俳優として活躍する宇梶剛士さん。
若い頃どんな風貌だったのかや、年代ごとにどんなできごとがあったのか気になるかたも多いと思います。
さっそく、宇梶剛士さんの若い頃の写真やできごと、デビューのきっかけを年代順に振り返ってみましょう。
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宇梶剛士のデビューのきっかけや時期は?
少年院に入っていた時に母親が差し入れてくれたチャールズ・チャップリンの自伝を読んで、自分の生き方に恥ずかしさを覚え、そして感銘を受け俳優を志しました。
宇梶は母が差し入れてくれたという喜劇王・チャールズ・チャップリンの自伝を読んで感銘を受けたという。
引用元:スポニチ
母親は自身の知人に相談してくれ、錦野旦さんの事務所でカバン持ちをはじめました。
そこは音楽事務所だったので、俳優にはなれませんでしたが、芸能界の掟など学ばせてもらったようです。
錦野のマネジャーからは「俺と同じ誕生日だな、芸能界は掟がある。あいさつもそうだし時間のこととか、そういうことだけでも学んでみるか」と言われ、錦野のカバン持ちになったとした。
引用元:スポニチ
その後、菅原文太さんと出会いました。
俳優を目指している旨をお話ししたところ、菅原さんが錦野さんの事務所の社長に電話をし、菅原さんの弟子にしてくれたそうです。
「俳優になりたいんですけど、どうやって俳優になったらいいか分からないので」と話したところ、菅原さんが錦野の事務所の社長に電話をし、「お前さんところのデカいの、もらっていいか」と弟子にしてくれたと語った。
引用元:スポニチ
錦野旦さんや、菅原文太さんとの縁がきっかけで、俳優の道が開けてきたんだね!
宇梶剛士の幼少期は?若い頃の活躍やできごとを年代順に振り返り
宇梶剛士さんの幼少期のエピソードや、若い頃の活躍やできごとを年代順に振り返っていきます。
幼少期
宇梶さんは身長57cm、体重5000gのビッグベイビーだったそうです。
僕は生まれた時から身体が大きく、身長57cm、体重5000gもあったそうです。
引用元:週刊現代
父親の仕事の関係で東京から広島に引越し、小2の時に東京に戻りました。
運動が好きで、野球少年だった宇梶さん。
リトルリーグに入り、高校も強豪校へ進学するほどの腕前だったそうですよ。
中学の軟式野球部の他に、地域の硬式野球チーム「国立リトルシニア」でもプレーしていました。
引用元:週刊現代
東京→広島→東京、と引越の多かった幼少期だったんですね!
野球に熱中していたんだね!
10代
宇梶剛士さんが10代の頃の代表的なできごとはこちらです。
- 1978年(16歳):野球部内のシゴキの実態を告発するも聞いてもらえず
- 1979年(17歳):暴力事件を起こし警察に連行され、少年鑑別所に入所
- 1980年(18歳):錦野旦の付き人になった後、菅原文太の付き人になる
リトルリーグ、中学では軟式野球の他にリトルシニアでも野球をしてきた宇梶さんが入学した高校は野球の強豪校でした。
待っていたのは先輩からの理不尽なシゴキだったのですが、先輩からのシゴキは止まることがなかったため、部の実態を監督に訴えました。
ですが、監督に聞いてもらえなかったうえに、宇梶さんが首謀者として濡れ衣を着せられてしまったそうです。
2年生になってもシゴキは止まらず、ある日、部の実態を監督に知ってもらうために仲間と話しあって練習をボイコットしたんです。そうしたら実態を調査するどころか、監督は「暴力などふるっていない」という先輩の嘘を鵜呑みにしてしまった。
引用元:週刊現代
そのことが原因で野球もさせてもらえず、投げやりになっていたところに中学時代の仲間が地元でトラブルを抱えていたことを聞きつけ、そのトラブルを暴力で押さえつけてしまった結果、警察に連行され少年鑑別所に入所することになりました。
体格が良く力が強かった僕は、そのトラブルの相手を暴力で押さえつけてしまったんです。
引用元:週刊現代
出所し、高校を退学した後は17歳にして暴走族集団の総長になったそうです。
【暴走族の総長1000対1の戦い!】宇梶剛士、暴走族ブラックエンペラー時代の喧嘩伝説!! http://t.co/rnBJR30Buf pic.twitter.com/xbaYRFR5Qp
— komitai (@0813takuya1) September 24, 2015
鑑別所に入っていた時に母親から差し入れしてもらった本に感銘を受け、俳優を志した宇梶さん。
18歳の頃に、母親の知人を通じて錦野旦さんの付き人になった後、菅原文太さんの付き人となり、俳優の勉強をしていくことになりました。
少年時代は暴走族の総長を務めるなど、やんちゃに明け暮れた少年時代から改心。錦野旦の付き人をしていたある日、会った菅原さんから気に入られ、18歳で菅原さんの付き人になった。
引用元:スポニチ
結果的に悪い方向へと進んでしまいましたし、暴力は決してよくないことだと思いますが、シゴキの事を訴えたら逆に首謀者とさせられたのは、理不尽だと思いますし納得いかないですよね。
10代で様々な経験をされてきたんだね。
宇梶剛士さんファンに聞いた、宇梶剛士さんの10代で印象に残っている出来事
暴走族出身で喧嘩がめちゃくちゃ強いという話をテレビでして、すごく申し訳なさそうにしていたのを覚えています。(30代男性)
ブラックエンペラーという暴走族の7代目名誉総長になる。当時から、近所の学生などにも非常に有名であったらしいので驚いた。(40代男性)
暴力事件を起こして少年鑑別所に入所したことです。今では明るいオジさんって感じですけど、若いころは無茶をしていたんだなって驚きました。(50代男性)
20代
宇梶剛士さんが20代の頃の代表的なできごとはこちらです。
- 1982年(20歳):舞台『青森県のせむし男』で初舞台を踏む
- 1988年(26歳):ドラマ『君が嘘をついた』出演
- 1989年(27歳):ドラマ『愛し合ってるかい!』に出演
20歳の時、『青森県のせむし男』で初舞台を踏みました。
この舞台で美輪明宏さんと共演し、「美しいものを見なさい」というアドバイスを受け、心の成長を促されました。
美輪からのアドバイスは「美しいものを見なさい」ということだった。
引用元:スポニチ
1988年に出演されたドラマ『君が嘘をついた』は初めて出演した連続ドラマでした。
ドラマ「君が嘘をついた」に出演していた頃の宇梶剛士(当時26歳)。
— くじゃくのまい (@kujakunomai) November 29, 2018
第7話で、猛アタックしていた亜紀子(麻生祐未)に「僕はどうも小さい時から勉強ばかりしていたもんですから・・・」というセリフに思わず笑ってしまった😆#ブラックエンペラー7代目名誉総長https://t.co/pYeHnDxi2U pic.twitter.com/vOE6s2yr6g
1989年には、ドラマ『愛しあってるかい!』で教師役で出演されていました。
愛しあってるかい!
— アピ丸🍛 (@wildorangehana1) February 7, 2017
の宇梶さんw都立西麻布高校の先生役w pic.twitter.com/YcrI5ISYUF
美輪さんのアドバイス、とても素敵な言葉ですよね。
出演は多くないものの、印象に残る役柄が多かったよね!
宇梶剛士さんファンに聞いた、宇梶剛士さんの20代で印象に残っている出来事
愛し合ってるかいというドラマが印象的ですね。彼のあどけない先生姿がとてもドラマのテイストに合っていましたね。(30代男性)
1988年にテレビドラマ『君が嘘をついた』に出演する。この頃から、宇梶剛士の名前が広く知られるようになったことを覚えている。(40代男性)
テレビドラマ「愛しあってるかい!」に出演したことです。本人が学生時代の頃は先生のことを信用出来なくなって事件まで起こしたというのに、ここでは先生役を演じるのか‥皮肉なものだと印象に残りました。(50代男性)
30代
宇梶剛士さんが30代の頃の代表的なできごとはこちらです。
- 1997年(35歳):ドラマ『ひとつ屋根の下2』出演
- 1998年(36歳):特撮『ウルトラマンガイア』出演
- 2000年(38歳):ドラマ『HERO』出演
この頃の宇梶さんは、役者だけではまだ食べていけなかったので、工事現場で働きながら俳優業をされていたそうです。
役者として食べていけるようになる30代まで、工事現場で汗水を垂らした。
引用元:スポニチ
20代でも数々のドラマに出演されていましたが、1997年に出演された『ひとつ屋根の下2』では、最後に本当の自分を見せようとカツラを取る、ピカリン役を演じ、話題になりました。
1998年にウルトラマンガイアと関わるチームの一員の堤誠一郎役で、『ウルトラマンガイア』に出演されていました。
3分ですか。宇梶剛士さんはウルトラマンガイアに出演していましたね #遺留捜査 #ウルトラマンガイア pic.twitter.com/m09M1ggrha
— 秋野直重 (@gorx781539) December 1, 2019
2000年には、ドラマ『HERO』に出演。
人気作品を含めた多くのドラマで活躍するようになっていきました。
20代の頃からテレビに出演されていたので、30代になるまで工事現場でも働いていたことに驚きました!
『ひとつ屋根の下2』での役柄はインパクトあったよね!
宇梶剛士さんファンに聞いた、宇梶剛士さんの30代で印象に残っている出来事
古畑任三郎でのラジオスタッフの役柄が印象的でした。とても役にはまっていてとてもいい演技をしていましたね。(30代男性)
1997年にドラマ『ひとつ屋根の下2』で前園俊雄役を演じる。この役はインパクトが合ったので覚えている。(40代男性)
テレビドラマ『ひとつ屋根の下2』に出演し、ピカリン(前園俊雄)役でブレイクしたことです。これが宇梶さんをメジャーにさせたきっかけですし、印象に残りました。(50代男性)
40代
宇梶剛士さんが40代の頃の代表的なできごとはこちらです。
- 2004年(42歳):映画『お父さんのバックドロップ』で主演。
- 2007年(45歳):劇団PATHOS PACKを結成
- 2009年(49歳):テレビドラマ『任侠ヘルパー』に出演
2004年に公開された映画『お父さんのバックドロップ』は、宇梶さんにとって初主演映画でした。
宇梶さんは役作りのために大日本プロレスに入門し、プロレスラーとしての体づくりの為、肉体改造やトレーニングを行ったそうですよ。
#国宝に指定したい邦画
— 冴見悪龍 (@saemi_akuryu) August 29, 2023
お父さんのバックドロップ。
中島らもさん原作の笑って泣いての感動ド真ん中映画。
主演の宇梶剛士さんは本当にプロレスラーのような肉体だし、当時小学生だった神木隆之介くんも可愛い。
なによりプロレスファンにとびきりの夢を見せてくれる快作。 pic.twitter.com/8v8nhePmKL
2007年には、宇梶さんを中心に劇団PATHOS PACKが結成されました。
"劇団"という形でしか表現できない舞台づくりを追求したいという思いから旗揚げされたそうです。
『劇団パトスパック』は“劇団”という形でしか表現できない舞台づくりを追求したいという思いから旗揚げされました。
引用元:週刊女性
2009年には草彅剛さん主演のドラマ『任侠ヘルパー』出演され、愛想がいい物腰柔らかい異色な"任侠ヘルパー"を演じられていました。
『お父さんのバックドロップ』では、役作りの為3ヶ月で12キロ増やす肉体改造を行ったそうです。
3ヶ月でプロレスラーにふさわしい体型に仕上げているのはすごいと思いましたし、実際のプロレス団体に入門して役作りをされていたことも、役に対する熱意を感じられました。
映像に舞台にと活躍されていたんだね!
宇梶剛士さんファンに聞いた、宇梶剛士さんの40代で印象に残っている出来事
タクシードライバーの推理日誌の演技がとても良かったですね。渡瀬さんとのやりとりもかなりナチュラルでうまかったです。(30代男性)
大河ドラマ『新選組!』に、西郷隆盛役で出演する。宇梶さんが演じた西郷隆盛は、今までの人とは違った雰囲気があったので良かった。(40代男性)
「不良品―オレは既製品じゃない!」を著書を出したことです。宇梶さんというと肉体派な印象がありますけど、本も出すんだと驚きました。(50代男性)
宇梶剛士の若い頃の髪型は黒髪のオールバック
宇梶剛士さんの若い頃の髪型といえば、黒髪のオールバックな髪型を思い出す方も多いのではないでしょうか。
宇梶剛士さんの若い頃の髪型は、黒髪のオールバックが特徴的でした。
このスタイルは、宇梶さんのワイルドさと清潔感を兼ね備え、より素敵な印象を与えていました。
都内歩いてたら
— KAKERU a.k.a ぜっとん。 (@kakettitocorabo) August 31, 2023
宇梶さんにお会いしちゃったよおおお
握手しちゃったよおおお
手洗えねぇよもおおおおおおお
優しくて気さくな人でした✨ pic.twitter.com/nmXP8xzqN6
オールバックは、清潔感と男らしさを強調するスタイルで、当時の文化やファッションにも影響されていました。
宇梶さんのハッキリした顔立ちにとてもよく似合う髪型だよね!
まとめ
今回は、宇梶剛士さんの若い頃の活躍や出来事を、画像とともに振り返りました。
年代ごとに印象深い出来事がたくさんあったね!
これからの活動も頑張ってほしいと思います。