政治家として活躍していた安倍晋三さん。
若い頃どんな風貌だったのかや、年代ごとにどんなできごとがあったのか気になるかたも多いと思います。
さっそく、安倍晋三さんの若い頃の写真やできごと、デビューのきっかけを年代順に振り返ってみましょう。
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安倍晋三のデビューのきっかけや時期は?
安倍晋三さんが政界に入ったきっかけは、1991年5月15日に父親の安倍晋太郎さんが亡くなったことからでした。父親が他界した約2か月後、安倍晋三さんは父の跡を引き継いで次期衆議院選挙への出馬を表明しました。
1993年、38歳だった安倍晋三さんは衆議院議員選挙に初当選し、政治家として本格的に活動を始めました。
FBの安倍晋三元総理を支える会様からの、若い頃の雨の中の街頭演説の白黒写真の投稿…悲しいから載せないで下さいと叱られそうですが、どうしてもカラーに変換したかったのです…あらためて残念でなりません。 pic.twitter.com/AjTnBaXR4y
— あけふみ (@alpina2727) September 14, 2022
1993年に衆議院議員初当選、その後、自民党幹事長、内閣官房長官などを務めました。
引用元:Yahoo!ニュース
お父さんも政治家だったみたいだね!
安倍晋三の幼少期は?若い頃の活躍やできごとを年代順に振り返り
安倍晋三さんの幼少期のエピソードや、若い頃の活躍やできごとを年代順に振り返っていきます。
幼少期
1954年9月21日、東京都新宿区で安倍家の次男として生まれました。祖父は元首相の岸信介さん、父親の安倍晋太郎さんは衆議院議員の政治家一家で育ちました。
父親の安倍晋太郎さんは政治活動で忙しかったため、あまり家にはいなかったのだそう。そのため、家には久保ウメさんという養育係がおり、安倍晋三さんが2歳頃から約40年以上にわたって安倍家を支えてきました。また、両親が不在の際には母親の代わりをしてきたのだそうです。
安倍晋三の歴史年表
— GRAYSON (@gtrvariedades) November 21, 2022
①自転車に乗っている子供の頃
②若い頃
③安倍昭恵さんと結婚の日
④首相としてスピーチしている
安倍晋三さんが死去した今日まで信じない。#安倍晋三 pic.twitter.com/2uLSv4idly
ウメは安倍晋三首相が2歳5か月「おむつが取れるかどうかという頃」から、小泉政権で官房副長官、幹事長を務めた時代まで40年以上にわたって安倍家に仕え、独身を通した。
引用元:小学館
小さい頃は、野球選手やテレビの影響で刑事にあこがれていたそう。
甘えん坊で頑固な子供だったんだって!
1963年、安倍晋三さんが小学校3年生の時に父親が選挙で落選したため両親は東京を離れ、選挙区の山口県にいることが多くなりました。
10代
安倍晋三さんが10代の頃の代表的なできごとはこちらです。
- 1970年(15歳):成蹊高等学校に入学
- 1973年(18歳):成蹊高等学校を卒業
- 1973年(18歳):成蹊大学法学部政治学科に入学
1973年、安倍晋三さんは成蹊高等学校に進学します。高校では地理研究部に所属し、祖父の岸信介さんの影響で政治に関心を持ち始め、地理や国際情勢について学んでいたと思われます。
虐殺器官の流れで政治の話になり、酔っぱらいながら「(今はあんなんやけど)菅直人の全盛期はシン・ゴジラにおける矢口蘭堂くらいのかっこよさがあった」と主張したら、先生が「そんなん言うたら安倍晋三の若い頃なんか高橋一生そっくりやぞ」と言い出して確かに似てるけど、コレジャナイ感すごい。 pic.twitter.com/e2OgdnB6Xr
— パッキン堂書店 (@packingdoshoten) November 18, 2017
1973年、高校を卒業後、成蹊大学法学部政治学科に入学します。大学生時代には政治学を学びながらアーチェリークラブに所属し、準レギュラーとして活動していました。
インタビューでは学生時代を振り返り、アーチェリーへの思いを語っています。
成蹊大時代に体育会アーチェリークラブに4年間所属しており、実体験を交えて競技を語ることのできる存在。
引用元:日刊スポーツ
「大学で運動部に入る人は野球にしろ、なんにしろ、だいたい経験者。ゼロからいくとハンディキャップになるので、みんながゼロからスタートする競技はないかと考えました」
引用元:日刊スポーツ
後に全日本アーチェリー連盟の会長にもなっているみたいだよ!
安倍晋三さんファンに聞いた、安倍晋三さんの10代で印象に残っている出来事
安部さんが子供の頃、両親は不在が多く、養育係のウメさんが面倒を見てました。中学生の頃も甘えてウメさんの布団にも入っていたそうです。やはり寂しいものもあったのだと思います。(40代女性)
安倍晋三さんの10代のころの印象的な出来事は、大学でアーチェリー部に所属していたということです。また大学へはアルファロメオで通っていたという想像しにく展開に驚きました。(40代女性)
成蹊大学に入学して勉学に励んでいたことを知って驚きました。かなり優秀だったらしいのでそれも安倍さんらしいなと思いました。(30代男性)
20代
安倍晋三さんが20代の頃の代表的なできごとはこちらです。
- 1978年(23歳):南カリフォルニア大学に入学、英語研修コースに在籍
- 1979年(24歳):株式会社神戸製鋼所に入社
- 1982年(28歳):神戸製鋼所を退社、外務大臣である父・安倍晋太郎さんの秘書官に就任
1977年の3月、成蹊大学を卒業後、安倍晋三さんはアメリカに渡りカリフォルニア州ヘイワードの英語学校に通学しました。ですが、日本人が多すぎると通学を断念。その後、ロングビーチの語学学校に通いながらイタリア系アメリカ人の家に下宿します。
1978年1月から1年間ほど南カリフォルニア大学に留学し、海外での語学学習や留学経験を通じて国際的な視野を広げていたようです。
アメリカ留学時代の安倍晋三さん。親友の加計孝太郎さんと。 pic.twitter.com/Umrz85Gpiy
— 六衛府 (@yukin_done) July 10, 2022
1979年4月、帰国した安倍晋三さんは神戸製鋼所に入社し本社輸出部にはいります。その後、1980年5月から約9カ月間安倍さんは神戸製鋼所加古川製鉄所に勤務し、工程部工程課に所属。厚板係として現場との生産調整などを担当しました。
1980年5月から9カ月間、神戸製鋼所加古川製鉄所(兵庫県加古川市金沢町)に勤務し、同市平岡町二俣の寮で生活していた。2007年には古巣の同製鉄所を訪ねるなど、サラリーマン時代のスタート地点だった加古川市には、特別な思いを抱いていたという。
引用元:神戸新聞
東京本社やニューヨーク事務所でも働いていたみたいだよ!
1982年11月、安倍晋三さんは父親である安倍晋太郎が外務大臣に就任した際、大臣秘書官として政界入りしました。
当初、安倍さんは秘書官就任を拒否したそうですが、父親の強い要請により神戸製鋼所を退職し秘書官に就任したそうです。
安倍晋三さんファンに聞いた、安倍晋三さんの20代で印象に残っている出来事
24歳の時には神戸製鉄に就職、26歳の時に選挙運動をされている写真を見ましたが、爽やかなイケメンでかなりモテたのではと想像します。(40代女性)
安倍晋三さんの20代のころの印象的な出来事は、神戸製鋼所で働かれていたということです。はじめから政治活動をしていたわけではなかったのが印象的です。(40代女性)
父親からの要請で大臣秘書官に就任したことが印象的ですね。政治家になるつもりはなかったらしいのですが父親の強い思いが伝わり引き受けるのが格好いいですね。(30代男性)
30代
安倍晋三さんが30代の頃の代表的なできごとはこちらです。
- 1986年(32歳):父・安倍晋太郎さんが外務大臣を退任したのに伴い、秘書官を退職
- 1986年(33歳):森永製菓社長の松崎昭雄さんの長女で電通社員の昭恵さんと婚約
- 1993年(39歳):衆議院議員総選挙に山口1区から出馬し、初当選
1986年7月、父親の安倍晋太郎さんが外務大臣を退任したのと同時に、安倍さんも秘書官を退職しました。
同年の10月、電通に勤務していた昭恵さんと婚約し、翌年の1987年6月に結婚しました。
お2人は、1985年に職場の上司を通じて出会いました。初対面の際、昭恵さんは遅刻してしまったそうですが、安倍さんは気にせず会話を楽しんだことがきっかけで交際が始まったそう。
安倍氏とは85年に会社の上司の紹介で出会った。当時、安倍氏は父の晋太郎外相の秘書官。昭恵さんは初対面の会食に40分遅刻したが、安倍氏は気にするそぶりを見せず、海外訪問のこぼれ話などで場を和ませたという。
引用元:毎日新聞
イケイケ時代。#総理夫人だから pic.twitter.com/e0rHpr872E
— mold‐zx (@lautream) March 19, 2018
安倍さんから食事や映画に誘い交際に発展したみたいだよ!
1991年5月、父親である安倍晋太郎さんが急死したことにより、同年の7月、安倍さんは地元後援会拡大会長会議で、父の跡を継ぎ次期衆院選に立候補することを表明しました。
1993年、38歳の安倍晋三さんは第40回衆議院議員総選挙に旧山口1区から立候補し、初当選を果たしました。
安倍晋三さんファンに聞いた、安倍晋三さんの30代で印象に残っている出来事
32歳の時に昭恵さんと結婚され、38歳の時に政界初当選されてます。この時は、やる気に満ち溢れている感じでカッコいいです。(40代女性)
安倍晋三さんの30代のころの印象的な出来事は、38歳の時に初当選し政界に入ったということです。とても若い年齢だっとが驚きです。(40代女性)
1993年衆議院議員選挙に出馬し当選したことが本当にすごいです。なかなかできることではないと思うのでそれだけのポテンシャルが安倍さんには元々あったのでしょうね。(30代男性)
40代
安倍晋三さんが40代の頃の代表的なできごとはこちらです。
- 2000年(46歳):第2次森内閣の内閣官房副長官に就任
- 2002年(48歳):小泉首相に同行して北朝鮮を訪問し、拉致被害者5人の帰国に貢献
- 2003年(49歳):自由民主党幹事長に就任
2000年7月、46歳だった安倍晋三さんは小泉純一郎さんの推薦を受け、第2次森内閣の内閣官房副長官に就任します。
当時、森喜朗首相は内閣改造を行う際に若手政治家の登用を計画していました。46歳だった安倍晋三さんはこの方針にピタリと合う人材でした。
安倍さんのこれまでの政治活動や国会での実績が高く評価されたみたいだよ!
2002年9月、安倍晋三さんは小泉純一郎首相の北朝鮮訪問に同行しました。この訪問で金正日総書記が日本人拉致を初めて認め謝罪し、日朝首脳会談として歴史的なものとなりました。
2002年9月の小泉純一郎首相の訪朝です。会談した金正日(キムジョンイル)総書記は拉致を認め、謝罪。拉致被害者の5人は生存し、めぐみさんを含め8人は死亡と発表しました。
引用元:朝日新聞
安倍さんは、この問題に関して『安易な妥協をするべきではない』と主張し、5名の拉致被害者の帰国が実現しましたが、一時帰国とされていた被害者を北朝鮮に戻す事に強く反対したそうです。
その後の2003年9月、小泉純一郎首相の『サプライズ人事』として当時49歳という若さと未経験であった安倍さんが就任し注目を集めました。
安倍晋三さんの40代は、政治家として経験を積み後の首相就任への重要な時期だったようです。
安倍晋三さんファンに聞いた、安倍晋三さんの40代で印象に残っている出来事
48歳の時に、自民党の幹事長になられてます。このころからぽっちゃり体型になってますが、その分迫力も増して政治家の貫禄もあります。(40代女性)
安倍晋三さんの40代のころの印象的な出来事は、49歳で幹事長に就任されたということです。歴代でも小沢さんに次ぐ若さで驚きました。(40代女性)
2000年に内閣官房副長官に就任したことが素晴らしいです。どんどん政治家としての実績を重ねていく姿に感銘を受けましたね。(30代男性)
安倍晋三の若い頃の髪型は短めの黒髪
安倍晋三さんの若い頃の髪型といえば、きちんと整えられた髪型を思い出す方も多いのではないでしょうか。
若い頃の安倍昭恵夫人に良く似てるね。
— ローザリンデ・エリザベート・フォン・ルーイヒ=グレンツェント@Vtuber (@7pp2htgnjw3ar5r) July 7, 2024
マンガ・安倍晋三物語、普通に作画力高くてビビる。 https://t.co/LPsSqf6129 pic.twitter.com/WM0wYeUrJ6
サイドは短くトップはやや長めの日本のビジネスマンスタイルで、常に手入れがされていました。
政治家として、髪はきちんと整えられ清潔感を重視していたのではないかと思います。特に公の場に出る際には、髪型が重要視されるため、外見にも気を配り続けていたようです。
政治家として身だしなみには気を使っていたみたいだよ!
まとめ
今回は、安倍晋三さんの若い頃の活躍や出来事を、画像とともに振り返りました。
年代ごとに印象深い出来事がたくさんあったね!
ご冥福をお祈りいたします。