タレントやテレビ司会者として活躍する上沼恵美子さん。
若い頃どんな風貌だったのかや、年代ごとにどんなできごとがあったのか気になるかたも多いと思います。
さっそく、上沼恵美子さんの若い頃の写真やできごと、デビューのきっかけを年代順に振り返ってみましょう。
上沼恵美子のデビューのきっかけや時期は?
上沼恵美子さんのデビューのきっかけは、お父さんやご家族の事情からだったそうです。
当時、別の方と漫才コンビを組んでいたお姉さんの相方が失踪し、お父さんに「お前行け!」と言われた一言でお姉さんと漫才コンビを組むことになったようです。
そして、中学2年生になる前の春休み、大須演芸場の舞台に初めて立ったことで漫才士としてデビューを果たしました。
今やテレビ司会者のイメージが強い上沼恵美子さんのデビューは漫才師からだったんですね!
上沼恵美子の幼少期は?若い頃の活躍やできごとを年代順に振り返り
上沼恵美子さんの幼少期のエピソードや、若い頃の活躍やできごとを年代順に振り返っていきます。
幼少期
上沼恵美子さんの家庭は芸能に深く関わるご家庭だったそうです。お父さんが演芸好きで、祖母は浄瑠璃の師匠で太棹三味線の名手だったそうですね。
本人は幼いころから、美空ひばりのものまねをしていたみたいです。
また、上沼恵美子さんは幼いころから歌が好きで歌手を目指されていたようです。
上沼恵美子さんは、幼いころから芸能へのかかわりが多く自然とその道に興味を持ったみたいですね。
上沼恵美子さんの多彩さは幼少期の芸能への関わりの深さが関係してたのかも!
10代
上沼恵美子さんが10代の頃の代表的なできごとはこちらです。
- 1969年(13歳):中学2年生の前の春休みに大須演劇場の舞台に立つ。
- 1972年(17歳):「第1回上方お笑い大賞」で銀賞を受賞。
- 1971年(16歳):お姉さんと姉妹漫才コンビ「海原千里・万里」として芸能界デビュー。
元々お姉さんがコンビを組んでいた相方が失踪したタイミングで父親に勧められて、半ば無理やりデビューしたようです。当時の大須演劇場は楽屋も汚く観客も6人ほどしか集まらない演劇場だったようです。
上沼恵美子さんは、中学2年生手前で初舞台を果たした後、高校生の時に「第1回上方お笑い大賞」で銀賞を受賞されています。
その後、1971年にお姉さんと姉妹漫才コンビ「海原千里・万里」として芸能界デビューしました。
【勝手に“ラジオ深夜便”】
— 名古屋の龍馬(不死身の龍馬の本垢) (@nankainoryu) April 21, 2024
大阪ラプソディー
海原千里・万里
大阪のカリスマおばさんの上沼恵美子さんも、お姉ちゃんとコンビを組んで漫才でデビューし、この曲を歌っていた頃は結構可愛いかった。 pic.twitter.com/KQ5XUhlOlN
デビュー以降は、受賞後に周囲から「えらいイビられましたね。今思うとゾッとしますね」と語られており、周囲との関係に関しては気苦労が絶えなかったようです。
上沼は、姉とコンビを組んでいた“海原千里・万里”時代を振り返り、「えらいイビられましたね。今思うとゾッとしますね」と述懐。
引用元:マイナビニュース
幼少期から芸能に多く関わっていた上沼恵美子さんは、若い頃から芸能の才能があふれていた印象を受けますね。
また、現在ではタレントやテレビ司会者として活躍されていますが、初めは漫才師から上沼恵美子さんの芸能キャリアがスタートしたんですね。
今の上沼恵美子さんのしゃべり上手は10代の経験が深く関わってそうですね!
上沼恵美子さんファンに聞いた、上沼恵美子さんの10代で印象に残っている出来事
海原千里万里として漫才デビューを果たしたというところがすごいですね。10代なのに堂々たる喋りで本当に驚きました。(30代男性)
姉妹の漫才コンビ「海原千里・万里」としてデビューしていたことが印象的でした。家族一丸となって頑張ってきた感じが伝わってきました。(30代女性)
なんとデビューは16歳。実姉と漫才コンビでデビューしています。当時は大手の芸能事務所には所属しておらず、細々と活動していました。(40代女性)
20代
上沼恵美子さんが20代の頃の代表的なできごとはこちらです。
- 1975年(20歳):関西テレビの番組「日曜ドキドキパンチ」で後の夫となる上沼真平と出会う
- 1977年(22歳):上沼真平と結婚し、芸能界を一時引退する。
- 1979年(25歳):「上沼恵美子」として芸能活動を再開。
上沼恵美子さんは、20歳の時関西テレビの「日曜ドキドキパンチ」に出演しました。
そこで、当時ディレクターだった上沼真平さんと出会っています。
「日曜ドキドキパンチ」で出会った上沼真平さんについては、「会ったとたん好きでした。」と語られています。
「会ったとたん好きでした。打ち合わせする時にソファーに座らないで床に座ったんですね。で台本をあぐらかいた真ん中に置いて、“やあ千里・万里ちゃん、打ち合わせしましょうか”って言った時にもうきゅいーんってなりました」
引用元:スポニチ Sponichi Annex
そのまま、交際に発展し22歳で上沼真平さんとご結婚されたようです。
上沼 真平(1947年1月)は、元関西テレビ所属のテレビ演出家、プロデューサー、常務取締役・制作局長、元メディアプルポ(関西テレビ完全子会社)代表取締役会長。妻はタレントの上沼恵美子(旧姓:橋本)で、2男あり。 https://t.co/IHAt8gmUwX上沼 真平 pic.twitter.com/qj7BMZKOCw
— 鷹之丞 (@takanojyou) December 9, 2018
上沼真平さんとの結婚後、上沼恵美子さんは一度芸能界を引退されています。
しかし、結婚の3年後再度「上沼恵美子」として芸能界に復帰を果たしました。
上沼恵美子さんの20代は、漫才師としての飛躍に加えて、旦那さんとの出会い、結婚などイベントづくしだったみたいですね。
また、現在の芸名「上沼恵美子」は上沼真平さんとの結婚後に使い始めたものだったようです。
20代の上沼恵美子さんは、漫才師としての飛躍と結婚で幸せムードだったようだね!
上沼恵美子さんファンに聞いた、上沼恵美子さんの20代で印象に残っている出来事
1977年にコンビ解散してピンとして活躍していくのが本当にすごいです。関西で頭角を現して番組を盛り上げている姿に感動しました。(30代男性)
ディレクターの上沼真平さんと結婚されたことが印象的です。今でもトーク番組で彼の話が出てきたりするので、余計に面白く印象に残っています。(30代女性)
実は早婚で、20歳の時に出演した番組で現在の夫と出会い、22歳で結婚しています。そして、翌年に長男を出産したあと一旦芸能界を引退した過去があります。(40代女性)
30代
上沼恵美子さんが30代の頃の代表的なできごとはこちらです。
- 1985年(30歳):次男を出産。
- 1989年(34歳):関西テレビの人気番組「痛快!エブリデイ」のレギュラーに抜擢。
- 1994年(39歳):NHK紅白歌合戦の司会を務める。
上沼恵美子さんは、1978年に長男を、1985年に次男を出産されています。
お子さんに関しては、芸能活動と並行して本当に大切にされていたようです。
上沼恵美子さんは、関西テレビの「痛快!エブリデイ」と言う番組でレギュラー出演を果たしました。
この番組への出演から、上沼恵美子さんのトーク力によって、タレントとしての注目度が上がったみたいです。
1994年第45回NHK紅白歌合戦にて、上沼恵美子さんは司会を担当されています。
上沼恵美子 紅白司会でいじめられた 白組司会の古舘伊知郎も「感じ悪かったんですよ」。この度上沼のYouTubeチャンネルに出演することが決定したと報告。
— 田中 健二 (@GW3CjJsMQ6n2ye1) June 25, 2023
→ 人間が丸くなったのでではなく、金のためなら何でもするように丸くなったということ。それ以外何物でもない。 pic.twitter.com/J1xBP0ahpD
後日談ですが、上沼恵美子さんは「あんなもんしたくなかったわ」と語られています。
上沼は1994、95年にNHK「紅白歌合戦」で司会を務めたが、「あんなもんしたくなかったわ」とぶっちゃけた。
引用元:スポニチ Sponichi Annex
現在の上沼恵美子さんの芸能活動の礎になったのは30代でのタレント業・司会業のオファーがきっかけだったようです。
また、30代では次男も出産されており、かなり大変な毎日を過ごされていたことが想像できますね!
今の上沼恵美子さんのイメージは30代での活動が元になっていたのかも!
上沼恵美子さんファンに聞いた、上沼恵美子さんの30代で印象に残っている出来事
えみちゃんねるという冠番組が印象的です。とにかくトークの回しがめちゃくちゃうまくて島田紳助さんのような雰囲気を強く感じました。(30代男性)
初めて紅白歌合戦の司会を務めていたことが印象的でした。大阪の女芸人さんが司会を務めたのは、なかなかないことだと思うので、より彼女の凄さが分かります。(30代女性)
専業主婦希望の夫の反対を押し切って、出産後すぐに芸能界に復帰します。当時はお姑さんと同居していたものの、それが嫌で30歳の時に古い家をキャッシュで購入したとのこと。しかも2棟。すごいですね。(40代女性)
40代
上沼恵美子さんが40代の頃の代表的なできごとはこちらです。
- 1995年(40歳):第46回NHK紅白歌合戦司会・「おしゃべりクッキング」スタート。
- 1995年(40歳):冠番組「快傑えみちゃんねる」放送開始。
- 2000年(45歳):8キロの減量により外見が劇的に変化。
上沼恵美子さんは、39歳でNHK紅白歌合戦で初司会を務めた後すぐ1年後に再度司会を務めています。
また、同年4月には「上沼恵美子のおしゃべりクッキング」で、本音トークと料理実演で主婦層に支持されました。
『上沼恵美子のおしゃべりクッキング』のレシピを参考に夕飯のおかずを作ってみたが、いまひとつ味が決まらず。
— Nujonakihs (@NtAECJPjTeGdQLh) October 25, 2023
なんでやろ?と、おもって一息入れていたら、ふと、「ああ、『おしゃべり』が足りなかったな」と。。。 pic.twitter.com/6CSjuTp0Em
1995年7月には、関西テレビでトークバラエティ「快傑えみちゃんねる」に出演。この番組は2020年まで続く長寿番組となりました。
上沼恵美子さんは、番組視聴者から「見苦しい」といった辛辣なコメントに対して、ダイエットを始めたようです。
減量後は、「本当に小さくなりました。顔もきれいになりました。自分でもうっとりしました」と語られていたようです。
40代前半のころ、テレビ視聴者から「見苦しい」との厳しい投書が大量に届いたことを明かした。
上沼は「45歳のときに8キロやせて、すごくきれいになったんです」とおよそ20年前のことをエピソードを語り始めた。「本当に小さくなりました。顔もきれいになりました。自分でもうっとりしました」
引用元:デイリー
上沼恵美子さんの40代は、人気に拍車が掛かり、ますますオファーが増えていったようです。
何本もの番組を並行して行なっていたとは、相当な苦労が伺えますね。
また、忙しい中視聴者から辛辣なコメントが送られて、それにも真摯に対応していた姿はかっこいいですね。
上沼恵美子さんは、40代でも人気に陰りがなくいろんな番組からオファーを受けていたみたいだね!
上沼恵美子さんファンに聞いた、上沼恵美子さんの40代で印象に残っている出来事
M-1の審査員をしていた姿を強く覚えています。ちゃんと理路整然と漫才の素晴らしさを説明していて本当に素晴らしいと感じました。(30代男性)
この頃から、関西の女帝と呼ばれていたことが印象的です。彼女の出る番組はどれも面白く、特に「上沼恵美子のおしゃべりクッキング」は大好きでした(30代女性)
40代の時に2年連続でNHK紅白歌合戦の司会を務めています。そこから冠番組がどんどん増えて「西の女帝」といわれるほどまでの人気と権勢を誇るようになります。(40代女性)
上沼恵美子の若い頃の髪型は可愛らしいショートカット
上沼恵美子さんの若い頃の髪型といえば、可愛らしいショートを思い出す方も多いのではないでしょうか。
若い頃の上沼恵美子さん
— NEO LEO (@NEOLEO_saka) April 17, 2024
うーん、確かに笑 pic.twitter.com/FTOcbS5A92
若い頃の上沼恵美子さんの髪型は、昔風の昭和風のショートカットでした。
漫才師を始めたてですが、正直かわいい顔立ちがより引き立っていますよね。
厳しいお父さんの影響もあってか、時代的なものもあってか上沼恵美子さんの若い頃の髪型はショート一択といった感じですね。
でも、若い頃の上沼恵美子さんのキュートな顔立ちによく似合っていますよね。
上沼恵美子さんは今と変わらず、若い頃も短めの髪型だったんだね!
まとめ
今回は、上沼恵美子さんの若い頃の活躍や出来事を、画像とともに振り返りました。
年代ごとに印象深い出来事がたくさんあったね!
これからの活動も頑張ってほしいと思います。