お笑い吉本芸人、司会者、俳優として活躍する明石家さんまさん。
若い頃どんな風貌だったのかや、年代ごとにどんなできごとがあったのか気になるかたも多いと思います。
さっそく、明石家さんまさんの若い頃の写真やできごと、デビューのきっかけを年代順に振り返ってみましょう。
明石家さんまさんのデビューのきっかけや時期は?
明石家さんまさんのデビューのきっかけは、高校3年生のとき笑福亭松之助師匠への弟子入りを志願したことでした。
1974年2月、18歳で正式に弟子入りし、3月から本格的に内弟子としての修行が始まりました。
その後わずか半年で「笑福亭さんま」として初舞台を踏みますが、師匠の配慮により「明石家さんま」と改名し、タレントとして新たな道を歩み出すことになります。
高校時代から、
お笑いの才能が光っていたんだニャ!
明石家さんまさんの幼少期は?若い頃の活躍やできごとを年代順に振り返り
明石家さんまさんの幼少期のエピソードや、若い頃の活躍やできごとを年代順に振り返っていきます。
幼少期
明石家さんまさんは、3歳で母親を亡くし、小学4年生の時に父親が再婚し、新しい弟ができましたが、少し寂しさを感じることもあったそうです。
この経験から、人を笑わせる楽しさに目覚め、近所の人気者になっていきました。
また、小学生の時にはムササビを捕まえるという冒険も話題になり、そのムササビは今も奈良市立鼓阪小学校に展示されています。
幼少期の寂しさを笑いに変え、周囲を楽しませることで、自らの道を切り開いたさんまさんの姿勢は、現在の活躍の原点といえます。
いよいよ週末12日(日)よる7時〜#誰も知らない明石家さんま
— 誰も知らない明石家さんま11月26日(日)放送【公式】 (@shiranai_sanma) December 10, 2021
さんまと祖父の物語をドラマ化📺#おじいの笑顔
祖父・音一さん役 #古田新太
さんま役 #勝地涼 幼少期 #川原瑛都
さんまのお笑いDNAはおじいから。
生き方を教えてくれたおじいとのエピソード✨#新庄剛志 #安田顕 #小池栄子 #藤田ニコル pic.twitter.com/Zirfy9GnxD
近所のスターだったさんま少年、
すでに笑いのカリスマオーラ出てたにゃ!
10代
明石家さんまさんが10代の頃の代表的なできごとはこちらです。
- 1968年(13歳):奈良県中学生相撲大会で2位になる
- 1971年(16歳):奈良商業高校に入学し、サッカー部に所属
- 1974年(18歳):2月に正式に弟子入りし、『笑福亭さんま』として芸能界デビュー
1968年、中学時代、相撲部に所属し、奈良県中学生相撲大会で2位の成績を収めました。この経験は、後の芸能活動における体力と精神力の基盤となりました。
1971年、高校ではサッカー部に所属し、スポーツマンとしての一面を持っていました。この時期、クラスメイトの前で落語のコピーや新作漫談を披露し、周囲を笑わせることが多かったとされています。
明石家さんまさん 若い頃。 pic.twitter.com/TJEtChfbCc
— 【公式】スカイチャンネルそら【趣味/営業/Youtube】 (@sky_ch_sora_27) March 26, 2023
1974年、高校卒業後、笑福亭松之助師匠に正式に弟子入りし、『笑福亭さんま』として初舞台を踏みました。その後、師匠の勧めでタレントに転向し、『明石家さんま』として活動を開始しました。
若い頃からスポーツや芸能で、才能を発揮していたんですね。意外にも多才で、どれも本気で取り組んでいたんだろうなと感じます。
サッカー部に所属し、
スポーツ万能だったんだニャ!
明石家さんまさんファンに聞いた、明石家さんまさんの10代で印象に残っている出来事
高校3年の時に笑福亭松之助に弟子入りしたことです。まだ学生だったうちからお笑い界へすすむと決めていたんだと驚きました。(50代男性)
島田紳助さんと同期だったという話が印象的ですね。歳も同い年でいいライバル関係を築けていたのでしょうね。トーク力は二人とも遜色ないです。(30代男性)
小学生のときに父が再婚。いつも笑顔で明るいさんまさんがまさかこんな複雑な幼少期を送っていたとは思いもしなかったから。(20代女性)
20代
明石家さんまさんが20代の頃の代表的なできごとはこちらです。
- 1976年(20歳):『11PM』でテレビデビュー
- 1981年(25歳):『オレたちひょうきん族』出演で大ブレイク
- 1984年(28歳):『笑っていいとも ! 』金曜レギュラー
1976年、『11PM』で初出演し、芸能界への道を切り開きました。この出演が、後の大ブレイクの足がかりとなりました。
1981年、フジテレビの人気バラエティ番組『オレたちひょうきん族』に出演し、明石家さんまさんは一躍全国区のタレントとなります。彼のユニークなキャラクターと明るいキャッチフレーズが大ヒットしました。
#好きな悪役を載せて見た人もやる
— Hideto★(Englishman in N.G.Y.) (@1frOKdx48RQCVlp) October 14, 2021
『オレたちひょうきん族』で、明石家さんまさんが演じた悪役キャラ😆 pic.twitter.com/BgewlwNWww
1984年、『笑っていいとも ! 』の金曜レギュラーとなり、バラエティ番組での存在感を更に強化しました。このポジションを確立し、さらにテレビ出演が増加しました。
今から39年前の1982年10月4日(月曜日)…森田一義アワー 笑っていいとも!放送開始。テレフォンショッキング、曜日対抗いいとも選手権ときて次に長いのが、金曜レギュラーだった明石家さんまさんとの雑談コーナー。おまけに雑談コーナーの歴代ロゴ(抜けてるのもあります) #笑っていいとも pic.twitter.com/ee4BE8Glvl
— そのうちS (@sh_gaki) October 4, 2021
明石家さんまさんの20代は、まさに成功への階段を駆け上がった時期。その活躍の幅が広がり、ラジオからテレビ、そしてレギュラー番組へと進化していったのが見て取れます。
『お笑い王』さんまさん、
20代で全国区のスターに大変身だニャ!
明石家さんまさんファンに聞いた、明石家さんまさんの20代で印象に残っている出来事
コントユニット「ビールス7」を結成して花月の舞台で活躍していたことです。私はお笑い芸人としてのさんまさんしか知らないので、若いころは色々していたいだなって驚きました。(50代男性)
噺家として舞台に立っていたということを聞いて驚きましたね。バラエティの印象しかなかったので本当に芸人だったんだとびっくりです。(30代男性)
若手漫才選手権にコンビとして出演。生まれた時からずっとさんまさんのしゃべくりを見てきたので、漫才をしていた時代があったことに驚いたから。(20代女性)
30代
明石家さんまさんが30代の頃の代表的なできごとはこちらです。
- 1985年(30歳):日本航空123便の搭乗を取りやめ、事故を免れる
- 1985年(30歳):『さんまのまんま』が放送開始
- 1988年(33歳):女優の大竹しのぶさんと結婚
1985年、日本航空123便墜落事故に搭乗予定だったものの、仕事の都合で搭乗を取りやめました。この出来事は、明石家さんまさんにとって運命的な転機であり、命運を分けた大きな出来事です。
1985年、『さんまのまんま』が放送開始され、冠トークバラエティ番組となりました。さんまさん独特のユーモアとゲストとの軽妙なトークが魅力となり、視聴者から愛され続けたこの番組は、時代を超えて多くの人々に笑いを届け、長年にわたり親しまれました。
こんばんは
— まんま@まんま (@RaserCafe) November 21, 2023
さんまのまんまっていう、明石家さんまの番組の愛犬の、まんまです。
よろしくお願いします pic.twitter.com/uCqv7E2UG0
1988年、女優の大竹しのぶさんと結婚し、芸能界における注目のカップルとして世間の話題をさらいました。しかし約4年後に離婚を迎え、関係は友好的に続けられました。
男女7人秋物語。全てはザテレビジョン表紙の明石家さんまさんの背広姿に一目惚れしてしまったことから始まる。#世界観が大好きな作品 pic.twitter.com/8ZvpbnOylM
— スーパーももちゃん・ミスうちゅうかん・ヘルニアおばさん (@spamomochan) November 7, 2024
さんまさんの30代は、まさに人生の転機。仕事と私生活、どちらも大きな変化を迎え、ますます多忙を極める中で、新たな挑戦を続けていたんですね。テレビで見ない日はなく、その活躍ぶりはまさに圧巻でした。
あの事故から、
運命が変わったのは間違いないニャ!
明石家さんまさんファンに聞いた、明石家さんまさんの30代で印象に残っている出来事
伊丹行き日本航空123便による墜落事故を免れたことです。この事件から「生きてるだけで丸儲け」という座右の銘が生まれたわけですし、印象に残りました。(50代男性)
ドラマに出ていたのが印象的ですね。ドラマで大竹しのぶさんと出会い結婚までしたというのが印象的です。すぐに離婚してしまいましたまだ仲はいいみたいですね。(30代男性)
収録日変更によって飛行機墜落事故を免れる。「生きてるだけで丸儲け」という言葉が生まれた裏にはこんな背景があったなんて、よりこの言葉の重みを感じるようになったから。(20代女性)
40代
明石家さんまさんが40代の頃の代表的なできごとはこちらです。
- 1995年(40歳):日本テレビ系ドラマ『恋も2度目なら』で主演
- 1998年(43歳):フジテレビ系ドラマ『世界で一番パパが好き』で主演
- 2003年(48歳):TBS系ドラマ『さとうきび畑の唄』で主演
1995年、日本テレビ系ドラマ『恋も2度目なら』で主演を務め、コメディタッチのラブストーリーで新たな一面を見せました。さんまさんの軽妙な演技が視聴者に好評を博し、俳優としての存在感をさらに高める作品となりました。
ドラマ『恋も2度目なら』
— アップデート (@MaX49754761) November 18, 2023
出演 明石家さんま 葉月里緒奈 羽野晶紀
彼女は私みたいに強くないよ@retoro_mode pic.twitter.com/EvccBuJZ6J
1998年、フジテレビ系ドラマ『世界で一番パパが好き』で主演を務め、さんまさんが演じる温かくもユーモラスな父親像は多くの視聴者に親しまれ、家族の絆や成長をテーマにしたストーリーは、幅広い世代に感動を与えました。
世界で一番パパが好き!
— 【まっコイ】ミルキー🐮【遊劇!浪漫派FAMILIAR】 (@UTR130kg) November 11, 2022
って明石家さんまと広末涼子のドラマありまして… pic.twitter.com/lxwkGuMzrd
2003年、TBS系ドラマ『さとうきび畑の唄』で主演を務め、戦争の痛ましさと家族への深い愛情を鮮明に映し出し、多くの視聴者の胸を打ちました。放送後は視聴者からの感動の声が寄せられ、今なお語り継がれる名作となっています。
録画の明石家さんま「さとうきび畑のうた」。 pic.twitter.com/dJPQcEXwaj
— 20年前のツイッター (@diarist_a_hoho) September 27, 2023
明石家さんまさんの40代は、俳優としてさまざまな役柄に挑戦し、そのたびに新たな魅力を届けてくれました。観るたびに新しい一面が見られるようで、視聴者としても本当に楽しませてもらいました。
視聴者との絆を深めた、充実の10年間だニャ!
明石家さんまさんファンに聞いた、明石家さんまさんの40代で印象に残っている出来事
『さとうきび畑の唄』に主演し、平成15年度文化庁芸術祭テレビ部門大賞受賞作品したことです。初めて出演した戦争ドラマなのに、それで賞をとってしまうなんて凄い!と驚きました。(50代男性)
踊るさんま御殿のトーク力は本当に凄いですね。一人でずっと喋っている印象があって彼のスキルはきっと他の芸人では太刀打ちできませんね。(30代男性)
お正月特番「さんタク」の放送がスタート。我が家にとって毎年欠かさず見ている定番番組ですし、この番組でお正月を感じているまであるから。(20代女性)
明石家さんまさんの若い頃は、自然なボリュームヘア
明石家さんまさんの若い頃の髪型といえば、ふわっとした自然なボリュームがあり、動きのあるナチュラルなヘアスタイルを思い出す方も多いのではないでしょうか。
若い頃の明石家さんま、白黒加工した現代の陽キャにしか見えない pic.twitter.com/FiB64wjdW2
— ソロクリア済み (@HABURAREte) January 20, 2023
明石家さんまさんのナチュラルで柔らかい髪型は、彼の親しみやすいキャラクターとよくマッチしていて、見ているだけで元気が出ますね。
1970年代から1980年代は、自然なボリュームや動きのあるヘアスタイルが流行し、明るくカジュアルな雰囲気が人気でした。
昔も今も変わらず元気いっぱい、
見るだけでこちらも笑顔になるニャ!
まとめ
今回は、明石家さんまさんの若い頃の活躍や出来事を、画像とともに振り返りました。
年代ごとに印象深い出来事がたくさんあったね!
これからの活動も頑張ってほしいと思います。