【写真】加賀まりこの若い頃が超かわいい!昔のメイクやエピソードまとめ!

女優や司会者として活躍する加賀まりこさん。

若い頃どんな風貌だったのかや、年代ごとにどんなできごとがあったのか気になるかたも多いと思います。

さっそく、加賀まりこさんの若い頃の写真やできごと、デビューのきっかけを年代順に振り返ってみましょう。

編集:スポーツニッポン新聞社
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目次

加賀まりこのデビューのきっかけや時期は?

デビューのきっかけや時期

加賀まりこさんのデビューの時期やきっかけは、明星学園高等学校に通っていた高校2年生の夏休みに『とっても困っているんだけど』と寺山修司さんと篠田正浩監督お2人からのスカウトがきっかけです。

「なんかかわいそうだな。この人たちを助けてあげたい」と同情し、帰宅して映画プロデューサーだった父親の加賀四郎さんに話したところ、「あなたで助けることができるなら、手伝ってあげたらどうだ」と賛成され、女優デビューを決めたという。

引用元:デイリー

もともと父親が映画プロデューサーだったため、小さい頃から映画スタッフや関係者がよく自宅に出入りしていた環境で育ったという加賀さん。

東京の神楽坂を歩いていたら突然、寺山修司と篠田正浩監督に声をかけられ『ヒロインがいなくて困っている』と言われたそう。そのことを父親に相談すると、『あなたで役に立つなら、夏休みだし手伝ってあげたらいいんじゃないか』と言われ芸能界デビューすることを決めました。

ねこ太郎

父親は映画プロデューサーの加賀四郎さんなんだって!

加賀まりこの幼少期は?若い頃の活躍やできごとを年代順に振り返り

加賀まりこさんの幼少期のエピソードや、若い頃の活躍やできごとを年代順に振り返っていきます。

幼少期

加賀まりこさんは、1943年12月11日に現在の千代田区神田小川町で生まれ、父親は映画会社大映のプロデューサーで知られ芸能一家の中で育ちました。

小学生の頃から隣町の古本屋に通い、澁澤龍彦翻訳『マルキ・ド・サド選集』をよく読んでいたのだそう。また、映画で見たオードリーヘップバーンの髪形にしたくて、一人で美容院に行くなどとても行動力のある子供だったそうです。

一人で行動することが8歳の時から平気で、一人前にタクシー乗れましたね。神田から神楽坂に引っ越して、2駅なんだけど電車通学になって、飯田橋から御茶ノ水までランドセル背負って通ってたの。帰りに神保町の古本屋に寄ると、ついつい夕方まで立ち読みしちゃう(笑)。

引用元:婦人公論

ねこ太郎

活発な小学生だったんだね!

10代

加賀まりこの若い頃の10代の年表

加賀まりこさんが10代の頃の代表的なできごとはこちらです。

  • 1957年(14歳):陸上競技の走幅跳で都大会で優勝
  • 1960年(17歳):明星学園高等学校に在籍。寺山修司さんと篠田正浩監督から路上でスカウトされ、フジテレビ系ドラマ『東京タワーは知っている』で芸能界デビュー
  • 1962年(19歳):松竹と5年間の契約を交わし、映画「涙を、獅子のたてが髪に」で映画デビュー

1960年の加賀さんが当時17歳の時、学校の帰り道スカウトをされ『東京タワーは知っている』で女優デビューを果たしました。

10代の頃の加賀まりこさんは、日本人離れした顔立ちからハーフと見間違えられていたのだそう。その可愛らしいルックスと高い演技力で、すぐに人気女優となりました。

1962年、19歳の時に映画『涙を、獅子のたて髪に』に出演し、映画デビュー。

その後、数々の映画やドラマに出演していった加賀さんですが、幼い頃から思ったことを何でも口にしてしまう性格だったため『小悪魔』や『和製ブリジット・バルドー』などと呼ばれていたそうです。

ねこ太郎

小さい頃から美人さんだったんだね!

加賀まりこさんファンに聞いた、加賀まりこさんの10代で印象に残っている出来事

アンケート調査結果
ネット上の人物

10代の頃、陸上をしていて走り幅跳びの都大会で優勝したという実績を聞いて驚きましたね。加賀さんに運動というイメージがなかったので一度でいいから見てみたくなりました。(30代男性)

ネット上の人物

加賀まりこさんは、今もとてもおきれいなのですが10代のころの天然の美少女のルックスが、とても印象的です。(40代女性)

ネット上の人物

学生時代に走り幅跳びで都大会優勝。ファッションやオーラがとてもエレガントな方なので、あまりスポーツとは結びつかなかったから。(20代女性)

20代

加賀まりこの若い頃の20代の年表

加賀まりこさんが20代の頃の代表的なできごとはこちらです。

  • 1963年(20歳):芸能界の仕事をすべてキャンセルし、人気絶頂の中単身パリへ
  • 1966年(23歳):石坂浩二さんと交際するもお互いの仕事が忙しく自然消滅
  • 1968年(25歳):第3回紀伊國屋演劇賞・個人賞を受賞

加賀まりこさんは、1963年、20歳の時に芸能界の仕事をすべてキャンセルし、単身パリへ渡ります。多忙なスケジュールとイメージだけで書かれてしまう週刊誌すべてが嫌になり、人生をリセットする目的で行ったものでした。

17から20歳の4年間、気がついたら、やれコマーシャルだの、テレビだの、映画だのって、仕事が入って、もうびっくりするようなお金が貯まってた。で、そのお金を使っちゃえと思って、パリへ行ったのね。女優やめようと思ったから。

引用元:婦人公論

1965年、22歳の頃にパリから帰国した加賀さんは、劇団四季の舞台オンディーヌ』に出演。連日大入りの大盛況となり、この舞台で初めて女優としてのやりがいを感じ、以降女優の仕事に力を入れていきます。

1966年、23歳で石坂浩二さんと舞台の共演がきっかけで交際がスタートします。しかし、お互い仕事が忙しく自然消滅したようです。

1972年の27歳の時、加賀まりこさんは未婚のまま妊娠。

当時は世間からバッシングを受けましたが、生むことを決意します。しかし生まれた子供は7時間後亡くなってしまいます。この経験は加賀さんの人生観を変えるきっかけとなったようです。

ねこ太郎

子供が亡くなるなんて辛いね…!

加賀まりこさんファンに聞いた、加賀まりこさんの20代で印象に残っている出来事

アンケート調査結果
ネット上の人物

美しさと哀しみとという映画でレズビアンの役柄をしその演技力の高さから大評判になったことが印象的です。この時代にかなり挑戦的な役をやったんだとすごく聞いた時驚きました。(30代男性)

ネット上の人物

20代の加賀まりこさんなのですが、「月曜日のユカ」という主演映画の宣伝写真がとても美しくて、印象的でした。(40代女性)

ネット上の人物

人気絶頂のさなかパリに渡る。まだ20代と若いにも関わらず築き上げた地位を捨てて大きな決断をしたことが凄いなと思ったから。(20代女性)

30代

加賀まりこの若い頃の30代の年表

加賀まりこさんが30代の頃の代表的なできごとはこちらです。

  • 1974年(31歳):フジテレビプロデューサー高田明侑さんと結婚しましたが、1980年に離婚
  • 1977年(34歳):NHK大河ドラマに出演し、その演技力を発揮
  • 1981年(38歳):映画『夕暮れまで』で第23回ブルーリボン賞・助演女優賞受賞

加賀まりこさんは1974年、31歳の時に高田明侑さんと結婚しました。高田明侑さんはフジテレビの『ズバリ!当てましょう』など数々の番組を手がけてきた名物プロデューサーで、加賀まりこさんより7歳年上でした。

お2人の結婚生活は6年間続きましたが、1980年に離婚してしまいます。理由は明らかになっていませんが、加賀まりこさんの多忙によるすれ違いが原因ではないかと言われているようです。

ねこ太郎

お2人の結婚と離婚は当時注目集めたんだって!

30代になり、加賀さんは女優としてもキャリアを積み重ねていきます。時代劇や着物姿の役柄などが増え、多数の映画やテレビドラマに出演していきます。

1980年に公開された映画『夕暮れまで』では、第23回ブルーリボン賞の最優秀助演女優賞を受賞しました。

翌年1982年には、『泥の河』『陽炎座』で第55回キネマ旬報賞・助演女優賞するなど演技力が高く評価され、大女優として成長していったようです。

加賀まりこさんファンに聞いた、加賀まりこさんの30代で印象に残っている出来事

アンケート調査結果
ネット上の人物

桃太郎侍に出演していた姿をテレビの特集で見たことがあったのですが、本当にお美しい顔立ちで釘付けでした。演技にもなんだか貫禄があり素晴らしかったです。(30代男性)

ネット上の人物

加賀まりこさんは交友関係が幅広く、川端康成さんといいお友達の関係と聞いて人脈が広く素敵な自立した女性という印象があります。(40代女性)

ネット上の人物

テレビ局プロデューサーとの結婚。恋多き女というフレーズをよく耳にするので、結婚されていたことは意外だったから。(20代女性)

40代

加賀まりこの若い頃の40代の年表

加賀まりこさんが40代の頃の代表的なできごとはこちらです。

  • 1983年(40歳):映画『道頓堀川』と『ダイアモンドは傷つかない』で第6回日本アカデミー賞の優秀助演女優賞を受賞
  • 1985年(42歳):NHK連続テレビ小説『澪つくし』古川るい役で出演
  • 1989年(46歳):音楽番組『夜のヒットスタジオSUPER』の司会を務める

1983年、40歳の時に、映画『道頓堀川』と『ダイアモンドは傷つかない』での演技が高く評価され、第6回日本アカデミー賞の優秀助演女優賞を受賞。

その後、NHKの連続テレビ小説『澪つくし』で古川るい役を演じたことにより知名度がさらに上がりました。

1989年、46歳になり音楽番組『夜のヒットスタジオSUPER』の司会を務めます。同じ時期に、クイズ番組『どちら様も!!笑ってヨロシク』にレギュラー解答者として出演し、バラエティー番組での活躍も目立ち始めていきます。

40代になったの加賀さんは、活動の幅を広げながらバラエティー番組での親しみやすいキャラクターで、幅広い年代層から人気を集めていきました。

ねこ太郎

毒舌が売りになったみたいだよ!

加賀まりこさんファンに聞いた、加賀まりこさんの40代で印象に残っている出来事

アンケート調査結果
ネット上の人物

NHKの銀河テレビ小説という作品が印象的です。そのドラマの中でしあわせ志願という話に加賀さんが参加されていたのですが、そのビデオが何故か家にあって話の面白さに当時釘付けになりました。(30代男性)

ネット上の人物

加賀まりこさんの40代なのですが、更年期を紛らわすために自分の趣味の時間を見つけて没頭していたという記事を読み勇気をもらえました。(40代女性)

ネット上の人物

音楽番組で司会を務める。夜のヒットスタジオという伝説の音楽番組が存在していたことは知っていたのですが、加賀まりこさんが司会をしていたことは知らなかったから。(20代女性)

加賀まりこの若い頃の髪型はふんわりとしたまとめ髪

加賀まりこさんの若い頃の髪型といえば、ふんわりとした髪型を思い出す方も多いのではないでしょうか。

若い頃の加賀まりこさんは、当時の流行を取り入れたおしゃれで可愛らしいふんわりとしたまとめ髪を好んでいました。子供の頃からおしゃれにこだわりがあり、ヘアスタイルにもとても気を使っていました。

1960年代は、ボリューム感が特徴的なヘアスタイルで、ヘアスプレーなどを使い高いアップスタイルを作り、ボリュームを出すヘアスタイルが流行していました。

ねこ太郎

かわいらしい加賀さんにとっても似合ってるね!

まとめ

まとめ

今回は、加賀まりこさんの若い頃の活躍や出来事を、画像とともに振り返りました。

ねこ太郎

年代ごとに印象深い出来事がたくさんあったね!

これからの活動も頑張ってほしいと思います。

編集:スポーツニッポン新聞社
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