お笑いタレント、俳優、映画監督として活躍する板尾創路さん。
若い頃どんな風貌だったのかや、年代ごとにどんなできごとがあったのか気になるかたも多いと思います。
さっそく、板尾創路さんの若い頃の写真やできごと、デビューのきっかけを年代順に振り返ってみましょう。
板尾創路のデビューのきっかけや時期は?

板尾創路のデビューのきっかけは、吉本興業のタレント養成所であるNSC大阪校への入学です。
彼は10代の頃、島田紳助さんに弟子入りを志願しましたが断られ、代わりにNSCへの入学を勧められました。
その後、1985年にNSC大阪校4期生として入学し、翌年に蔵野孝洋(現・ほんこん)とお笑いコンビ「130R」を結成しました。

ほんこんさんとコンビだったとは、初めて知りました!
板尾創路の幼少期は?若い頃の活躍やできごとを年代順に振り返り

板尾創路さんの幼少期のエピソードや、若い頃の活躍やできごとを年代順に振り返っていきます。
幼少期
板尾創路さんは、1963年7月18日に大阪府富田林市で生まれました。ケーキ屋を営む両親と姉との四人家族でした。
板尾創路さんの名前の由来は、父親が「真実一路」という言葉を好んでいたことに由来します。姉には「真実(まのり)」という名前を付け、板尾には「一路(いちろう)」と名付けたかったものの、最終的に「創路(いつじ)」と名付けることにしました。
家族や周囲から「いちろう」と呼ばれており、自分の名前が「いつじ」と読むことを知らなかったエピソードもあります。
父親は川柳作家の板尾岳人であり、彼の発想や感性に影響を与えたそうです。

名付けの由来がユニークですね!
10代
板尾創路さんが10代の頃の代表的なできごとはこちらです。
- 高校生時代 :典型的なヤンキー文化に影響されて過ごす
- 1982年(18歳):「551蓬莱」に就職
- 1985年(21歳):「NSC」大阪校に入学
10代の頃は非常にやんちゃで、いわゆる「ヤンキー」としての一面もあったようです。
不良仲間とつるむことも多く、決して「模範的な少年」というタイプではなかったとのこと。
しかしその時期に培った独特の感性や経験が、後の芸人としてのキャラクターや表現力に影響を与えているようです。
中学、高校時代、僕はヤンキーでした。といっても、ファッションのヤンキーというか。僕が住んでいた地域は田んぼだらけの田舎で、ヤンキーしか「文化」がなかったんです。
引用元:双葉社 THE CHANGE
高校卒業後、一時的に大阪名物「551蓬莱」に就職していたことがあります。しかし短期間で退職し、その後島田紳助さんの自宅を訪れ弟子入りを志願するなど、芸人を目指す道へ進みました。
1985年に吉本興業のタレント養成所「NSC(吉本総合芸能学院)」大阪校に入学しました。
翌年に同期のほんこん(蔵野孝洋)とお笑いコンビ「130R」を結成しました。
NSC時代には、定期的な生徒公演などを通じて経験を積み、後にお笑い芸人として成功を収めています。
日本では、テレビのバラエティ番組が大盛況で、「お笑いブーム」とも呼ばれる時代でした。
この頃から、お笑い芸人の憧れが広がり、板尾さん自身も影響を受けた可能性があります。

ヤンキーからお笑い芸人への転身はすごい!
板尾創路さんファンに聞いた、板尾創路さんの10代で印象に残っている出来事


高校卒業後、蓬萊に就職していたことです。関西ではなじみのある会社というのもありますけど、お笑い関係へ進むのではなく一会社員として働いていたことに驚きました。(50代男性)

ケーキを持って島田紳助さんの元に弟子入りを志願したというエピソードが印象的でした。すごく行動力がある人だと思えたからです。(30代女性)

島田紳助さんに憧れて弟子になりたくて直談判しに行ったというエピソードを聞いて結構積極的だったんだなと意外でしたね。(30代男性)
20代
板尾創路さんが20代の頃の代表的なできごとはこちらです。
- 1987年(23歳):大阪で仲間と過ごす日々を送る
- 1987年(23歳):バラエティ番組「4時ですよ〜だ」に出演
- 1991年~1997年(27~33歳):バラエティ番組『ダウンタウンのごっつええ感じ』に出演
板尾創路さんは20代の頃に、同じ芸人仲間の吉田ヒロさんと大阪・西成で同じマンションに住んでいたことがあり、若手芸人仲間とともに寄せ鍋を囲んだり、思い出の居酒屋に集まったりしていました。
2021年放送のバラエティ番組でも、吉田ヒロさんが親友としてVTR出演し、2人の思い出の大阪・西成のスポットを訪ねる企画が放送されました。
板尾さんは「今も、よう思い出す」と当時を懐かしんで語っており、若い時のこの頃の思い出が、芸人人生に大きな影響を与えていそうです。
1987年から1989年に毎日放送で放送された伝説的なバラエティ番組『4時ですよ〜だ』の主要メンバーの一人として活躍しました。
関西の中高生を中心に絶大な人気を誇り、「ダウンタウンファミリー」と呼ばれる若手芸人グループの一員として、番組の人気を支えました。
板尾創路さんは、フジテレビ系列で1991年から1997年まで放送された伝説的お笑いバラエティ番組『ダウンタウンのごっつええ感じ』の主要レギュラー出演者でした。
独特のキャラクターやシュールなコントで人気を博し、「板尾係長」、「シンガーソングライダー板尾創路」などの名物キャラクターも生み出しました。
収録は週2~3日行われ、板尾のスケジュールは毎週3日間「ごっつ」で押さえられていたと本人が語っています。
20代は、芸人としての飛躍と、仲間との青春を謳歌し成長の時期だったようです。

若手時代から高い評価を受けていたのですね!
板尾創路さんファンに聞いた、板尾創路さんの20代で印象に残っている出来事


『4時ですよーだ』に出演したことです。私自身この番組で板尾さんを初めて見かけましたし、この頃から面白い人だな~と感じたので印象に残っています。(50代男性)

ホンコン·マカオというコンビだったことが印象的でした。ほんこんさんの名前がここから来てるとは思わなかったので、びっくりしたからです。(30代女性)

ごっつええ感じでのコントが本当に好きでしたね。中でもゴレンジャイでの板尾さんは天才的でした。腹抱えて笑いましたね。(30代男性)
30代
板尾創路さんが30代の頃の代表的なできごとはこちらです。
- 1994年(30歳):「青少年保護条例違反(淫行)」容疑で逮捕される
- 1998年(34歳):一般人女性と結婚
- 2001年(37歳):30代の頃の代表的なできごとを時代が古い順に一行で書く
1994年に青少年保護条例違反(当時14歳の少女との淫行)で逮捕され、罰金30万円を科されました。
この事件により、芸能活動を一時自粛することとなりました。
事件の背景には、相手の少女が18歳以上であると偽っていたことが明らかになり、また松本人志さんらの働きかけもあったため、板尾さんはプロダクション契約解除には至らず、年内いっぱいの謹慎処分で復帰しました。
1998年に8歳年下の一般人女性と結婚しています。奥様は一般人のため、名前や顔などの詳細なプライベート情報は公表されていません。
二人の出会いは1996年頃、友人の紹介がきっかけで交際に発展したとされています。
離婚歴はなく、現在も夫婦仲良く暮らしています。
2001年にお笑い芸人の木村祐一さんと「イタキム」という即席漫才コンビを結成しました。
同年に『M-1グランプリ』に出場し、3回戦(準々決勝)まで勝ち進み会場を盛り上げました。
30代は、芸人としてのキャリアアップを目指し、関西から東京へと活動の幅を広げていた時期でした。
プライベートも充実していたようです。

気軽なコメントを一行程度で
板尾創路さんファンに聞いた、板尾創路さんの30代で印象に残っている出来事


青少年保護条例違反容疑で逮捕されたことです。芸能活動停止になって一時期テレビで見る機会も少なくなりました。板尾さんにとっては人生を変える出来事だったと思うので印象に残っています。(50代男性)

18歳未満の少女と淫行をしたとして、青少年保護条例違反容疑で逮捕されたことが印象的でした。当時はすごく売れていた時期だったので、すごくショックだったからです。(30代女性)

バラエティでの姿がとても良かったですね。トークに味があって聞いていて言い知れない笑いが込み上げてきました。(30代男性)
40代
板尾創路さんが40代の頃の代表的なできごとはこちらです。
- 2010年(46歳):木村祐一さんとフリートークライブを開催
- 2011年(47歳):朝ドラ『カーネーション』に出演
- 2011年(47歳):映画『電人ザボーガー』で主演を務める
木村祐一さんと2人だけで行う完全フリートークライブ「ざっぱ」を開催しました。
内容や事前打ち合わせは一切なく、2人がその場で自由に話題を展開する2時間のライブイベントで、ライブごとに全く異なる内容になるのが魅力でした。
3月4日(金)、shimokitazawaGARDENにて、板尾創路と木村祐一によるトークライブ「ざっぱ」が開催されました。今回で第4公演目となった「ざっぱ」は、企画コーナーやゲストは一切ナシ、板尾と木村が二人きりでひたすら珠玉のフリートークを繰り広げていくという贅沢なライブです。
引用元:よしもとニュースセンター
NHK連続テレビ小説『カーネーション』に出演し、、ヒロイン・糸子(尾野真千子)が働く呉服店「末松商店」の主人を演じました。
板尾創路さんが「カーネーション」に出演していたことはSNSなどでも話題となり、視聴者に大きな印象を残しました。
映画『電人ザボーガー』で主人公・大門豊の「熟年期」を演じました。
1970年代の特撮ヒーロードラマ『電人ザボーガー』を原作としたリメイク作品で、旧作へのオマージュを込めつつ、現代的な映像技術でザボーガーの変形やバトルシーンを再現していました。
板尾創路さんは「47歳のおっさんでもヒーローものの主役ができるんや!」と出演を喜び、話題となりました。
箇条書きの3つの内容について、あなたの感想や意見を1〜3行程度で書く

おっさんのヒーローも面白そうです!
板尾創路さんファンに聞いた、板尾創路さんの40代で印象に残っている出来事


木村拓哉さんと二人で、トークライブ「ざっぱ」を開催したことです。あの木村さんとライブできるなんて、板尾さんってすごい人なんだなと驚きました。(50代男性)

朝ドラ「カーネーション」に出演していたことが印象的でした。この頃は俳優として地位も確立されている印象があったからです。(30代女性)

俳優として活躍している姿が印象的ですね。結構話題作には必ず板尾創路さんがいらっしゃるので本当に魅力的です。(30代男性)
板尾創路の若い頃の髪型は黒髪のストレーヘア

板尾創路さんの若い頃の髪型といえば、黒髪のストレートヘアを思い出す方も多いのではないでしょうか。
20代の頃は比較的長めのストレートヘアで、自然なスタイルが多く見られました。
パーマやカラーリングなどの派手なアレンジはほとんどせず、顔立ちのシャープさを引き立てる、素朴で飾り気のない髪型が多かったようです。

芸人としての才能だけでなく、イケメンぶりも注目されていました!
まとめ

今回は、板尾創路さんの若い頃の活躍や出来事を、画像とともに振り返りました。

年代ごとに印象深い出来事がたくさんあったね!
これからの活動も頑張ってほしいと思います。