元キックボクサーでタレントなどとして活躍する魔裟斗さん。
若い頃どんな風貌だったのかや、年代ごとにどんなできごとがあったのか気になるかたも多いと思います。
さっそく、魔裟斗さんの若い頃の写真やできごと、デビューのきっかけを年代順に振り返ってみましょう。
魔裟斗のデビューのきっかけや時期は?
魔裟斗さんは、1994年15歳の時にボクシングの名門であるヨネクラボクシングジムへ入門します。しかし練習量に不安を感じたことからプロテストをドタキャンし、そのままジムを辞めてしまいます。その後、キックボクシングへ転向し17歳で藤ジムへ入門しました。そして1997年3月23日、18歳の時に全日本キックボクシング連盟でプロデビューを果たします。
入門から1年でプロデビューしたんだね!
魔裟斗の幼少期は?若い頃の活躍やできごとを年代順に振り返り
魔裟斗さんの幼少期のエピソードや、若い頃の活躍やできごとを年代順に振り返っていきます。
幼少期
魔裟斗さんは1979年3月10日、千葉県柏市に生まれます。本名は小林 雅人(こばやし まさと)さんといいます。生まれたときは4,700gもあるとても大きな赤ちゃんだったそうです。スポーツ選手になってほしいという両親の思いもあり、3歳から水泳を始め、中学3年生で辞めるまで毎日水泳に明け暮れるほどスポーツが大好きな子供だったのだとか。
先生怖いし、泳いでるの苦しいし、半べそかきながらいつも泳いでたんですけど、僕の基礎っていうのはそこでできたなと思ってるんですよ。体力と根性。すっごいきつかったんですけど、今思えばあれが原点です。
引用元:キャリオク「私の仕事論」
小学生の頃は週7日、お正月休みもなく練習漬けの日々を送っていたという魔裟斗さん。その経験が体力と根性という自分の基礎を作ったと語っています。
のちの格闘技にも活きる貴重な経験だったんだね!
10代
魔裟斗さんが10代の頃の代表的なできごとはこちらです。
- 1994年(15歳):高校を中退し、ボクシングを始める
- 1996年(17歳):キックボクシングに転向
- 1997年(18歳):全日本キックボクシング連盟でプロデビュー
1994年、埼玉栄高校へ進学するも中退し、父親が探してきたボクシングジム、ヨネクラジムに入門します。当時は特にボクシングがしたかったわけではなく、高校を辞める理由として入門したそうです。その後2年間ヨネクラジムでボクシングを続けます。
1996年、ヨネクラジムを辞めた魔裟斗さんは、友人の紹介で藤ジムへ入門しキックボクシングを始めます。当初プロになるつもりはなかったといいますが、ジムの会長の勧めもありプロテストを受け合格します。
1997年、全日本キックボクシング連盟でプロデビューを果たします。デビュー戦にして、1ラウンドKO勝ちで相手選手に勝利します。会長からの期待もあり、当時は無敗のままチャンピオンになると意気込んでいたそうです。
初めは高校を辞める理由として入った格闘技の世界ですが、キックボクシングに転向して間もなくプロデビューを果たした魔裟斗さん。格闘家の素質があったのかもしれませんね。
行動力もすごいね!
魔裟斗さんファンに聞いた、魔裟斗さんの10代で印象に残っている出来事
15歳のときにボクシングジムに入団するが、プロテストをドタキャン。かなりヤンチャな少年時代がよく分かるエピソードだったから。(20代女性)
最初はボクシングを始めたということを知って本当に驚きましたね。格闘技はやはり最初はボクシングというのはセオリーなのでしょうか。(30代男性)
埼玉栄高校を中退していたことです。いまの時代高校ぐらいは卒業しているだろうと思ったので、中退していたことに驚きました。(50代男性)
20代
魔裟斗さんが20代の頃の代表的なできごとはこちらです。
- 1999年(20歳):第19代全日本キックボクシング連盟ウェルター級王座に就く
- 2003年(24歳):K-1 WORLD MAX 2003 世界一決定トーナメント 優勝
- 2008年(29歳):K-1 WORLD MAX 2008 世界一決定トーナメント 優勝
1999年、全日本キックボクシング連盟ウェルター級王座に就きます。デビュー戦から2年後のことでした。しかし翌年の試合で予定していた出場を拒否し、試合放棄と判断されてしまいます。その結果、当時所属していた全日本キックボクシング連盟と藤ジムを退会し、ウェルター級王座も返上することとなります。出場拒否が招いた結果とはいえ、王座返上には悔しい思いもあったのではないでしょうか。
2003年、K-1 WORLD MAX 2003 世界一決定トーナメントで優勝します。前年度王者のアルバート・クラウスを決勝戦で下し、日本人初の世界王者となりました。クラウスに勝利するため、相手の研究をし、勝つための術をひたすら練習したといいます。
2008年、K-1 WORLD MAX 2008 世界一決定トーナメントで優勝します。アルトゥール・キシェンコに判定勝ちし、4年間のトーナメント敗戦より5年ぶり、2回目の世界王者となりました。
20代では二度の世界王者に輝き、その名を世界に知らしめた魔裟斗さん。キックボクシングにおいては全盛期といえる時期だったのではないでしょうか。
日本人初の快挙を成し遂げたんだね!
魔裟斗さんファンに聞いた、魔裟斗さんの20代で印象に残っている出来事
ムラッド・サリから王座奪取。「これからは僕の時代です」というコメントが王者のかっこよさを引き立てているから。(20代女性)
キックボクシングに転身して頭角を表していったというのが本当に素敵ですね。テレビでの躍動している姿にとても格好良さがありました。(30代男性)
K-1 WORLD MAX 2002 日本代表決定トーナメントで優勝したことです。すでに格闘家として実力があることは知られていましたが、優勝したことでさらに名を高めることになったので印象的でした。(50代男性)
30代
魔裟斗さんが30代の頃の代表的なできごとはこちらです。
- 2009年(30歳):現役引退
- 2014年(35歳):「K-1 WORLD GP JAPAN」でゲスト解説を務める
- 2015年(36歳):現役復帰試合を行う
2000年、さいたまスーパーアリーナにて行われた「Dynamite!! 〜勇気のチカラ2009〜」でアンディ・サワーと対戦、引退試合を行いました。4ラウンドにカウンターの右フックでダウンを奪うもサワーも盛り返し、最終5ラウンドまでもつれ込みましたが3-0の判定勝ちを収め、現役を引退しました。30歳で引退を決意した理由として「選手として、もっと見たいと惜しまれながら引退するのが理想だった」と語っています。
2014年、11月3日にスタートした「K-1 WORLD GP JAPAN」でゲスト解説を務めます。以降継続出演しており、解説者としても活躍の場を広げていきます。引退してからの2、3年はどういう風に生きていこうか悩んでいたという魔裟斗さん。新たな道の一つとして解説の仕事を選んだのかもしれません。
2015年、東日本大震災チャリティーイベント「NIPPONFIGHT」で現役復帰試合を行います。対戦相手は山本"KID"徳郁さんで、結果は判定勝ちでした。引退後は何があろうとリングには上がらないと決めていたという魔裟斗さんですが、そんなプライドを捨て試合に臨んだといいます。
30歳という若さで現役引退を決意してからというもの、魔裟斗さんは肩書がなくなった自分に葛藤を抱えていたそうです。しかし第一子の誕生や環境の変化を機に、飾らずに生きていこうと気持ちを切り替えることができたといいます。
30代になって、5年間くらいはどうしようかなって悩みながら生きていたんですけど、そこからリセットして「普通でいいや」って思うようになったんです。あんまり格好つける必要もないし、プライドとかも捨てちゃおうって。そうしたら、すごく楽になったんです。
引用元:Web LEON
肩書に縛られずに生きていけるようになったんだね!
魔裟斗さんファンに聞いた、魔裟斗さんの30代で印象に残っている出来事
女優でタレントの矢沢心と結婚。ボクシングのことをあまり知らない立場からすると愛妻家のイメージが一番強いから。(20代女性)
K-1のエグゼクティブプロデューサーに就任したということを知って驚きましたね。コーチになるものとばかり思っていたので意外です。(30代男性)
ラジオ番組「笑顔のミナモト」に出演したことです。単にラジオ初出演というだけでなく、夫婦で出演して仲睦まじいところを見せてもらえたので印象に残りました。(50代男性)
40代
魔裟斗さんが40代の頃の代表的なできごとはこちらです。
- 2019年(40歳):第1回Men's Beauty アワード「Beautyミドル部門」受賞
- 2021年(42歳):YouTubeチャンネル「魔裟斗チャンネル」開設
- 2022年(43歳):イクメン オブ ザ イヤー2022受賞
2019年、第1回Men's Beauty アワード「Beautyミドル部門」を受賞します。同賞は健康で美意識の高いイメージのある男性著名人を表彰する賞で、魔裟斗さんは健やかさと男性美を兼ね備え、イクメンとしての顔も持つ「大人格好いい」ライフスタイルを実践していることから受賞したそうです。翌年2020年からは「美BODYサロン」という番組のMCも務めており美意識が高いことがわかりますね。
2021年、YouTubeチャンネル「魔裟斗チャンネル」を開設します。YouTubeではプライベートをはじめ、現役時代の話や、格闘技という枠を越えたさまざまな選手や識者とのコラボで情報を発信しています。魔裟斗さんを身近に感じられるような動画が数多く投稿されており、ファンにとっては待望のチャンネル開設だったのではないでしょうか。
2022年、第12回イクメン オブ ザ イヤー2022 スポーツレジェンド部門を受賞します。育児を楽しみながら頑張った男性を表彰する賞で、過去にはつるの剛士さんや杉浦太陽さんなどが受賞しています。2019年には第三子が誕生しパパとしても奮闘していた魔裟斗さん。新たな一面が広く認知されたのではないでしょうか。
美容や育児など、格闘技とは違ったジャンルで活躍した40代の魔裟斗さん。現役時代の尖ったイメージとは一転して、愛妻家で良いお父さんといった印象を持った方も多いと思います。
プライベートも充実していた様子が伝わるね!
魔裟斗さんファンに聞いた、魔裟斗さんの40代で印象に残っている出来事
第三子を授かる。誕生報告をニュースで見てとても幸せそうな心境が伝わってきたのを今でも覚えているから。(20代女性)
家庭的な一面をテレビ番組などで見せてかれていたのですごく好感が湧きました。いつものスポーツマンの姿とは違った魅力がありました。(30代男性)
第12回イクメン オブ ザ イヤー2022 スポーツレジェンド部門に選ばれたことです。格闘家として有名ですけど、子供の面倒も一生懸命みているんだな~と印象に残りました。(50代男性)
魔裟斗の若い頃の髪型は茶髪のショートヘア
魔裟斗さんの若い頃の髪型といえば、明るい茶髪のショートヘアを思い出す方も多いのではないでしょうか。
「不良やヤンキーがー」発言の魔裟斗も、もし生まれた時代が違えば現在の朝倉兄弟の興業や昨今の格闘技エンタメにも全然噛んでただろうな、って思ったり思わなかったり。
— 花木ぐりやん@BO6+XDefiantを24/7でガチ楽しむ勢(BO6+XDefiant) (@tejimax777) November 7, 2023
つまりは、誰でも若い頃ってのはイケイケなんよ。あんたもそーやったやろ?って言いたい☺️ pic.twitter.com/YwBpw5IlRV
当時の尖ったイメージを印象付ける明るい髪色と短髪がとても似合っていますね!
魔裟斗さんが20代だった2000年代には男女問わず明るい髪色が流行っていましたが、流行に合わせてヘアスタイルを決めていたかどうかは定かではありません。キックボクサーという職業柄、相手を威嚇できるような風貌に寄せていったのかもしれませんね。
ちょっと怖そうだけど、そこがまたかっこいい!
まとめ
今回は、魔裟斗さんの若い頃の活躍や出来事を、画像とともに振り返りました。
年代ごとに印象深い出来事がたくさんあったね!
これからの活動も頑張ってほしいと思います。