元プロ野球選手で、野球解説者として活躍する荒木大輔さん。
若い頃どんな風貌だったのかや、年代ごとにどんなできごとがあったのか気になるかたも多いと思います。
さっそく、荒木大輔さんの若い頃の写真やできごと、デビューのきっかけを年代順に振り返ってみましょう。
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荒木大輔のデビューのきっかけや時期は?
荒木大輔さんのデビューのきっかけは、高校野球での活躍です。
当時早稲田実業高校の1年生エースとして、甲子園で注目されました。
特に注目されたのは、東京大会で故障した2年生エースの代わりに起用され、準決勝で帝京を完封する活躍を見せたことです。
高校1年生なのに先輩の代わりに完封…すごい!
荒木大輔の幼少期は?若い頃の活躍やできごとを年代順に振り返り
荒木大輔さんの幼少期のエピソードや、若い頃の活躍やできごとを年代順に振り返っていきます。
幼少期
荒木大輔さんは東京都調布市に生まれ育ち、工務店の3人兄弟の三男として過ごします。
2人の兄と同じ調布リトルリーグに入り、野球漬けの生活を送っていたそうです。小学校6年生の時には、大会などで優秀な成績を残し、兄弟そろって大活躍したそうですよ。
その場所を僕たちは「関東村」と呼んでいました。昭和40年代後半。8歳で入った野球チーム「調布リトル」の練習グラウンドは、米軍の士官や家族らが居住する地域の中にあったんです。代々木のワシントンハイツが昭和39年の東京オリンピックで選手村になったため、移ってきました。
引用元:産経新聞
兄弟3人とも同じリトルリーグに入るということは、野球が本当に大好きだったのでしょうね。この頃から甲子園やプロ野球選手になることを夢に描いていたのかもしれませんね。
一生懸命に頑張っていたんだろうな!
10代
荒木大輔さんが10代の頃の代表的なできごとはこちらです。
- 1976年(12歳):全日本リトルリーグ野球選手権大会優勝
- 1980年(15歳):早稲田実業高校へ入学
- 1980年(16歳):夏の甲子園で早稲田実業準優勝に導く
1976年12歳の時、小学6年生だった荒木大輔さんは調布リトルリーグに所属し、全日本リトルリーグ野球選手権大会で優勝します。また、リトルリーグ・ワールドシリーズ(世界大会)でも優勝し、日本でも世界でも一番になりました。
小学6年時にはリトルリーグの大会で日本一に輝き、ワールドシリーズ(世界大会)でも優勝を成し遂げている。
引用元:DOSHIN SPORTS
1980年15歳の春、早稲田実業高校へ進学します。この高校は、東京都の高校野球に所属する名門校で数々のプロ野球選手を輩出しています。
高校時代から見てた
— 酒マネ (@patinnko3) May 14, 2023
スーパースターが
プロ野球選手になるのを初めてみたのは
早稲田実業のエース
荒木大輔さんだった。
愛甲猛 工藤公康は全く覚えてないから
間違いなく彼からだ。
好きよ好きよ大好きくん
なんて歌が流れた
荒木さんが出演したCMが懐かしい pic.twitter.com/YR4z6ATgI7
同年高校1年生16歳の時、初出場した夏の甲子園でピッチャーとして快投を披露したそうです。惜しくも優勝は逃しましたが、早稲田実業高校を準優勝へと導きました。
早実といえば、思い出すのが荒木大輔。
— あっちけい (@tsukattemita) August 17, 2024
言わずと知れた1980年代甲子園のアイドル。
一年生で甲子園初登板。
甲子園5度の出場で12勝という化け物。
球は決して速くは無かったけど、抜群のコントロールで打者を抑えた。
その後、ドラ1でヤクルトに入団するも、怪我に泣かされて引退。
懐かしい。 pic.twitter.com/ZRNgBLLaWb
小学生の頃から存在感がある印象ですが、甲子園初出場の1年生が何という快挙でしょう!ここまでチームに貢献できる1年生は後にも先にも彼だけではないでしょうか。これらがきっかけでファンも増え、『大ちゃんフィーバー』なるものが巻き起こったそうです。
イケメンだし、これは格好良すぎてファンになっちゃうよね!
荒木大輔さんファンに聞いた、荒木大輔さんの10代で印象に残っている出来事
16歳のときに先輩たちを抑え全国高等学校野球選手権大会と東東京大会に、三塁手としてベンチ入りされたことが印象的でした。理由は、荒木さんが高校1年生から強い選手だったことを実感した出来事だったからです。(30代女性)
高校生の時に全国高等学校野球選手権大会に出場する。荒木大輔さんはかっこいいので、高校生の頃からモテていたと思う。(40代男性)
全日本リトルリーグ野球選手権大会優勝に優勝したことです。子供の頃から大活躍をしていたんだなと驚きました。(50代男性)
20代
荒木大輔さんが20代の頃の代表的なできごとはこちらです。
- 1984年(20歳):ヤクルトスワローズの投手としてプレー
- 1988年(24歳):右ひじの手術を繰り返す
- 1992年(28歳):復帰後、チームのリーグ優勝に貢献
20歳の頃、1982年のドラフトでヤクルトに入団してから、背番号11でヤクルトスワローズの選手として活躍していました。
#ヤクルトスワローズ ファンの皆様教えてください。人生の半分を外国で過ごした息子17歳が今週末神宮でヤクルトの試合を初観戦します。野球のルールは基本は理解。でも実際の試合は初。そんな彼に推しの選手を推薦して頂けませんか?息子に伝えます。ちなみに私の推しは荒木大輔選手でした。 pic.twitter.com/DpRuyrO18W
— Seina (@Seina) August 14, 2023
1988年24歳、右ひじの痛みに襲われた荒木大輔さんは、同年8月に米ロサンゼルスで手術を受けたそうです。
フランク・ジョーブ博士が考案した『トミー・ジョン手術』という術式だったようです。
プロ5年目の1987年に10勝を挙げ、スワローズの若きエースとして飛躍が期待された矢先の1988年シーズン半ば、右ひじの痛みに襲われる。その後、トミー・ジョン手術を受け、マウンドに上がるまで実に4年、1541日の月日を費やした。
引用元:web Sportiva
4年後の1992年28歳の時、長く苦しいリハビリを乗り越え復帰を果たし、チームのリーグ優勝に貢献します。
順風満帆に思えたプロ野球選手時代ですが、やはり怪我は付き物なのでしょうか。思うように選手として活躍できないもどかしさを4年間も抱えて辛かったと想像します。しかし、復帰後にチームのリーグ優勝に貢献したということでメンタルの強い方だと感じました!
リハビリしている間も不安だったろうけど、乗り越えたことが素晴らしいね。
荒木大輔さんファンに聞いた、荒木大輔さんの20代で印象に残っている出来事
21歳のときに、ヤクルトで先発ローテーション入りしたことが印象的でした。理由は、まだ入団してから年数が経過していないにも関わらず、先発ローテーションに入るという実力のすごさを感じたからです。(30代女性)
1986年にプロ野球のオールスターゲームに出場する。この時はファンの投票で1位になったので、女性ファンも非常に多かったと思う。(40代男性)
1986年には開幕投手を務めたことです。これってエースって認められたようなものですし、自他ともに認める一流の投手になったんだなって感じました。(50代男性)
30代
荒木大輔さんが30代の頃の代表的なできごとはこちらです。
- 1995年(31歳):一軍への登板無し、戦力外で横浜ベイスターズへ
- 1996年(32歳):現役を引退
- 1997年(33歳):野球解説者、野球評論家に就任
前年のシーズン後半から、チームのローテーションから外れるようなこともあったそうです。1995年31歳の時には、一軍登板が無くなり戦力外となってしまいます。その後、横浜ベイスターズへ無償トレードで移籍をします。
1996年32歳で横浜ベイスターズへ移籍後、現役を引退しました。それまで怪我や体力の衰えと戦いながらも、経験を活かした投球で試合に貢献し続けていたようです。
きょうの高校野球100回連載は、プロ選手引退を横浜ベイスターズで迎えた荒木大輔さんの連載下です。
— カナロコ by 神奈川新聞 (@KanalocoLocal) March 3, 2018
『「自分以上」という幻影 早稲田実業 荒木大輔(下)』 https://t.co/6F9fs0Inom #神奈川新聞高校野球 #神奈川新聞 #高校野球 #早稲田実業 #荒木大輔 #ベイスターズ
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1997年33歳、現役を引退後はテレビ朝日・文化放送の野球解説者、日刊スポーツの野球評論家として新しいキャリアを積み上げながら活躍します。
怪我の影響もあってか、年を重ねるごとに体力の衰えを感じながらプレーしていたのですね。現役引退が32歳とそこまでお年ではない気もするのですが、こればかりは野球に限らず本人にしか分からない領域だと想像します。
まだまだ活躍をして欲しかったけれど…難しいね。
荒木大輔さんファンに聞いた、荒木大輔さんの30代で印象に残っている出来事
33歳から34歳のときに、日刊スポーツ野球評論家として活躍されたことが印象的でした。理由は荒木さんの解説は分かりやすくて魅力的だと感じたからです。(30代女性)
1996年に現役を引退する。この年は横浜ベイスターズに所属していたが、一勝もすることができなかったので悔しかったと思う。(40代男性)
1995年は一軍登板が無かったことです。球団から戦力外通告されたも同然なわけですし、大投手も加齢には勝てないのかと驚きました。(50代男性)
40代
荒木大輔さんが40代の頃の代表的なできごとはこちらです。
- 2004年(40歳):西武ライオンズの一軍投手コーチに就任
- 2008年(44歳):東京ヤクルトスワローズの一軍投手コーチに就任
- 2013年(49歳):東京ヤクルトスワローズ契約満了により退団
2004年40歳の時、西武ライオンズの一軍投手のコーチとして就任します。しかし2007年、26年ぶりにBクラスに終わったチームの成績不振により、責任を取るかたちで辞任します。
【人生すべては「運」だ!】三田紀房と荒木大輔氏による対談!プロ引退後、仕事がない時代もあった荒木氏だが、"あること"で西武ライオンズのコーチに就任する。"あること"とは!?https://t.co/1XQBwbNswq pic.twitter.com/rkzrDB5wnY
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2008年44歳の時、東京ヤクルトスワローズの一軍投手のコーチとして就任します。自身の投手としての経験を活かし、若手投手の育成や指導に力を注いでいたそうです。
しかしながら2013年49歳の時、リーグ成績が低迷し続け、同年10月に契約満了に伴って球団を退団することになります。
今季、投手陣はリーグ5位の防御率4.26と苦しみ、最下位低迷の一因となった。荒木コーチは「こういう世界だから、成績が悪かったらしょうがない」と話した。〔共同〕
引用元:日本経済新聞
現役引退後、コーチとして若手選手たちの育成に頑張ってこられたようですね。そかし、スポーツの世界では選手でもコーチでも、結果を出さなければ同じ場所には居続けられない大変さがあると感じました。
なかなか成績に繋がらず、コーチ時代はたくさん苦労したんだね。
荒木大輔さんファンに聞いた、荒木大輔さんの40代で印象に残っている出来事
40歳のときに、西武ライオンズ一軍コーチに就任されたことが印象的でした。理由は、選手時代に大活躍されていた荒木さんが、西武ライオンズのコーチに就任したことが偉大だなと感じたからです。(30代女性)
2004年から西武ライオンズで一軍の投手コーチとして選手の指導をする。ピッチングのことを後輩の投手に教える仕事はやりがいがあったと思う。(40代男性)
2007年に西武ライオンズ一軍投手コーチを辞任したことです。せっかく西武ライオンズでコーチとして活躍していたのに辞任するなんてと驚きました。(50代男性)
荒木大輔の若い頃の髪型は坊主
荒木大輔さんの若い頃の髪型といえば、高校球児ということで坊主を思い出す方も多いのではないでしょうか。
早稲田実業、ヤクルトエース 荒木大輔🤔👍 https://t.co/rFGzNaVo93
— ムクandマー坊 (@JBM0UUPMCV90678) July 9, 2024
やはり野球男子ですね。昔の野球部の髪型をイメージするのは坊主頭一択だと思います。荒木大輔さんも同様、スポーツマンらしい爽やかな印象ですね。端正な顔立ちで、モテモテになるのも納得です。
現代と違い、昔の野球少年はみんな坊主頭でしたよね。クラスの中で坊主頭の子が居るだけで、野球をしているイメージがあるという風潮もあったのではないでしょうか。言わずもがな、荒木大輔さんの高校球児時代の坊主頭はとてもかっこいいですね。
モテモテすぎて大変だったらしいよ~!
まとめ
今回は、荒木大輔さんの若い頃の活躍や出来事を、画像とともに振り返りました。
年代ごとに印象深い出来事がたくさんあったね!
これからの活動も頑張ってほしいと思います。