紀子さまの若い頃の画像!美人すぎて大学内で噂に!昔の髪型が似合いすぎ!

秋篠宮妃として活躍する紀子さま。

若い頃どんな風貌だったのかや、年代ごとにどんなできごとがあったのか気になるかたも多いと思います。

さっそく、紀子さまの若い頃の写真やできごと、デビューのきっかけを年代順に振り返ってみましょう。

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目次

紀子さまのデビューのきっかけや時期は?

デビューのきっかけや時期

紀子さまが皇室に入られたきっかけは、お2人が通われていた学習院大学での、秋篠宮さまによる一目惚れだったそうです。

紀子さまと秋篠宮さまは、ある日、大学内の書店で運命的な出会いをします。

当時の紀子さまは周囲でも評判になるほどの美貌をおもちで、秋篠宮さまもその魅力に一目で恋に落ちました。

その後、サークル活動などで愛を育まれたお2人。

秋篠宮さまは紀子さまをご自宅にも招待し、上皇さまや上皇后さまと一緒にテニスを楽しまれるなど、ご家族としての絆を深まれていきます。

そして1986年6月、秋篠宮さまは紀子さまにプロポーズ、1989年9月に婚約の記者会見を行いました。

実は、皇族の中で自ら結婚相手を見つけプロポーズをしたのは、秋篠宮さまが初めて。

当時23歳だった紀子さまは国民の注目を集め、その愛くるしさと慎ましい生い立ちから「一般家庭から誕生した現代のシンデレラ」「3LDKのプリンセス」などと呼ばれ、紀子さまブームを巻き起こしました。

ねこ太郎

全国民から祝福されて、皇室に入られたんだね!

紀子さまの幼少期は?若い頃の活躍やできごとを年代順に振り返り

紀子さまの幼少期のエピソードや、若い頃の活躍やできごとを年代順に振り返っていきます。

幼少期

紀子さま、旧姓・川嶋紀子さまは、1966年9月11日に静岡県静岡市の一般的な家庭で誕生されました。

父親は、経済学者で、学習院大学名誉教授の川嶋辰彦さんです。

紀子さまは、その父の留学や仕事、研究のために、幼少期から6歳まではアメリカで過ごし、その後も日本と海外を行き来されます。

小学校も、日本の小学校をいくつか転校したり、オーストリアの学校に通ったりと、国際的な生活を過ごされました。その影響で、英語とドイツ語を習得されたと言われています。

幼い頃から海外を飛び回った経験が、皇室に入ってからの公務に生かされているのでしょうね。

ねこ太郎

アメリカにオーストリア、日本。たくさんの文化に触れて、羨ましい!

10代

紀子さまの若い頃10代の年表

紀子さまが10代の頃の代表的なできごとはこちらです。

  • 1979年(13歳):オーストリアから帰国、学習院中等科に編入
  • 1982年(16歳):学習院高等科に進学
  • 1985年(19歳):学習院大学文学部心理学科に入学、秋篠宮さまと運命の出会いを果たす

オーストリアから帰国して学習院中等科に編入、すぐにクラスに溶け込まれました。

当時の同級生によると、「日本語よりも先にドイツ語がうかんじゃう」と、日本語を熱心に勉強されていたそうです。

その後、高等科に進学。当時の恩師・久保田先生によると、紀子さまは奥ゆかしく立派な生徒で、ボランティア活動にも積極的に励まれていたようです。

そしてついに、秋篠宮さまとの運命の恋に落ちることになる、学習院大学に進みます。

大学時代には心理学を学ばれ、秋篠宮さまと同じ自然文化研究所のほか、手話サークルにも所属され、手話を通したボランティア活動に精力的に取り組まれていました。

ねこ太郎

秋篠宮さまは、紀子さまの外見だけでなく内面にも惹かれたんだろうね!

紀子さまファンに聞いた、紀子さまの10代で印象に残っている出来事

アンケート調査結果
ネット上の人物

ウィーンのインターナショナルスクールに編入したことです。やはり10代の頃から素晴らしい学習環境下にいるんだなと印象に残りました。(30代女性)

ネット上の人物

学習院の一貫校に通っていたということを聞いてやっぱり選ばれし人と言う印象が強まりましたね。皇族ですから凛とした姿がとても印象的です。(30代男性)

ネット上の人物

オーストラリアから帰国後、学習院女子中高に通われていたのが印象的です。
可愛らしい笑顔でしっかり学業にも励まれていた印象です(30代女性)

20代

紀子さまの若い頃20代の年表

紀子さまが20代の頃の代表的なできごとはこちらです。

  • 1990年(24歳):秋篠宮さまと結婚の儀が執り行われる
  • 1991年(25歳):第1子・眞子さまをご出産
  • 1994年(28歳):第2子・佳子さまをご出産

1990年6月29日、全国民が注目する「結婚の儀」が執り行われました。

この結婚で、当時の礼宮さまに『秋篠宮』の称号が贈られ、秋篠宮家が誕生します。

古装束の束帯姿の秋篠宮さまと十二単姿の紀子さまが、とても素敵ですね!

当日は朝からの「結婚の儀」を皮切りに、諸行事が続き、お2人が一息つかれたのは、22時頃だったそう。

プリンセス姿も、清楚で上品な紀子さまによくお似合いです。

1991年10月23日、第一子の眞子さまを宮内庁病院でご出産されます。退院時の11月1日、眞子さまの姿を一目見ようと多くの報道陣が押し寄せていました。

眞子という名前は、『天性のものを失わず、ありのままに人生を歩んでほしい』との願いを込めて、秋篠宮さまと2人で名付けられたそうです。

3年後の1994年12月29日、第2子・佳子さま宮内庁病院で誕生しました。

『身体が健康であるだけでなく、素直で思いやりのある心身ともに”佳(よ)い子”』に育ってほしい』との願いを込め、「佳子」と名付けられました。

紀子さまのご結婚後、続けて2人のプリンセスが誕生し、秋篠宮家・皇族、そして国民にも希望が広がったことでしょうね。

ねこ太郎

初々しかった紀子さまが、どんどん母の顔になられていくね!

紀子さまファンに聞いた、紀子さまの20代で印象に残っている出来事

アンケート調査結果
ネット上の人物

文仁親王と結婚したことです。これからキャリアを積み上げていくのかと思いきや、20代前半で皇族との結婚を決めてしまう潔さに衝撃を受けました。(30代女性)

ネット上の人物

大学時代に手話サークルに所属して日々手話の勉強をしていたということを知り本当にすごいなと感じました。彼女は皇族らしい澄んだ心の持ち主です。(30代男性)

ネット上の人物

20代で出産されたのを覚えています。早いなぁと感じましたがとても可愛い女の子を出産されたことが印象的でした。(30代女性)

30代

紀子さまの若い頃30代の年表

紀子さまが30代の頃の代表的なできごとはこちらです。

  • 2006年(39歳):長男・悠仁さまをご懐妊
  • 2006年(39歳):長男・悠仁さまをご出産

30代の紀子さまは、幼い眞子さまと紀子さまを育てられながら、公務もこなされていました。

2006年2月7日、悠仁さまをご懐妊されたことが報道され、国民が祝福ムードに。

ところがその後、胎盤の一部が子宮口を覆った状態の『部分前置胎盤』と診断されたことがわかりました。『部分前置胎盤』での出産は、大量出血のリスクが伴います。

そのため紀子さまは、皇族として初となる帝王切開でご出産するため、34週で入院することになりました。

2006年9月6日、無事に第3子の悠仁さまをご出産。

天皇家における男子誕生は秋篠宮さま依頼41年ぶりで、悠仁さまは誕生した瞬間から皇位継承において重要な立場となったのです。

2人の子どもを皇族として教育されながら公務にも臨み、待望の男子をご出産された30代は、紀子さまにとっても激動の毎日だったことでしょう。

数々のプレッシャーも想像できますが、その中で自身のお役目を全うする姿は素晴らしいですよね。

ねこ太郎

危険が伴う出産で無事に悠仁さまが誕生して、本当によかったね!

紀子さまファンに聞いた、紀子さまの30代で印象に残っている出来事

アンケート調査結果
ネット上の人物

男の子を妊娠出産したことです。2人の娘もおり、もう子どもはつくらないのかなと思っていたので、まさかの展開に驚きでした。(30代女性)

ネット上の人物

ご懐妊がスクープされたことがあり、それが凄く印象的でした。毎日このニュースでワイドショーは持ちきりだったのを今でもよく覚えています。(30代男性)

ネット上の人物

いつも帽子やお召し物がお洒落で素敵だなぁと思いました。清楚ながらたくさんファッションも楽しまれている印象でした(30代女性)

40代

紀子さまの若い頃40代の年表

紀子さまが40代の頃の代表的なできごとはこちらです。

  • 2009年(42歳):オランダを公式訪問
  • 2009年(42歳):日本学術振興会の名誉特別研究員となる
  • 2013年(46歳):お茶の水大学に論文を提出

40代の紀子さまは、公務により一層尽力されるようになります。

2009年には、オランダ政府からの要請を受け、オランダを公式訪問されます。日蘭通商400周年の記念行事開催されるに当たり、秋篠宮さまと紀子さまがオランダ政府から招待されたのです。

紀子さまは、式典への参加のみならず、オランダ結核予防会(KNCV)やライデン大学医療センター(LUMC)をご視察されるなど、精力的に活動されました。

2009年には、日本学術振興会の名誉特別研究員となり、以来、お茶の水女子大学で健康心理学の研究を続けられています。

2013年には結核予防の論文を発表され、研究の成果を表されました。

お世継ぎ問題などで世間からの風当たりが強まったり期待が高まったりする中で、ご公務やご自身の研究を継続される紀子さまは素晴らしいですね。

ねこ太郎

ご公務の時のファッションも、常に注目されていたね!

紀子さまファンに聞いた、紀子さまの40代で印象に残っている出来事

アンケート調査結果
ネット上の人物

名誉特別研究員として、研究活動を再開したことです。子育てや公務もありながら、研究活動まで意欲的に進める姿に驚きました。(30代女性)

ネット上の人物

2013年にお茶の水女子大学に論文を提出したと言うところが印象的ですね。昔から勉強熱心で大学に多大な影響を与えていて凄く感動してます。(30代男性)

ネット上の人物

髪をバッサリ切られたのが印象的です。もうお子さんも大きくなりましたが、いつまでも若く素敵な笑顔が可愛らしいです(30代女性)

紀子さまの若い頃の髪型は清楚なワンレンヘア

紀子さまの若い頃の髪型といえば、セミロングのワンレンスタイルを思い出す方も多いのではないでしょうか。

前髪を上げておでこを出したスタイルは、明るくて清楚な雰囲気が出ており、秋篠宮さまのお相手を報道された際、一瞬で紀子さま旋風を巻き起こしたのもうなずけます。

当時はワンレンかきあげヘアーや、ソバージュなどが若い女性の間で流行していました。紀子さまもその流行りをしっかり取り入れられていたようですね。

ねこ太郎

紀子さまのはにかんだ笑顔が良く映えるヘアスタイルで
とっても素敵だね!

まとめ

まとめ

今回は、紀子さまの若い頃の活躍や出来事を、画像とともに振り返りました。

ねこ太郎

年代ごとに印象深い出来事がたくさんあったね!

これからの活動も頑張ってほしいと思います。

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