シンガーソングライターとして活躍する竹内まりやさん。
若い頃どんな風貌だったのかや、年代ごとにどんなできごとがあったのか気になるかたも多いと思います。
さっそく、竹内まりやさんの若い頃の写真やできごと、デビューのきっかけを年代順に振り返ってみましょう。
竹内まりやのデビューのきっかけや時期は?
大学時代に所属していたサークル「リアル・マッコイズ」で2学年上の先輩にのちにシンガーソングライターとなる杉真理さんがおり、杉さんに誘われ彼のバンド「ピープル」に入ったそうです。
のちに杉さんがスカウトされプロデビューし、同じバンドだったことから彼のアルバムのレコーディングにコーラスとして参加したのだとか。
それをきっかけに音楽業界の方から声がかかり、1978年にシングル「戻っておいで・私の時間」でデビューしました。シングルと同時にアルバム「BEGINNING」もリリースしています。
シングルと同時にアルバムも!
竹内まりやの幼少期は?若い頃の活躍やできごとを年代順に振り返り
竹内まりやさんの幼少期のエピソードや、若い頃の活躍やできごとを年代順に振り返っていきます。
幼少期
島根県出雲市大社町出身の竹内さんですが、なんとご実家は出雲大社の前の旅館なのだそうです。外国の方を含めたくさんの人の出入りがあったそうで、幼い頃から様々な音楽が身近に鳴っていたのだとか。
その影響で幼少期から洋楽に馴染みがあり、興味も強かったのかもしれませんね。
旅館の女将さんという未来もあったのですね!
10代
竹内まりやさんが10代の頃の代表的なできごとはこちらです。
- 1972年(17歳):アメリカイリノイ州に留学
- 1974年(19歳):慶應義塾大学に入学
- 1974年(19歳):大学のサークル「リアル・マッコイズ」に入る
高校3年生のとき、AFSという異文化学習の機会を提供する世界的な教育団体の交換留学生として、1年間アメリカのイリノイ州へ留学しました。海外へずっと行きたかったそうですが、英語はおぼつかない状態だったのだとか。
帰国後は受験生に戻り、1974年見事に慶應義塾大学文学部英文科に入学しました。
音楽はずっとやりたいと思っていたという竹内さんは、大学で「リアル・マッコイズ」というサークルに所属します。様々なジャンルの音楽バンドが集まっているサークルだったそうです。
英語が得意でなくとも留学を決めてしまうほど、海外への憧れが強かったのですね。留学経験は、デビュー後も海外でレコーディングする際など、外国のミュージシャンと積極的に交流するのに役立ったのだとか。また、座右の銘にするほど印象的な言葉とも留学経験の中で出会ったそうです。
私には座右の銘が2つあるのですが、その1つが17歳でアメリカに留学したとき、学校のカレンダーに書いてあった『今日があなたの残りの人生の最初の日です』という言葉。
当時もいいなぁと思いましたが、60歳を過ぎた今読むと言葉の重みが違う。今日が自分の余生の初日だと考えれば、何歳であってもやり直せるという前向きな言葉。
引用元:家庭画報.com
高校生とは思えない行動力です!
竹内まりやさんファンに聞いた、竹内まりやさんの10代で印象に残っている出来事
慶應義塾大学文学部へ入学したことです。歌手としてのイメージが強かったので、実はすごい高学歴だったことに驚きました。(50代男性)
高校時代にパーティで吉田拓郎さんや、六文銭の歌を弾き語りで歌い地元の新聞に載るほどの人気者になったことが印象的でした。理由は竹内さんは学生時代から歌の才能があったことを実感した出来事だったからです。(30代女性)
イギリスに留学していたということを知ってやっぱりグローバルな感じが昔からあったんだなと驚きましたね。歌にもそれが反映されています。(30代男性)
20代
竹内まりやさんが20代の頃の代表的なできごとはこちらです。
- 1978年(23歳):シングル「戻っておいで・私の時間」でデビュー
- 1979年(24歳):日本レコード大賞新人賞受賞
- 1982年(27歳):山下達郎と結婚
大学のサークルで出会った杉真理さんのレコーディングに参加したことがきっかけで、1978年にRCAレコード(現BMGファンハウス)と契約し、シングル「戻っておいで・私の時間」でデビューしました。シングルと同時にデビューアルバム「BEGINNING」もリリースしています。
生家に置いていたLPレコードをまた一枚持ち帰ってきた。
— フット猫 (@footneko) January 18, 2025
ビギニング 竹内まりや
ファーストアルバムかな?
ね18号君、こんな頃かファンだったんだよ、僕は。 pic.twitter.com/3mByvNyf9H
1979年にはシングル「ドリーム・オブ・ユー」「SEPTEMBER」やアルバム「 UNIVERSITY STREET」をリリースし、この年の日本歌謡大賞・日本レコード大賞などで新人賞を受賞しました。
その後もシングル「不思議なピーチパイ」やアルバム「LOVE SONGS」などが大ヒットしていますが、1981年に休養宣言をし、レコーディングやコンサート活動を休止しました。休養中の1982年には山下達郎さんと結婚されています。
活動形態が自分の望む形と異なり、望む形での音楽活動をする方法を模索していたのだとか。デビュー後3年、人気絶頂での休業は勇気のある決断ですね。
休業中も楽曲提供はたくさんされていたそう
竹内まりやさんファンに聞いた、竹内まりやさんの20代で印象に残っている出来事
シングル「戻っておいで・私の時間」をリリースし、歌手としてデビューしたことです。これが竹内さんにとって歌手人生の出発点とも言えますし、印象に残りました。(50代男性)
24歳のときにリリースした「SEPTEMBER」で、第21回日本レコード大賞で新人賞を受賞されたことが印象的でした。理由は、この曲の歌詞が心に残る歌詞であり名曲だと感じたからです。(30代女性)
慶應義塾大学に入学したということが印象的ですね。やっぱり天才は頭がいいというのはセオリーですね。本当に羨ましい限りです。(30代男性)
30代
竹内まりやさんが30代の頃の代表的なできごとはこちらです。
- 1987年(32歳):シングル「駅」リリース
- 1992年(37歳):アルバム「QUIET LIFE」リリース
- 1994年(39歳):ベストアルバム「IMPRESSION」リリース
1984年にムーン・レーベルに移籍した竹内さんですが、1987年の「駅」以降、1989年の「シングル・アゲイン」、1990年の「告白」と立て続けに大ヒットシングルをリリースしています。「告白」は日本テレビ系「火曜サスペンス劇場」の主題歌としても有名になりました。
『 駅 』 竹内まりや
— JC☆中西 (@nakanishi_123) December 1, 2024
作詞・作曲:竹内まりや
中森明菜さんへの提供曲(1986年)。
ご自身のセルフカバーバージョンは1987年11月28日にリリース。
竹内まりやさん公式 ↓ 是非フルバージョンでどうぞ👍https://t.co/fQmt0sRUty#駅 #竹内まりや pic.twitter.com/IgQOBC8kz8
1992年にはアルバム「QUIET LIFE」をリリースし、発売と同時にミリオンセラーを記録したそうです。また、この年の日本レコード大賞ベストアルバム賞を受賞しています。
1994年、ムーンレーベルでのベストアルバム「IMPRESSIONS」をリリースし、350万枚以上の売り上げを記録しました。
1990年代にはベストアルバムブームの時期がありましたね。ヒット曲をまとめて聴くことができて、ファンとしては嬉しい限りですね。
休業前と変わらぬ活躍ですね!
竹内まりやさんファンに聞いた、竹内まりやさんの30代で印象に残っている出来事
「シングル・アゲイン」をリリースされたことです。当時大好きだった火曜サスペンス劇場の主題歌となった曲なので、この曲と歌い手の竹内さんはすごい印象に残りました。(50代男性)
34歳のときに「シングル・アゲイン」が発売されロングヒット曲となったことが、印象的でした。理由はこの曲が心に染み入る名曲だと感じ、改めて竹内さんの才能の偉大さを感じたからです。(30代女性)
火曜サスペンス劇場の主題歌として人気を博したというところが印象です。自分も火サスは大好きでなんども竹内さんの声には癒されていました。(30代男性)
40代
竹内まりやさんが40代の頃の代表的なできごとはこちらです。
- 1998年(43歳):シングル「カムフラージュ」リリース
- 2000年(45歳):18年ぶりのライブを開催
- 2000年(45歳):19年ぶりのオリジナルアルバム「BON APPETIT!」をリリース
1998年にリリースしたシングル「カムフラージュ」は中山美穂さん・木村拓哉さんが主演したフジテレビ系テレビドラマ「眠れる森」の主題歌となり大ヒットを記録しました。
2000年には日本武道館・大阪城ホールで18年ぶりとなるライブを開催しました。
同じく2000年に19年ぶりとなるオリジナルアルバム「BON APPETIT!」をリリースし、オリコンチャート1位を記録しミリオンセラーを獲得しました。
No.751:♪#心はいつでも17才(seventeen)/#竹内まりや
— 70〜90年代邦楽 2番終了後の間奏bot (@70_90_After2) January 25, 2025
の 2番終了後の間奏
2番終了後に続く間奏は、躍動的なピアノのメロディが印象的なインストゥルメンタルパート。軽快なリズムと流れるような旋律が、主人公の変わらない若々しい精神を表現している。pic.twitter.com/PAURAhad4s
コンスタントに質の高い楽曲を届けてくれる竹内さんですが、メディアへの露出が少ないぶん、ファンの方はライブを心待ちにされていたのではないでしょうか。
歌声を直に聴けるなんて羨ましい!
竹内まりやさんファンに聞いた、竹内まりやさんの40代で印象に残っている出来事
広末涼子さんのデビュー曲「MajiでKoiする5秒前」を竹内さんが手がけたことです。これで広末さんは売れっ子アイドルになったわけですし、その作詞作曲をした竹内さんはすごいなって驚きました。(50代男性)
42歳のときに、広末涼子さんに「MajiでKoiする5秒前」を提供されたことが印象的でした。理由はこの曲が以前から大好きだったのですが、竹内さんが作った曲ということを初めて知り驚いたからです。(30代女性)
眠れる森のカムフラージュという曲がとても好きでした。やっぱりこの曲はドラマの印象が強くてすぐに情景が浮かんできます。(30代男性)
竹内まりやの若い頃の髪型はソバージュヘア
竹内まりやさんの若い頃の髪型といえば、ソバージュヘアを思い出す方も多いのではないでしょうか。
♪#戻っておいで・私の時間/#竹内まりや
— “観る”70〜90年代邦楽 ご紹介bot (@70_90_Watch) December 21, 2024
1978年発売の竹内まりやさんの記念すべきデビューシングル。
現在はシンガーソングライターとして自身で作詞・作曲した曲を中心に歌うまりやさんですが、本作を含めデビュー当初は提供曲を歌うことも多かったのです\(^o^)/pic.twitter.com/hiv4B7bspe
バブルっぽいワンレングスではなく、前髪を作った可愛らしい感じのソバージュヘアでしたね。
どちらかというとパフィーさんの印象に近いですね。初々しい姿ですが、歌唱力はやっぱりすごいですね。
お顔は昔から変わらないですね!
まとめ
今回は、竹内まりやさんの若い頃の活躍や出来事を、画像とともに振り返りました。
年代ごとに印象深い出来事がたくさんあったね!
これからの活動も頑張ってほしいと思います。