俳優として活躍する小泉孝太郎さん。
若い頃どんな風貌だったのかや、年代ごとにどんなできごとがあったのか気になるかたも多いと思います。
さっそく、小泉孝太郎さんの若い頃の写真やできごと、デビューのきっかけを年代順に振り返ってみましょう。
小泉孝太郎のデビューのきっかけや時期は?

小泉孝太郎さんは、芸能事務所からスカウトされて芸能界入りを果たしています。
父親に政治家として生きることを反対され、俳優を志すようになった小泉孝太郎さん。
アルバイト中にX JAPANのYOSHIKIさんに声をかけられたことをきっかけに、本格的に芸能界を目指すようになりました。
YOSHIKIも、当時のことは鮮明に覚えてるといい「もうデビューされてるのかと思ってたんです。“絶対にこっちの世界に来た方がいい”と。成功するという『オーラ』が見えてました」と、笑顔。
引用元:Sponichi Annex

意外な人が背中を後押ししてくれたんだね!
小泉孝太郎の幼少期は?若い頃の活躍やできごとを年代順に振り返り

小泉孝太郎さんの幼少期のエピソードや、若い頃の活躍やできごとを年代順に振り返っていきます。
幼少期
政治一家である小泉家に長男として生まれた小泉孝太郎さん。
しかし、父親からは「小泉家の名に甘んじるな」と育てられてきたそうです。
金銭感覚を保つように小遣いや食べ物に厳しい制限が設けられ、「お菓子は一切禁止」とされたという。そのため、友達がこっそりくれる1枚の板ガムにも感動していたため、今でも楽屋でお菓子を見るとついやってしまう行動があると打ち明けた。
引用元:Sponichi Annex
また、父親が政治家だったことで、少し変わった幼少期を過ごしました。
子どもの頃、父はほとんど家にいなかった。平日は東京で、週末は地元の会合、土日は冠婚葬祭の数が半端じゃない。1日15件とか。だから父は常に線香の香りがして。
引用元:entax
父親・小泉純一郎さんから厳しい教育を受けながら、一般的な家庭とは異なる環境で過ごした幼少期だったようですね。

驚かれるようなエピソードがたくさんあるみたいだね。
10代
小泉孝太郎さんが10代の頃の代表的なできごとはこちらです。
- 1993年(15歳):関東学院六浦高等学校に入学する
- 1997年(17歳):野球部に所属し、甲子園を目指す
- 1998年(18歳):父親の政治家・小泉純一郎氏に政治家になることを反対される
小泉孝太郎さんは中学校を卒業した後、横浜市金沢区にある関東学院六浦高等学校へ進学しました。
政治家の父親を持ったために完璧であることを期待され、ストレスを感じていたそうです。
「完璧に見る方もいるんですよ。僕はそれが苦しかったので、(テストでは)ギリギリのところ狙ってました全部、赤点の・・・」と答える小泉。周りに親しみを持ってもらうための作戦で、高校でも大学でもずっと学力は”赤点ギリギリライン”を狙っていたという。
引用元:entax
そして、高等学校在学中は、勉学だけでなく部活動にも打ち込んでいた小泉孝太郎さん。
彼は、野球部に所属して甲子園を目指していた元高校球児でした。
「甲子園は僕にとっても聖地。そこに足を踏み入れるのは、ドラマやバラエティーの仕事とはまったく違う緊張感があります。今年、高校球児たちがどんな戦いぶりを見せてくれるのかと思うと、今から泣きそうです(笑)」と思い入れも人一倍。
引用元:マイナビニュース
その後、将来の進路について父親に相談した小泉孝太郎さんでしたが、政治家になることは反対されたそうです。
「政治家はつらいぞ。ほかに夢中になれることを探せ」と父から促された孝太郎氏。「自分は『首相の息子』ではなく、『小泉孝太郎』として別の世界で身を立てたい」との思いで芸能界入りしたと打ち明けた。
引用元:カナロコ
政治家の父親を持ったことで、苦労することが多かったようですね。

政治一家の一員であることが重荷だった10代かもしれないね。
小泉孝太郎さんファンに聞いた、小泉孝太郎さんの10代で印象に残っている出来事


高校球児として甲子園を目指していた。同じく高校球児だった幼馴染の上地雄輔さんと野球トークをしていたことがあったから(20代女性)

高校時代は野球部に所属していて甲子園を目指していたそうですが、3年の時に腰を痛めてチーム負けて断念されたそうです。もし挫折されてなかったら、その後も野球されていたかもと思うと面白いです。(40代女性)

高校時代野球部に所属していたというのが意外でした。勝手に文系だと思っていたので結構活発だったんだなと好感を持ちました。(30代男性)
20代
小泉孝太郎さんが20代の頃の代表的なできごとはこちらです。
- 2000年(22歳):YOSHIKIの言葉をきっかけに芸能界入りを決意する
- 2001年(23歳):サントリー「ダイエット生」のCMに出演する
- 2002年(24歳):ドラマ『初体験』で俳優デビューを果たす
大学を中退した小泉孝太郎さんは、X JAPANの元ギタリスト・hideさんの功績を称えた博物館でアルバイトをしていました。
そして、ある日突然YOSHIKIさんが来館し、小泉孝太郎さんに声をかけたそうです。
緊張しっぱなしの小泉を見て、YOSHIKIは「彼、芸能界に入れた方がいいよ」と、同席したレコード関係者にまさかの推薦。「頑張ってね、こっち(芸能界)においで」と手招きしてくれたという。
引用元:Sponichi Annex
2001年に父親である小泉純一郎氏が首相に就任したことを皮切りに、芸能事務所からスカウトを受けるようになりました。
その後、サントリー「ダイエット生」のCMに出演し、芸能界入りしています。
従来の発泡酒になかった“カロリーオフ”“ダイエット”をテーマにした全く新しい発泡酒「サントリーダイエット〈生〉」を発売した。過去、多くのビールが挑み、成し得なかったカロリーオフと旨さの両立を実現し、初回出荷一三〇万ケースと同社新製品はもとより、カロリーオフカテゴリーでも過去最高数字を記録。
引用元:日本食糧新聞
芸能界入りした翌年、ドラマ『初体験』で俳優としてデビューを果たしました。
小泉孝太郎さんは、主人公・高梨真智の弟である高梨歩を演じています。
獣医の真智は27歳で処女だった。未経験ということは、小学校から腐れ縁の由加里や琴美にも打ち明けられずにいる。ある日、同窓会の案内が真智のもとに届く。小学校時代にあこがれていた通称フサちゃんと言われていた拓海を思い出しときめくが、同窓会では会えずじまい。その数日後、真智が働く動物病院に拓海そっくりの男がやってくる。
引用元:WEB ザテレビジョン
「首相の長男」としてデビューしたために、悩んだことも多かったのではないでしょうか。

20代からは、俳優の仕事に一生懸命だったみたいだね。
小泉孝太郎さんファンに聞いた、小泉孝太郎さんの20代で印象に残っている出来事


YOSHIKIの言葉をきっかけに芸能界入りを決意。「モニタリング」という番組で二人の再会が実現し、意外な組み合わせで印象に残っていたから(20代女性)

23歳の時にサントリーのCMでデビューされてます。この時の髪型はツンツンヘアでー、かなり今とは違うイメージでやんちゃな感じです。こんな時もあったんだと感心しました。(40代女性)

俳優を目指したがオーディションで何度も失敗したというエピソードが意外でしたね。親の七光りを利用したりしない感じが潔いですね。(30代男性)
30代
小泉孝太郎さんが30代の頃の代表的なできごとはこちらです。
- 2009年(31歳):『いい旅・夢気分』にて、レポーターを務める
- 2009年(31歳):テレビドラマ『コールセンターの恋人』にて、初めて主演を務める
- 2013年(35歳):『ニンゲン観察バラエティ モニタリング』にレギュラー出演する
30代へ突入した小泉孝太郎さんは、仕事の幅を広げてバラエティ番組へ出演するように。
『いい旅夢気分』では、旅先で過ごす素顔に近い表情で視聴者を魅了しています。
にっぽん全国、その季節に「一番行きたい名所」「一番見たい絶景」「一番食べたい料理」を求めて旅人が各地を訪れる同番組。絶景の紅葉と旬の料理、一度は泊まりたい極上宿をご紹介しながら、親しい間柄だからこそ聞ける本音など、出演者の素顔も垣間みることができるのもこの番組が長く愛される理由だ。
引用元:ORICON NEWS
一方、テレビドラマ『コールセンターの恋人』に出演し、連続ドラマの主演を初めて務めました。
小泉孝太郎さんは、ある出来事をきっかけにコールセンターに左遷される主人公・都倉渉役を演じています。
ひょんなことから"ショッピングナビゲーター"南極アイス(名取裕子)に嫌われ、地方のコールセンターに異動させられることに・・・。渉を待っていたのは、“クレームの女王”の異名を取る青山響子(ミムラ)をはじめとする、個性的過ぎるクレーム対応係の面々だった!
引用元:TC エンタテインメント
『ニンゲン観察バラエティモニタリング』は2013年から放送が開始し、現在も継続している人気バラエティ番組です。
2022年5月26日には、恩人であるYOSHIKIさんに再会するという企画が放送されました。
小泉には、何も知らずにスタジオへやってきた彼の前にYOSHIKIが「Forever Love」の生演奏で登場するというサプライズも。サプライズでは20数年の時間を埋めるべく、じっくり語り合う濃厚な2ショットトークも実施。
引用元:Real Sound
俳優・小泉孝太郎として評価を高めつつ、異なった分野の仕事も始めた30代だったんですね。

テレビで見かける機会がさらに増えたみたいだね。
小泉孝太郎さんファンに聞いた、小泉孝太郎さんの30代で印象に残っている出来事


「ニンゲン観察バラエティ モニタリング」がスタート。番組レギュラーとして毎週出演されているのでよくお見かけするから(20代女性)

30代に入ると、ドラマだけでなく「いい旅・夢気分」ではレポーター、他にもナレーターなど仕事の幅が広がってます。役者以外でも、様々な分野で才能を発揮されてます。(40代女性)

コールセンターの恋人というドラマがとても好きでしたね。すごく小泉さんの演技に対しての姿勢が紳士的ですごく良かったです。(30代男性)
40代
小泉孝太郎さんが40代の頃の代表的なできごとはこちらです。
- 2020年(42歳):テレビドラマ『恋する母たち』に出演し、話題になる
- 2022年(45歳):大河ドラマ『鎌倉殿の13人』に平宗盛役として出演する
- 2024年(47歳):テレビドラマ『警視庁ゼロ係~スカイフライヤーズ~』に出演する
テレビドラマ『恋する母たち』は、アラフォー世代の母親たちの恋愛模様を描いた作品です。
小泉孝太郎さんは、母親たちの心を揺さぶる男性・斉木巧役を演じ、難しい役柄を演じ切ったことで話題になりました。
Q. 斉木巧はどんな人物でしょうか?
仕事はできる気がしますが、こと女性に関しては不器用だと思います。ぶっきらぼうで、幼稚だなと感じることがあるので。かといえばカッコいいことを計算ではなくサラっと言ったりして、面白い男ですね。つかみどころがなくて型にはまっていない人物です。
引用元:金曜ドラマ 恋する母たち
2022年には、大河ドラマ『鎌倉殿の13人』に平宗盛役として出演した小泉孝太郎さん。
「義経の新たな一面が引き出された」と、彼の演技力は高く評価されています。
小泉の立ち居振る舞いからは、自身の死罪も含め、全ての事象を受け入れる心の落ち着きが感じられた。小泉の演技は、義経の今まで見えてこなかった情の深い一面をひときわよく感じさせていたように思う。
引用元:Real Sound
テレビドラマ『警視庁ゼロ係~生活安全課なんでも相談室~』は小泉孝太郎さんが主演を務める人気シリーズ作品で、2024年に新作が放送されました。
小泉孝太郎さんは、空気の読めないキャリア警視・小早川冬彦を演じています。
KYキャリア警視・冬彦(小泉孝太郎)と男勝りで口の悪い・寺田寅三(松下由樹)は、警視庁で有名な迷コンビ。二人は杉並中央署「なんでも相談室」から警視庁捜査一課の特命捜査対策室・第5係に異動になっている。第5係は、エリート集団の雑務を請け負ういわば落ちこぼれ部署だった。
引用元:テレビ大阪
40代に入ってからも新たな役柄に挑戦し続け、実力派の俳優として認知されています。

俳優として活躍する姿が、とてもかっこいいよね。
小泉孝太郎さんファンに聞いた、小泉孝太郎さんの40代で印象に残っている出来事


「恋する母たち」に出演。それぞれ悩みや事情を抱えた大人ならではのラブストーリーが起伏に富んでいて面白かったから(20代女性)

43歳で大河ドラマ「鎌倉殿の13人」で平宗厚を演じられてます。重厚感もあり、貫禄も出てきて俳優としては厚みが出てきた感じです。(40代女性)

警視庁ゼロ係での姿が本当にいいですね。何度もスペシャルやシリーズが続いていたので彼の代表作と言ってもいいと思います。(30代男性)
小泉孝太郎の若い頃の髪型はトップにボリュームを持たせたレイヤーヘア!

小泉孝太郎さんの若い頃の髪型といえば、トップにボリュームを持たせたレイヤーヘアの髪型を思い出す方も多いのではないでしょうか。
若い頃の小泉孝太郎が素敵。
— TYYYYYR (@its_me_tyra) February 8, 2016
素敵。 pic.twitter.com/HRPATW08LR
立体感のあるシルエットが、ワイルドさを演出しています。
サイドがタイトなシルエットなので、爽やかな印象を受けますね。
若者の間で、えりあしを長めにしたヘアスタイルが流行していたようです。

スーツ姿に黒髪が似合う俳優さんだよね!
まとめ

今回は、小泉孝太郎さんの若い頃の活躍や出来事を、画像とともに振り返りました。

年代ごとに印象深い出来事がたくさんあったね!
これからの活動も頑張ってほしいと思います。