俳優として活躍する藤岡弘、さん。
若い頃どんな風貌だったのかや、年代ごとにどんなできごとがあったのか気になるかたも多いと思います。
さっそく、藤岡弘、さんの若い頃の写真やできごと、デビューのきっかけを年代順に振り返ってみましょう。
藤岡弘、のデビューのきっかけや時期は?
藤岡弘、さんは、田舎で育った少年時代に映画に感動し、俳優を志すようになります。
当時は家にテレビもありませんでしたから、娯楽といえば映画くらい。川でうなぎを獲って料亭に売ったり、稲刈りやみかん狩りなどのアルバイトで小銭を貯めては映画館によく通いました。フランス映画やアメリカ映画が入ってきたころで、時代劇の全盛期でもありました。そうやって映画の世界にどんどん魅了され、次第にスクリーンの向こう側へ行きたいと思うようになったんです。
引用元:すみふの仲介ステップ
俳優養成所に通っていた頃にアルバイト先でスカウトをされ、1964年に松竹映画に入社しました。
その翌年である1965年には、都はるみさんらが主演を務めた『アンコ椿は恋の花』で銀幕デビューを果たします。
限られた娯楽の中で将来の夢を見つけたんだね!
藤岡弘、の幼少期は?若い頃の活躍やできごとを年代順に振り返り
藤岡弘、さんの幼少期のエピソードや、若い頃の活躍やできごとを年代順に振り返っていきます。
幼少期
古武道「藤岡流」を継承する父と茶道などの先生をしていた母の間に生まれ、厳しい教育を受けた藤岡弘、さん。
幼少期は、父から武道の基礎や武士道精神を教わり、母からは日本古来の厳しいしつけを受けて育ったんです。
引用元:NexTalk
一方で、健康面で苦労しており、病弱で肺炎を患っていた時期がありました。
「3歳ぐらいの時に肺炎を患って、生死をさまようような。医者が“この子はダメだ”と見放された状況の中でも母が諦めないで看病して、私を奇跡のように回復させた。母の愛情というか、母のおかげなんですよね」と振り返った。
引用元:Sponichi Annex
父親も武道家として鍛錬をさせることで、幼少期の彼を支えていたそうです。
健康的な身体を活かして活躍している現在の姿からは、なかなか想像ができませんよね。
両親の愛情を受けながら過ごした幼少期だったんだね!
10代
藤岡弘、さんが10代の頃の代表的なできごとはこちらです。
- 1961年(15歳):松山聖陵高等学校に入学する
- 1964年(18歳):高校卒業後に上京し、俳優養成所を渡り歩く
- 1965年(19歳):松竹映画でデビューを果たす
高校生時代は容姿や容貌が目立っていたことから苦労も多かった、という藤岡弘、さん。
「まぁ昔の話ですけど、高校のときにね、私はスゴく目立っていたものですから愚連隊みたいなのがちょっかい出してきてね、相手の攻撃は全部当たらないんですけど、あまりに止まらないもんですから、たしか5人以上いましたし」
── 5人以上を1発KOですか!
引用元:OCN TODAY
田舎で暮らしていた彼は、さまざまな映画作品を観て感化され、俳優を志すようになりました。
そんな田舎で一番の刺激は、やはり映画だったんです。戦後入ってきたアメリカ映画、フランス映画を見て、異国の文化に感動し、また日本の歴史的な映画にも心奪われました。「その世界に入りたい!」という思いが高じて、高校卒業後、中央である東京まで来てしまいました。
引用元:NICHIGO PRESS
オリンピックの開催準備に追われている東京で日雇い仕事などをしながら、俳優養成所に通う生活を始めます。
アルバイトをしつつオーディションを受け続けていた藤岡弘、さんでしたが、ついに転機が訪れました。
俳優養成所に通う中、アルバイト中に大物女優さんの叔父様にスカウトされ、松竹映画のニューフェイスとしてデビューし、数本の主演を経て劇団に通う中、恩ある方との出会いによって導かれたのが『仮面ライダー』、本郷猛というわけです。
引用元:ナレビ
苦しい中でも、俳優を志したときの情熱を燃やし続けていた彼は、努力家でかっこいいですね!
諦めずに続けたことがデビューにつながった10代だったんだね!
藤岡弘、さんファンに聞いた、藤岡弘、さんの10代で印象に残っている出来事
劇団NLT俳優教室に入所したことです。これを機に『アンコ椿は恋の花』や『若いしぶき』等の映画に出演するようになりましたし、本格的に俳優活動が開始されたなって印象に残りました。(50代男性)
今の藤岡さんからは想像できないくらい幼少時代いじめられっ子だったと聞いて驚きましたね。転勤族でいろんな場所を転々としていたようですごく興味が湧きました。(30代男性)
藤岡弘さんの印象的な10代の出来事は、とてもかっこいいビジュアルです。松竹に俳優として入所しているのも納得のルックスです。(40代女性)
20代
藤岡弘、さんが20代の頃の代表的なできごとはこちらです。
- 1971年(25歳):特撮テレビドラマ『仮面ライダー』の主人公・本郷毅を演じ、一躍有名になる
- 1971年(25歳):『仮面ライダー』の撮影中にバイク事故に遭う
- 1973年(27歳):映画『日本沈没』で主演を務める
アルバイトとして配達をしていたときに、バイクの便利さに気が付いたという藤岡弘、さん。
同じバイトでも、バイクを使っている人間は私の何十倍もの速さで運んでしまう。こうなるとバイト料もずいぶん違ってくるでしょ。そこでバイクの有用性と免許の必要性を強く感じたんですよ。
バイクを自在に乗りこなすことができるという技術を活かし、『仮面ライダー』の主役を務めることになりました。
『仮面ライダー』では本郷猛の役だけでなく、バイクのスタントも含めてやっていました。初めて用意されたバイクに乗ったときは感動しましたよ。田舎でトコトコ走っていたマシンとは、パワーや迫力がまったく違いましたからね。
バイクのスタントも務めていた彼でしたが、撮影中にバイクで事故を起こしてしまい、大けがを負います。
「当時、大腿骨複雑骨折というのは非常に微妙な、下手すると不自由になってしまう可能性もある、(完治が)完全保証されないわけです。その時にあまりにもひどい、再起不能といわれる大事故だったので、大腿骨だけじゃなくて、他もだいぶ骨折、ひび入ってましたから」
引用元:Sponichi Anex
1971年4月3日『仮面ライダー』の第1話が放送されたとき、彼は入院中で病院のベッドの上にいました。
偉大な先人たちの危機を乗り越えた教訓を乱読しました。私はもともと活字に触れる時に安心感が増すんです。溜めていた本を段ボールで運んでもらい、無心に読みあさり精神的にも救われました。その時の私には砂に水を注ぐごとく染み込みました。
引用元:ナレビ
その後、辛いリハビリを乗り越え、俳優業に復帰した藤岡弘、さん。
1973年には、映画『日本沈没』で主役である深海調査艇「わだつみ」の操艇者・小野寺俊夫を演じます。
日本列島が近い将来、海底に沈んでしまうという設定のパニック映画で、1974年には邦画興行収入第1位を飾るほど大ヒットした作品です。
「すでに原作はベストセラーになっていて、これは衝撃作だと思いましたね。クランクインを前に地震学の先生に話を聞きに行ったりしましたが、知れば知るほど、あまりにもリアルな内容だった」
引用元:Asagei plus
『仮面ライダー』でスターの仲間入りを果たした藤岡弘、さんでしたが、シーズン1で作品を降板したのは理由があったのですね。
『仮面ライダー』の2号の登場にも、影響が及んだんだね!
藤岡弘、さんファンに聞いた、藤岡弘、さんの20代で印象に残っている出来事
仮面ライダーという特撮ヒーロー番組に出演するようになったことです。これが今の藤岡弘さんにも多大な影響を与えていると思いますし、最も印象に残っています。(50代男性)
やはり初代仮面ライダーの印象が強いですね。シーズン1で何故か退場してしまうのですが、後々大怪我をしていたと知り本当に驚きました。(30代男性)
藤岡弘さんの印象的な20代の出来事は、仮面ライダーで主役を演じられていたということです。仮面ライダーはみなさん歴代かっこいい人ばかりなので納得です。(40代女性)
30代
藤岡弘、さんが30代の頃の代表的なできごとはこちらです。
- 1977年(31歳):ドラマ『高層の死角』に出演し、初めて刑事役に抜擢される
- 1977年(31歳):東映製作のドラマ『特捜最前線』にて、桜井哲男警部を演じる
- 1984年(34歳):ハリウッド映画『SFソードキル』にて、主演を務める
アクション俳優として活躍していた彼ですが、内面の葛藤を表現する繊細な演技を求められる役に挑戦します。
高層ビルの中で起こった殺人事件で、恋人に対する感情と刑事としての責任に揺れ動く主人公を演じました。
巧妙なトリックが張り巡らされた筋立てのなか、主人公は愛した女性の意外な素顔を知り、公私ともに苦悩する。僕自身、その内面の葛藤をどう表現するか、非常に悩みながら挑んだのが逆に良い方向に出て、画面から苦悩がにじみ出たようです。
引用元:ホミニス
ドラマ『特捜最前線』は、1977年から1987年まで約10年間放送が続いた刑事ドラマの名作です。
藤岡弘、さんは、人情派の一面もあるエリート刑事・桜井哲男を演じました。
科学力と機動力を駆使した特命刑事が、難事件に挑んでいく。捜査がすすむにつれて浮かび上がっていく社会の暗部や人間の矛盾、事件に対峙する特捜メンバーたちが各々に背負っている過去などに焦点があてられた物語性の高いエピソードも数多く登場。
引用元:ファミリー劇場
役作りのために、共演者との食事会などに参加することは少なかったそうです。
今だから言いますけど、一匹狼のキャラクターなので、なれ合いになるのが嫌でなるべく避けていました。どちらかというと現場のスタッフと食事に行くことが多かったかな。僕が日頃無理なお願いをするものだから、その慰労も兼ねてね
引用元:Asagei plus
ハリウッド映画『SFソードキル』の主役に抜擢された彼は、日本人として初めてスクリーン・アクターズ・ギルド(全米映画俳優組合)のメンバーになります。
作品の中で藤岡弘、さんは、現代アメリカに蘇った気高き侍・タガヨシミツを演じました。
#洋画に出てくる好きな日本人キャラ
— TAKARU1996 (@t_chrono) May 28, 2023
隠れた傑作映画『SFソードキル』主人公、タガ・ヨシミツ。
現代アメリカに蘇った気高き侍であり、逞しき漢。演じたのは日本俳優史に残る素晴らしき名優にして英雄、藤岡弘、
彼の侍を愛する気高き姿勢が本作を傑作へと押し上げた。日本人が観るべき武士道の映画。 pic.twitter.com/OZ6MeQTzon
藤岡弘、さんの芸名に「、」が入ったのは、『SFソードキル』への出演がきっかけだったそうです。
日本の侍が誤解され描かれていたため、台本を変えてもらおうと監督と話し合い、了解された。以来、昔の武将に倣って周囲に流されないとの決意を「、」に込めている。
引用元:定年時代
アクションに加え、演技力や語学力も磨いた30代は、俳優業における大きな転換点だったのではないでしょうか。
日本人俳優として国際的に活躍できるなんて、かっこいいよね!
藤岡弘、さんファンに聞いた、藤岡弘、さんの30代で印象に残っている出来事
『特捜最前線』に桜井哲男警部役でレギュラー出演したことです。刑事として色んな事件と向き合っていくわけですが、この頃から深みのある演技が出来るようになったと印象に残りました。(50代男性)
アメリカ映画であるSFソードキルに主演したというのが印象的ですね。本当に海外俳優としてのオーラを携えた凛とした演技をしていて誇らしかったです。(30代男性)
藤岡弘さんの印象的な30代の出来事は、人気になったドラマ特撮最前線にもうすでにでられていて活躍されていることです。30代から活躍されていたのは素晴らしい演技があってこそですよね。(40代女性)
40代
藤岡弘、さんが40代の頃の代表的なできごとはこちらです。
- 1991年(45歳):海外でのボランティア活動を本格的に始める
- 1993年(47歳):国内の被災地支援活動を始める
- 1997年(51歳):セガの家庭用ゲーム機「セガサターン」のCMに出演する
幼少期に両親から教わった「おもてなし」の精神から、ボランティアを始めた藤岡弘、さん。
私はお遍路の駐在所で生まれたのですが、そこはいろいろな苦しみ、悲しみを背負って巡礼する人が集まる聖地です。おもてなしの文化があったことから、父と母に教えられ、いろいろな人をもてなしました。巡礼者の方に村で採れる食物をふるまったり、子供がいれば一緒に遊んだり。世のため、人のために行動することが小さい頃から当たり前で、自然とボランティアにつながったわけです。
引用元:学生新聞オンライン
1991年に湾岸戦争直前の中近東を訪問してから現在までに、世界100か国以上に訪れてきました。
何度も生死を彷徨う経験をしてきたそうですが、父親の教えを活かしてボランティアを続けているそうです。
父には「逃げるな、負けるな、屈するな、諦めるな、やり抜け」という精神を教えられてきました。苦労は買ってでもして、絶対逃げずにやり抜けと。それはいずれ己の力になり光り輝く時が来るんだというふうに語っていました。
引用元:学生新聞オンライン
藤岡弘、さんは、1993年の北海道西部沖地震をきっかけに、国内の被災地支援の活動も始めています。
2011年に発生した東日本大震災では、公式サイト「侍塾」を中心とした義援金寄付などを行いました。
震災の状況に胸が痛んで涙が流れたといい、何かやらなければと、約1トンの米などを用意し、赤ちゃんのおしめなどの物資を被災地に送ったことを明かした。
引用元:毎日新聞デジタル
セガサターンのイメージキャラクター『せがた三四郎』は、藤岡弘、さんが扮する迫力あるキャラクターで注目を集めます。
今日の話題:せがた三四郎(藤岡弘、)
— nekomantle (@nekomantle) January 25, 2023
セガの家庭用ゲーム機である廉価版セガサターン(白色)の販促CMシリーズのキャラとして話題に。
藤岡弘、氏(「、」までが名前)は、大物アクション俳優で、初代仮面ライダーとしても有名。 pic.twitter.com/d8DmGaViTP
「せがた三四郎」は、制作初期から藤岡弘、さんをイメージして作られたそうです。
「普通のCMであれば俳優の藤岡さんにどう演じてもらうかを考えるのですが、せがた三四郎はすでに生きているキャラクターで、コンテを書き始めると勝手に動き出して命が吹き込まれている感じがしたんです」
引用元:CNET Japan
地域を問わずに多くの人々を助ける姿は、まさに”リアル仮面ライダー”といってもよいのではないでしょうか。
社会に貢献する活動の幅を広げていった40代だったんだね!
藤岡弘、さんファンに聞いた、藤岡弘、さんの40代で印象に残っている出来事
『白い牙』で共演した女優・鳥居恵子と結婚したことですね。年齢的にはやや晩婚気味とは思いますが、とうとう藤岡弘さんも結婚したんだな~と印象に残りました。(50代男性)
セガサターンのCMがめちゃくちゃ印象に残っています。柔道着を着ているコミカルなせがた三四郎というキャラが本当に愛らしかったです。(30代男性)
藤岡弘さんの印象的な40代の出来事は、芸名に、が入っているということです。芸名に、が入っている芸能人は見かけたことがないので珍しいと思いました。(40代女性)
藤岡弘、の若い頃の髪型は横分けのウェーブヘア
藤岡弘、さんの若い頃の髪型といえば、横分けのウェーブヘアの髪型を思い出す方も多いのではないでしょうか。
最近の藤岡弘、さんは特捜最前線の桜井刑事と同じ髪型で、せがた三四郎時代から確実に人生二周目に入っているとしか思えない流れが凄い。 pic.twitter.com/h3G6fz0dPQ
— 金子大輝/Taiki Kaneko (@taikikaneko1989) May 12, 2015
凛々しい顔立ちを引き立たせていて、とてもお似合いですね。
特に『仮面ライダー』に出演していた当時は、憧れて真似をしたがる少年も多かったかもしれません。
フサフサとしたボリュームのある髪型だよね!
まとめ
今回は、藤岡弘、さんの若い頃の活躍や出来事を、画像とともに振り返りました。
年代ごとに印象深い出来事がたくさんあったね!
これからの活動も頑張ってほしいと思います。