元プロレスラーで、現在はYouTuberとして活躍する長州力さん。
若い頃どんな風貌だったのかや、年代ごとにどんなできごとがあったのか気になるかたも多いと思います。
さっそく、長州力さんの若い頃の写真やできごと、デビューのきっかけを年代順に振り返ってみましょう。
長州力のデビューのきっかけや時期は?

長州力さんのプロレスデビューのきっかけは、新日本プロレスからのスカウトでした。専修大学卒業後、1974年に新日本プロレスに入団しています。
長州力さんは元々レスリングの選手として活躍しており、大学4年生時には全日本選手権で優勝するなど、優れた実力を持っていたようです!
プロレスの道を選んだ理由には経済的な面もありました。新日本プロレスでの初任給は月7万〜8万円で、合宿所での生活や食事が保証されていたことが、プロレスラーとしての道を選ぶきっかけにもなったようです。

プロレスデビューは1974年8月8日だよ
筋トレしていつの間にか若い頃の長州力みたいになった🙄
— オッチー (@naoya6202RS) February 16, 2022
完全にレスラー体型や笑 pic.twitter.com/99Erbcunex
長州力の幼少期は?若い頃の活躍やできごとを年代順に振り返り

長州力さんの幼少期のエピソードや、若い頃の活躍やできごとを年代順に振り返っていきます。
幼少期
長州力さんは、1951年12月3日に山口県徳山市で生まれました。在日韓国人2世として、四人兄弟の末っ子として誕生しました。
小学生時代には、在日韓国人二世というだけで教師からも差別を受けたと言われています。
周南市立岐陽中学校では柔道部に所属し、中学3年の終わり頃からは柳井市の斎藤道場でレスリングの基礎を学びました。そこから、メキメキとレスリングが上達していったようです!

野球と柔道に取にもとりくんでいたんだって
10代
長州力さんが10代の頃の代表的なできごとはこちらです。
- 1966年(15歳):3年生で柔道部の主将を務め、団体戦で県1位の成績を収める
- 1967年(15歳):山口県桜ケ丘高校に特待生として入学
- 1969年(18歳):専修大学へ特待生として進学が決まる
長州力さんの10代は、スポーツの才能が開花した時期となりました。
中学時代には柔道部に入部します。3年生で柔道部の主将を務め、団体戦で県1位となるなど優秀な成績を収めました。3年生の終わりころには、柳井市の斎藤道場に通いレスリングをスタートさせました。
その後、山口県桜ケ丘高校のレスリング部に特待生として進学し、レスリング部に所属します。インターハイで73kg級準優勝や国体で75kg以上級優勝するなど、輝かしい成績を残していきました。
高校時代の実績により、レスリング関係者から高い評価を受けた長州力さんは、専修大学へ特待生として進学しました。

学業面でも優秀だったそうだよ!
若い頃の長州力をどうぞ。 pic.twitter.com/Gabv3YB4uu
— キング・ミダラ (@KingMidara) October 4, 2023
長州力さんファンに聞いた、長州力さんの10代で印象に残っている出来事


高校・大学とレスリングに打ち込む。最近はバラエティ番組で可愛らしい一面を見ることも多いですが、学生の頃から様々な大会で結果を残していて改めて凄いアスリートだったんだなと感じたから。(20代女性)

高校時代はレスリング部だったというのが意外でした。なんとなく相撲をしていたと思っていて違ったことにびっくりしました。(30代男性)

10代の頃から野球と柔道で活躍されていたようです。韓国の在日二世のため差別を受けられていたようで衝撃でした。(30代女性)
20代
長州力さんが20代の頃の代表的なできごとはこちらです。
- 1974年(23歳):新日本プロレスに入団
- 1974年(23歳):エル・グレコ戦でデビューを果たす
- 1977年(26歳):デビュー時のリングネーム『吉田光雄』から『長州力』に改名
長州力さんは、専修大学時代にオリンピック出場を目指し、1972年ミュンヘン五輪に出場しました。その後、1974年に新日本プロレスに入団し、月給7万~8万円で合宿所生活を送るなど経済的には安定した環境でした。
しかし、周囲の期待に応えられるような結果をなかなか出せず、2プロレス初期は伸び悩み苦労する日々が続きました。
1977年には、本名の『吉田光雄』から『長州力』へリングネームを変更します。

故郷の長門国の別名長州にちなんで『長州力』にしたんだって!
若い頃の長州力かと思った🤣 https://t.co/63uvGDN8JZ pic.twitter.com/qZ8nYVN9IX
— 🐽 (@nikudeb) March 17, 2021
1982年には、メキシコ遠征でUWA世界ヘビー級王座を獲得するなど国際的な実績を積み始めましたが、当時の遠征理由を『車の免許取得』と軽い理由で説明するなど、プロレスラーとしてあまり多くを語らなかったようです。
長州力さんファンに聞いた、長州力さんの20代で印象に残っている出来事


新日本プロレスに入団。レスリング選手よりもプロレスラーとしてのイメージの方が世間に浸透しているから。(20代女性)

長州力としてプロレスラーとして活躍していた姿が印象的です。結構色々な遠征先に行っていたようでグローバルな感じはとても格好いいですね。(30代男性)

まさかの韓国代表でミュンヘン五輪へ出場されたようです。世代的にも純日本人だと思っていたので、オリンピックまで韓国代表で出られていたのは驚きです。(30代女性)
30代
長州力さんが30代の頃の代表的なできごとはこちらです。
- 1984年(33歳):ジャパンプロレス旗揚げ
- 1987年(36歳):全日本プロレスへ移籍
- 1987年(36歳):一般女性と結婚
1983年、当時の新日本プロレス体制に不満を抱いていた長州力さんは『革命軍』を結成します。アニマル浜口さんや寺西勇さんらと共に『維新軍』へ発展させ注目を集めていきます。この時期、藤波辰巳さんとも『名勝負数え唄』と呼ばれる連戦でプロレス史に残る名勝負を展開していきました。
マサ斎藤、キラー・カーンと共に「革命軍」を結成。さらにアニマル浜口、寺西勇、小林邦昭らと共に「維新軍」を結成します。
引用元:AII About
1987年の全日本プロレス移籍後、ゴールデンタイム中継の復活で他の選手より長くテレビに出演。新日本時代の『攻め』スタイルから全日本流の『受け』スタイルへ転換し、多様なファイトスタイルで視聴者層を広げていきました。
長州さん今でこそあのキャラでみんなを和ませてるけど、若い頃は小便チビりそうな鋭い眼光、美しいフォームでガッチリとキメるサソリ固め、強くて怖くてカッコいいレスラーだった。
— フーディンFLBの救助隊 (@Alakazamaster) March 14, 2020
30年前の話だけど、兄が長州力を好きすぎて愛犬の名前に「リキ」と名付けるくらい好きだったなぁ。
井長州力の思い出 pic.twitter.com/aFyy9v9EqI
同年には、一般女性の英子さんと結婚します。お二人は大学時代の後輩の紹介で出会い、交際から約8カ月後の3回目のデートでチークダンス中に長州力さんからプロポーズしたのだそうです!

英子さんも2、3回目のデートで結婚を決めていたそうだよ!
長州力さんファンに聞いた、長州力さんの30代で印象に残っている出来事


ストレートのロングヘアにイメチェン。今も長髪ヘアを貫いていて、長州さんのトレードマークとなっているから。(20代女性)

マイクパフォーマンスが話題になったことが印象深いです。噛ませ犬というワードは長州さんが広めたように感じます。(30代男性)

IWGPリーグ戦においての、乱入、暴動試験です。猪木さんの発案のようですが、本格的な暴動事件はこれが初めてとのことで、驚きです。(30代女性)
40代
長州力さんが40代の頃の代表的なできごとはこちらです。
- 1993年(42歳):年間最高試合賞を受賞
- 1998年(46歳):プロレスを引退
- 2000年(49歳):現役復帰
この時期の長州力さんは『革命戦士』としてのイメージから『強面のトップレスラー』へ転換しつつ、団体運営と選手育成の両面で影響力を発揮しました。
1995年、UWF戦の試合後のコメントでの『キレてないよ』が、芸人の長州小力さんのネタとなり人気を集めていきました。長州力さんからネタのアドバイスをし、小力さんと飲み会や食事をする仲になったといいます。また、プロレス界やメディア業界での相乗効果がうまれ、お互いの仕事を支え合う存在になっていったそうです。
プロレスラー・長州力のものまねや、「HINOIチームwithコリッキー」名義で発売した「NIGHT OF FIRE」にあわせて踊るパラパラが話題となり、テレビで引っ張りだこに。本人考える暇もなく仕事をこなしていた当時を「ブレイク時の仕事量が異常だった」と回顧。
引用元:ORICON NEWS
久しぶりに長州力さんにお会い出来ました!写メ撮って貰った!最高ですね^ ^
— 長州小力(公式)☀️🐍井 (@koriki1972) July 1, 2020
あべのマスクをされてました。 pic.twitter.com/MWqZKBLlBg
1998年1月4日、46歳だった長州力さんの引退試合が東京ドームで行われ、6万5千人超満員の観客動員を記録しました!
「あれは、その時代の流れが、いい時代っていうか、上に上がったってもう現場を見ていくことには変わらないわけで、下から選手が上がってきている。これだったら、上にいる自分が退いてもいいんじゃないかって、思って、未練もまったくなかったです」
引用元:スポーツ報知
引退後も巡業に参加し、選手と共にトレーニングを続けていたため、体の動きを維持。試合観戦を重ねる中で『自分がリングに上がって見せるべき』という思いが芽生え始め、2000年7月、横浜アリーナで現役復帰を果たしました。

大仁田厚さんから参戦したいというオファーをしたそうだよ
「ボクは、あの20年前の東京ドームで終わってますよ。気持ちの部分ではね。でも、じゃぁ、すべて、そこで終わり切れたかったっていったら自分でもちょっと分からないところはあった。東京ドームってああいうところでやっていただいたから、これで復帰っていうのは無理あるなって、なんか頭の中でまとまらない感覚で今まで来てますよね。思っていること、考えていることと体が一致してないですよね」
引用元:スポーツ報知
最近、長州力さんがよくCMに出てるね、現役当時はかっこよかったんだよ~ 若い人は知らないか!? でも、滑舌の悪さは若い頃から変わらないけどね(^_^) pic.twitter.com/ZZap7QU7vt
— プラスナイト (@plus1956night1) November 2, 2021
長州力さんファンに聞いた、長州力さんの40代で印象に残っている出来事


囲み会見の中で名言「キレてないですよ」が誕生。長州さんのモノマネといえばこのフレーズが使われることが多いから。(20代女性)

モノマネ芸人さんが長州さんの真似をしているのがすごく面白かったですね。めちゃくちゃ似ていて本当に笑顔になれましたね。(30代男性)

一度引退をされ、復帰をされているという事実に驚きです。引退後のカムバックがプロレスであるのは意外でした。(30代女性)
長州力の若い頃の髪型はパーマがかったロングヘアー

長州力さんの若い頃の髪型といえば、ロングヘアーを思い出す方も多いのではないでしょうか。
プロレスに入った当初は髪を短く刈り上げたり、パンチパーマだったようです。その後、ロングヘアーとなり、以降はこのスタイルがトレードマークとなっていったようですね。
昨日ラスタに長州力さんおった。若い頃の。 pic.twitter.com/8SeQV8XAiE
— ザ・ビリーバーズ中野たかし (@NakanoTakashi65) April 18, 2019

どの髪型もお似合いですね!
まとめ

今回は、長州力さんの若い頃の活躍や出来事を、画像とともに振り返りました。

年代ごとに印象深い出来事がたくさんあったね!
これからの活動も頑張ってほしいと思います。