淡谷のり子の若い頃の画像が美しい!デビューのきっかけはヌードモデル!

淡谷のり子として活躍する淡谷のり子さん。

若い頃どんな風貌だったのかや、年代ごとにどんなできごとがあったのか気になるかたも多いと思います。

さっそく、淡谷のり子さんの若い頃の写真やできごと、デビューのきっかけを年代順に振り返ってみましょう。

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目次

淡谷のり子のデビューのきっかけや時期は?

デビューのきっかけや時期

淡谷のり子さんのデビュー時期やきっかけは、1924年3月、17歳の時に霧島のぶ子と言う名前でヌードモデルとして活動を開始しました。

その6年後の1930年1月『久慈浜音頭』でレコード歌手としてデビューしました。

その翌年1931年6月にコロムビアレコードに専属歌手として入社し、長い歌手生活の基盤を築きました。

ねこ太郎

淡谷のりこさんはモデル活動から始まったんだね!

淡谷のり子の幼少期は?若い頃の活躍やできごとを年代順に振り返り

淡谷のり子さんの幼少期のエピソードや、若い頃の活躍やできごとを年代順に振り返っていきます。

幼少期

淡谷のり子さんは1907年に青森市寺町で生まれ、父が18歳、母が17歳という若い両親の長女でした。

1910年の淡谷のり子さんが3歳の時、青森大火をきっかけに実家が倒産してしまいます。

淡谷のり子さんは母と妹と共に東京に上京し、この経験はのちにデビューにつながる大きな影響を与えることになります。

また文学に深く親しんでいたようで、叔父からの影響で読書と作文を、祖父からは書を習得したようです。

将来は作家や新聞記者を目指すほど文学に傾倒していたことがわかりますね。

家庭環境や周りの家族からの影響で後のお仕事につながる芸術的感性を磨かれたんですね。

ねこ太郎

ファンから求められた色紙には綺麗な字が書かれていそう!

10代

淡谷のり子さんが10代の頃の代表的なできごとはこちらです。

  • 1910年(3歳):10代で実家が破産
  • 1923年(16歳):女学校を中退し母と妹とともに上京
  • 1926年(19歳):東洋音楽学校に復学

1907年に青森市の豪商の長女として生まれ3歳の時に青森大火で家族の店が焼失。

父の放蕩癖も相まって10代で実家が破産してしまいます。

16歳の時青森県立青森高等女学校を中退し、母と妹とともに上京し、東洋音楽学校(現・東京音楽大学)に入学しました。

将来はオペラ歌手を目指していましたが、家族の生活費と妹の医療費を賄うため、学校を一時休学し、霧島のぶ子の名でヌードモデルとして働きました。

1926年の19歳頃に東洋音楽学校に復学しました。

復学後は久保田稲子という先生から指導を受け高音域(ファルセット)の歌唱を体得しました。

この時期の淡谷のり子さんは苦労を重ねながらも、自分の目標をあきらめずに努力されたのですね!

ねこ太郎

淡谷のり子さんは努力を重ねて音楽の道に入ったんだね!

淡谷のり子さんファンに聞いた、淡谷のり子さんの10代で印象に残っている出来事

アンケート調査結果
ネット上の人物

10代の頃東洋音楽学校に入学して最初はピアノを専門に学んでいましたがそこから声楽の方へと変更していったという背景がありそこから歌にのめり込んでいったのが印象的ですね。(30代男性)

ネット上の人物

音楽の道を進んでいたという話が印象に残っている。音楽の道にすすむなかでの挫折や苦労があったと聞いたことがあるため。(20代女性)

ネット上の人物

彼女の10代は音楽一色という感じですね。音楽学校に入ってピアノ科から声楽科に転身して歌に目覚めていく感じがスターらしくて素晴らしいです。(30代男性)

20代

淡谷のり子さんが20代の頃の代表的なできごとはこちらです。

  • 1929年(22歳):東洋音楽学校を首席で卒業
  • 1930年(23歳):キングレコードから『久慈浜音頭』でデビュー
  • 1935年(28歳):日本におけるシャンソン歌手の第1号になる

1929年の淡谷のり子さんが22歳の時に東洋音楽学校を首席で卒業します。

同年には、オール日本新人演奏会で『10年に一度のソプラノ』と絶賛されました。

1930年23歳の時には、キングレコードから『久慈浜音頭』という曲でデビューしました。

その翌年には日本コロムビアに移籍し『私此頃憂鬱よ』という曲がヒットします。

1935年28歳の時には、『ドンニャ・マリキータ』を発表し、日本におけるシャンソン歌手第1号となりました。

淡谷のり子さんの20代は東洋音楽学校を卒業してクラシックから流行歌手へ転身、そしてシャンソン歌手の先駆者として、忙しくも充実していたのでしょうね。

ねこ太郎

20代で一気に駆け上がりましたね!

淡谷のり子さんファンに聞いた、淡谷のり子さんの20代で印象に残っている出来事

アンケート調査結果
ネット上の人物

ドンニャ・マリキータという曲がかなり印象的ですね。シャンソンをポピュラーにしたという印象があってかなり有名な楽曲で素晴らしいです。(30代男性)

ネット上の人物

シャンソン歌手としての活躍。いまでこそ聞きなじみのあるものだが、当時は相当新しかったのではないかと思うため。(20代女性)

ネット上の人物

久慈浜音頭で歌手デビューを果たすのですが、最初はなかなかヒットしなかったことが印象深いですね。やはりこれだけのスターでも下積みがあったのだと痛感させられます。(30代男性)

30代

淡谷のり子さんが30代の頃の代表的なできごとはこちらです。

  • 1937年(30歳):『別れのブルース』が大ヒット
  • 1942年(35歳):日本の音楽業界で重要な存在
  • 1946年(39歳):戦後の日本で歌手活動を再開

1937年の30歳頃、『別れのブルース』を発売し大ヒットします。

この曲は、淡谷のり子さんが作詞を担当しており、代表曲にもなりました。

1942年の35歳の時は戦時中ではありましたが、日本の音楽界で重要な存在として活躍していました。

1946年の39歳の頃は、戦後間もない時期で歌手としての活動を再開し、日本の音楽界の復興に一躍担いました。

この頃にはすでに『ブルースの女王』と呼ばれるほど地位を獲得していました。

戦前、戦後に諦めず、歌手として活動したことによって『ブルースの女王』と呼ばれるほどになったのでしょうね。

ねこ太郎

音楽界にとって重要な人なんだね!

淡谷のり子さんファンに聞いた、淡谷のり子さんの30代で印象に残っている出来事

アンケート調査結果
ネット上の人物

雨のブルースという曲がとても印象的ですね。親に聞かせてもらったことがあったのですが本当に感情に訴えかけてくるような歌声で素晴らしかったです。(30代男性)

ネット上の人物

紅白歌合戦への出演。当時は多くの人が見ていた番組だと思うし、そこでのトリとしての出演がすごいと思ったため。(20代女性)

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30代の頃に出した雨のブルースという曲が本当に素晴らしいです。メロディラインに哀愁がありとても心に染み渡ります。過去の映像などでこの曲を聴くと独特の感情になりますね。(30代男性)

40代

淡谷のり子さんが40代の頃の代表的なできごとはこちらです。

  • 1948年(41歳):すでに日本の音楽界で確固たる地位を築く
  • 1952年(45歳):クラシック音楽からポピュラー音楽へ転身
  • 1953年(46歳):紅白歌合戦に初出場でトリを務める

1948年の41歳の頃には、すでに日本の音楽界で確固たる地位を築き、数多くのヒット曲を世に送り出しました。

1952年45歳の頃、音楽界では独自のスタイルと強い個性で知られ、クラシック音楽からポピュラー音楽へ転身した先駆者的な存在でした。

翌年の1953年46歳の時には、NHK紅白歌合戦に初出場し紅組のトリを務めました。人気と実力が認められた証ともいえるでしょう。

この時期の歌唱力と表現力が高く評価され、後の受賞につながる基盤となったのでしょうね。

ねこ太郎

紅白歌合戦に初出場でトリは緊張したのかな?

淡谷のり子さんファンに聞いた、淡谷のり子さんの40代で印象に残っている出来事

アンケート調査結果
ネット上の人物

紅白の過去の映像で彼女の姿を見たことがあったのですが本当に堂々たるパフォーマンスで圧巻でしたね。やっぱりプロの歌手は一味違うことを目の当たりにしました。(30代男性)

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辛口コメンテーターとしての一面。多くの場面で少々辛口ではあるものの、自身の考えを伝えていたというイメージが強いため。(20代女性)

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やっぱり紅白歌合戦での姿がとても印象に残っています。この頃はもうかなりの存在感で周りの人たちを歌で圧倒するようなオーラがあり過去映像でその姿がたまにに出てきますが本当に歌に魂が込められています。(30代男性)

淡谷のり子の若い頃の髪型は少しウェーブが特徴的

淡谷のり子さんの若い頃の髪型といえば、黒髪で少しウェーブのかかった前髪が特徴的な髪型を思い出す方も多いのではないでしょうか。

写真を見るとどれも少しウェーブがかかり、綺麗にまとめられています。

1929年に世界恐慌が起こり、この頃には活発的なものから再び保守的なものに変化していきました。

ねこ太郎

少しウェーブがかかった髪型が流行っていたんだね!

まとめ

まとめ

今回は、淡谷のり子さんの若い頃の活躍や出来事を、画像とともに振り返りました。

ねこ太郎

年代ごとに印象深い出来事がたくさんあったね!

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