女優、歌手、声優として活躍する倍賞千恵子さん。
若い頃どんな風貌だったのかや、年代ごとにどんなできごとがあったのか気になるかたも多いと思います。
さっそく、倍賞千恵子さんの若い頃の写真やできごと、デビューのきっかけを年代順に振り返ってみましょう。
倍賞千恵子さんのデビューのきっかけや時期は?
倍賞千恵子さんのデビューのきっかけは、幼少期からの歌への情熱にあります。小学生の頃、NHKのど自慢に出場し本選に進出したことがきっかけで、みすず児童合唱団に入団しました。
その後、1954年に童謡『ひばりの赤ちゃん』で歌手デビューを果たします。中学卒業後、高校には進学せず、松竹音楽舞踊学校に入学し、1960年に首席で卒業しました。
翌1961年、松竹映画にスカウトされ、映画『斑女』で女優デビューを果たしました。
6/29は倍賞千恵子さんのお誕生日。(1941-)おめでとうございます🎉
— 銀杏座 (@theatre_ginkgo) June 29, 2024
幼少時より歌の上手さで知られ1954年レコードデビュー。60年松竹歌劇団入団、翌年退団し映画デビュー。庶民派女優として山田洋次監督作品に欠かせぬ存在となり、『男はつらいよ』のさくら役で不動の人気を確立した下町の太陽。 pic.twitter.com/qkMQn6pIUE
倍賞千恵子さんの、幼少期の歌声、聞いてみたいにゃ!
倍賞千恵子さんの幼少期は?若い頃の活躍やできごとを年代順に振り返り
倍賞千恵子さんの幼少期のエピソードや、若い頃の活躍やできごとを年代順に振り返っていきます。
幼少期
倍賞千恵子さんは、1941年6月29日に東京都豊島区西巣鴨で生まれ、戦時中は茨城県に疎開しました。
幼少期から歌が得意で、NHKのど自慢に出場し、本選に進出したことがきっかけで、みすず児童合唱団に入団しました。
1954年には童謡『ひばりの赤ちゃん』で歌手デビューを果たしています。
幼少期からの歌への情熱が、彼女の才能と努力で、幅広い芸能活動につながったのが素晴らしいです。
みすず児童合唱団では、
童謡や子供向けの楽曲を歌っていたそうニャ!
10代
倍賞千恵子さんが10代の頃の代表的なできごとはこちらです。
- 1954年(13歳):童謡『ひばりの赤ちゃん』で歌手デビュー
- 1957年(16歳):松竹音楽舞踊学校に入学
- 1960年(19歳):同校を首席で卒業し、松竹歌劇団に入団
1954年、幼少期から歌唱力に優れていた倍賞さんは、13歳で童謡『ひばりの赤ちゃん』をリリースし、歌手としての第一歩を踏み出しました。
1957年、歌手活動を続ける中で、さらなる芸能の道を志し、松竹音楽舞踊学校に入学しました。同校は、松竹が運営する芸能学校で、音楽や舞踊、演技などの総合的な芸能教育を提供し、多くのプロを輩出しています。
1960年、厳しい訓練を経て首席で卒業し、松竹歌劇団に入団。これが彼女の女優としてのキャリアの始まりとなりました。
松竹歌劇団(SKD)グランドレビュー「東京踊り」初代バトンガールになった倍賞さん(1960) pic.twitter.com/6muZvNSbB2
— 倍賞千恵子 写真館 (@fan_chieko) May 11, 2018
13歳での歌手デビューから、19歳での松竹歌劇団入団まで、彼女はまるで一つ一つの舞台を、自分のものにして成長し、その才能は輝きを増していきました。
若くして、
才能を開花させたニャ!
倍賞千恵子さんファンに聞いた、倍賞千恵子さんの10代で印象に残っている出来事
松竹音楽舞踊学校を首席で卒業したことです。進路的に大学へはいきませんでしたけど、頭の良い人なんだなって驚きました。(50代男性)
松竹音楽舞踊学校に入学したということを知って昔から音楽が好きだったんだなと思いましたね。今でもその雰囲気は感じられます。(30代男性)
幼少期から「のど自慢荒らし」と呼ばれ、10代で歌手デビュー。倍賞さんといえばドラマに出ている人として見てきたので、歌を歌われているイメージがなかったから。(20代女性)
20代
倍賞千恵子さんが20代の頃の代表的なできごとはこちらです。
- 1961年(20歳):映画『斑女』で女優デビュー
- 1963年(22歳):映画『下町の太陽』で主演を務め、主題歌で歌手デビュー
- 1969年(28歳):映画『男はつらいよ』シリーズで諏訪さくら役を演じ始める
1961年、松竹歌劇団での活動を経て、映画『斑女』でスクリーンデビューを果たしました。これが彼女の女優としての第一歩となりました。
「コモ・レ・バ?」夏号は倍賞千恵子特集。デビュー作『斑女』がしっかり紹介されていて嬉しいぞ。小学生の頃、日テレの日曜夕方で観て強烈に印象に残った映画なのだ。倍賞千恵子と一緒に映っているのは現アニソンの大魔王。川本三郎さんの連載のテーマは夜店と縁日、寅さん絡みになるのは仕方ないか。 pic.twitter.com/zBPVaRGa3z
— ロッシにゃんテ😺 (@Boku_Crewe) August 17, 2017
1963年、映画『下町の太陽』で主演を務め、同作の主題歌「下町の太陽」を歌い、歌手としてもデビューしました。この曲で第4回日本レコード大賞新人賞を受賞し、同年のNHK紅白歌合戦に初出場しました。
「下町の太陽」63年。女工の倍賞千恵子が下町の貧乏長屋を舞台に日々の出来事を通して幸せとは何かを想う青春映画。彼女の飾らない笑顔と誠実な人柄は貧しい人々の暖かな光となる。当時22歳の倍賞千恵子が等身大で演じたような表情の細やかな変化が素晴らしい。 pic.twitter.com/W7TSPyuueX
— 保里安則 (@horiokinawa) September 18, 2023
1969年、山田洋次監督の映画『男はつらいよ』シリーズで、主人公・寅次郎の妹、諏訪さくら役を演じ始めました。この役は彼女の代表作となり、シリーズ全作品に出演しました。
さくらというと、山田洋次の有名な『男はつらいよ』シリーズの倍賞千恵子扮する「さくら」を思い出す。若い頃の倍賞さんは実に可愛いので、シリーズの初期はお薦めです。特に『寅次郎 相合い傘』の(恒例の)夢のシーンのさくらは、私のお気に入りです。#さくらの日 #今日は何の日 #男はつらいよ pic.twitter.com/Bpwulqlkm8
— 中井かんいち (@ichikawakon) March 27, 2018
倍賞千恵子さんを見たくて
— しゃい🍺٩(ᐛ )و12日(火)13時~上野公園噴水前🥳 (@Poo_shaishai) November 7, 2024
昭和の映画を見てると言っても過言ではない🥰
可愛くて綺麗すぎる😍 pic.twitter.com/jFGDJtmSnY
倍賞千恵子さんの20代は、女優・歌手としての才能を開花させ、多くの人々に愛される存在となった時期でした。
家族の太陽、さくらちゃんだニャ!
倍賞千恵子さんファンに聞いた、倍賞千恵子さんの20代で印象に残っている出来事
映画『下町の太陽』に主演したことです。この若さでもう映画の主演を出来るほどの実力を持っているのかと驚きました。(50代男性)
松竹歌劇団に入り逸材の異名が生まれるほどの才能の持ち主だったことがすごいですね。やっぱりこの頃から才能が溢れていたのでしょう。(30代男性)
「下町の太陽」で紅白歌合戦初出場。女優としても歌手としてもしっかり成功を収めていて、すごいなと思ったから。(20代女性)
30代
倍賞千恵子さんが30代の頃の代表的なできごとはこちらです。
- 1976年(34歳):俳優の小宮健吾さんと結婚
- 1977年(36歳):映画『幸福の黄色いハンカチ』に出演
- 1980年(38歳):映画『遙かなる山の呼び声』日本アカデミー賞最優秀主演女優賞を受賞
1976年、俳優の小宮健吾さんと結婚しました。二人は芸能界のカップルとして注目されましたが、その後、1980年に離婚しています。短い結婚生活の中でも、互いの道を応援し合う姿が見られました。
1977年、山田洋次監督の映画『幸福の黄色いハンカチ』で、武田鉄矢さん演じる花田欽也の恋人、島勇作の元妻・光枝役を演じました。この作品は高倉健さん主演で、倍賞さんの演技も高く評価されました。
は〜い😚
— シン・てっちゃん (@UXCyJ9zRBGkPBEb) February 22, 2022
📺GAYO!配信チェック👀
🎬「幸福の黄色いハンカチ」1977
監督:山田洋次サン
主演:高倉健サン 倍賞千恵子サン
桃井かおりサン 武田鉄矢サン
不朽の名作、何度観ても泣ける
黄色いハンカチでのお出迎え…
小生のお気に入り⭐⭐ pic.twitter.com/9VlCzcy57t
1980年、映画『遙かなる山の呼び声』で主演を務めた倍賞さんは、彼女の圧倒的な演技力で日本アカデミー賞最優秀主演女優賞を受賞しました。この作品は彼女の代表作となり、数多くのファンに深い感動を与えました。
昨日 郊外の妹宅に行く道中
— おチビ (@tansio__lemon) April 30, 2022
夫に『遙かなる山の呼び声』の続編作るらしいよ!と聞き「なんですと!(Ꙭ)」と渋滞中ずっと監督は?!倍賞千恵子は誰がいい?タケは吉岡秀隆が演ればいいね!いや歳行き過ぎでしょ꒰笑꒱と散々盛り上がったけど リメイクドラマの続編だそうで そう言えば見たわそのドラマ。 pic.twitter.com/hgcyD30oMv
映画での演技、まさに圧巻の一言です。倍賞さんが人々に感動を届ける力に驚かされます。
倍賞さんの人生も、まるでドラマだニャ!
倍賞千恵子さんファンに聞いた、倍賞千恵子さんの30代で印象に残っている出来事
「幸福の黄色いハンカチ」に出演されたことです。今でも名前を聞く有名映画ですし、そんな作品にも出演していたんだと驚きました。(50代男性)
男はつらいよに出演していたことが印象的ですね。個人的に寅さんのそばに彼女がいると安心しますし何だか癒されます。(30代男性)
「男はつらいよ」シリーズで毎日映画コンクール女優主演賞を受賞。男はつらいよは最近新作が公開されたこともあり、私のような世代でも聞いたことのある人が多い作品だと思うから。(20代女性)
40代
倍賞千恵子さんが40代の頃の代表的なできごとはこちらです。
- 1981年(40歳):映画『駅 STATION』で主演を務め、高い評価を受ける
- 1988年(46歳):作曲家の小六禮次郎さんと再婚
- 1989年(47歳):映画『ブラック・レイン』ハリウッド作品に出演
1981年、降旗康男監督の映画『駅 STATION』にて、高倉健さん演じる主人公の元妻・桐子役を演じました。彼女の繊細な演技が観客の共感を呼び、映画の評価を一層高めました。この作品で、倍賞さんの女優としての幅広い演技力が改めて認められることとなりました。
「駅 STATION」
— この世の果て (@dead2022_m) January 9, 2024
監督:降旗康男
脚本:倉本聰
出演:高倉健 倍賞千恵子
挿入歌:「舟歌 - 八代亜紀」
1981年 pic.twitter.com/Z9ShX9rAWM
1988年、作曲家の小六禮次郎さんと再婚し、互いに音楽と演技で活躍するクリエイティブな二人として公私ともに新しいスタートを切りました。この再婚は、彼女にとって新たなインスピレーションや活力をもたらした出来事です。芸術的なパートナーシップが彼女の表現にさらなる深みを加えました。
1989年、リドリー・スコット監督の『ブラック・レイン』に出演し、ハリウッド作品に進出しました。この映画で、日本と海外の視点から文化や価値観が交差する難しい役柄をこなし、国際的な舞台で日本人女優としての存在感を示しました。
倍賞さんが挑戦を続け、国内外で活躍を広げていく姿は、彼女のプロフェッショナルな姿勢と新たなことへの好奇心が伝わってきて、非常に刺激的ですね。
ハリウッド出演は、
彼女の才能が世界に羽ばたく瞬間だったニャ!
倍賞千恵子さんファンに聞いた、倍賞千恵子さんの40代で印象に残っている出来事
サントリーのリザーブのTVCMに出演されたことです。パリで撮影されたというだけあって本格的なCMでしたし、それに出捐された倍賞さんも印象に残りました。(50代男性)
男はつらいよシリーズにほとんど出演していたということがすごいですね。彼女の存在無くして寅さんは語れませんよね。(30代男性)
「男はつらいよ」シリーズで日本アカデミー賞最優秀主演女優賞に輝く。新作が公開される度に賞レースを賑わせていて、男はつらいよが日本の映画界に与えた功績の大きさを感じたから。(20代女性)
倍賞千恵子さんの若い頃の髪型はシンプルで清楚なロングヘア
倍賞千恵子さんの若い頃の髪型といえば、シンプルで清楚なロングヘアを後ろにまとめたスタイルの髪型を思い出す方も多いのではないでしょうか。
倍賞千恵子の若い頃は綺麗だな。寅さんまた観に行きたいな。 pic.twitter.com/ChZaZ8NwfP
— mars 1941 (@kampfriesenmars) January 12, 2020
倍賞千恵子さんのシンプルで清楚なロングヘアは、彼女の落ち着いた魅力を引き立て、時代を超えても美しさを感じさせます。
1960〜70年代は、ナチュラルで上品なスタイルが流行し、清楚で女性らしいロングヘアが多くの女優たちに愛されていました。シンプルなまとめ髪は、清潔感や品格を強調するスタイルとして人気でした。
清楚なロングヘア、
まさに『和の美』だニャ!
まとめ
今回は、倍賞千恵子さんの若い頃の活躍や出来事を、画像とともに振り返りました。
年代ごとに印象深い出来事がたくさんあったね!
これからの活動も頑張ってほしいと思います。