元プロボクサーで現在は俳優やタレントとして活躍する赤井英和さん。
若い頃どんな風貌だったのかや、年代ごとにどんなできごとがあったのか気になるかたも多いと思います。
さっそく、赤井英和さんの若い頃の写真やできごと、デビューのきっかけを年代順に振り返ってみましょう。
赤井英和のデビューのきっかけや時期は?

赤井英和さんは、ボクサーとしてのキャリアを経て俳優としてデビューしました。
赤井さんは、高校でボクシング部に入部したことがきっかけで、大学在学中の1980年、21歳の時にプロボクサーとしてデビューしました。
現役引退後は、1988年の28歳の時に映画「またまたあぶない刑事」にゲスト出演したことがきっかけで、俳優としてデビューしました。
映画またまたあぶない刑事は赤井英和さんの俳優デビュー作。クレジットには『浪速のロッキー(赤井英和)』って出るんです。小学生の頃から大好きだったあぶない刑事でお父様が俳優デビュー。そしてDDTでプロレスデビューした赤井沙希さんのデビュー戦のレフェリーは私。人生ってドラマです!
— 木曽大介 (@kisotaro) February 12, 2014

大学時代からプロボクサーだったんだ!
赤井英和の幼少期は?若い頃の活躍やできごとを年代順に振り返り

赤井英和さんの幼少期のエピソードや、若い頃の活躍やできごとを年代順に振り返っていきます。
幼少期
赤井英和さんは、大阪府大阪市西成区出身です。
実家は漬物の製造販売をしていて、祖母、両親、お姉さんとお兄さんの6人で住んでいたとのことです。
小さいときから兄も姉もみんな家業を手伝っていました。野球をやっていても何をやっていても、店の片付けの時間になると帰らなくてはいけません。それが当然だと思っていましたし、仕事の手を抜いたり、時間を守らなければ父に怒られました。厳しかったですが、ただ、家族の一員として仕事を与えられてきたので「自分がいないと成り立たない」という気持ちもあり、自然と責任感が生まれましたし、家族との絆も感じていましたね。
引用元:住友不動産販売
小学生の頃は柔道を習っていて、成績もクラスで一番、二番で学級委員をやるくらい優秀だったそうです。
幼少期の赤井さんは家の手伝いをしながら、柔道や勉強を頑張っていたんですね。

スポーツも勉強も得意だなんて文武両道だね!
10代
赤井英和さんが10代の頃の代表的なできごとはこちらです。
- 1972年(12歳):大阪市立今宮中学校に入学。
- 1975年(15歳):浪速高等学校に入学。
- 1978年(18歳):近畿大学商経学部に入学。
赤井英和さんは、1972年、12歳の時、大阪市立今宮中学校に入学しました。初めてケンカをしたのは、中学校の入学式だったそうです。
大阪市西成区に生まれ育ち、区を跨いで阿倍野区の小学校に通っていた赤井だったが、学区上の制限から“地元”の今宮中学校に進学することになった。小学校の友人は誰もいない。「どないしたらええんや」と思い悩んだ赤井少年が出した答えが、「ケンカをして、仲良くなること」だった。
引用元:NumberWeb
1975年の15歳の頃には、浪速高等学校に入学しました。高校ではボクシング部に入部し、赤井さんはここからボクシング人生を開始しました。
嗚呼‼︎みんなの動物園の小林さん「佳子さん、次回の番組で、赤井さんが高校生の時の、このお写真を使わせて頂きたいんですが、よろしいでしょうか」
— 赤井英和の嫁 佳子 (@yomeyoshiko224) May 23, 2024
私「あ、遠足の写真ですね、どうぞ。」
小林さん「遠足、、、」
タイトル
『こんな遠足はイヤだ』 pic.twitter.com/XMO8E3Gx4W
そして1978年の18歳の時、近畿大学の吉川昊允監督に声をかけてもらったことがきっかけで、近畿大学商経学部に入学しました。大学在学中の1980年9月にはプロデビューし、"浪速のロッキー"として世間を賑わせました。
浪速高校から近畿大学へと進み、オリンピックを目指すが、折り悪く日本はモスクワオリンピックをボイコット。ボクシングで五輪選手になるという夢を絶たれた赤井は、プロボクシングの道へと進むことになった。
赤井英和はプロ転向にあたり、愛寿ボクシングジム(現在のグリーンツダジム)の門を叩き、ジュニアウェルター級のプロボクサーとなる。引用元:SPAIA
赤井さんの10代は、激しい中学時代と高校時代を経て、輝かしいボクシングキャリアの始まりを迎えた時期でした。

高校の部活がボクシングを始めたきっかけなんだね!
赤井英和さんファンに聞いた、赤井英和さんの10代で印象に残っている出来事


中学高校時代は喧嘩に負けた事が無かったということで、大阪のやんちゃな少年だったという印象があります。(30代女性)

中学、高校時代に喧嘩に負けた事がなく、大阪一帯に赤井英和さんの名前が響き渡っていたことが印象的でした。理由は、赤井さんの強さやパワフルさにとても驚いたからです。(30代女性)

ボクシング部で活躍していたという話が印象ですね。やっぱり彼にはスポーツの才能がこの頃からあったのだと感心します。(30代男性)
20代
赤井英和さんが20代の頃の代表的なできごとはこちらです。
- 1983年(23歳):WBC世界スーパーライト級タイトルマッチでTKO負けし、世界タイトルを逃す。
- 1985年(25歳):大和田正春さんとの世界前哨戦でKO負けし、意識不明に陥る。
- 1988年(28歳):映画「またまたあぶない刑事」で俳優デビュー。
赤井英和さんは、1983年、23歳の時、アメリカのブルース・カリーさんとのWBC世界スーパーライト級タイトルマッチでTKO負けし、世界タイトルを逃しました。
1985年の25歳の頃には、大和田正春さんとの世界前哨戦でKO負けし、意識不明に陥りました。5時間におよぶ緊急手術で何とか回復したものの、医師からボクサーを引退するように勧告を受け、赤井さんは現役を引退しました。
一度は生死の境をさまよいながらも、再起に向けてリハビリに励んでいた赤井。だが退院に際しての記者会見の直前、院長室で「もうボクシングはできない」と通告された。一世を風靡した“浪速のロッキー”のボクサー人生は、こうして終焉を迎えることになる。
「絶対に復帰したると思ってましたし、もうできないなんて全然知らんかったし……。そらもう、ガーンという感じでしたね。明日からなにをして生きていけばええんやろう、と。そんなことばかり考えてました」引用元:NumberWeb
そして1988年の28歳の時、映画「またまたあぶない刑事」で田山(浪速のロッキー) 役でゲスト出演し、俳優としてデビューしました。
赤井英和、用心棒役が似合うなぁ…#あぶない刑事 #Tokyomx#またまたあぶない刑事 pic.twitter.com/eCbNvYYQ1x
— 時雨堂 (@siguredou) October 29, 2022
赤井さんの20代は、大怪我をきっかけにプロボクサーから俳優へとキャリアの転換を図り、30代以降の活躍の基盤を築いたと言えます。

意識不明から回復して本当によかった…!
赤井英和さんファンに聞いた、赤井英和さんの20代で印象に残っている出来事


プロボクサーから俳優に転身。イケメンではありましたが、演技はできるのか疑問でした。でも期待はできそうな印象。(30代女性)

21歳のときにプロボクサーに転向されたことが印象的でした。理由は、赤井さんは最初から俳優さんだと思っていたので、プロボクサーだった事実に驚いたからです。(30代女性)

あぶない刑事での芝居がなんだか面白かったですね。あまり演技に慣れていない感じでちょっと笑えましたね。(30代男性)
30代
赤井英和さんが30代の頃の代表的なできごとはこちらです。
- 1989年(30歳):映画「どついたるねん」で主役デビュー。
- 1994年(34歳):テレビドラマ「人間・失格〜たとえばぼくが死んだら」に出演。
- 1994年(35歳):映画「119」に出演。
赤井英和さんは、1989年、30歳の時、笑福亭鶴瓶さんからの勧めで執筆した自伝を基にした映画「どついたるねん」に主演の安達英志役で出演し、主役デビューしました。この作品で赤井さんは複数の映画賞で新人賞に輝きました。
かねて親交のあった母校・浪速高校の先輩である笑福亭鶴瓶から、「お前の人生おもろいから、本書けや」と勧められたのだ。
「いやいや本って師匠、学生時代から鉛筆もロクに握ったことないのに、と思いましたよ。ほんでも浪高の先輩で放送作家をされている方がいらっしゃって、いろいろ助けてもらいながら『どついたるねん』という自伝本ができた。それを読んだ阪本順治さんから、声をかけてもらったんです」引用元:NumberWeb
1994年の34歳の頃には、KinKi Kidsと共演したテレビドラマ「人間・失格〜たとえばぼくが死んだら」に主演の大場衛役で出演しました。この作品が赤井さんの連続ドラマ初主演となりました。
昨日のジョブチューンやっと見た👀💕
— はんちゃん (@hanpen71) April 20, 2019
「人間・失格」は、当時、もちろんリアルタイムで見てたけど、途中何話か辛すぎて見ること出来なくて…KinKiさんのドラマの中で未だに全編見返すことが出来ない唯一の作品
だけど、ドル誌の中のふたりは、それはにこやかで可愛くて救われた思い出💙❤️ pic.twitter.com/JYOaKPYQfz
そして同年1994年の35歳の時、映画「119」に出演しました。赤井さんはこの作品で第18回日本アカデミー賞優秀主演男優賞を受賞しました。
赤井さんの30代は、俳優としての活動を本格的に開始し、日本アカデミー賞の受賞など俳優としての地位を確立した重要な時期でした。

ドラマ「人間・失格」は話題になったよね!
赤井英和さんファンに聞いた、赤井英和さんの30代で印象に残っている出来事


映画で主演を勤めたり、多数の作品に出演。30代の頃俳優として活躍していたのはわかりますが、やはり私の中で赤井さんは俳優よりボクシングのイメージが強いです。(30代女性)

34歳のときにドラマ「人間・失格〜たとえばぼくが死んだら」に出演されたことが印象的でした。理由は、赤井さんの父親役としての演技に心打たれるものがあり、何度も観たくなる作品だったからです。(30代女性)

人間失格での芝居が本当に凄かったです。子供を殺された親の心情を見事に体現していて怖かったぐらいでしたね。(30代男性)
40代
赤井英和さんが40代の頃の代表的なできごとはこちらです。
- 2000年(41歳):映画「十五才 学校IV」に出演。
- 2006年(47歳):映画「ありがとう」に出演。
- 2008年(49歳):NHK連続テレビ小説「だんだん」に出演。
赤井英和さんは、2000年、41歳の時、山田洋次さん監督の映画「十五才 学校IV」に佐々木康役で出演しました。赤井さんはこの作品で第24回日本アカデミー賞優秀助演男優賞を受賞しました。
Netflixで映画『学校』シリーズ4作が明日5月19日に配信終了なのでお知らせ。どれも好きだけど特に『十五才 学校IV』が不登校の少年がヒッチハイクの旅をするロードムービーでとても素敵でねぇ……。山田洋次監督の優しさをストレートに感じられるので、『キネマの神様』の前にもぜひ。 pic.twitter.com/8ewwM1HRQR
— ヒナタカ@映画 (@HinatakaJeF) May 18, 2020
2006年の47歳の頃には、映画「ありがとう」に主演の古市忠夫役で出演しました。
赤井英和さんと田中好子さんが共演した映画『ありがとう』
— sakura (@sakura1879424) March 27, 2025
阪神淡路大震災を背景に、還暦を目前にしてプロテストに合格した実在の現役プロゴルファー、古市忠夫の姿を描いた感動ドラマです。 pic.twitter.com/VQAqhZBdPo
そして2008年の49歳の時、三倉茉奈さん・三倉佳奈さん主演のNHK連続テレビ小説「だんだん」に難波彰彦役で出演しました。
赤井さんの40代は、数々の映画やドラマに出演し、俳優として精力的に活動していたことがわかります。

いろんな作品に出演してたんだ!
赤井英和さんファンに聞いた、赤井英和さんの40代で印象に残っている出来事


40代になると父親役も増える。若い頃は尖った感じのイケメンでしたが、歳とともに角が取れて優しい印象になりました。(30代女性)

45歳のときにドラマ「砂の器」に出演されたことが印象的でした。理由は、シリアスな難役を演じられた赤井さんを見て演技力の高さはもちろん、俳優としての力強さを感じたからです。(30代女性)

火サスの京都金沢シリーズが本当に好きでした。赤井さんの役柄に味があって見事に魅力を発揮していましたね。(30代男性)
赤井英和の若い頃の髪型は黒髪のショートカット

赤井英和さんの若い頃の髪型といえば、黒髪のショートカットな髪型を思い出す方も多いのではないでしょうか。
赤井さんといえばパーマがかかった髪型のイメージですが、若い頃はさっぱりしたショートカットですね!
この頃の男性の間では、YMOのテクノカットや藤井フミヤさんのチェッカーズカットが流行していました。赤井さんのシンプルなショートカットもスポーツマンらしくて素敵ですね。

さわやかでかっこいい!
まとめ

今回は、赤井英和さんの若い頃の活躍や出来事を、画像とともに振り返りました。

年代ごとに印象深い出来事がたくさんあったね!
これからの活動も頑張ってほしいと思います。