タレントや俳優、映画監督として活躍するビートたけしさん。
若い頃どんな風貌だったのかや、年代ごとにどんなできごとがあったのか気になるかたも多いと思います。
さっそく、ビートたけしさんの若い頃の写真やできごと、デビューのきっかけを年代順に振り返ってみましょう。
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ビートたけしのデビューのきっかけや時期は?
ビートたけしさんは芸能界において、芸人としてデビューしました。
初めは、東京・浅草のコメディアンである深見千三郎さんの元に弟子入りし、芸人として修行を積んだそうです。
そして、先輩のビートきよしさんと漫才コンビ「ツービート」を結成します。
初めは漫才を主として活動していましたが、コントとして暴走ネタや危険ネタが人気が出るとこちらにシフト。
芸人として人気が出始めると、1980年代に「オレたちひょうきん族」などのテレビ番組に出演し認知度を広げていきました。
ビートたけしさんの芸能生活のスタートは芸人としてだったんですね。
ビートたけしの幼少期は?若い頃の活躍やできごとを年代順に振り返り
ビートたけしさんの幼少期のエピソードや、若い頃の活躍やできごとを年代順に振り返っていきます。
幼少期
ビートたけしさんは、下町気質の強い地域である足立区島根町で生まれ育ちました。
母親は非常に教育熱心な方で、学校に行った後も子どもの様子を学校まで観察しに来るほどだったようです。
子どもたちが登校した後も、彼女は休まず子どものことを考えます。
引用元:コペル 公式サイト
朝10時になると、学校へ足を運んで、運動場の窓から子どもたちが勉強する様子を見守っていたというのです。
そんな母を持つビートたけしさんですが、幼少期は悪さばかりしてよく怒られていたそうです。
流れてきた板塀やなんかを釘で打っていかだにして遊んでたら、じゃんじゃんじゃんじゃん荒川のあっちのほうまで流されちゃって怒られたよ。
引用元:足立区 公式サイト
ビートたけしさんの幼少期は、周囲に恵まれてのびのびと遊んで暮らしていたといった様子ですね!
ビートたけしさんの幼少期の生活は本人の芸風にも通じる物がありそうです。
10代
ビートたけしさんが10代の頃の代表的なできごとはこちらです。
- 1962年(15歳):足立高校に入学する。
- 1965年(18歳):明治大学工学部機械工学科に入学する
- 1966年(19歳):大学2年時、家で同然に一人暮らしを始める。
ビートたけしさんは当時偏差値の高かった足立高校に進学されています。
当時の足立区の様子から考えると、ビートたけしさんもそれなりに不良だったのかも知れません。
学生時代のBIG3(タモリ・たけし・さんま)の写真。 pic.twitter.com/6tkHrAOdVO
— エムカク (@m_kac) September 19, 2013
高校時代は偏差値の高い高校に在籍していたものの、劣等生だったという話もあります。
そんな中、高校3年生の時に一念発起し猛勉強したことで、明治大学に入学できました。
また、ビートたけしさんは、大学2年時に家出同然に一人暮らしを始めたそうです。もともとかなりやんちゃなビートたけしさんは反抗期も長く続いたのかもしれませんね。
ビートたけしさんの10代は、学力的に優秀な一面を持ちつつも当時の環境に流される部分もあったのかもしれません。そんなビートたけしさんがどのように漫才の世界に入っていくのか非常に気になります。
ビートたけしさんは進学先からも知的な方だったことがわかるね!
ビートたけしさんファンに聞いた、ビートたけしさんの10代で印象に残っている出来事
10代かどうかは分かりませんが、浅草キッドの映画を見まして、前座時代などを拝見しました。正直タップダンスが踊れるのが意外すぎてびっくりです。(30代男性)
高校時代野球部とボクシングを掛け持ちしていたという話を聞いて驚きました。結構アクティブな感じだったんだとびっくりです。(30代男性)
明治大学に入学していたことが印象的でした。しかも、同級生に星野仙一さんがいたようなので、すごいメンツだなと思ってしまいました。(30代女性)
20代
ビートたけしさんが20代の頃の代表的なできごとはこちらです。
- 1970年(23歳):明治大学を除籍され、俳優として活動を始める。
- 1973年(26歳):漫才コンビ「ツービート」を結成する。
- 1974年(27歳):「ツービート」として活動を続け、独自の暴走ネタや危険ネタを確立する。
ビートたけしさんは、大学3年生時点で学生運動に巻き込まれ、状況になじめずアルバイト漬けとなってしまったようです。
北野:知らないんだもん。いつの間にか前に押し出されちゃって、後ろから角材で殴られ、前から警棒で殴られる。はいつくばって逃げたの。やだ、こんなのと思って。
引用元:明治大学広報
最終的には除籍となり、アルバイト先で出会った映画監督若松孝二さんの元で俳優の仕事を始めました。
若松孝二さんの元で俳優をした後は、浅草のフランス座にて修行を始めたそうです。
そこでコメディアン二師匠である深見千三郎と出会い、先輩である兼子二郎とともに「ツービート」を結成しました。
僕が若い頃は、テレビで「THE・MANZAI」が放送されて漫才ブームでした。
— ヒデオ (@luky77733) May 5, 2024
あの頃、ツービートの漫才が面白くて好きでしたね。
『コマネチ』と言う言葉も流行りました。
「嘘つけ、この野郎!後ろから蹴っ飛ばしてやろうか!」
タケシさんの毒舌漫才、面白かったですね❗️🤣#ツービート #漫才 pic.twitter.com/QF99aZDgp3
ツービートとして漫才活動を続けるうちに、ビートたけしさん達は新たなスタイルを確立していきました。それが暴走ネタや危険ネタであり、ビートたけしさんの真骨頂ともいえる芸風につながったようです。
ビートたけしさんは、20代で様々な経験をした後芸人という道へ進んだようです。
大学時代は学生運動に巻き込まれ大学も除籍となってしまい、当時の苦労が想像できます。そんな中、俳優や芸人として異なる道に進むことができるビートたけしさんのバイタリティがすごいですよね。
ビートたけしさんの20代はまさに波瀾万丈…!
ビートたけしさんファンに聞いた、ビートたけしさんの20代で印象に残っている出来事
20代はツービートですかね。とにかく漫才ブームの真っ只中でもあり、その前線を走ってたってイメージがつよいです。(30代男性)
明治大学に入学し星野仙一さんと同級生だったという情報を知ってすごいなと思いましたね。同じ大学にこれだけのスターが2人もいたなんて本当に驚きです。(30代男性)
ストリップ劇場の浅草フランス座で、芸人の見習いをしていたことが印象的です。下積みの苦労もたくさんされてきたと思うけど、ここにいたからこそ、ビートたけしが見出されたんだと思います。(30代女性)
30代
ビートたけしさんが30代の頃の代表的なできごとはこちらです。
- 1981年(34歳):相方ビートきよしと個々の活動を開始する。
- 1983年(36歳):たけし軍団を発足する。
- 1986年(39歳):フライデー襲撃事件を起こす。
ビートたけしさんは、34歳の頃から個人での芸能活動に力を入れ始めたようです。
そんな中で、ラジオ番組「ビートたけしのオールナイトニッポン」や「オレたちひょうきん族」など本人の人気を代表する番組がいくつも生まれました。
オレたちひょうきん族 爆笑CM撮影コント特集!(14分)
— 淋しい雲 (@debuchan1018) October 28, 2024
ひょうきん族のタケちゃんマン ビートたけし&明石家さんま#オレたちひょうきん族 #ビートだけし #明石家さんま pic.twitter.com/IdT17Th59Y
はじめはビートたけしさんに弟子入りした人たちで、「たけしアーミー」とついたトレーナーを着ていたことがきっかけだそうです。
メンバーには現・東国原英夫さんやダンカンさんなど有名な芸人が在籍しビートたけしさんの知名度に大きな影響を与えました。
当時ビートたけしさんが交際していた女性がフライデーに強引な取材を受け怪我を負わされたことが発端だそうです。
1986年12月9日未明、愛人の専門学校生に強引な取材をされたことに激怒した
引用元:日刊ゲンダイ
ビートたけしとその軍団12人が、講談社のFRIDAY編集部を襲って、部員5人に肋骨を折るなどのケガを負わせた
ビートたけしさんは、フライデー編集部員に暴行し、現行犯逮捕されてしまいます。
30代でのビートたけしさんの芸能活動は芸人だけに留まらず、ラジオやバラエティなどさまざまな分野で活躍の幅を広げていきました。
自身の活動のみならず弟子たちのプロデュースまで同時に行ってしまうなんて、すごいカリスマ性ですよね!
しかし、フライデー襲撃事件など波乱に満ちた時期だったこともあり、順調そのものとまではいかなかったようです。
週刊誌を襲撃なんてプライベートも破天荒なイメージかも?
ビートたけしさんファンに聞いた、ビートたけしさんの30代で印象に残っている出来事
ここからひょうきん族の時代かと思いますが、私は30代で見た事がありません。でもあやの世代はみなひょうきん族について今でも笑いながら話されてます。それだけ面白かったってのが伝わります。(30代男性)
ビートきよしさんとツービートとして漫才をしていた姿を特集で見たことがあったのですが本当に売れるのがわかるオーラで圧倒されました。(30代男性)
ツービートの漫才で、一世を風靡していたことが印象的でした。また「コマネチ!」のギャグもこの辺りから生まれたとのことなので、より印象深いです。(30代女性)
40代
ビートたけしさんが40代の頃の代表的なできごとはこちらです。
- 1989年(42歳):「その男、凶暴につき」で映画監督デビュー。
- 1994年(47歳):原付バイクの酒気帯び運転で事故を起こし、テレビ出演がストップする。
- 1995年(48歳):「平成教育委員会」にてテレビ復帰する。
ビートたけしさんは映画「その男、凶暴につき」で映画監督としてデビューしました。
その男、凶暴につき🎬
— 初芽🎬映画好き(と思ってる人) (@hatsume1122) February 7, 2024
Blu-rayにて鑑賞
15年ぶりぐらいに鑑賞しました。
タイトルからしてカッコいい北野武監督デビュー作。
デビュー作から独特の雰囲氣が漂いますね。音楽もすごい良い。
暴力的なんだけどコメディ的に細かく笑えるように作成されている。
当たり前だけどビートたけしと白竜が若い😊 pic.twitter.com/LS5RjLXWhL
ビートたけしさんは当時かなり多忙な時期だったそうで、1週間おきでの撮影という珍しい形での撮影だったそうです。
その後原付バイクの飲酒運転で事故を起こし、約半年間もの間テレビ出演がストップしてしまいます。
「メディアに『たけし終わった』って書かれてむかっとすることも。やってやろうと思った。その後のほうがベネチアの映画祭とったり、フランスの勲章もらったり、いろんな賞をばんばんもらった。全部事故のあと」
引用元:デイリー
無事回復はしたものの、ビートたけしさんのお顔には若干の麻痺が残ってしましました。前年にバイク事故を起こしてしまったビートたけしさんは無事い回復し、テレビ復帰を果たされています。
「平成教育委員会」はビートたけしさんが長期間出演していた番組で、復帰後も人気は衰えませんでした。
ビートたけしさんの映画監督デビューは40歳でのことだったのですね!
ビートたけしさんはその後も数々の映画の監督をされていますが、映画の才能にようやく気付いたといった感じだったんでしょうか。
バイク事故については大事に至らなくてほんとによかったですよね。
40代では新たな才能が開花するとともに大変こともあったんだね…!
ビートたけしさんファンに聞いた、ビートたけしさんの40代で印象に残っている出来事
40代からは映画の印象がつよいです。正直ヤクザ者の映画は北野さんしか見れません。それだけリアルで本当にこうなんじゃないか?と思うような映画ばかりで、とても気に入っています。(30代男性)
元気が出るテレビという番組を何かのスペシャルで見たことがあったのですが本当にぶっ飛んだ内容で面白かったですね。(30代男性)
「その男、凶暴につき」で監督を務めたことが印象に残っています。ここから監督としての仕事もできるようになっていくので、彼のターニングポイントとなった仕事じゃないかと思いました。(30代女性)
ビートたけしの若い頃の髪型はスタイリッシュ
ビートたけしさんの若い頃の髪型といえば、スタイリッシュな髪型を思い出す方も多いのではないでしょうか。
UNKO21時オープンしました!
— Bar UNKO (@bar_unko) October 28, 2024
昨日は選挙で盛り上がりましたね。
UNKOが生涯推すのはビートたけし。
今日もビートたけしの話で盛り上がりましょう! pic.twitter.com/ijfTUftsyV
ビートたけしさんの短髪姿は非常にかっこいいですね!若さもあるのかもしれませんがきりっとしたな顔つきが引き立っています。
当時の流れからすると、男性のロン毛は流行っていなかったことも要因でしょうか。
本人も特に髪型にこだわらず、楽な髪型をチョイスしたのかなとも感じます。
さっぱりとした短髪姿がよく似合いますね!
まとめ
今回は、ビートたけしさんの若い頃の活躍や出来事を、画像とともに振り返りました。
年代ごとに印象深い出来事がたくさんあったね!
これからの活動も頑張ってほしいと思います。