タレントとして活躍する山田邦子さん。
若い頃どんな風貌だったのかや、年代ごとにどんなできごとがあったのか気になるかたも多いと思います。
さっそく、山田邦子さんの若い頃の写真やできごと、デビューのきっかけを年代順に振り返ってみましょう。
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山田邦子のデビューのきっかけや時期は?
山田さんのデビューのきっかけは、短大生時代に素人参加型の番組に出演したことです。
遊園地に遊びに行った時に、たまたまやっていた飛び入り参加OKの番組に参加した様子が数秒放映されたそうです。
その放映されたものを見た番組関係者からどんどん連絡が来るようになって、色々番組にもでるようになり、そのままデビューしたとのことです。
面白い、面白いってことでいろんなところからオファーが来て。5分ぐらいしか仕事しないわけじゃん。ネタなんて短いんだから…3分とか。それで海外旅行もらったりとか着物もらったりさ、ギャラもすごくいいから嬉しくなっちゃって。
引用元:exciteニュース
飛び入り参加した番組の放映が縁で、デビューに繋がったんだね!
山田邦子の幼少期は?若い頃の活躍やできごとを年代順に振り返り
山田邦子さんの幼少期のエピソードや、若い頃の活躍やできごとを年代順に振り返っていきます。
幼少期
山田さんは東京の下町で育ちました。
近くに演芸場があったため、小学生の頃から通っていたとのことです。
そして自分でもギャグを考えて友達とふざけていたそうです。
まず、東京の下町という、生まれ育った環境が大きかったと思います。近くに演芸場があって、小学生のころからよく通い、自分でもギャグを考えて、友達とふざけたりしていました。
引用元:キネヅカ
幼少期の頃から面白い事が好きなお子さんだったんですね!
幼少期の頃から自分でギャグを考えていたんだ!!
10代
山田邦子さんが10代の頃の代表的なできごとはこちらです。
- 1973年(13歳):川村中学校に入学
- 1977年(17歳):川村学園の修学旅行へ
- 1979年(19歳):川村短期大学に進学
1973年から、当時お嬢様学校と言われた川村中学校に入学され、学校でのお楽しみ会のような催しでは当時から人気者だったようです。
下町から来たインチキお嬢様がモノマネやギャグを披露してどっかんどっかん笑いをとる快感を味わったわけです。
引用元:キネヅカ
学生時代、山田さんのお父様はご自身のいないところでの山田さんの外泊は禁止だったそうで、学校の宿泊行事もダメだったそうです。
高校の修学旅行は何とか許しを得て行くことができたそうなのですが、お父様はこっそり旅行についてきていたそうです。
高校の修学旅行だけはどうしても行きたくて何度もお願いし、何とか許してもらえたのですが、なんと父はこっそり旅行についてきました。
引用元:クリアン
1979年に川村短期大学に進学した山田さんですが、その頃にはバイト感覚でいろいろな番組に顔を出すようになっていたようです。
短大時代、早稲田大学の寄席演芸研究会に顔を出していた私は、「テレビで5分間のネタをやるバイトがあるんだけど」なんて誘いにヒョイヒョイと乗って、いろんな番組に顔を出すようになっていました。
引用元:キネヅカ
山田邦子さん81年『邦子のかわい子ぶりっ子(バスガイド篇)』デビュー!
— レコード食堂 杉戸町 (@A813tea) November 13, 2015
高校生の頃から数々の素人参加番組の常連だった。
「お笑い君こそスターだ!」チャンピオンになり芸能界入り
タレント、女優として活躍
冠番組もいくつも持っていた。 pic.twitter.com/K9YDU15KTO
山田さんとお父様とのエピソードで、学校行事の外泊までも禁止されていたのには驚きました!許可した修学旅行にもついてこられたのにはびっくりしました!
学生時代も面白かったんだね!
山田邦子さんファンに聞いた、山田邦子さんの10代で印象に残っている出来事
ものまねをしたことで学校の中にファンクラブができたという話を聞いて驚きました。大体ファンクラブというのは美人とかが主なのにそうではないのが邦子さんらしいです。(30代男性)
高校時代に同級生とお笑いコンビを組んでいたことです。高校時代から既に面白く人気者だったんだなと驚きました。(30代女性)
早稲田大学寄席演芸研究会に入部したことです。学生漫才師と活動して落語家を目指していたとのことなので、これが原点だったのかと驚きました。(50代男性)
20代
山田邦子さんが20代の頃の代表的なできごとはこちらです。
- 1981年(21歳):『邦子のかわい子ぶりっ子(バスガイド篇)』でレコードデビュー
- 1988年(28歳):NHK調査『好きなタレント』ベスト10で1位を獲得
- 1989年(29歳):初の冠番組『邦ちゃんのやまだかつてないテレビ』が放映開始
1981年に『邦子のかわい子ぶりっ子(バスガイド篇)』でレコードデビューされました。バスガイドネタは短大時代に考案したものだそうです。
BGM.「邦子のかわい子ぶりっ子(バスガイド篇)」山田邦子(1981)
— 午前0時の歌謡祭 (@0jikayou) March 15, 2020
作詞:山田邦子 作曲・編曲:渡辺直樹
スペクトラムの渡辺直樹が作・編曲を手がけ、オリコン30位まで上昇したデビュー曲。田村さんにとって初のオリコン左ページ(50位以内)のヒットシングルとなり、(→続く)#0時歌謡 pic.twitter.com/mQlcwackp4
また、同年にドラマ『野々村病院物語』で俳優デビューもされています。
1981年、ドラマ『野々村病院物語』で俳優デビュー。
引用元:オリコン
1988年には、NHK「好きなタレント調査」で8年連続1位に選ばれ、以降8年連続1位に選ばれています。
山田邦子 好きなタレント調査で8年連続1位 https://t.co/7n06MNKsnT pic.twitter.com/5wefrhZcnD
— Pearl (@sjedb) March 20, 2023
1989年には『やまかつ』と呼ばれていた『邦ちゃんのやまだかつてないテレビ』がスタートしました。
モノマネや、コント、歌ありのバラエティに富んだ内容の番組でした。
通称『やまかつ』のコンセプトは“おもちゃ箱をひっくり返したような番組”
引用元:週刊女性
邦ちゃんがトレンド入りしてるけど、山田邦子と言えばやまだかつてないTVで、そこから出てきたやまだかつてないWink、そしてやまだかつてないCDの発売だよね。CDは探せば出てくると思うw#山田邦子 pic.twitter.com/6xnztBsBPa
— Ciel✡Alencon(シエル) (@godeater1115) June 15, 2022
デビューとほぼ同時期に歌手デビューや俳優デビューもされていたんですね!
デビュー当時から色々なジャンルに挑戦されていて、色々な才能があってすごいと思いました。
やまだかつてないテレビは、様々なコーナーがあって楽しかった!
山田邦子さんファンに聞いた、山田邦子さんの20代で印象に残っている出来事
テレビ番組で活躍し出した姿が本当にすごいですね。女性ピン芸人としてはすごく新鮮な事で他に誰もいなかったと思います。(30代男性)
レコードデビューしていたことです。面白いトークやギャグで有名になり、レコードとは無縁の人だと思っていたので、衝撃でした。(30代女性)
ドラマ『野々村病院物語』で女優デビューしたことです。お笑い芸人というイメージが強かっただけに、女優業も出来るんだと驚きました。(50代男性)
30代
山田邦子さんが30代の頃の代表的なできごとはこちらです。
- 1990年(30歳):小説家デビュー
- 1991年(31歳):週に14本のレギュラー番組に出演
- 1995年(35歳):NHK大河ドラマ『八代将軍吉宗』に出演
1990年に『あっかんベーゼ』で小説家デビューを果たしました。
そして翌年には代表作となった『結婚式』という小説を発表されました
最大のベストセラー。フジテレビ系でドラマ化。
引用元:読書の力
20代後半から30代前半の頃、山田さんは週に14本、隔週を入れると16本ものレギュラー番組を抱えていました。
最近、山田邦子さんのおそろく90年代ごろの宣材写真を手に入れたんですが宣材写真フェチとしては非常にグッと来るんですよ。わかりません?この宣材写真の宣材感、すごく良いです本当に。 pic.twitter.com/8Pe4BEYeuW
— baseよしもと黄金期 懐古垢 (@summersmile0203) September 2, 2022
多忙を極めていたので、楽屋で頻繁に寝泊りもしていたくらいだったそうです。
一番忙しかったときは週に14本、隔週のものを入れると16本もレギュラー番組を抱えていたので、それこそ寝る間を惜しんで働いていました。
引用元:キネヅカ
1995年に放送されたNHK大河ドラマ『八代将軍吉宗』に出演され、徳川吉宗の生母である浄円院役を演じました。
平成7年(1995年)放送の大河ドラマ『八代将軍吉宗』で山田邦子さん(当時34歳)が演じたのは「お紋(吉宗の母)」
— 歴史キング (@rekishi_king) January 4, 2024
山田邦子さん(2023年時点で唯一の大河ドラマ出演作)#大河ドラマ #八代将軍吉宗 #お紋 #山田邦子 pic.twitter.com/0rJHFzfH3c
30代前半の頃は、テレビで見ない日はないくらいの活躍をされていたと思うのですが、数字にして表すと改めて出演されていた番組の多さに驚きました。
その中でも小説を書いたり、大河に出演されたりと大忙しの毎日だったのだろうなと思いました。
毎日のようにテレビで見ていたよね!
山田邦子さんファンに聞いた、山田邦子さんの30代で印象に残っている出来事
邦子と徹のあんたが主役という番組が大好きでしたね。めちゃくちゃ笑えるほっこりビデオがたくさん紹介されて笑えました。(30代男性)
小説家としてデビューしていたことです。しかもベストセラー本まで出していて、まさか文才まであるとは思ってもみなかったので驚きました。(30代女性)
NHK大河ドラマ『八代将軍吉宗』で吉宗の生母・浄円院を演じたことです。時代劇も演じられる方なんだと驚きました。(50代男性)
40代
山田邦子さんが40代の頃の代表的なできごとはこちらです。
- 2000年(40歳):結婚
- 2007年(47歳):乳がんを患う
- 2008年(48歳):スター混声合唱団を結成
山田さんは2000年に番組制作会社社長の後藤史郎氏と結婚されました。
2000年には番組制作会社社長・後藤史郎氏と結婚している。
引用元:オリコン
46歳の時に乳がんを発症した山田さんですが、発見のきっかけは乳がんを特集した情報番組だったそうです。
病気がわかったきっかけは、出演したテレビの健康番組です。番組でやった「自分で乳がんを見つける方法」を試しに家でやってみたらコリッとしたものがあったので、番組でお世話になった女医先生のところで診察を受けたわけです。
引用元:日刊ゲンダイ
「がんになったが、こんなに元気にやっているということを全国の皆さんにお届けしたい」という思いから、山田さんが団長となって2008年に「スター混声合唱団」を結成されたそうです。
昨年、乳がんの摘出手術を受けたタレント山田邦子(47)の呼び掛けで、芸能人らががん撲滅を目指して歌う「スター混声合唱団」が1日、都内で結成された。
引用元:スポニチ
山田邦子団長率いる
— 須藤公一【Koichi Sudoh】 (@sudoh51) October 27, 2018
スター混声合唱団
チャリティーコンサートでしたゼァッ!!
邦子団長、瀬川瑛子さん、米米CLUBジェームス小野田さん、服部真湖さんなどなどと!!
楽しかったゼァッ!!
En serio
マジで!! pic.twitter.com/84qnzCxTmt
出演された番組がきっかけで乳がんを発見できたことがとても印象的でした。
がんがきっかけで「スター混声合唱団」を結成されたんだね!
山田邦子さんファンに聞いた、山田邦子さんの40代で印象に残っている出来事
乳がんになったというのが印象的ですね。それによって仕事もセーブしていたのでとても心配したことを今でも覚えています。(30代男性)
乳がんになってしまったことです。いつも明るく元気なイメージがあったので、がんを患ってしまったということがショッキングで心に残っています。(30代女性)
『最終警告!たけしの本当は怖い家庭の医学 スペシャル』に出演したことがきっかけで乳がんが発覚したことです。もしこの番組に出演していなかったらと思うと驚きました。(50代男性)
山田邦子の若い頃の髪型は坊主
山田邦子さんの若い頃の髪型といえば、坊主頭を思い出す方も多いのではないでしょうか。
1985年頃に坊主頭をされたのですが、とてもインパクトがありますよね!
ああそういえば山田邦子の坊主あったなあ pic.twitter.com/wQyNtiS1I8
— Hi-g (@hig_factory) August 20, 2020
当時の山田さんは多忙を極めていたため、ヘアアレンジを時短にできるように、出演していた時代劇のカツラをかぶりやすくするように、という理由で坊主にしたそうです。
「髪の毛がなかったらラクだなぁ」と。
引用元:キネヅカ
時短目的で坊主にしていたとは、ものすごく多忙だったんだね!
まとめ
今回は、山田邦子さんの若い頃の活躍や出来事を、画像とともに振り返りました。
年代ごとに印象深い出来事がたくさんあったね!
これからの活動も頑張ってほしいと思います。