第92代元内閣総理大臣で、政治家(衆議院議員)として活躍する麻生太郎さん。
若い頃どんな風貌だったのかや、年代ごとにどんなできごとがあったのか気になるかたも多いと思います。
さっそく、麻生太郎さんの若い頃の写真やできごと、デビューのきっかけを年代順に振り返ってみましょう。
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麻生太郎のデビューのきっかけや時期は?
麻生太郎さんが政治家になったきっかけですが、彼の家族背景と経済界での経験に深く関係しているようです。
麻生太郎さんは、元首相の吉田茂を祖父に持ち、政治家一家に生まれ育ちました。
このような環境が、彼に政治への関心を抱かせる大きな要因となったのではと考えられます。
まさに『華麗なる一族』だ!
麻生太郎の幼少期は?若い頃の活躍やできごとを年代順に振り返り
麻生太郎さんの幼少期のエピソードや、若い頃の活躍やできごとを年代順に振り返っていきます。
幼少期
麻生太郎さんは元首相の吉田茂の孫であり、麻生太賀吉の長男として生まれました。
1947年4月、7歳の時に福岡県飯塚市にある麻生塾小学校に小学年2年生まで通っていました。この小学校は現在閉校しているようですが、麻生太郎さんの父が炭鉱作業員の子弟のためにつくったそうです。
リアル吉田茂とリアル麻生太郎#アメリカに負けなかった男 #バカヤロー総理吉田茂#吉田茂#麻生太郎 pic.twitter.com/J6hHfZjIYQ
— 天吉sas@2025年3月6日心臓手術の為再入院 (@sas_tenkichi) February 24, 2020
自分専用の小学校に通学されていたなんて、ここでも『華麗なる一族』と言われる理由に納得ですね。
小学校3年生になるころには、上京して学習院初等科に編入したようです。学習院という点でも特別な良い環境だったことは伺えます。
自分専用の小学校!レベルが違う!
10代
麻生太郎さんが10代の頃の代表的なできごとはこちらです。
- 1956年(16歳):学習院高等科へ進学
- 1957年(17歳):部活動に熱心に取り組む
- 1958年(18歳):学習院高等科を卒業
1956年16歳で私立の男子校である学習院高等科へ進学をします。こちらの高校は昔から皇族などの方々が多く通う高校で有名です。
高校時代、麻生太郎さんは学業よりも部活動に熱心に取り組んだと語っているようです。しかし、具体的にどんな部活動に所属していたのかは情報提供がされていません。気になるところです。
麻生太郎の学歴
— 徳永みちお (@tokunagamichio) November 18, 2018
麻生塾小学校から小学校3年生の時に上京して【学習院初等科】に編入そして【学習院中等科】→【学習院高等科】→【学習院大学】に内部進学。麻生太郎の学生時代の情報はほとんどないが著書によれば中等科では145人中140番の成績。https://t.co/7QrJrtATvR
1958年18歳で学習院高等科を卒業します。こちらの高校は内部入学制なので、受験勉強もなかったようです。
11月1日、2日に学習院の文化祭があります。是非来てください!
— たなかともや(Tom) (@jpn3125) October 30, 2014
しゃからんたんでライブします!
1日 17時30分頃〜 高等科体育館
2日 13時10分〜 2-E
1日は中夜祭でトリやります! pic.twitter.com/SEiEPRU5OR
高校時代の麻生太郎さんは、意外にも学業より部活動を熱心に取り組まれていたようで驚きました。学習院高等科で上記のような文化祭もあるようで、麻生太郎さんが熱中した部活動はどんなものだったのか、いろんなことを想像してしまいます!
熱心にやっていた部活動…気になるな~!
麻生太郎さんファンに聞いた、麻生太郎さんの10代で印象に残っている出来事
学習院大学政経学部に入学していたことです。学生時代から高学歴で既に政経に興味があったんだなと納得しました。(30代女性)
学習院大学に入学したということを知って昔から頭が良かったんだなというイメージを持ちましたね。コメントが上手いのは昔からだったのでしょうね。(30代男性)
学習院大学政経学部に入学したことです。学習院大学といえば難関大学の一つですし、優秀な頭脳の持ち主だったんだなと驚きました。(50代男性)
20代
麻生太郎さんが20代の頃の代表的なできごとはこちらです。
- 1960年(20歳):父親の影響で射撃を開始
- 1963年(23歳):アメリカのスタンフォード大学大学院に留学
- 1966年(25歳):家業の麻生産業に入社
1960年20歳の時、麻生太郎さんは父親の影響で射撃を開始します。そしてなんと、後にオリンピックにも出場しているのです!
麻生太郎さんの若いころ。
— 六衛府 (@yukin_done) August 30, 2020
※第21回オリンピック競技大会(1976年モントリオール)
射撃/クレー射撃 日本代表 pic.twitter.com/NWRrOCXKxC
1963年23歳の時には、アメリカのスタンフォード大学大学院へ留学をしていたそうです。英語でのスピーチを見たことがありますが、流暢であったのはそういった経験があったからなのでしょうね。
1966年25歳の時、家業である麻生産業に入社します。当時、エネルギー資源が石炭から石油へと移行する中で、会社の経営に携わったそうです。
家業の麻生産業に入社されて、若い頃から経営にも触れていたそうで素晴らしいですね。当時エネルギー資源が変わっていくという時代の中、ここでも日本中に貢献していた様子が伺えます。
色んなことを学んで経験してきたんだね。
麻生太郎さんファンに聞いた、麻生太郎さんの20代で印象に残っている出来事
海外留学をしていたことです。大学卒業後はすぐに麻生産業に入社していると思っていたので、そんな経歴があったことに驚きました。(30代女性)
ブラジルのサンパウロに駐在していたということを知って驚きました。あまり治安も良くかなったと思うので一人で生活するなんてすごいですね。(30代男性)
大学卒業後は麻生産業に入社したことです。これが社会人としての第一歩となったわけですし、印象に残りました。(50代男性)
30代
麻生太郎さんが30代の頃の代表的なできごとはこちらです。
- 1973年(33歳):麻生セメント株式会社の代表取締役社長に就任
- 1976年(36歳):7月のモントリオールオリンピックで日本代表として出場
- 1979年(39歳):国会議員としてデビュー
1973年33歳の時からこの役職を1979年12月まで務めたそうです。おそらくこの経験が、後の政治家としてのキャリアをつくりあげ、経済や経営に関する知識を活かすことが出来たのではないでしょうか。
麻生セメント工場横を通過。
— 雅 (@katadatukusi) December 31, 2023
麻生太郎さんとこの会社かな。さすがにデカい。 pic.twitter.com/BErxwNo9Em
麻生太郎さんのオリンピック出場は、多彩な一面を感じさせる経歴の一つになっています。政治家としてだけでなく、オリンピック出場選手として熱心に取り組んでいたことが伺えます。
麻生太郎さんの若いころ。
— 六衛府 (@yukin_done) August 30, 2020
※第21回オリンピック競技大会(1976年モントリオール)
射撃/クレー射撃 日本代表 pic.twitter.com/NWRrOCXKxC
1979年10月に行われた第35回衆議院議員総選挙で初当選を果たしました。当時39歳だった麻生太郎さんは、旧福岡2区(現在の福岡8区)から出馬し、4位(定員5名)で当選を果たしました。
麻生太郎氏の若い頃がカッコイイって話題になっていますね!
— まめ🐼海外駐在x海外MBA→??? (@chuzaiina) January 26, 2024
1979年9月11日
国政選挙に初挑戦の麻生氏
「歴史に残ってくれさえすればええな」
元の動画はコメント欄🐼 pic.twitter.com/AT85sYpznq
30代の麻生太郎さんは、勢いがあって様々なキャリアを積まれて非常に活動的な面がたくさんあるように思います。やはりオリンピック出場の経歴は印象に残りますね。
オリンピックに出場しながらの選挙活動なんてすごい。エネルギッシュだね!
麻生太郎さんファンに聞いた、麻生太郎さんの30代で印象に残っている出来事
スキート射撃の日本代表としてオリンピックに出場していたことです。まさかそこまでの腕があるとは思っておらず、衝撃でした。(30代女性)
麻生セメントの代表取締役になったことが印象的ですね。かなりの若さだったのに有能だったということが現れていますね。(30代男性)
1976年モントリオールオリンピッククレー射撃の日本代表になったことです。クレー射撃の腕前もぴか一なんだと驚きました。(50代男性)
40代
麻生太郎さんが40代の頃の代表的なできごとはこちらです。
- 1980年(41歳):経済政策として公共事業や景気刺激策を推進
- 1987年(46歳):自民党内で若手議員として経験を重ねる
- 1988年(47歳):リクルート事件と自民党の危機
1980年41歳に提唱した主要な政策には、労働市場改革・地方振興政策・教育改革などがあります。中でも麻生太郎さんは、地方経済の振興を重視していたそうです。
1987年、麻生太郎さんが46歳の時には竹下内閣が発足し、消費税導入を目指すなど大きな政治転換期だったようです。そんな中、自民党内で若手議員として頑張っていらっしゃったと思われます。
「消費税」メモ
— 平:凡 (@Hey762829250246) October 23, 2024
「消費税」を導入した首相は?
その内閣は 竹下登首相
消費税を閣議決定したのは大平正芳首相、国民の反対に合い廃案、さらに1987年に中曽根康弘首相が売上税法案を国会に提出しましたが、これも廃案。その翌年1988年に竹下登首相によって消費税法が成立、1989年〜の施行 pic.twitter.com/i9uTMhX6xq
1988年47歳の時、リクルート事件(日本政界や財界を揺るがせた贈収賄スキャンダル)が発覚し、自民党内で政治改革の圧力が高まったそうです。麻生太郎さんも自民党の若手議員として、この問題に直面したということです。
川崎駅前再開発計画をめぐって、川崎市助役がリクルートから関連会社の未公開株を受け取っていたことが発覚、一連のリクルート事件の発端となった。
引用元:NHKアーカイブス
40代の麻生太郎さんは、政治家としてさらなる経験を積み重ね、これからのキャリアの土台をしっかりしたものにしていく重要な時期だったことが伺えますね。
消費税導入の時期ってこの頃だったんだね!
麻生太郎さんファンに聞いた、麻生太郎さんの40代で印象に残っている出来事
選挙に落選してしまったことです。ずっと勝ち続けているイメージだったし、落ちる姿が想像できなかったので、印象に残っています。(30代女性)
政界に進出して政治活動に邁進していた姿がとても印象的ですね。結構問題発言も多かったのですがそれが彼の良さでもありました。(30代男性)
1988年に文部政務次官に就任したことです。これまでも議員として活躍してきましたけど、ここで政治家としてかなり前進したなって感じました。(50代男性)
麻生太郎の若い頃の髪型は硬派な七三分け
麻生太郎さんの若い頃の髪型といえば、硬派な七三分けな髪型を思い出す方も多いのではないでしょうか。
麻生太郎さんは今も昔も、黒髪が特徴的ですよね。ずっと変わらないヘアスタイルを貫いているようにも見えます。
時折、ハットをかぶった姿も見らます。
誰にもない特有のイメージがあり、印象的でどちらもお似合いです。
【イケメン多数】村山元首相、石破茂、麻生太郎…あの政治家、若いころはこうだった http://t.co/lOn2RryNnf pic.twitter.com/g2X5SCumw5
— ハフポスト日本版 / 会話を生み出す国際メディア (@HuffPostJapan) June 10, 2015
誰得情報だけど、学生時代に麻生太郎氏の帽子を預かったことがある。ツバのかたちを崩さないのが大事だそうで、綺麗な箱にいれて監視しときました😃私こそが麻生太郎帽子の防人。 https://t.co/xPE1nJCZlz
— 🪷はっすん🪷 (@pervasivetruth) October 3, 2024
基本、麻生太郎さんは黒髪に七三ヘアというスタイルを変えていらっしゃらいません。政治に対する思いと同様に、ヘアスタイルに対しても『貫く』という思いが表れているのかもしれませんね!
若い頃の麻生太郎さんのイケメンさに驚いたよ!
まとめ
今回は、麻生太郎さんの若い頃の活躍や出来事を、画像とともに振り返りました。
年代ごとに印象深い出来事がたくさんあったね!
これからの活動も頑張ってほしいと思います。