芸人や映画監督として活躍する松本人志さん。
若い頃どんな風貌だったのかや、年代ごとにどんなできごとがあったのか気になるかたも多いと思います。
さっそく、松本人志さんの若い頃の写真やできごと、デビューのきっかけを年代順に振り返ってみましょう。
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松本人志のデビューのきっかけや時期は?
松本人志さんの芸能界デビューのきっかけは、中学校で同級生だった「浜田雅功さん」の誘いだったそうです。
当時松本人志さんは高校卒業時期で就職先も決まっていましたが、誘いに乗りNSCへの入学を決めました。
浜田雅功さんとはさまざまな漫才コンクールで入賞し、正式に「ダウンタウン」として活動を始めました。
相方の浜田雅功さんの誘いで芸人になることを決めたんだね!
松本人志の幼少期は?若い頃の活躍やできごとを年代順に振り返り
松本人志さんの幼少期のエピソードや、若い頃の活躍やできごとを年代順に振り返っていきます。
幼少期
松本人志さんは、兵庫県尼崎市で3人兄弟の末っ子として生まれました。
家庭は裕福ではなく、自転車も買ってもらえず、外食も安いものを選ぶといった様子だったそうです。
私はクリスマスソングでチキンライスが1番好き。歌詞もだし、松本人志の幼少期を幼馴染の浜田雅功が飾らずに歌うのもすごくいい。マッキーが「これがクリスマスに流れる日本やったら日本は大丈夫」っていうのも、うんうんって思う。 pic.twitter.com/A9lJiv4TJP
— 👹愛👹 (@ai_hp_ai) December 20, 2021
性格は、人見知りで引っ込み思案な性格だったでしたが、幼少期から漫才は好きだったそうでその後は夢中になり友人の前で漫才を披露するほどになりました。
幼少期の松本人志さんは意外にも引っ込み思案な子どもだったんですね。
幼少期の松本人志さんは人見知りだったみたいだけど、漫才に対してはすでに興味があったみたい。
10代
松本人志さんが10代の頃の代表的なできごとはこちらです。
- 1979年(15歳):尼崎市立大成中学校に入学し、浜田雅功さんと友人になる。
- 1982年(18歳):浜田雅功さんとともにNSCに入学する。
- 1983年(19歳):コンビ名を「ダウンタウン」に正式決定し、なんば花月で上席初出演する。
後のダウンタウンである松本人志さんと浜田雅功さんは中学校で出会い、親しくなりました。お互い裕福でない家庭で過ごし、似た経験をしていたこともあり、すんなりと打ち解けることができたようです。
松本人志さんは高校卒業時に浜田雅功さんに誘われ吉本総合芸能学院(NSC)に1期生として入学。入学からわずか2か月で「素人名人会」で名人賞を獲得するなど大活躍でした。
NSCに入学後大活躍だった2人は、1983年に正式に「ダウンタウン」として活動を始めます。
僕と同じ高校生の頃、ダウンタウンの追っかけをしていて母親は、浜ちゃんと握手した事があるらしいです。
— 翔 -ALONG THE ROAD since 2017- (@ShogoHamada2002) September 13, 2020
良いな~✨羨ましいな~✨
自分でとった生写真も持っていたそう…📸
全部処分してしまったみたいやけど…
なんでやねん💦
遥か昔、旧なんば花月時代のお話。#ダウンタウン pic.twitter.com/WHyblc5P2i
同年になんば花月にて上席出演を果たし、プロの芸人として認められることとなりました。
松本人志さんの芸人への道のきっかけは中学で出会った浜田雅功さんの誘いだったとは衝撃です。
しかも2人でコンビを組んですぐに賞を受賞し、プロの芸人として名をはせることになるとは正に奇跡の出会いですよね!
まるで中学の出会いから芸人デビューが決まり切っていたみたいだね!
松本人志さんファンに聞いた、松本人志さんの10代で印象に残っている出来事
やはり18歳の時に吉本NSC一期生になったことが運命の始まりだと思います。ダウンタウンとして浜田さんとスターダムに駆け上がる姿がとても印象的です。(30代男性)
NSCに入学したことです。10代でしかも1期生として入学するのは相当な覚悟だったと思うので印象に残りました。(30代女性)
NSCへ大阪校1期生として入学したのが印象に残っています。年齢的に高校を卒業したばかりなので、学生生活を送りながらお笑い芸人になることを夢みてたんだろうなって感じました。(50代男性)
20代
松本人志さんが20代の頃の代表的なできごとはこちらです。
- 1987年(24歳):「4時ですよーだ」に出演。
- 1988年(25歳):「夢で逢えたら」が放送開始し、東京に進出する。
- 1991年(28歳):「ダウンタウンのごっつええ感じ」スタート。
「4時ですよーだ」は、当時毎日放送で毎週月曜日の夕方に放送されていたバラエティ番組です。
関西の若手芸人たちが出演し、大阪では16時には街の人が消えると言われるほどの人気番組だったそう。
「夢で逢えたら」は、ダウンタウンやウッチャンナンチャンなどが生放送でショートコントやトークを行なうバラエティ番組です。
この番組から記念すべき東京進出を果たしたダウンタウン松本人志さん達はこの番組をきっかけに全国に名前を轟かせることになります。
ここでダウンタウンの冠番組・「ダウンタウンのごっつええ感じ」がスタートします!
ダウンタウンが中心の番組で全国で高視聴率をたたき出し、ダウンタウンの20代を飾りました。
#この作品の一番くじをやりたい
— Hideto★(Englishman in N.G.Y.) (@1frOKdx48RQCVlp) October 25, 2024
『ダウンタウンのごっつええ感じ』 pic.twitter.com/cj0rqVChye
松本人志さんの20代は特にダウンタウンでの活動が好調だったようですね。
しかし、当時のダウンタウンの漫才はかなり特異なものだったらしく、批判もあったようです。
批判も打ち消し、関西のみならず、全国での知名度も手に入れることができたダウンタウンが今後どのように活躍していくのか楽しみですね!
ダウンタウンは20代の頃から大人気芸人の道を走り抜けている感じだね!
松本人志さんファンに聞いた、松本人志さんの20代で印象に残っている出来事
ごっつええ感じと言うゴールデンの冠番組が印象的です。コントのクオリティがとても高くて今見ても笑えるものがたくさんあるのでおすすめです。(30代男性)
東京に進出したことです。もっと大阪で活動すると思っていたし、20代で東京に進出する芸人さんはなかなかいなかったので衝撃的でした。(30代女性)
ローカル番組の「4時ですよーだ」に出演するようになったことですね。私自身松本人志さんを見たのはこの番組が初めてなんですけど、なんて面白い人なんだ!と印象に残りました。(50代男性)
30代
松本人志さんが30代の頃の代表的なできごとはこちらです。
- 1993年(30歳):「ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!」が放送開始する。
- 1996年(33歳):「大日本人」で映画監督デビュー。
- 1998年(36歳):「ダウンタウンDX」が放送開始する。
「ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!」は、様々な企画やトークから過激な内容まで盛りだくさんの番組です。
特に、「笑ってはいけないシリーズ」は全国的に人気を博した企画の1つになりました。
松本人志さんは、33歳のときに映画「大日本人」を企画・脚本・主演まで行ない製作されています。
松本人志さんの才能がお笑いだけではないと世間に知らしめる出来事でした。
特撮ヒーロー、怪獣、妖怪、日本の神様、昔話や伝承の愛好家のワイとしては松本人志さん監督作品の大日本人とどう向き合うかが、実に深刻な問題だ。
— こ–たろ–@怪談・特撮愛好家 (@Kaijyukaidan40M) April 3, 2024
映画作品としては良くできていると思うのですよ。
…もう一度見たいとは思わないけど。 pic.twitter.com/QH6mb0ibwh
「ダウンタウンDX」は、様々なゲストとダウンタウンがトークを繰り広げていくといった内容のバラエティ番組です。松本人志さんのトークスキルやユーモアセンスを発揮して、数多くの名場面を生んだ番組です。
松本人志さんは、30代にしてダウンタウンとしての活動を加速させていきました。
特に、「ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!」や「ダウンタウンDX」は長寿番組として長年愛されています。
個人での活動も目覚ましく、映画監督としての活躍を目立たせています。
30代でコンビでの活動もさながら、個人で映画まで作成しちゃうなんて、まさに才能の塊だね!
松本人志さんファンに聞いた、松本人志さんの30代で印象に残っている出来事
松本紳助という深夜番組を見ていました。大御所だった2人がトークだけで展開する内容が本当に大好きで結構真剣な話なんかもしてくれて驚きでしたね。(30代男性)
単行本を出したことです。お笑いの才能だけでなく、文才まであると思っていなかったので、この人は天才だなと衝撃を受けました。(30代女性)
髪型を坊主頭にかえたことです。今の松本人志さんしか知らない人だと意外かもしれませんが、昔を知っている私からするとえ?と驚きました。かなりのイケメンだったのに坊主に?と。(50代男性)
40代
松本人志さんが40代の頃の代表的なできごとはこちらです。
- 2004年(41歳):「人志松本のすべらない話」がスタート。
- 2007年(44歳):映画「大日本人」がカンヌ国際映画祭で正式上映される。
- 2009年(46歳):自身2作目の映画「しんぼる」を公開する。
「人志松本のすべらない話」は、松本人志さんが企画・司会を務めるトークバラエティ番組です。
芸人たちがそれぞれのトーク力を駆使してする「すべらない話」に、はずれはありません。
松本人志さんが監督・主演を務めた映画「大日本人」がカンヌ国際映画祭にて正式上映されました。この出来事から、松本人志さんの映画監督としての才能は世界的に認められることになりました。
ここで、松本人志さんは2作目の映画「しんぼる」を公開します。
松本人志第二回監督作品「しんぼる」
— ポコロコ (@poco_poco_pp) October 22, 2024
真っ白な部屋に閉じ込められた男が「しんぼる」を使って脱出を試みる話。脱出ゲームのような設定のポップさ、セリフの排除、コメディに寄せた演技など、前作に比べてかなり外向けに作られているが、ラストはより難解に。男は「未来」に何を起こしたのだろう。 pic.twitter.com/fpc0ky4y75
今作も自身が監督・主演を務め、映画監督としてさらにステップアップした作品と言えるようです。
松本人志さんの40代は、芸人としての仕事は継続させつつも、映画監督としての活動に力を入れていたようです。
「しんぼる」の公開後も時代劇映画「さや侍」を公開しており、映画界にも影響力を与えています。
松本人志さんの映画の内容もコメディ系なので、お笑いの才能が溢れていた結果映画になったのかなと感じます。
松本人志さんは芸人としての活動にも、映画には特に力を入れて活動していたみたいだね!
松本人志さんファンに聞いた、松本人志さんの40代で印象に残っている出来事
ガキの使いで年末にやっていた笑ってはいけないシリーズが大好きです。年末の風物詩となっていて意外なゲストが出てくるのが面白かったです。(30代男性)
「人志松本のすべらない話」が始まったことです。今まで見たことがないような独特な雰囲気のある面白い番組で、印象に残っています。(30代女性)
キングオブコントのMCをつとめるようになったことです。お笑いイベントの最高峰でもあるキングオブコントのMCになったことにより、名実共にお笑い界は松本人志さんがトップになったんだなと痛感しました。(50代男性)
松本人志の若い頃の髪型はワイルド
松本人志さんの若い頃の髪型といえば、ワイルドな髪型を思い出す方も多いのではないでしょうか。
今の若い人は、松本人志と常盤貴子が付き合ってたことなんて知らないだろうね。なんなら松本がオールバックだったことすら知らんでしょ。 pic.twitter.com/p4hrQ3942R
— OJシンプソン (@ozajundayo) June 16, 2022
30代頃から金髪坊主のイメージが強い松本人志さんですが、ワイルドなオールバックもよく似合っています!
相方の浜田雅功さんの柄の悪さと調和したスタイルの髪型です。
当時は、ダウンタウンとしてイケイケだった時期だったのでより目立つような髪型にしていたのでしょうか。
実際に松本人志さんの男らしい顔つきによく似合う髪型で、単に気に入っていただけかもしれません。
坊主のイメージが強いけど、昔はオールバックだったんだね!
まとめ
今回は、松本人志さんの若い頃の活躍や出来事を、画像とともに振り返りました。
年代ごとに印象深い出来事がたくさんあったね!
これからの活動も頑張ってほしいと思います。