日本を代表する国際的アクションスターとして活躍されていた千葉真一さん。
2021年に惜しくも82歳でお亡くなりになられました。その功績は今も多くの人々に語り継がれています。
若い頃どんな風貌だったのかや、年代ごとにどんなできごとがあったのか気になるかたも多いと思います。
さっそく、千葉真一さんの若い頃の写真やできごと、デビューのきっかけを年代順に振り返ってみましょう。
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千葉真一さんのデビューのきっかけや時期は?
千葉真一さんは、かつて体操選手として東京オリンピック出場を目指していましたが、怪我で夢を断念しました。
1959年、偶然目にした東映ニューフェイスのポスターをきっかけに、芸能界に挑戦。2万6千人の中からトップで合格し、日本体育大学を中退して東映に入社します。
デビュー当時の千葉真一、真剣佑に顔そっくりで声出た pic.twitter.com/UX3VOplYbY
— 師弟ボーイ (@shiteiboy) August 22, 2022
その後、千葉真一さんは日本国内で多くの映画やテレビドラマに出演し、アクションスターとして一躍有名に。
さらにジャパン・アクション・クラブ(JAC)を設立し、若手俳優の育成にも力を入れ、ハリウッド映画にも進出して国際的にも名声を得ました。
2万6千人の中でトップにゃんて、すごいにゃ!
千葉真一さんの幼少期は?若い頃の活躍やできごとを年代順に振り返り
千葉真一さんの幼少期のエピソードや、若い頃の活躍やできごとを年代順に振り返っていきます。
幼少期
幼少期に千葉県君津市に転居した千葉真一さんは、カエルやザリガニなどを捕って食べるような自然豊かな環境で育ちました。
中学時代には墓場で土葬用の穴に落ちるという珍しい経験をしたそうです。
体操部では全国大会で優勝する実力を発揮。当時の努力は、後に芸能界でも生かされることとなります。
千葉真一さんの幼少期の経験はまるで冒険小説の主人公のようで、強い精神力を鍛え上げる原動力になったのではないかと思います。
全国大会で優勝目指して、にゃんこも体操するにゃ!
10代
千葉真一さんが10代の頃の代表的なできごとはこちらです。
- 1952年(13歳):中学校で体操部に所属し、運動能力を磨き始める。
- 1955年(16歳):高校で全国大会に出場し、体操部で優勝。
- 1957年(18歳):日本体育大学に入学し、体操選手としてオリンピック出場を目指す。
千葉真一さんは、中学では体操部に所属し優れた運動能力を発揮。高校時代には体操選手として全国大会で優勝し、一目置かれる存在となりました。
大学は日本体育大学へ進学し、東京オリンピック出場を目指すも怪我で断念しました。
千葉真一さんの10代は、夢と挑戦に満ちた時期であり、運命の転機を迎えた姿が感慨深いです。
体操一筋まっしぐらにゃ!
千葉真一さんファンに聞いた、千葉真一さんの10代で印象に残っている出来事
1957年に日本体育大学体育学部の体育学科に入学する。千葉真一は10代のころから運動神経が良かったのだと思う。(40代男性)
中学から始めた器械体操で高校3年生の時に全国優勝したことです。俳優としてデビューする以前に一角の経歴を持っていたんだと感心したのと、アクション俳優たるゆえんは、器械体操にあるんだと思ったからです。(30代女性)
日本体育大学出身で器械体操をしていたというところに彼の凄さが詰まっていると思います。あの身体能力は昔からだったんですね。(30代男性)
20代
千葉真一さんが20代の頃の代表的なできごとはこちらです。
- 1959年(20歳):東映ニューフェイスに2万6千人以上の応募者の中からトップで合格。
- 1960年(21歳):テレビドラマ『新 七色仮面』で主演デビュー。
- 1968年(29歳):テレビドラマ『キイハンター』に出演。
1959年、東映ニューフェイスに2万6千人以上の応募者の中からトップで合格し、俳優としてのキャリアをスタート。父親から猛反対され勘当されるも、千葉真一さんは夢を追いかけ続けました。
1960年、テレビドラマ『新 七色仮面』で主演デビューし、アクロバティックなアクションで注目を集めました。ドラマの中で自らスタントを行う姿が、アクション俳優としての資質を開花させました。
1968年、テレビドラマ『キイハンター』に出演し、これが大ヒットしました。体を張ったアクションや危険なシーンに挑む千葉さんの姿勢が視聴者を魅了し、一気に国民的スターとなりました。
キイハンター、千葉真一さん、
— vincent (@vincentperrysan) October 28, 2023
深江章喜さん、ミスター珍、
ゲスト陣のみなさんです。 pic.twitter.com/LkyIxXzQHg
当時、ファンだった千葉真一さんが、家族の反対を押し切って夢を追いかけたことを知ると、彼の強い決意と覚悟がより一層心に響き、尊敬の念が深まります。
大ブレイクした『キイハンター』は、千葉さんの出世作、また絶対みるにゃ!
千葉真一さんファンに聞いた、千葉真一さんの20代で印象に残っている出来事
1960年に『新七色仮面』という作品で、主人公役で役者デビューした。早くから主役を演じられるほど周りから評価されていたのだと思う。(40代男性)
1963年に「男一匹生きるなら」で歌手デビューしたことです。俳優一本の芸能生活かと思っていたら歌まで出しているなんて知りませんでした。歌って演技もできて、才能溢れすぎだと思ったからです。(30代女性)
俳優座で研修して俳優デビューを果たしたという話を聞いて本当に努力家だったんだなと強く実感させられましたね。(30代男性)
30代
千葉真一さんが30代の頃の代表的なできごとはこちらです。
- 1970年(31歳):アクション俳優の育成を目的として『ジャパンアクションクラブ(JAC)』を設立。
- 1973年(34歳):映画『仁義なき戦い 広島死闘篇』で野獣系ヤクザ「大友勝利」を演じる。
- 1975年(36歳):映画『けんか空手 極真拳』で主演。
1970年、アクション俳優やスタントマンの育成を目的とした「ジャパンアクションクラブ(JAC)」を設立し、多くの俳優を育成する基盤を築きました。
1973年、映画『仁義なき戦い 広島死闘篇』で演じた「大友勝利」は、彼のキャリアを大きく変えるターニングポイントとなり、観客から強い支持を受けました。同年、ドラマ「キイハンター」で共演した女優・野際陽子さんと結婚。
やっぱ「仁義なき戦い 広島死闘篇」の大友勝利やろ~。#主役を食っちゃってるキャラがいる映画 pic.twitter.com/FrmyUzUafS
— PAL🇯🇵 (@bar_trek) February 26, 2024
1975年、映画『けんか空手 極真拳』で主演し、迫力ある空手アクションを通じてその魅力を国内外に広め、アクション俳優としての地位をさらに高めました。
#千葉真一 #SonnyChiba
— Sassy Ryan (@blackryan53) August 20, 2023
けんか空手 極真拳 1975
Champion Of Death aka Karate Bullfighter pic.twitter.com/aCfLy9iW3x
アクション俳優として大きな転機を迎え、結婚という私生活の変化も重なった30代は、彼の人生の中で特に輝かしい時期だったと感じます。
JACでアクションスターをいっぱい育てたにゃん!真田広之さんと堤真一さんもJAC出身だにゃん。
千葉真一さんファンに聞いた、千葉真一さんの30代で印象に残っている出来事
1970年にジャパンアクションクラブを設立した。スタントマンやアクション俳優を育てることにも関心があったのだと思う。(40代男性)
1970年のジャパンアクションクラブを創設したことです。真田広之や堤真一といった日本の名優を輩出した芸能事務所をまさか30代で設立しているとは思わなかったので、千葉さんの行動力に脱帽しました。(30代女性)
ヤクザ刑事シリーズが本当に大好きでした。千葉さんの凄みのある演技力に圧倒されること間違いなしですね。ヤクザの魅力に気付かされました。(30代男性)
40代
千葉真一さんが40代の頃の代表的なできごとはこちらです。
- 1979年(40歳):映画『戦国自衛隊』で主演と日本映画初のアクション監督を兼務。
- 1982年(43歳):ミュージカル『ゆかいな海賊大冒険』で主演し、JACミュージカルを定期的に公演。
- 1988年(49歳):映画『せんせい』で初のプロデューサーを務める。
千葉真一さんは映画『戦国自衛隊』で主演とアクション監督を兼務し、日本映画界に新しいアクションの可能性を示しました。
#サニー千葉(#千葉真一)氏ご冥福をお祈りいたします。日本を代表するアクションスター。
— nori (@NorioUejima) August 19, 2021
『#戦国自衛隊』1979年の角川映画、伊庭義明三等陸尉
400年前の戦国時代の真っ只中へ
近代兵器を装備した自衛隊がタイムスリップした。
カッコええ👍😊
『戦国自衛隊』劇場予告編https://t.co/JTvJ3yIqin pic.twitter.com/rU1rFwI0SU
1982年、JACミュージカル『ゆかいな海賊大冒険』で主演し、俳優業だけでなく舞台制作にも力を注ぎ、観客を魅了しました。
1988年、映画『せんせい』で初めてプロデューサーを務め、制作側としても新たな役割を果たしました。
千葉真一さんが40代でも俳優やアクション監督だけでなく、プロデューサーとしても活躍の場を広げていたことに驚かされます。多才さと挑戦する姿勢には本当に圧倒されますよね。
戦国時代にタイムスリップして、アクションも監督もやったにゃん!
千葉真一さんファンに聞いた、千葉真一さんの40代で印象に残っている出来事
第22回ブルーリボン賞のスタッフ賞を受賞した。アクション俳優としてだけでなく、スタッフとしても評価されていることはすごいと思う。(40代男性)
芸能生活20周年でもある年に映画「戦国自衛隊」の主演と監督をされたことです。私はリメイク版を子供の頃に見たのですが、オリジナル版を千葉さんが主演、監督されたと知り驚いたからです。(30代女性)
蒲田行進曲という作品がかなり印象的ですね。内容が素晴らしいのはもちろんなのですが千葉さんの存在感の強さに圧倒されました。(30代男性)
千葉真一の若い頃の髪型は男らしい短髪
千葉真一さんの若い頃の髪型といえば、男らしい短髪な髪型を思い出す方も多いのではないでしょうか。 千葉真一さんは若い頃から晩年まで一貫して短髪スタイルを貫いていました。
千葉真一さんの短髪スタイルは、彼のアクション俳優としてのイメージにぴったりで、爽やかさと男らしさを同時に表現していたと思います。活動的な役柄や激しいアクションシーンにも実用的だったのではないでしょうか。
1960年代から70年代にかけては、ビートルズの影響で長髪が流行していた時期もありました。
しかし千葉さんの短髪は、当時の体操選手としての経歴や、アクション俳優としての活動に適していたため、あえてこのスタイルを貫いたのかもしれません。
また、この髪型は彼の個性的なキャラクターを際立たせる役割も果たしていたと考えられます。
男らしい、ねこ太郎も憧れる髪型にゃ~!
まとめ
今回は、千葉真一さんの若い頃の活躍や出来事を、画像とともに振り返りました。
年代ごとに印象深い出来事がたくさんあったね!
これからの活動も頑張ってほしいと思います。