俳優・映画監督として活躍するクリントイーストウッドさん。
若い頃どんな風貌だったのかや、年代ごとにどんなできごとがあったのか気になるかたも多いと思います。
さっそく、クリントイーストウッドさんの若い頃の写真やできごと、デビューのきっかけを年代順に振り返ってみましょう。
クリントイーストウッドのデビューのきっかけや時期は?
デビューのきっかけとなったのは、1950年代始め、ロサンゼルス・シティ大学在学中に撮影監督のアーヴィング・グラスバーグさんと出会ったことだと言われています。彼に気に入られてオーディションの機会を得たのだとか。
その後映画製作・配給会社であるユニバーサルと契約を結んだのだそうです。
映画デビュー作は1955年の「半魚人の逆襲」でした。ユニバーサルは1年ほどで解雇されたものの、小さな役柄で俳優を続け、1959年米国の西部劇ドラマ「ローハイド」の出演をきっかけに一躍有名になりました。
下積み時代もあったのですね。
クリントイーストウッドの幼少期は?若い頃の活躍やできごとを年代順に振り返り
クリントイーストウッドさんの幼少期のエピソードや、若い頃の活躍やできごとを年代順に振り返っていきます。
幼少期
米国カリフォルニア州サンフランシスコ出身のクリントイーストウッドさんが生まれたのは、世界恐慌初め頃の1930でした。世界恐慌の影響で生活が大変だったのか、子ども時代は転々と引越しを繰り返していたそうです。
のちに俳優としてブレイクするきっかけとなる西部劇は、子どもの頃から好きだったのだとか。
将来ご自身が大好きな西部劇の作品で活躍するとは、当時は想像もしなかったのでしょうね。
まさにアメリカンドリーム!?
10代
クリントイーストウッドさんが10代の頃の代表的なできごとはこちらです。
- 1942年(12歳)頃:中学校入学
- 1945年(15歳)頃:中学校卒業
- 1947年(17歳)頃:高校卒業
クリントイーストウッドさんは、1942年頃から1945年頃に中学校に在籍していたと思われます。
高校卒業年は明確ではありませんが、アメリカでは一般的には17歳前後で高校を卒業するようです。
お芝居との出会いは中学校の課題で劇をやったことだそうです。上手ではなかったそうですが、評判はよかったのだとか。そのときは、演劇をまたやろうとは思わなかったそうです。
在学中は高身長や転校が多かったせいで除け者にされることもあったのだとか。
映画界の巨匠クリント・イーストウッドさんの若い頃から現在までの写真!
— 淳介 (@junchan19890316) January 20, 2024
今年5月で94歳になるイーストウッドさんですが、監督業も俳優業も現役で活動されてます!
現在も映画撮影中❗ pic.twitter.com/EXsLmigL0f
昔からイケメンすぎて嫉妬されていたのもあるかもしれませんね。
若い頃から様々な苦労をしていたのですね。
クリントイーストウッドさんファンに聞いた、クリントイーストウッドさんの10代で印象に残っている出来事
オークランド・テクニカル・ハイスクール時代、教師から演劇サークルを勧められて断ったことです。当時は演劇に全く興味がなかったということなので驚きました。(50代男性)
学生時代はバスケが得意だったという話を聞いてなんとなく納得感がありましたね。運動神経が良さそうな顔立ちだったのでやっぱりと思いました。(30代男性)
成績不良でサマースクールに通う必要があり、最後は成績不振のために転校を余儀なくされたこと。
有名人は若い頃は苦労人が多いから。(50代女性)
20代
クリントイーストウッドさんが20代の頃の代表的なできごとはこちらです。
- 1951年(21歳):陸軍に入隊
- 1955年(25歳):「半魚人の逆襲」で映画デビュー
- 1959年(29歳):20代の頃の代表的なできごとを時代が古い順に一行で書く
1951年、招集を受けてアメリカ陸軍に入隊しました。カリフォルニアの基地でライフガードとして働いていたそうです。
1954年に機会を得て映画の世界に入り、1955年「半魚人の逆襲」で映画デビューを果たします。SFホラー作品の端役でした。
その後下積み時代を経て、1959年テレビドラマ「ローハイド」の準主役で有名となりました。「ローハイド」はシリーズ化し1965年まで出演しました。
「ローハイド」(1950)
— Cinem@rt(シネマート) & エンタメ・アジア|アジアドラマ情報をお届け中! (@cinemart_ent) November 1, 2017
クリント・イーストウッド初主演作が初DVD化!
1960年代、日本を空前の“西部劇ブーム”に導いた伝説のカウボーイたちが、半世紀ぶりに帰って来た!
出演:クリント・イーストウッド、 エリック・フレミング、 ポール・ブラインガー#SPO30th pic.twitter.com/UjGdaJ67p6
「ローハイド」は日本でもヒットし、1962年に初来日もされたそうです。
ものすごくハンサムですね!
クリントイーストウッドさんファンに聞いた、クリントイーストウッドさんの20代で印象に残っている出来事
イーストウッドの搭乗していたA-1がサンフランスシスコ近郊で墜落事故を起こしたことです。無傷で海岸へたどり着いたとのことですけど、よく生きていたな~と驚きました。(50代男性)
アメリカ陸軍に召集されたという話に時代を感じましたね。やっぱり辛い世界情勢が彼の周りを取り巻いていたんだなと実感させられます。(30代男性)
1954年から本格的にタレント活動を始めたこと。
成績不振者だったもの、すぐに芸能の道へ進んだわけではなかったのだな、と意外だったから。(50代女性)
30代
クリントイーストウッドさんが30代の頃の代表的なできごとはこちらです。
- 1964年(34歳):映画「荒野の用心棒」主演
- 1965年(35歳):映画「夕陽のガンマン」主演
- 1968年(38歳):映画製作会社「マルパソ・プロダクション」を設立
1964年、イタリアで制作された映画「荒野の用心棒」の主演を務めました。黒澤明監督の映画「用心棒」を西部劇としてリメイクしたこの映画は、世界的ヒットを記録しました。
1965年にも同じくイタリアで制作された西部劇映画「夕陽のガンマン」に主演し、こちらも人気を博しました。
これらのヒットがマカロニ・ウエスタン(イタリア製西部劇)ブームのきっかけになったのだとか。
#監督と俳優の最強コンビ映画
— メメント・モリ夫 (@halfromhell) January 27, 2025
セルジオ・レオーネ
❤️🔥
クリント・イーストウッド
『荒野の用心棒』
『夕陽のガンマン』
『続・夕陽のガンマン 地獄の決斗』
俺にとってイーストウッドの西部劇といえばいつまでもこれなんだよね。なぜってめちゃくちゃカッコいいからだよ。それ以外にあるか。 pic.twitter.com/eihRHVnLZR
1968年イタリアでの制作から戻ると、自身の映画製作会社「マルパソ・プロダクション」を設立しました。
「ローハイド」で人気に火がつき、西部劇と言えばこの人というイメージがついたのでしょうね。
監督だけでなく俳優としても大活躍だったのですね!
クリントイーストウッドさんファンに聞いた、クリントイーストウッドさんの30代で印象に残っている出来事
映画「夕陽のガンマン」に出演したことです。西部劇映画の決定版ともいえる程の大ヒットをしましたし、その作品で主演を務めたことはすごく印象に残りました。(50代男性)
俳優業に邁進していく姿にかなりときめきましたね。彼の芝居は映画で何度か見たことがあったのですが本当に独特の色気がありますね。(30代男性)
1964年に「荒野の用心棒」に出演していたこと。
あまりこの人の若い頃の活躍を知らないので、そんな私でも知っているような作品にも出ていたことに感心したから。(50代女性)
40代
クリントイーストウッドさんが40代の頃の代表的なできごとはこちらです。
- 1971年(41歳):映画「ダーティハリー」主演
- 1971年(41歳):映画「恐怖のメロディ」公開
- 1973年(43歳):映画「ダーティハリー2」主演
1971年、ドン・シーゲル監督の映画「ダーティハリー」の主演を務めました。1960年代以降西部劇を始めアクション作品に多数出演していたクリントイーストウッドさんですが、「ダーティハリー」で演じたハリー・キャラハン刑事はとくにハマり役でした。
ダーティハリー(1971)
— 爆死のピエロ (@ylkk8) January 2, 2025
その刑事は「ダーティ」と呼ばれていた
どれ程の監督が影響を受けたのだろう
ショットのかっこよさ、ストーリーが派手なアクションシーンより遥かに面白い
猟奇殺人とかじゃ無くてもあの狂気を作り出した犯人役も素晴らしかった。
ハリーの前世は西部のガンマンに違いない! pic.twitter.com/YDPu0dkAnW
同年には、自身の初監督作品である映画「恐怖のメロディ」が公開されています。
「ダーティハリー」はシリーズ化され、1973年には「ダーティハリー2」、その後も1988年の「ダーティハリー5」まで主演を務めています。
俳優として別作品に出演しながら自身の監督作品を製作していて、1970年・1971年頃は相当忙しかったのではないでしょうか。
今見ても渋くて格好いいですね!
クリントイーストウッドさんファンに聞いた、クリントイーストウッドさんの40代で印象に残っている出来事
映画『ダーティハリー』に出演したことです。クリントイースウッドといえばダーティーハリーと感じるぐらいの代表作でもありますし、印象に残りました。(50代男性)
恐怖のメロディという作品がかなり印象深いです。イーストウッドさんの独特の趣を感じられる素晴らしいものでした。(30代男性)
四十代になってイーストウッドの当たり役である「ダーティハリー・シリーズ」の始まりとなったこと。
長らく待った甲斐があっただろうなぁ、と本人に思いを馳せたから。(50代女性)
クリントイーストウッドの若い頃の髪型はウエスタンハット
クリントイーストウッドさんの若い頃の髪型といえば、ウエスタンハット姿を思い出す方も多いのではないでしょうか。
クリントイーストウッドの若いころめちゃくちゃかっこいいな
— Carl (@carltheyesman) November 21, 2018
三船敏郎といいこの用心棒たちみたいなおっさんになりたい pic.twitter.com/jmVorFAMgI
髪型ではないのですが、やはり西部劇の印象が強いためですね。俳優としてのクリントイーストウッドさんを思い浮かべると、どうしてもウエスタンハット姿が出てきてしまいます。
西部劇のスター俳優として人気を博し、男らしさと色気に溢れた魅力的な姿でした。
2025年現在の穏やかな佇まいも素敵ですね。
まとめ
今回は、クリントイーストウッドさんの若い頃の活躍や出来事を、画像とともに振り返りました。
年代ごとに印象深い出来事がたくさんあったね!
これからの活動も頑張ってほしいと思います。