ミュージシャンとして活躍する知久寿焼さん。
若い頃どんな風貌だったのかや、年代ごとにどんなできごとがあったのか気になるかたも多いと思います。
さっそく、知久寿焼さんの若い頃の写真やできごと、デビューのきっかけを年代順に振り返ってみましょう。
知久寿焼のデビューのきっかけや時期は?
知久寿焼さんの音楽活動は高校生のときにスタートしたようです。
知久寿焼さんの高校生時代、1981年に北千住のライブハウス「甚六屋」で石川浩司さんに出会います。
この出会いが知久寿焼さんを音楽の世界で活躍するきっかけになっていきます。
その出会いから3年後の1984年、知久寿焼さんは石川浩司さんと柳原陽一郎さんと共に「かき揚げ丼」という仮バンドを結成しました。
このバンド「かき揚げ丼」が、後に知久寿焼さんを代表するバンド「たま」の前身になりました。
知久寿焼さんのバンドマンデビューはライブハウスでの出会いがきっかけになりました。
知久寿焼の幼少期は?若い頃の活躍やできごとを年代順に振り返り
知久寿焼さんの幼少期のエピソードや、若い頃の活躍やできごとを年代順に振り返っていきます。
幼少期
知久寿焼さんは幼少期は昆虫採取が好きで、特にツノゼミが好きな少年だったそうです。
音楽との接点は、流しの歌手をやっていた叔父によるギターの手ほどきだったようです。
まるで悠々自適な少年時代を過ごしていたかと言えばそうではなく、家庭のことで悩むこともあったみたいですね。
それは、両親の信仰に関することで、両親は熱心な創価学会信者で、一般的な家庭との違いからか悩むことも多々あった少年時代を過ごしています。
知久寿焼さんの幼少期は少年らしい趣味があって素敵だと思います!
知久寿焼さんの幼少期の様々な体験が今後の音楽活動につながっていくのでしょうか。
10代
知久寿焼さんが10代の頃の代表的なできごとはこちらです。
- 1981年(16歳):北千住のライブハウス「甚六屋」で石川浩司さんと出会う。
- 1982年(17歳):両国のライブハウス「両国フォークロアセンター」で柳原陽一郎さんと出会う。
- 1984年(19歳):「かき揚げ丼」から「たま」にバンド名を変更し、初ライブを行なう。
知久寿焼さんと石川浩司さんの出会いは1981年に北千住のライブハウス「甚六屋」での出来事でした。
当時の知久寿焼さんは高校生で、2人の出会いは後のバンド「たま」結成につながっていきます。
知久寿焼さんは17歳のときに両国フォークロアセンターで柳原陽一郎さんと出会います。
この出会いにより、「たま」の初期メンバーが全員そろい、後の音楽活動につながっていきます。
夜中にどうでもいい知識をポストする
— トンパチ (@admnkosk8) October 20, 2023
ヒガシマル醤油「うどんスープ」のCMソングを歌ってるのは「たま」のメンバーの知久寿焼さん
(画像右から二番目方) pic.twitter.com/bmIN5BqEup
知久寿焼さん達は仮バンド名である「かき揚げ丼」から「たま」に正式に改名することになります。
そして、記念すべき初ライブも同年に開催され、バンドマンとしてデビューを果たします。
知久寿焼さんの10代は、後に共にバンド活動をするメンバーと出会った時期になります。
ライブハウスで仲間を見つけて。結果的にそのメンバーでバンドを結成するなんてドラマのようですね!
そんな「たま」が今後どのような活躍を見せるのか非常に気になりますね。
知久寿焼さんの10代は音楽活動をスタートするきっかけを掴んだ時期となりました。
知久寿焼さんファンに聞いた、知久寿焼さんの10代で印象に残っている出来事
「たま」を結成したことです。この音楽ユニットが知久寿焼さんを音楽家として大きく羽ばたかせる契機にもなりましたし、印象に残っています。(50代男性)
16歳の時に石川浩司さんと出会う。石川さんとは後に『たま』という音楽グループを結成するので運命的な出会いだったのだと思う。(40代男性)
たまを結成したというエピソードが印象的です。こんなに昔からグループを結成していたなんて知りませんでした。(30代男性)
20代
知久寿焼さんが20代の頃の代表的なできごとはこちらです。
- 1986年(21歳):吉祥寺のライブハウス「曼荼羅」でレギュラー出演を開始する。
- 1986年(21歳):滝本浩司さんが「たま」に加入し、4人でのバンド活動を開始する。
- 1990年(25歳):「たま」としてメジャーデビューを果たし、「たま現象」を引き起こす。
知久寿焼さんは、21歳にして「たま」としての活動の傍ら、ライブハウスでレギュラー出演を開始します。
そんなバンド以外での音楽活動により、知久寿焼さんの音楽性の独自性を作り上げていきます。
1986年に「たま」は、柳原陽一郎さんの脱退の可能性を受けて新たなベーシストを募集しました。
その結果、ベース経験はないものの他のバンドで活動していた滝本浩司さんが「たま」に加入することになります。
「たま」は宝酒造のCMソング「さよなら人類/らんちう」でメジャーデビューを果たしました。
わ)たま「さよなら人類/らんちう」7インチレコード入荷しました。今夜のマンダラ2、知久寿焼ライブから販売開始いたします。2,200円(税込)。
— ちく商会 知久寿焼 (@chikushoukai) December 4, 2024
なお、今後はスタッフが同行するライブ会場にて販売します。 pic.twitter.com/L3Ce7wHRO0
このメジャーデビューは「たま現象」と呼ばれる社会現象を引き起こすほどの衝撃を与えることになります。
知久寿焼さんは20代で「たま」としてメジャーデビューを果たし、社会に存在を示すことになります。
そんなデビューソングは「たま現象」と呼ばれる社会現象を引き起こすことになり、人気は爆発していきます。
一方バンド活動とは別に、個人として音楽活動を始めた時期でもあり、独自の音楽の追求も同時に行なっていたようですね。
20代では、バンド「たま」としてメジャーデビューを果たすことができました!
知久寿焼さんファンに聞いた、知久寿焼さんの20代で印象に残っている出来事
「移動式女子高生」に『とうじ魔とうじバンド』のメンバーとして参加したことです。「たま」ではなく、『とうじ魔とうじバンド』のメンバーとして活動したことに驚きました。(50代男性)
1989年に『三宅裕司のいかすバンド天国』という音楽番組に出演する。この番組で優勝してたまが有名になったことは覚えている。(40代男性)
音楽番組に出演している姿にすごく感銘を受けましたね。独特の雰囲気を携えていたのでかなり特徴的でしたね。(30代男性)
30代
知久寿焼さんが30代の頃の代表的なできごとはこちらです。
- 1995年(30歳):「パスカルズ」に加入し、ウクレレや口笛を担当する。
- 1999年(34歳):「たま企画室」を設立しレーベルを変え、移籍する。
- 2003年(38歳):「たま」が解散し、ソロ・パスカルズでの活動に中心が移ることになる。
知久寿焼さんはロケット・マツさん率いるアコースティックオーケストラ「パスカルズ」に参加します。
この音楽活動は知久寿焼さんの音楽性をさらに多様なものにしていきます。
この後4時半からTOKYO FM「トランス・ワールド」はパスカルズ特集後篇。知久寿焼さん、松井亜由美さん、横澤龍太郎さん、ロケット・マツさんを迎えて。radikoなら1週間後まで。 https://t.co/pvUeJiO5oO pic.twitter.com/bK0dsdPGPu
— 田中美登里 (@midoritanaka) October 27, 2018
知久寿焼さんは34歳のときに「たま企画室」を設立し、レーベルを日本クラウンから東芝EMIに移籍しました。
この選択により「たま」の活動はマイペースに続け、独自の音楽性を磨くことになります。
2003年、「たま」はメンバー全員のマンネリズムにより突如解散を決定します。
特に知久寿焼さんはパスカルズやソロでの活動を通じて新たな音楽を追い求めていたようです。
知久寿焼さんが38歳のときに「たま」は解散してしまいます。
原因がメンバー間の不仲のようなものではなく、マンネリズムということなのでその点は良かったですね。
30代でバンドを解散した知久寿焼さんは今後どのような活動を繰り広げるのか非常に興味があります。
知久寿焼さん38歳にして「たま」は解散し、新たな活動が始まります。
知久寿焼さんファンに聞いた、知久寿焼さんの30代で印象に残っている出来事
絵本『だるまさん千字文』の挿絵を担当したことです。音楽家としての一面が強いだけあり、挿絵を描く才能もあるんだと驚きました。(50代男性)
2003年にたまの活動を終了する。3人組になった後も活動を続けていたが、活動を止めることになったのは残念であると思う。(40代男性)
メンバーが脱退したという話がかなり印象的で苦ね。今までずっとやってきた仲間がいなくなってしまうのはやっぱり切ないですね。(30代男性)
40代
知久寿焼さんが40代の頃の代表的なできごとはこちらです。
- 2005年(40歳):フランスでのアルバムリリースなど活動が多岐に渡る。
- 2007年(42歳):自主製作CDとして「ひとだま音頭」をリリースする。
- 2010年(45歳):数々の音楽イベントに参加する。
知久寿焼さんはパスカルズでの活動を通じてフランスにて音楽活動を行なうことになります。
その結果フランスにてアルバムをリリースするなど、特異な音楽活動を繰り広げました。
2007年に知久寿焼さんは自主製作CDとして「ひとだま音頭」をリリースしました。
ち)今日はこの顔触れで ひとだま音頭 ひたすら楽しく録音。 pic.twitter.com/hZyWXIX65j
— ちく商会 知久寿焼 (@chikushoukai) July 20, 2018
このCDには長年ライブで演奏してきた楽曲をひとまとめにしたものです。
知久寿焼さんは45歳時点で様々な音楽イベントに参加し、活動の場を広げていきました。
場所は、両国フォークロアセンターや下北沢440、岐阜の武蔵野本店などでした。
知久敏明さんの40代での活動はパスカルズや個人での活動が中心になってようですね。
しかし、解散後すぐにフランスでの音楽活動を始めるなんて、独自の音楽を追求する気持ちがよく伝わりますね。
40代では様々な活動に力をいれて音楽を追求していたようですね!
知久寿焼さんファンに聞いた、知久寿焼さんの40代で印象に残っている出来事
自主制作で「ひとだま音頭」をリリースしたことです。音楽会社からリリースされたならわかるのですが、自主制作をしたことに意外だな~と驚きました。(50代男性)
2010年に『たまの映画』という映画作品が公開される。この映画はたまが解散した後の元メンバーの活動を撮影した映画なので面白いと思う。(40代男性)
ひとだま音頭という曲がとてもいい歌でした。やっぱり独特の趣のようなものを感じることができるのでおすすめですね。(30代男性)
知久寿焼の若い頃の髪型はキノコのようだった!
知久寿焼さんの若い頃の髪型といえば、キノコのような髪型を思い出す方も多いのではないでしょうか。
#10月20日#頭髪の日
— Hideto★(Englishman in N.G.Y.) (@1frOKdx48RQCVlp) October 20, 2021
10月20日は「頭髪の日」という事で、奇抜な髪型のミュージシャンを集めてみた☺️
(左から)
知久寿焼 (たま)
クラウス・ノミ
マイク・スコア (フロック・オブ・シーガルズ)
ミスフィッツ pic.twitter.com/sZE7Hxoh50
若い頃の知久寿焼さんの髪型はかなり独創的な雰囲気でしたね。
おかっぱ頭で、まるでキノコのような髪型という形容のされ方をすることも多かったようです。
そのような髪型になった背景としては、まず知久寿焼さん本人の独創性があると思います。
バンドマンらしからぬ髪型で、逆に注目を浴びようと考えたのかもしれません。
知久寿焼さんの若い頃の髪型はかなり独創的なものでした。
まとめ
今回は、知久寿焼さんの若い頃の活躍や出来事を、画像とともに振り返りました。
年代ごとに印象深い出来事がたくさんあったね!
これからの活動も頑張ってほしいと思います。