俳優や歌手として活躍する中村雅俊さん。
若い頃どんな風貌だったのかや、年代ごとにどんなできごとがあったのか気になるかたも多いと思います。
さっそく、中村雅俊さんの若い頃の写真やできごと、デビューのきっかけを年代順に振り返ってみましょう。
中村雅俊のデビューのきっかけや時期は?
中村雅俊さんのデビューのきっかけは、1973年に文学座附属演劇研究所に入所したことだったそうです。
文学座の先輩である松田優作さんの紹介で、プロデューサーの岡田晋吉の目に留まることとなったとか。
その後、日本テレビ系列のドラマ『われら青春!』の主役に大抜擢されますが、ドラマプロデューサーの岡田晋吉さんによれば、「大した理由もなく主役に決めてしまった」と語っており、「背が高かった」ことを理由に挙げています!
(岡田さん)
大した理由もなく主役に決めてしまった。
中村さんに理由を聞かれても「背が高かった」としか言ってない。
文学座で「誰か推薦してよ」と言ったら中村雅俊を推薦されました。
「われら青春!」の主役がラグビー部の先生役なので、神宮外苑で
「走ってくれ」と言ってとにかく走らせた。
その姿を見て僕は中村さんに惚れてしまった。
イメージとピッタリで主役に決めました。
中村さんはいい加減なところはいい加減、それが良かった。
何を言われても笑って済ませられる度量があると思います。引用元:はい!テレビ朝日
確かに背が高くてかっこいいし、とても存在感があるよね!
中村雅俊の幼少期は?若い頃の活躍やできごとを年代順に振り返り
中村雅俊さんの幼少期のエピソードや、若い頃の活躍やできごとを年代順に振り返っていきます。
幼少期
宮城県牡鹿郡女川町で1951年2月1日に生まれました。家族構成は2人の姉がおり、兄がおりましたが中村雅俊さんが生まれる前にはしかで他界しているそうです。
父親はかつお節職人でしたが、中村が4歳の時に狭心症で他界してしまいました。(享年40歳)
お兄さんとお父様を早くから亡くされているようで、少々大変な家庭だったのでしょうか。中村雅俊さんのは家庭で唯一の男子だったため、親や姉から「王子」と呼ばれて可愛がられて育ったようです^^
辛いこともあっただろうけど、愛情たっぷりの過程で育ったんだね。
10代
中村雅俊さんが10代の頃の代表的なできごとはこちらです。
- 1967年(16歳):宮城県石巻高等学校のバスケットボールに所属
- 1968年(17歳):合宿中に高校の先輩からギターを学ぶ
- 1970年(19歳):一浪し慶応義塾大学に入学
1967年16歳の頃、宮城県石巻高等学校でバスケットボール部に所属していたそうです。中学から高校までの6年間をバスケットボールに捧げたと語っています^^
バスケットに明け暮れた高校時代の写真が紹介されると「恥ずかしい…」と赤面する中村さん。「高校ですから、50年前ですね。いや~ちょっと照れますね」と笑う。
引用元:CYCLE
1968年17歳の頃、高校の合宿中に先輩からギターを教わり、これが音楽活動のきっかけとなったとのことです。中村雅俊さんがデビュー当時からギターがお得意だという話は、ここからだったのですね^^
中村:ギターを始めたのは高校時代で、バスケット部の合宿で先輩に教わったのがきっかけなんですよ。そこから、大学時代はよく日記代わりに曲を作っていましたね。クラスとクラブの連中を集めて、臨時でバンドを組んで「中村の曲の発表会」というライブも数回やりました(笑)。相当適当な曲でしたけど、ラブソングとか、ウケをねらったコミックソングとか。エッチな曲もね(笑)。
引用元:CINRA
1970年、中村雅俊さんは一浪して慶應義塾大学に進学しました。大学時代でも作曲をたくさんされていたようですね!
中村雅俊は大学時代に100曲以上も作曲していた!https://t.co/oBin58obAs pic.twitter.com/8xVsDjF6gH
— こいもうさぎ (@koimousagi) December 13, 2021
10代の頃からスポーツにや音楽活動、慶応義塾大学への入学など中村雅俊さんはとても優秀な方なのですね!身長も高くてスタイルもいいですし、文武両道という感じでモテモテだったことでしょう^^
音楽に関して作曲もしていてすごいね~。
中村雅俊さんファンに聞いた、中村雅俊さんの10代で印象に残っている出来事
一浪して慶應義塾大学に進学していたことです。頭が良さそうだとは思っていましたが、慶應義塾大学出身というのには驚きました。(30代女性)
慶應義塾大学に入学したということを知って頭がとても良かったんだなと意外性を感じましたね。良く見ると知性的なコメントが多い印象です。(30代男性)
慶應義塾大学に進学したことです。頭がよさそうには感じていましたけど、まさかここまでの高学歴とは思わずびっくりしました。(50代男性)
20代
中村雅俊さんが20代の頃の代表的なできごとはこちらです。
- 1973年(22歳): 文学座附属演劇研究所に入所
- 1974年(23歳):ドラマ『われら青春!』の主役に抜擢
- 1977年(26歳):20代の頃の代表的なできごとを時代が古い順に一行で書く
1973年22歳の時、中村雅俊さんは大学在学中に文学座附属演劇研究所に入所します。中村雅俊といえばその頃、下駄をよく履いていたそうですが、とってもお似合いですね!
【プロフィール】
中村雅俊(なかむら・まさとし)/俳優、歌手。1951年、宮城県牡鹿郡女川町生まれ。1973年、慶應義塾大学在学中に文学座附属演劇研究所に研究生として入所。引用元:NEWSポストセブン
おはようございます。
— 池田 麺彩 [公式] (@ikedamensai) July 21, 2023
「下駄の日」
「7」は下駄を作る時の寸法が
「7寸7分」から
「22」は下駄で歩いた跡が「二」に
見えることから。
下駄といえば
「中村雅俊」さんですよねぇ。
本日も11:00スタートです。
宜しくお願い致します🙇♂️ pic.twitter.com/Z8ZsDUK4SL
1974年23歳の時、ドラマ『われら青春!』の主役に抜擢され人気を博します。挿入歌『ふれあい』は中村雅俊さんが自ら歌い、100枚を売り上げる大ヒットソングとなりました。
5月14日のロック漫談のテーマの昭和49年(1974年)当時小学5年生の私は日曜夜8時の学園青春ドラマに夢中。「われら青春!」中村雅俊主演。舞台となった太陽学園に憧れ、将来大きくなったら高校生になるんだ!とアホなことを本気で言ってる友達いない子供だった自分。#われら青春 #飛び出せ青春 pic.twitter.com/OaK06fTV5J
— ロマンダムール (@roman_da_mour) May 12, 2024
1977年26歳の時には、映画やドラマでも共演歴のある女優の五十嵐淳子さんと結婚します。中村雅俊さんのデビュー間もない結婚に、周囲は猛反対したとか。
中村雅俊&五十嵐淳子でこんばんは、お疲れ様でした🌃
— のりしお (@bluetopaz_nrk) November 22, 2024
松田優作と小競り合いからの〜
俺たち2人の“旅”が始まる!#いい夫婦の日 pic.twitter.com/uc7H3hJSqn
デビュー間もない、まだまだこれからの時に26歳でご結婚されたことへ、周囲は驚かれていたようですね。しかしそんなことを感じさせないくらい、現在もお似合いの仲睦まじいご夫婦だと思います^^
下駄を履く慶応ボーイ…いい雰囲気出してる~!
中村雅俊さんファンに聞いた、中村雅俊さんの20代で印象に残っている出来事
主演に抜擢されたドラマで挿入歌を歌い、その曲が100万枚を超えるセールスを突破したことです。主演に抜擢されたことだけですごいのに、歌手としても偉業をおさめるなんて並大抵な人物ではないなと思いました。(30代女性)
坊ちゃんという映画での姿が印象深いですね。やっぱり名俳優としての片鱗はこの時から生まれていたのかなと勝手に思っていますね。(30代男性)
『太陽にほえろ!』84話にゲスト出演しデビューしたことです。これが俳優中村雅俊のスタートにもなったわけですし、印象に残りました。(50代男性)
30代
中村雅俊さんが30代の頃の代表的なできごとはこちらです。
- 1983年(32歳):NHKの連続テレビ小説『おしん』に出演
- 1985年(34歳):文学座付属演劇研究所を退団
- 1987年(36歳):映画『この愛の物語』に主演を務める
1983年32歳の時にはNHKの連続テレビ小説『おしん』に出演します。出演期間は短かったようですが、意外と印象に残っていた喜びを語っています。
奉公先から逃げて来たおしん(小林綾子)を助けた猟師の役でしたが、全放送期間中の1週間(第3週)しか出演していないんですよ。それなのに意外とみなさんが記憶に残してくださっているようで嬉しいですね。
引用:NHKアーカイブス
1985年34歳の時には、文学座付属演劇研究所を退団します。退団後もドラマや映画に留まらず、音楽活動にも注力されていたようです!
1987年36歳の時、映画『この愛の物語』に主演を務める。中村雅俊さんが演じたのは、スタントマンクラブ社長の立花役を演じ、近藤真彦さんとも共演を果たしています。
中村雅俊が主演し、スタントマンの愛と友情を描いた映画「この愛の物語」 https://t.co/raVAsnrl2S
— 柏瀬貴弘 (@tarchan_sas) April 27, 2024
中村雅俊さんは30代になっても多方面で活躍されており、安定の人気を獲得しているようですね。柔らかい感じのオーラが何とも言えません^^
気軽なコメントを一行程度で
中村雅俊さんファンに聞いた、中村雅俊さんの30代で印象に残っている出来事
文学座を退団したことです。恩義を大切にしそうな人物なので、ずっと続けていくものとばかり思っていました。(30代女性)
火曜サスペンス劇場での姿が本当に印象的です。昔から好んでこの番組は見ていたので良く彼が芝居しているのも覚えています。(30代男性)
舞台「SESSUE」に出演されたことです。これが中村さんにとって初の舞台となりますし、ドラマや映画だけでなく舞台にも挑戦するのかと驚きました。(50代男性)
40代
中村雅俊さんが40代の頃の代表的なできごとはこちらです。
- 1991年(40歳):映画『夜逃げ屋本舗』で主役を務める
- 1992年(41歳):キリンドラフトのCMに出演
- 1999年(48歳):映画『オサムの朝(あした)』に主演を務める
同年1991年40歳の頃、キリンドラフトのCMに出演をします。中村雅俊さんの爽やか草野球シーンと細川たかしさんの歌とともに商品も大ヒットしたとか!
生ビールがあるじゃないか
— まのさき (@saviorlanglay) August 31, 2021
90年キリンから発売/ドラフトの91年CMソング
中村雅俊の草野球シーンに流れる細川たかしのこの歌は話題になり商品もヒットしたが
90年発売の一番搾りの超ヒットに注力する為
96年終売になった
歌は応援歌、いきますという題#平成 #平成のテレビ #ビール@retoro_mode pic.twitter.com/GsGuVSgJhs
1992年41歳では、映画『夜逃げ屋本舗』で主役を務めます。この作品はシリーズ化されており、夜逃げ請け負う情に脆い主人公を演じ、大人気となった作品です。
#あなたの好きな逃避行映画
— リバティジャパン (@libertyjapan758) November 5, 2024
夜逃げ屋本舗 1992 中村雅俊
少年期に家族ごと夜逃げをさせてもらって
借金苦から救われた源氏は
大人になり夜逃げ会社「ミッドナイト・ラン」を立ち上げた・・ pic.twitter.com/qpPgGr9IYd
1999年48歳のころ、映画『オサムの朝(あした)』に主演を務めます。少年時代を振り返りながら生きる活力を取り戻していく、人生の岐路に立った男を演じているそうです。
40代になっても映画の主演など務めていらっしゃって、相変わらずの活躍ぶりですね。年を重ねるにつれてどんどん魅力的になっていらっしゃいます^^
見た目も中身も、いつまでも変わらず若々しいよね!
中村雅俊さんファンに聞いた、中村雅俊さんの40代で印象に残っている出来事
ドラマ「夜逃げや本舗」で主演を務めたことです。ものすごくハマり役で、中村さんだから人気を博す作品になったのだなと思いました。(30代女性)
夜逃げ屋本舗での芝居が本当に好きでした。ちょっと飄々とした感じが彼の雰囲気とマッチしていて本当に笑えましたね。(30代男性)
海外アニメ「チキン・リトル」のバック・クラックの吹き替えをしたことです。俳優だけでなく声優業にもチャレンジするのかと驚きました。(50代男性)
中村雅俊の若い頃の髪型はボリューミーなパーマのかかったロングヘア!
中村雅俊さんの若い頃の髪型といえば、ボリュームのあるパーマのかかったロングヘアを思い出す方も多いのではないでしょうか。
中村雅俊が若い頃は「われら青春!」の「ふれあい」が大ヒット!https://t.co/E5usvhR5JS pic.twitter.com/5WqoPIrIdA
— こいもうさぎ (@koimousagi) December 12, 2021
若い頃の中村雅俊さんの髪型は、昭和を代表する流行した髪型だと思いますが、これがとっても似合っていますね!
現在もこのボリュームは変わることなく健在で、今も昔もどちらの髪型もお似合いです!そして、時がたっても大人の男性の色気がありますよね^^
やっぱり若い頃からかっこいいな~!
まとめ
今回は、中村雅俊さんの若い頃の活躍や出来事を、画像とともに振り返りました。
年代ごとに印象深い出来事がたくさんあったね!
これからの活動も頑張ってほしいと思います。