デヴィ夫人は若い頃何してた?写真が美人すぎると話題!石油事業でも大成功!

日本生まれインドネシア国籍のタレントで、インドネシアのスカルノ元大統領の第3夫人として有名なデヴィ・スカルノさん。

若い頃どんな風貌だったのかや、年代ごとにどんなできごとがあったのか気になるかたも多いと思います。

さっそく、デヴィ夫人の若い頃の写真やできごと、デビューのきっかけを年代順に振り返ってみましょう。

著:ラトナ・サリ・デヴィ・スカルノ
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目次

デヴィ夫人のデビューのきっかけや時期は?

デビューのきっかけや時期

パリの社交界で「東洋の真珠」と引っ張りだこだったデヴィ夫人。

芸能活動は1970年代から開始しており、日本を代表する芸能情報雑誌「GORO」で、ヌード写真を披露したこともあるのです。

2000年代に、日本へ行き来するようになり日本のテレビにも出演するようになりました。

ねこ太郎

今もいバラエティ番組で何事にもパワフルに挑む姿が大人気!

デヴィ夫人の幼少期は?若い頃の活躍やできごとを年代順に振り返り

デヴィ夫人の幼少期のエピソードや、若い頃の活躍やできごとを年代順に振り返っていきます。

幼少期

大工さんだったデヴィ夫人の父親は目の病気を患ってしまい、母親も足が悪くパートに出ることも難しかったため内職をしながら家計を支えていたといます。決して裕福な暮らしではありませんでした。

ねこ太郎

お嬢様育ちと思われそうですが苦労してきたのですね。

10代

デヴィ夫人の若いころの10代の年表

デヴィ夫人が10代の頃の代表的なできごとはこちらです。

  • 1955年(15歳):映画にエキストラ出演 東京都立三田高校定時制進学
  • 1956年(16歳):父親が亡くなり高校中退
  • 1959年(19歳):東日貿易の秘書としてインドネシア建国の父であるスカルノ

デヴィ夫人は15歳の時、映画「青ヶ島の子供たち 女教師の記録」にエキストラで出演しています。高校進学と同時に難関を突破し、千代田生命保険に入社し忙しい日々を送っていました。

16歳で父親が亡くなったことに伴い、高校を中退。当時から大人びていた美貌を生かし赤坂の有名高級クラブ「コパカバーナ」で働き始めます。日本随一の社交場としてほとんどが外国人のお客様ということもあり、デヴィ婦人の英語力はさらに磨かれていったのです。

そして19歳の時、開発援助に伴いインドネシアのスカルノ初代大統領の元へ就きました。これがのちに結婚するスカルノ大統領との出会いとなりました。出会った時、英語が話せることがとてもプラスになったそうです。

決して楽な道ではなかったですが、デヴィ婦人がこれまでしてきた苦労や経験があってこそたどり着いた出会いですね。しっかり学び働いてきたからこそ生き抜く力になっているのがわかります。

ねこ太郎

この頃から女優さんのようなオーラだね!

デヴィ夫人ファンに聞いた、デヴィ夫人の10代で印象に残っている出来事

アンケート調査結果
ネット上の人物

高校を卒業後に千代田生命保険会社に入社したという点に驚きました。かなりの倍率で難関だったらしいのですが、それを乗り越えるだけの強運を持っていたと知りびっくりしました。(30代女性)

ネット上の人物

戦争で辛い経験をしながらも、中学卒業後、千代田生命保険に入社しつつ定時制の高校に通うというバイタリティーの強さを感じた。(20代女性)

ネット上の人物

アメリカ人のボーイフレンドがいてシャリーマクレーンの夫らと交流をしていたこと。自分には未知の世界だからです。海外で海外の方と仲良くするのが私の憧れであるからです。(30代男性)

20代

デヴィ夫人の若いころの20代の年表

デヴィ夫人が20代の頃の代表的なできごとはこちらです。

  • 1962年(22歳):スカルノ大統領と結婚
  • 1962年(22歳):最愛の母と弟を亡くす
  • 1967年(27歳):娘を出産する。 デヴィはフランスに亡命

22歳でスカルノ初代大統領と正式に結婚します。「私のインスピレーションとなってください。私の力の根源となり、人生の喜びとなってください」というプロポーズの言葉にこんなに美しいプロポーズは100年生きていてももうないだろうと思ったそうです。

同年、母親と弟が亡くなります。母親はマスコミの取材がストレスで亡くなり、弟は続くように自殺と言われていますが幸せな結婚の反面、壮絶な年だったことでしょう。

27歳の時、第一子の娘カリナを出産。安全な出産をために日本で出産しました。大統領の身分をはく奪され、インドネシアに戻れる情勢ではなくなってしまい出産後すぐにフランスに亡命します。

幸せな結婚出産だけではなく波乱万丈なデヴィ夫人の人生にびっくりです。幼い頃に経験した戦争と貧しい暮らしでどんな逆境でも生き抜く強さを与えてくれたとお話しするデヴィ夫人がとても強くかっこいい女性だと感じました。

ねこ太郎

プロポーズの言葉にはドキッとしちゃうね!

デヴィ夫人ファンに聞いた、デヴィ夫人の20代で印象に残っている出来事

アンケート調査結果
ネット上の人物

やはりインドネシアのスカルノ大統領との結婚が印象深いですね今デヴィ夫人と呼ばれている発端になった出来事なので本当にすごいと心から思います。(30代男性)

ネット上の人物

22歳でスカルノ初代大統領と結婚し、第3夫人となった。学生時代に勉学にも励み英語が流暢であったことや、立ち振る舞いが見事であったのだと思う。(20代女性)

ネット上の人物

1965年、クーデター未遂事件により夫人とスカルノ大統領が狙われたことです。夫人が必死に大統領を守ろうとする姿がとてもたくましく、かっこよく感じたからです。(30代男性)

30代

デヴィ夫人の若いころの30代の年表

デヴィ夫人が30代の頃の代表的なできごとはこちらです。

  • 1970年(30歳):スカルノ大統領死去
  • 1974年(34歳):グラビア系男性向け情報雑誌『GORO』でヌード写真を披露。
  • 1978年(38歳):11歳の娘カリナさんをフランスに残しインドネシアに渡る。

1970年にスカルノ大統領がジャカルタにて腎不全で亡くなります。またで暗殺で亡くなったという情報もありますが、どちらが事実かは分かっておりません。

1974年デヴィ夫人が34歳の時、雑誌「GORO」で写真家・デイヴィッド・ハミルトンの撮影でヌード写真を披露しました。芸術的な作品が残っています。

1978年に娘をフランスに残したままインドネシアに渡りました。スカルノ氏の資産を相続することや当時携わっていた石油関係の事業の目的でしたが、軍事クーデターが起きたばかりのインドネシアは治安が悪かったため娘を置いていくことになったのです。

スカルノ大統領が亡くなり、残った遺産でインドネシアで石油事業を手掛けたりと子供を十分に育てるための資産も増やされていて、娘を育てる覚悟と努力が感じられました。

ねこ太郎

GOROの創刊号で目玉を飾るデヴィ夫人!

デヴィ夫人ファンに聞いた、デヴィ夫人の30代で印象に残っている出来事

アンケート調査結果
ネット上の人物

30代の頃にGOROという雑誌でヌード写真集を出したことが印象的ですね。昔のデヴィさんは本当に美形で芸術的な雰囲気を醸し出していたので凄く美しかったです。(30代男性)

ネット上の人物

『GORO』の撮影でディヴィッドハミルトンによるヌードが撮影されたことです。自分も写真をしているのでいつかモデルさんのこういった撮影が出来たらいいなと思ったからです。(30代女性)

ネット上の人物

スカルノ大統領が死去。1970年大統領危篤の知らせを受けた当時、フランスへ亡命していたため死を覚悟して向かいましたが、娘と対面することが出来なかった点が、国交の難しさを感じる。(20代女性)

40代

デヴィ夫人の若いころの40代の年表

デヴィ夫人が40代の頃の代表的なできごとはこちらです。

  • 1980年(40歳):インドネシアで石油事業を始める
  • 1980年(40歳):石油事業で成功し莫大な資産を築く

デヴィ夫人は1980年、40歳の年でインドネシアで石油事業を手掛け成功しており、毎年数億単位でお金が振り込まれていると言われています。

娘のカリナさんを上流階級で育てるためにもしっかりと資産を築く必要があったのですね。

娘のカリナさんは自分が置いて行かれたことで捨てられたと勘違いしたことによるわだかまりができたと思ったようですが、のちにカリナさんが出産したことを境に再び距離を縮めていけたようです。

ねこ太郎

総資産は60億円以上と噂されています…すごい!

デヴィ夫人ファンに聞いた、デヴィ夫人の40代で印象に残っている出来事

アンケート調査結果
ネット上の人物

40代の頃にインドネシアに戻って石油事業をやり始めた部分が印象的です。今のバラエティで活躍している姿からは想像できないくらい紆余曲折を経ていることがわかり本当に感銘を受けました。(30代男性)

ネット上の人物

インドネシアに戻り、ヨーロッパの5つの大きな会社のエージェントとして石油関係のビジネスを興す。頭が良いだけではなく行動力がある点がすごいと思う。(20代女性)

ネット上の人物

数々の石油会社を建設したことです。貿易業に私が興味があり短期間でのフランス語習得が凄いと思ったからです。(30代男性)

デヴィ夫人の若い頃の髪型はオールバック

デヴィ夫人の若い頃の髪型といえば、オールバックな髪型を思い出す方も多いのではないでしょうか。

昔の髪型を見てみるとどれも品があって華やかで豪華な印象です。そしていろんな髪型をしてお洒落を楽しんでいる様子が伝わってきますね。

20代の頃から前髪をふんわりと上げ、後ろでまとめるヘアスタイルをされています。スカルノ大統領と公式の場に出る時などにもゴージャスで品のある髪型が美しさを際立てていますね。

ねこ太郎

若い頃からずっと美しいデヴィ夫人だったね!

まとめ

まとめ

今回は、デヴィ夫人の若い頃の活躍や出来事を、画像とともに振り返りました。

ねこ太郎

年代ごとに印象深い出来事がたくさんあったね!

これからの活動も頑張ってほしいと思います。

著:ラトナ・サリ・デヴィ・スカルノ
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