俳優、タレントとして活躍する神田正輝さん。
若い頃どんな風貌だったのかや、年代ごとにどんなできごとがあったのか気になるかたも多いと思います。
さっそく、神田正輝さんの若い頃の写真やできごと、デビューのきっかけを年代順に振り返ってみましょう。
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神田正輝のデビューのきっかけや時期は?
デビューのきっかけは石原裕次郎さんとの出会いでした。
当時大学生だった神田さんがレストランで先輩と食事をしていた時に裕次郎さんも同じ店に。
先輩が裕次郎さんと知り合いだったことから、席に呼ばれたのが偶然の出会いだったそうです。
75年7月、当時大学生だった神田が都内ホテルのレストランで先輩と食事をしていたところ、その先輩が同じ店にいた裕次郎さんと知り合いだったことから席に呼ばれ初対面。
引用元:スポニチ
このことをきっかけに裕次郎さんの案内で撮影所の見学に呼ばれたり、端役をやるようになり、76年に俳優デビューされました。
石原裕次郎さんから直接スカウトされたんだね!
神田正輝の幼少期は?若い頃の活躍やできごとを年代順に振り返り
神田正輝さんの幼少期のエピソードや、若い頃の活躍やできごとを年代順に振り返っていきます。
幼少期
神田さんは東京都出身ですが、小学1年生の頃から高学年までは鎌倉に住んでいました。
その頃、片道2時間かけて小学校に通っていたそうです。
僕が生まれたのは東京・赤坂の一ツ木。小1で鎌倉に引っ越したんですが、親父が赤坂小のPTAをやっていたので鎌倉から通っていました。
引用元:デイリー
小学校の頃は赤坂周辺も自然が多く、鳥もちを使ってカブト虫やクワガタを捕って遊んでいたようです。
今や都心である赤坂が、神田さんの小学生時代の頃はまだたくさん自然があったのですね。
自然の中でたくさん外で遊ばれていたことと思います。
片道2時間の通学は大変だっただろうね!
10代
神田正輝さんが10代の頃の代表的なできごとはこちらです。
- 1963年(13歳):新宿区立四谷第一中学校に進学
- 1966年(16歳):日本大学付属高校に進学
- 1969年(19歳):日本大学芸術学部映画学科に入学
中学の頃は陸上部や水泳部、バスケットボール部等複数の部活動に所属されていたようです。
この頃にスキーを始め、病みつきになったそうです。
高校時代には当時通っていた高校にスキー部がなかったため、仲間とスキー部を作ってしまうほど、スキーに夢中になっていました。
スター、クラブ活動の思い出♪
— 昭和太郎 (@RS3526) February 24, 2023
神田正輝(スキー部)。 pic.twitter.com/UbIlVAi0KE
また、高校生の頃は学校をサボって、職安へ行って仕事をもらって働いていたというエピソードもありました。
高校生になると、学校をサボって東神奈川の職安に行った。中卒ってことにして、朝5時前に。賃金の高い順に名前を書いとけば、1万5千円くらいになる。ホース工場やタイヤ工場、米軍の港湾(作業)とかいろんな所に行きましたよ。
引用元:デイリー
さらにスキー愛が高まっていた大学時代。
1年のうち3分の2くらいは山暮らしをするくらいのスキー狂だったそうです。
学生時代は1年のうち3分の2ぐらいは山暮らしだったほどのスキー狂。この苗場のゲレンデも自分の庭みたいなもの。
引用元:gooニュース
スキーを本当に愛されていたんですね!1年のうちほとんどを山暮らしされていたというのもスキー愛を感じるエピソードですよね。
腕前もプロ級なんだって!
神田正輝さんファンに聞いた、神田正輝さんの10代で印象に残っている出来事
日本大学に通っていたのが一番印象に残っています。神田さんの出身高校が日大付属高校なのでマンモス校である日大出身というのが記憶のこっていました。(20代男性)
日大の映画学科で演技を学んでいたということを知り驚きました。こういうことと無縁だと思ったので意外でしたね。(30代男性)
10代の中学生の頃は、スポーツ万能で陸上部や水泳部、バスケ部などを掛け持ち、スキーやスクーバダイビングも経験とこのころからスター性があったと思われます。(40代女性)
20代
神田正輝さんが20代の頃の代表的なできごとはこちらです。
- 1973年(23歳):石原裕次郎さんのスカウトで石原プロモーションへ入社
- 1976年(25歳):日本テレビの連続ドラマ「大都会 -闘いの日々-」で俳優デビュー
- 1977年(26歳):「大都会PART2」「青春ド真中!」など数多くのドラマに出演
23歳の時に石原裕次郎さんのスカウトを受け、撮影所の見学や端役をされた後、石原プロモーションへ入社されました。
その後25歳で「大都会 -闘いの日々-」で俳優デビューしました。
渡辺篤史がおしゃれなお家に御宅訪問ではなく、すすけた飯場で立てこもりしていて驚く1976年の大都会。何もほめない腰も低くない傍若無人な怒れる若者な篤史。そして最後は射殺。
— 松田洋子 (@matuda) February 17, 2024
神田正輝もツヤツヤだし、渡哲也もむっちりしてる。 pic.twitter.com/1AO6MQk6K3
ご本人は冷やかしで1回だけ出演するつもりが、最終話まで出演され、そこから7年間休みがなかったそうです。
「(石原裕次郎さんに)『役者をやる気はないのか』と言われて『ありません』と(笑)。でも、『冷やかしでいいなら1本やりますよ』と伝えたわけ。『冷やかしで1本』と言ったら1話だけで終わりだと思うでしょ。それが、1話から最終回のことで。そこから7年間休みがなかった(笑)」
引用元:女性自身
デビュー後、「大都会PART2」「青春ド真中!」「ゆうひが丘の総理大臣」など数多くのドラマに出演。
切れ目なく連続ドラマに掛け持ちされていたので、忙しい時期は睡眠時間が2時間以下しかとれず、帰宅も10か月半で2回しかできなかったそうです。
毎日2時間寝てなかったから。10カ月半で家に2回しか帰れなかった。
引用元:デイリー
複数のドラマの掛け持ちされるとは、デビュー当時から光るものがあったのですね。
ものすごいハードスケジュールをこなしていたんだね!
神田正輝さんファンに聞いた、神田正輝さんの20代で印象に残っている出来事
石原プロモーションに入所したのが一番印象に残っています。まだ23歳と大学卒業したばかりで、石原裕次郎に認められたというのが凄くて印象に残りました。(20代男性)
1973年に石原裕次郎にレストランで声をかけられたという話が印象的です。それから石原プロに入社したらしいので運命ですね。(30代男性)
23歳の時に石原プロモーションに入社、驚きなのが石原裕次郎さんが直にスカウトしたことです。やはり光るものがありそれを見抜いていたのだと感じました。(40代女性)
30代
神田正輝さんが30代の頃の代表的なできごとはこちらです。
- 1980年(30歳):「太陽にほえろ!」に主要キャストとして出演
- 1985年(34歳):歌手・女優の松田聖子さんと結婚
- 1986年(35歳):長女・神田沙也加さん誕生
1980年から1986年まで人気刑事ドラマ「太陽にほえろ!」に医大中退という経歴を持つ、"ドック"役として出演。
殉職シーンが有名なこのドラマですが、殉職することはなく、最終回まで出演されました。
86年の第718話(最終回)まで出演し、殉職シーンを経験していない神田さんは「『太陽』ってのは卒業が殉職じゃないですか。刑事として出たからには、僕も絶対(殉職シーンは)あると思ってたんですけど。だから僕、留年のまま終わっちゃった」
引用元:まんたんウェブ
34歳に映画「カリブ・愛のシンフォニー」で共演したことをきっかけに松田聖子さんと出会い、結婚されました。
神田正輝と松田聖子 カリブ・愛のシンフォニー
— 懐かしい昭和時代(女性) (@natsukashi__) August 23, 2024
平凡 1985年(昭和60年)2月号#昭和#神田正輝#松田聖子 pic.twitter.com/oE7JujIETs
その後、翌年に長女・神田沙也加さんが誕生されました。
結婚はお二人の名前を一文字ずつ取って「聖輝の結婚」とも言われていましたよね。
トレンドに #神田正輝 さん入ってると土曜日だなって確認できるようになっちゃった😅
— リリィ☆ (@reikojin0707) November 4, 2023
お痩せにはなったけど番組観るとお元気そうだし声は全然変わってないのよ
私の中で神田さんは
聖子ちゃんと結婚したあの当時のまんまだわ
聖輝の結婚と言われたよねぇ✨ pic.twitter.com/qqaDlxtgRm
当時は結婚式の様子や披露宴が報道され、すごく話題になったのが印象に残っています。
結婚のきっかけは映画での共演だったんだね!
神田正輝さんファンに聞いた、神田正輝さんの30代で印象に残っている出来事
松田優作のヒット作である「太陽にほえろ!」に出演していたのが一番印象に残っています。刑事役というのが似合っていて印象に残っています。(20代男性)
松田聖子と結婚したという話がかなり印象に残っています。2人ともお似合いでしあわせそうな姿が目に焼き付いています。(30代男性)
34歳の時に、人気歌手の松田聖子さんと結婚されました。この時大スター同士の結婚で話題になり、まさしく美男美女で素敵な夫婦だと感動したのを覚えてます。(40代女性)
40代
神田正輝さんが40代の頃の代表的なできごとはこちらです。
- 1995年(44歳):ドラマ「とおりゃんせ~深川人情澪通り~」で時代劇初主演
- 1997年(46歳):松田聖子さんとの離婚を発表
- 1997年(46歳):「朝だ! 生です 旅サラダ」の2代目MCに
44歳の時に「とおりゃんせ~深川人情澪通り~」で時代劇初主演を飾りました。
1997年には松田聖子さんとの12年間の結婚生活にピリオドを打ちます。離婚理由は明らかにはされていませんが、性格の不一致などの推測が挙げられていました。
神田は、1985年に映画「カリブ・愛のシンフォニー」での共演をきっかけに松田と結婚。翌86年、長女神田沙也加さんをもうけた。97年に離婚した。
引用元:日刊スポーツ
1997年4月からは初代MCだった草野仁さんに代わり、「朝だ!生です旅サラダ」の二代目MCに抜擢されます。
27年半の長期に渡りMCを務めてこられましたが、2024年9月末に卒業されました。
俳優の神田正輝(73)が28日、大阪市のABCテレビでテレビ朝日・ABC系「朝だ!生です旅サラダ」(土曜、前8・00)の生放送に出演し、1997年4月から27年半にわたってMCを務めてきた同番組を卒業した。
引用元:デイリー
「旅サラダ」は27年半にわたりMCを務めてこられたのですが、期間の長さにビックリですよね!
ダジャレも言うのかぁ、という意外な一面を知れたのもこの番組でした。
松田聖子さんとの離婚は衝撃的だったなぁ…!
神田正輝さんファンに聞いた、神田正輝さんの40代で印象に残っている出来事
1997年に松田聖子と離婚したのが衝撃的で印象に残りました。その当時、娘の神田沙也加さんもまだ子供だったので離婚するとは思わず記憶に残りました。(20代男性)
結婚12年目で離婚してしまったのが残念でした。おしどり夫婦という印象があったのでかなり驚きましたね。でも沙也加さんを通じて関係がつながっていたのはよかったです。(30代男性)
46歳の時に、長く続いた朝番組「朝だ!生です旅サラダ」の司会に抜擢されてます。このころから大人の渋さも増し、刑事役も似合う素敵な俳優さんになられてます。(40代女性)
神田正輝の若い頃の髪型はボリュームのあるフサフサヘア
神田正輝さんの若い頃の髪型といえば、フサフサでボリューミーな髪型を思い出す方も多いのではないでしょうか。
神田さんの髪型は七三のイメージが強かったのですが、若い頃のボリュームある髪型も素敵ですよね!
最近激やせされた神田正輝さん。太陽にほえろ!でドック刑事を演じていた頃は、こんなに凛々しくてカッコよかったのですよ!! pic.twitter.com/O26GwqaLuu
— レイブン☆onmyoji (@reibunfrankel) August 21, 2023
HairCareによれば、80年代の髪型は全体的にボリュームのある髪型が流行っていたようなので、神田さんもボリュームのある髪型にしていたのかもしれませんね!
どんな髪型でもカッコいいよね!
まとめ
今回は、神田正輝さんの若い頃の活躍や出来事を、画像とともに振り返りました。
年代ごとに印象深い出来事がたくさんあったね!
これからの活動も頑張ってほしいと思います。