮らしになりご飯は風吹さんが作っていたと言う…ものすごい苦労したんだね…😭でも不幸とは思ってないって。 pic.twitter.com/nGI8n0fYSr
— あゆみん (@AYUKWON) April 11, 2020
18歳で上京した風吹ジュンさんは、銀座の高級クラブ「徳大寺」でホステスとして働き始めました。当時の源氏名は「レオ」で、お店では人気ナンバーワンを競う存在だったそうです。
極貧の中、縫製工場などでバイトをして自活。高校進学は諦め、スナックで住み込みで働いた。18歳になると上京し、銀座の有名クラブでホステスを始める。
引用元:文春オンライン
風吹ジュンさんあh、勤務していたクラブで出会った芸能関係者にスカウトされ1971年に芸能界入りを果たします。
風吹ジュンは芸名で、由来は「風に吹かれたように出てきたから風吹」で、「ジュン」は語呂が良いからとされています。
10代は苦労が多かったようですが、前向きに生きる力強さのある女性だったようですね。

フレッシュさを感じる芸名を付けてもらったんだね!
風吹ジュンさんファンに聞いた、風吹ジュンさんの10代で印象に残っている出来事


18歳で上京し高級クラブ「徳大寺」で源氏名「レオ」として働いていたときにスカウトされたそうです。今でも垣間見える独特の色っぽさはこの時培ったのかもしれませんね。(40代女性)

家庭環境に恵まれず、苦労してきた風吹さんは銀座の高級クラブで働くようになり、そこで芸能関係者の人にスカウトされたそうです。当時からきっと可愛かったんだろうなと思います。(40代女性)

ホステスとして働いていたことがあること。今の彼女からは想像や信じられないほど苦しい思いをしたのだなとかんじます。(40代女性)
20代

風吹ジュンさんが20代の頃の代表的なできごとはこちらです。
- 1974年(22歳):事務所移籍問題により年齢詐称が明らかになる
- 1975年(23歳): ドラマ「寺内貫太郎一家パート2」に出演
- 1977年(25歳):映画『白熱デッドヒート』でスクリーンデビュー
風吹ジュンさんが22歳の時、テレビでの撮影後に何者かに連れ去られる事件が発生しました。
当初、暴力団がらみの拉致監禁事件と騒がれましたが、実際には事務所の移籍問題をめぐり、元の所属事務所の社員が風吹ジュンさんを説得するためにホテルに連れて行ったことが判明しました。
これらの騒動の中で、風吹ジュンさんの2年の年齢詐称やホステス経験、さらにデビュー時のプロフィールを偽っていたことが明らかになりました。
風吹ジュンは誘拐されホテルで軟禁… 昔、芸能人の事務所移籍はこんなに大変だった(デイリー新潮)
— THE WORLD NEWS (@news_type_c) November 1, 2020
.https://t.co/72m7P65iAh pic.twitter.com/NpIaYl2ohl
風吹ジュンさんは1975年にテレビドラマ「寺内貫太郎一家2」で女優デビューしました。
この作品は風吹ジュンさんにとって重要な転機となり、スキャンダル後も女優としてのキャリアを継続する足がかりとなりました。
寺内貫太郎一家の風吹ジュン、画像じゃわかりにくいけど髪の毛ゆるふわで艶々で量多くて可愛くて素敵 pic.twitter.com/MhDAlaUJZa
— じゅり (@yuri__ri) October 29, 2020
風吹ジュンさんは、「白熱 デッドヒート」で映画に初出演し志田真木役を演じています。この映画はスリリングなカーアクションが話題を呼びました。
事務所の問題や自分が抱えている嘘に嫌気がさしたこともあったようですが、その後も女優として芸能界で活躍する姿に人としての強さを感じます。

強い女性は魅力的!
風吹ジュンさんファンに聞いた、風吹ジュンさんの20代で印象に残っている出来事


1973年に初代ユニチカマスコットガールに選ばれたのがマスメディアデビューだそうです。歴代ユニチカマスコットガールには有名人も多くいるので、女優の登竜門的コンテストだったのでしょうか。(40代女性)

21歳の時に年齢を偽り芸能界にデビューしたそうで、のちにこれがスキャンダルとなり清純派とかで売り出していたが、イメージが崩れたそう。可愛かった風吹さんの印象がガラリと変わりました。(40代女性)

年齢詐称。清純で売るために年齢詐称し、バレた時には全部じつは清純では買ったことを曝け出すのはかなりの勇気が必要だと感じる。(40代女性)
30代

風吹ジュンさんが30代の頃の代表的なできごとはこちらです。
- 1981年(30歳):年上の音楽プロデューサーと結婚
- 1983年(31歳):ドラマ『北の国から'83冬』に出演
- 1983年(31歳):土曜ワイド劇場『断線』に出演
1981年には、音楽プロデューサーの川添象郎さんと結婚しています。二人の間には2人の子供がいて、1984年に長女、1986年に長男が生まれています。
結婚していた風吹ジュンさんと
— sakura (@sakura1879424) February 18, 2025
音楽プロデューサー pic.twitter.com/uOqVWnC7JT
『北の国から'83冬』で風吹ジュンさんは、沢田松吉(笠智衆)の孫娘である沢田妙子役を演じました。妙子は富良野の街にあるラーメン屋で働いているという役どころでした。
1981〜82年に放送された人気ドラマのスペシャル第1作。五郎(田中邦衛)はクマさん(南雲佑介)と東京へ出稼ぎに行っていたが、麓郷のわが家で正月を迎えるため久々に帰宅する。純(吉岡秀隆)と螢(中嶋朋子)は喜ぶが、ある日五郎はみどりの借金の連帯保証人として、突然700万円の返済義務を負わされてしまう。
引用元:WEBザテレビジョン
土曜ワイド劇場「断線」に出演しており、松田優作さん、辺見マリさんらと共演しています。この頃は松本清張作品を始め、多くのミステリードラマに出演しました。
風吹ジュンさんは30代の時期に、演技派女優としての地位を確立していったことが想像できます。

結婚、子育て、女優業、すべてをこなしていたのはすごい!
風吹ジュンさんファンに聞いた、風吹ジュンさんの30代で印象に残っている出来事


1981年に結婚、1992年に離婚、その間1男1女をもうけているので、たまにドラマに出演する程度で子育てに専念していたのかもしれません。ちなみに旦那さんは有名な音楽プロデューサーだったようです。(40代女性)

ドラマや映画に出演して、濡れ場も辞さない風吹さんの印象が強かったです。キレイな女優さんというイメージで年下の男性と恋をするドラマも印象的でした。(40代女性)

川添象郎と結婚。その旦那様は薬物による逮捕歴があったのでそんな方と結婚するなんてと、彼女もそのような類の人間なのかとショックです。(40代女性)
40代

風吹ジュンさんが40代の頃の代表的なできごとはこちらです。
- 1992年(40歳):離婚してシングルマザーになる
- 1995年(43歳):花王の美容液のCMに出演する
- 1999年(46歳):コキーユ-貝殻-で主演をつとめる
1992年に川添象郎さんと離婚しました。離婚の主な理由は川添象郎さんの不倫だそう。離婚当時、娘は中学生で息子は小学5年生でしたが、風吹ジュンさんはシングルマザーとして2人の子供を育てあげました。
そんな離婚騒動の最中、出演した映画「無能の人」で高い評価を受け、各映画賞の助演女優賞を受賞するなど、女優として確固たる地位を築き上げた年でもありました。
引用元:AIKRU
花王の美容液、ソフィーナバイタルリッチのCMに出演しています。40代の肌悩みに合った商品で、風吹ジュンさんの語りが印象的なCMでした。
1999年公開の映画『コキーユ-貝殻-』で主演を務めました。風吹ジュンさんは、離婚して故郷に戻り「コキーユ」という名のスナックを経営する早瀬直子を演じ報知映画賞主演女優賞を受賞しました。
#HBD
— ジョニーデップリ (@miou3170) May 12, 2020
1999年 中原俊監督作品
『コキーユ 貝殻』
2度目の初恋とでもいいますか?男性本意の作品なのはわかっているがこう言うのに弱いんですよ💚
キュートで色っぽい風吹ジュン
年を取るほどに輝く日本には珍しい大好きな女優さん☺ pic.twitter.com/ciBnlKYBF9
子育てと仕事に追われ、忙しい毎日でも「過去にとらわれず、前進することに集中する」ことを大事にしていたそうです。

プライベートが大変な中、しっかり活躍している女優根性がすごい!
風吹ジュンさんファンに聞いた、風吹ジュンさんの40代で印象に残っている出来事


1996年のドラマ「ロングバージョン」の劇中で、木村拓哉が「風吹ジュンさんみたいに大人の魅力をもっていれば」というようなセリフをいって、それを機に若い世代が風吹ジュンに注目したような覚えがあります。(40代女性)

この頃から母親役のドラマでよく見かけるようになり、化粧品のCMにも長年出演されていました。年齢を感じない若々しい風吹さんがいつもキレイで素敵だなと思いました。(40代女性)

旦那様と離婚。結婚してからもさらに逮捕歴があるので離婚して正解、子供達は引き取れてよかったと感じます。(40代女性)
風吹ジュンの若い頃の髪型はナチュラルブラウンのストレートロングヘア

風吹ジュンさんの若い頃の髪型といえば、デビュー当初のブラウンのストレートヘアを思い出す方も多いのではないでしょうか。
顔回りの髪をカット✂️目指すは風吹ジュンさん❗️💕✨ #radiodisco pic.twitter.com/EBFH4zomMV
— YUKI (@steppingGGyuki) July 15, 2023
風吹ジュンさんの若い頃の髪型は、ナチュラルブラウンのストレートロングヘアでした。前髪は大きなウエーブで右側に流す、風に吹かれたようなふわっとしたスタイルです。
この髪型は、チャーミングで可愛らしい印象になると同世代の女性たちから特に人気があったようです。

若々しく元気な印象だね!
まとめ

今回は、風吹ジュンさんの若い頃の活躍や出来事を、画像とともに振り返りました。

年代ごとに印象深い出来事がたくさんあったね!
これからの活動も頑張ってほしいと思います。