女優として活躍する原節子さん。
検索窓に「原節子」と入力すると「ハーフ」と候補が出てきますが、本当なのか気になりますよね。
結論を言うと、
それはどうして?
次でくわしく見ていくよ!
原節子がハーフではない理由
原節子さん好きなんよね
— sagami (@sagami64504961) August 26, 2024
#時代を超越してるオーパーツ美女 pic.twitter.com/lMOluKbHC2
原節子さんがハーフではない理由は、
です。
調べてみると、原節子さんの両親は日本人だそうです。
両親の出身地について情報はありませんでしたが、原節子さんの出身地が横浜市であることから両親は日本人だと思われます。
原節子こと會田昌江が生まれたのは1920(大正9)年6月。現在の横浜市保土ヶ谷区においてである。
引用元:デイリー新潮 (dailyshincho.jp)
ハーフでないならクオーターなのかな?
次で見ていくよ!
原節子はハーフでないならクオーター?
原節子さんはハーフではありませんでしたが、クオーターなのでしょうか。
調べてみると、原節子さんはハーフでもクオーターでもありませんでした。
両親はどんな人なの?
次でくわしく見ていくよ!
原節子の両親の顔写真や名前・出身地は?
原節子さんの両親の顔写真や名前、職業、出身地など調べてみました。
父親の顔写真や名前・出身地は?
6月17日、原節子さんのお誕生日で、こんにちは。
— Jplus collection🕊 (@noir1129) June 17, 2024
幻のモダニストと呼ばれる、堀野正雄の森永製菓の広告写真。
1枚目の美しすぎる原節子の写真は、絵はがきにもなっています✨ pic.twitter.com/0obMy2qIRH
原節子さんの父親の名前は「会田藤之助(あいだふじのすけ)」さんです。
原節子さんと苗字が違うのは、「原節子」は芸名で、本名は「會田 昌江(あいだ まさえ)」だからです。
原 節子(はら せつこ、本名:會田 昌江(あいだ まさえ)
引用元:原節子 - Wikipedia
職業は生糸商を営んでいました。
尾上町で生糸商を営む会田藤之助
引用元:原節子 - Wikipedia
出身地は公表されていませんが、原節子さんが横浜市出身ということを考えれば横浜市かもしれません。
名前 | 会田藤之助 |
---|---|
職業 | 生糸商 |
出身 | 横浜市? |
原節子さんが幼かった頃、父親は衣類関係の問屋を営んでいました。
当時の日本は世界一の生糸の輸出大国だったため、原節子さんの家庭は豊かな暮らしをしていたそうです。
当時、彼女の父は日本橋で衣類関係の問屋を営んでいた。その頃の日本は世界一の生糸の輸出大国だった。
「あの家も景気が良くて、家に上がると、玄関に『いちはつ』の花がずらっと並んで椅麗でしたね。お姉さんたちは、振袖を着て、フェリス(女学院)に横須賀線の2等列車(=グリーン車)で通っていました」
引用元:デイリー新潮 (dailyshincho.jp)
しかし世界恐慌の影響で経済が悪化し、生糸の輸出が激減したので父親の仕事もうまくいかなくなり、原節子さんと家族も経済的に困窮してしまいました。
原節子さんは、家計を助けるために学校を辞めて映画に出演することにしたそうです。
追い打ちをかけたのが1929年の世界恐慌である。最大の輸出先のアメリカを失い、生糸の価格は暴落。
「家はとたんに傾き、昌江ちゃんはいつも同じ服ばかり着る“着た切り雀”になった。卒業後は、横浜高等女学校に進んだのですが、家計を助けるため、2年で中退してしまったんです」
會田家には、もう末娘を学業に専念させる余裕はなくなっていたのだ。
引用元:デイリー新潮 (dailyshincho.jp)
家庭が経済的に困窮していたこともあり、次女光代と結婚していた映画監督の熊谷久虎の勧めに従って映画界に入ることにし、女学校を二年で中退した
引用元:原節子 - Wikipedia
父親は、彫の深い顔立ちだったそうです。
原節子さんの父親は、とても彫りの深い顔立ちだったようで、その影響を受けています。彼女を、純粋な日本人であることを疑う方は多いです。山本薩夫監督は自著で指摘しているし、今井正は亡くなる直前まで彼女を外国人の血が混じっていたと思っていますね。原さんの祖父母以前は、不明ですが。
— 夢郎(ぼうろう) (@FrTaxz) December 3, 2020
家計を助けるために女優になったんだね!
母親の顔写真や名前・出身地は?
原節子さんでおやすみなさい 🤫💤 pic.twitter.com/ft8R4b07CV
— ゲラ子。 (@gerako11e) June 3, 2024
原節子さんの母親の名前は「会田ナミ(あいだなみ)」さんです。
母・ナミの間に末っ子として生まれた。
引用元:原節子 - Wikipedia
職業は公表されていません。
出身地は公表されていませんが、父親と同じく横浜市かもしれません。
名前 | 会田ナミ |
---|---|
職業 | 非公表 |
出身 | 横浜市? |
母親は近所の人からも美人だと評判でした。原節子さんが美人なのは、母親の遺伝もあるのですね!
しかし、母親は関東大震災で大怪我をしてしまい、精神状態が不安定になってしまいました。
母親は近所を徘徊したりうわごとを言っていたので、原節子さんは悩んでいたそうです。
「お母さんがかわいそうな人でね。関東大震災の際、沸騰した鍋を頭からかぶってしまったのです。近所で“小町”と言われるほどきれいな人だったのに、毛が抜け落ち、少し頭がおかしくなってしまった」
大震災の時、彼女はまだ3歳。物心付いた頃、母は既に普通の母ではなかった。
「白い服を着て近所をウロウロしていた。次第に座敷牢のようなところに閉じ込められてしまいました。昌江ちゃんも“お母さんがうわごとをブツブツ言っているの”と悩んでいてね」
引用元:デイリー新潮 (dailyshincho.jp)
どうして原節子さんがハーフって噂が出たのかな?
次でくわしく見ていくよ!
原節子がハーフやクオーターではと噂されている理由
原節子さんがハーフではという噂が出たのには、こんな理由が考えられます。
- ハーフのような顔立ちだから
- 日独合作映画に出演したから
- 日本人離れした風貌だったから
それぞれみていきましょう。
理由1:ハーフのような顔立ちだから
原節子さんがハーフではと噂が出た理由の一つ目は、「ハーフのような顔立ちだから」と思われます。
実際にネット上でも原節子さんがハーフなのでは?と噂する声があがっています。
原節子さんってハーフぽいですよね
— デジミ【D.M.C】official (@DigitalMixComp) May 23, 2020
原節子さんの、
- 目が外国人のよう
- 鼻筋が通っている
- 彫りが深い
などの顔の特徴から、ハーフなのではと考える人がいたのかもしれません。
目がすごく大きいよね!
鼻も高くてハーフに見えるよね!
理由2:日独合作映画に出演したから
原節子さんがハーフではと噂が出た理由の二つ目は、「日独合作映画に出演したから」と思われます。
原節子さんが京都で撮影していたとき、日本を訪問していたドイツの有名な監督が撮影現場に来ていました。
アーノルド・ファンク監督は、原節子さんの姿を見て、日独合作映画の主演女優に原節子さんを抜擢したそうです。
たまたま京都の撮影現場に、訪日中のドイツの有名監督アーノルド・ファンクが見学に来ていた。当時、日本との関係強化を図る協定締結を水面下で進めていたナチスは、ドイツ人の日本に対するイメージアップを狙ってプロパガンダ映画の制作を決め、ファンクが監督を務めることになっていた。この「日独合作映画」(共同監督は伊丹万作)の主演女優の選考で、日本側は田中絹代を推したが、ファンクは納得しなかった。そして撮影所で見かけた節子を抜てきする。
引用元: nippon.com
初の日独合作映画「新しき土」は1937年に日本で公開され、公開後、原節子さんは注目されるようになりました。
映画「新しき土」より...厳島神社にて鹿と戯れる原節子(1937年) pic.twitter.com/hQcElzOgH7
— ken (@ken29716939) July 11, 2023
おはようございます🙂 今日は自宅で仕事をします。
— 戦前の日本映画好き (@zZsrqatVXBZS7Fe) September 27, 2023
みなさま、よい一日をお過ごしください。原節子様の人気を決定づけた「新しき土」の画像をあげておきます。
世評に反して、私はファンク版よりも伊丹万作版が好きです。#古い映画好き pic.twitter.com/mTDD17wnav
ドイツの監督から主演に抜擢され映画に出演したので、ハーフなのでは?と噂されたのかもしれません。
ドイツの監督に声を掛けられたんだね!
主演女優に選ばれるなんてすごい!
理由3:日本人離れした風貌だったから
原節子さんがハーフではと噂が出た理由の三つ目は、「日本人離れした風貌だったから」と思われます。
原節子さんの映画を最も多く撮った監督が山本薩夫さんです。
山本薩夫さんは、原節子さんのことを「骨格は外人。外人の血が混じっているのではないか」と語っていたそうです。
山本薩夫は、原節子と最も多く7本の映画を撮った監督だ。最初の「母の曲」前篇(1937)の印象ー「キャメラをアップにして見ていると、顔はきれいなのだが、どうも日本人みたいではない。目は青くはないが大きく、眼窩がくぼみ、鼻は高く、骨格は外人である。背も大きい」ーつづく pic.twitter.com/X8ViZ1xnFh
— 夢郎(ぼうろう) (@FrTaxz) August 16, 2018
「母の曲」は、原節子のセーラー服姿が印象的な映画であり、17歳である。山本薩夫は、「三代くらい前に外人の血が混じっているのではないかという気が私にはしてきた」「そのくらい彼女は、日本人離れした美しい顔をしていた」(「私の映画人生」1984)と述べる。そうした容貌が翻案映画の多さと重なる pic.twitter.com/6L1nTscbJD
— 夢郎(ぼうろう) (@FrTaxz) August 16, 2018
#原節子生誕祭「新しき土」
— 阿乱隅氏 (@yoiinago417) June 17, 2019
原節子が16歳で出演したドイツとの合作。ドイツ人ヒロインも登場しますが原さんが負けていない。造りの大きな顔つきといい当時の日本人女性としては大柄な体つきといい、スケールの大きさを感じさせるのです。節子さんのスク水姿という貴重な映像もあるので要チェックです。 pic.twitter.com/Qh2p6WWLC7
原節子さんの身長は165㎝で、当時の日本の女性の平均身長を越えていたんだとか。
1番目のポストの山本薩夫さんの発言などから、原節子さんはハーフなのでは?と思った人がいたのかもしれませんね!
身長も高かったんだね!
当時の日本女性は小柄だったんだね!
まとめ:原節子はハーフではない
今回は、原節子さんがハーフやクオーターなのかや、ハーフの噂が出た理由を考察してみました。
調べたところ、
とわかりました。
また、原節子さんがハーフではという噂が出た理由は、以下のことが考えられます。
- ハーフのような顔立ちだから
- 日独合作映画に出演したから
- 日本人離れした風貌だったから
ハーフのような顔立ちや日独合作映画に出演したこと、日本人離れした風貌などから、ハーフなのではと思った方がいたのかもしれません。
これからの活動も頑張ってほしいと思います。